第20話 ざわめく心
「えっ……離れろって……」
「私を誤魔化せると思った? その子、アルラウネでしょ?」
「……」
「隠さないで」
「……そうですけど」
「やっぱり……」
冷ややかで、少しだけ怒気を孕んだ声色が、ルーカスの耳を劈く。あまりにも衝撃的で頭が真っ白になりそうだった。こんなにも神妙な顔つきのマリンは見たことがなかったからだ。
「で、でも……彼女は傷を治してくれたんだ。命だって助けてもらった……」
「それでも、信用しちゃダメ。年長者として、今のルカ君の状況を見過ごすわけにはいかないわ」
ルーカスの反論は呆気なく力を失った。借金に追われ、先の未来を描き難い人生の中で見つけた、刺激的な日々。
その色彩が、音を立てて崩れていく気がした。
「どうして……信用しちゃいけないんですか……」
「その子が魔物であることに変わりはないからよ」
青い瞳がルーカスに突き刺さる。海のような瞳は、冷たさの中に仄かな優しさが滲んでいる。本気でルーカスを心配しているのだと、懸命に訴えている目だった。
「……私が冒険者だった頃にね、パーティーに傷ついたサラマンダーを助けた男の子がいたの。最初はとても懐いていて、危険だなんて思わなかったわ……」
マリンが何を言おうとしているのか。察してしまったルーカスは思わず息を呑んだ。
「ッ! まさか!」
「そうよ。すっかり回復したサラマンダーは——彼を食い殺したのよ。人間なんて、魔物からすれば所詮はただの魔力が豊富な肉塊。こっちが愛情を注いでも、食い物にされるのよ」
残酷な記憶だった。
「もちろん、今回のその子に悪意があるかなんてわからないわ。だけど……万が一、ということもあるのよ」
「……」
いつの間にか、ルーカスは黙って拳を握りしめていた。今まで過ごしてきた時間の意味を否定された気分だった。
「ルカ君……私だって意地悪で言ってるんじゃないのよ。曖昧かもしれないけど……嫌な予感がするのよ」
「嫌な予感ですか……?」
ルーカスがそう聞き返すと、マリンは短く頷く。
「ここ最近、狂爪大熊みたいな凶暴な魔物が目撃されてるでしょ。あくまでも推測なんだけど……何かただならぬ事が起ころうとしている前兆なのかもしれないわ」
「それって……」
そういえば、風狼も同じようなことを言っていた。狂爪大熊が何者かに住処を追われたから、普段はいないはずの区域にいるのだと。
よもや、シルヴィが関係しているというのだろうか。
「だけど、風狼は繋がりを感じられないって言っていたんです。群れる魔物には特有の魔力の繋がりがあって、それでリーダーが支配してるって……」
「そうなの? それは初耳だわ」
「でしたら——」
——関係ないのではないか、とルーカスは言いかけるが、マリンは遮って言葉を続けた。
「でも、それだけじゃわからないわ。敢えて切り離して泳がせてるって可能性もあるもの」
「それは流石に考えすぎじゃ……」
「そうかもしれないわ。……私だって外れていてほしいと思ってる。だけどね、魔物っていうのは狡猾な生き物なのよ」
生き残るために学習し、考え、時には人間さえ利用する。
“魔物絡みは先が読めない”
——だからこそ、深入りし過ぎてはいけない。
「……わかりました。少なくとも、危ないと感じたら離れるようにします」
どこか心にモヤを残しつつも、マリンの言葉を受け取ることにしたルーカス。だが、彼を見送るマリンの瞳には、拭いきれない憂いが宿っていた。
「私としては、ルカ君がこれ以上危険な目に遭ってほしくないわ」
「大丈夫ですよ。危機管理には自信があるので……」
「自信があるとか…そういう話でなんとかなるものじゃないのよッ! 下手をすれば——容易く生命なんて消えてしまうもの……」
マリンの言葉の一つ一つが重く、痛かった。口で並べるのはおろか、思い出すだけでも吐き気がするような、辛い記憶。その記憶が繰り返され、また大切な人を呑み込むのではないかという不安が、彼女の胸の内に浮かび上がってきたのだろう。
「ッ! ご、ごめんね……ルカ君。ちょっとだけ熱くなっちゃったわ……」
「……いえ、僕も迂闊でした。マリンさんのお言葉はごもっともです」
人の命は儚い。狂爪大熊の大技が迫った瞬間の光景が脳裏をよぎる。あの時、ほんの少し運が悪ければ、自分はここにいなかった。
この世界は、常に死と隣り合わせなのだ。
「せめて、死なないよう抗いますよ。それじゃ、僕はこれで失礼します。また、来週も来ますよ」
「ルカ君……」
「心配しないでください。いつもの注文、持ってきますよ」
ルーカスは空になった背負子を背負い、店を後にした。
(それに……今のままじゃ、終われない。僕には、やるべきことが残っている)
振り返ると、マリンはまだ店先に立っていた。
その視線を背中に受けながら、ルーカスは歩き出す。




