第19話 愉快な休日
ゼルドアの街に、新しい朝がやってきた。
本日は、休日。
街一の宿屋【アウシュルエン】は、一部を除いて静けさに包まれていた。
疲れた旅人たちは、ふかふかのベッドに身を沈めたまま夢の中を漂っている。元気な鳥のさえずりも、夢の世界を打ち破るのに手こずっていた。
もっとも、激務の錬金術師は、夢への誘惑など気にも留めない。この休日こそが重要な日であった。
「傷薬、四百本、よし。解毒剤、三百本、よし。あと、これも……」
眩い朝日が差し込む一室で、ルーカスは注文の商品点検を終えていた。昨晩調合した出来立てほやほやの薬が、背負子の箱にびっしり詰められている。
(今日は金貨四枚で提示してみるか……粗利はざっと4万ゼルくらいになるな)
内心、ルーカスは独り呟く。いつもなら金貨一枚のところだが、四倍という強気な価格で交渉に臨む。錬金術の腕が上がったので、品質には自信があった。これも、風狼との訓練のおかげである。
「そろそろ出るか……」
ルーカスは荷物を背負って部屋を後にした。途中、食堂の開店準備をしているリザに挨拶を交わす。
「おはよう、リザ。朝からお疲れ様」
「あっ、ルカ! おはよう! 今日も早いね!」
「商談に行ってくるんだ。あ、その前に今月分の家賃を渡しておくよ」
「はいは〜い!」
ルーカスが麻袋を手渡すと、リザは「まいど♪」と軽快に受け取った。
「金貨二枚分でよかったかな? 掃除とか洗濯とか、いろいろしてもらってるし、もうちょっと多く出せるんだけど」
「ううん、その金額で十分だよ。むしろ払い過ぎなくらい」
この宿屋には、いつもお世話になっている。孤児院から独立して間もない頃、ルーカスは住む場所すら持っていなかった。採取地で野宿したり、街の路地裏で夜を明かしたりすることも珍しくなかった。
そんな彼を見かねてリザが、「空き部屋あるし、使えば?」と半ば強引に部屋を貸してくれたのだ。彼女から事情を聞かされていた宿屋の主人も快く受け入れてくれた。
しかも、食事と風呂付きである。
もちろん、その厚意に甘えっぱなしというわけにはいかない。今ルーカスが支払っている家賃には、それらの世話代も含まれていた。
「そういえばさ、少し前からお昼ご飯食べに来なくなったよね。お仕事、そんなに忙しくなってきたの?」
「ま、まぁね……南の森に材料を採りに行くことが多くなったから。今の時期は暖かいし、旬の薬草が採れるんだ」
「ふぅん。錬金術師も大変だね〜」
ルーカスは少し動揺しながら、もっともらしい理由を並べる。しかし、リザの視線はどこか納得していないようだった。
そしてふと、彼女は鼻をひくつかせる。
「ねぇ、ここ最近のルカってさ……なんか良い匂いになって帰って来るよね?」
「えっ」
「フローラルっていうか……お花みたいな、ちょっと甘い匂い。吸い寄せられそうなくらい」
「そ、そうかな……? 草花に触れてるから、その匂いが移っただけかも……」
否定するほどのことでもないはずだった。
それでもルーカスは、思わず一歩、あとずさる。——彼女の鼻が、余計な方向に鋭すぎることを理解していたからだ。
「い〜や! これは——女の子の匂いだっ‼︎」
ズバリッとリザは言い当て、ニヤリと口角を上げた。
「いや、そんなことは——」
「ねぇねぇ! どんな子なの!? 隠さずにリザお姉さんに話してごらんなさ〜い!」
「えぇ……」
ルーカスはこめかみに手を当てた。
——始まった。
恋バナを嗅ぎつけたリザは止まらない。
このままでは仕事に遅れてしまう。そう判断したルーカスは、咄嗟に突破口を導き出した。小さい頃から彼女を見ているからこそできる、とっておきの策である。
「強いて言うなら……」
「言うなら……?」
「よ、妖精みたいな子……」
「ッ! きゃあ〜! ロマンチックゥ〜!」
リザのギアが一段上がった音がした。
「年上⁉︎ 年下⁉︎」
「知らない」
「片想いっ? それとも、両想いっ?」
「……よくわからない」
「あらら〜! 照れ隠しかな〜? まったくルカってば、素直じゃないんだから〜!」
リザの心のボルテージがさらに上がっていく。埒が空かないが想定内だ。ルーカスは強制的に話を区切ることにした。
「今から仕事だから、また後でね。それじゃ」
「はぁ〜、妖精みたいな子かぁ……きっと森で運命の出会いがあって……それから——」
背後から聞こえてくる妄想全開の独り言に、ルーカスは聞こえないふりをした。そして、そそくさと宿屋を後にするのだった。
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背負子を背負い、ルーカスは宿泊街のストリートを真っ直ぐ進む。
商業区に足を踏み入れた瞬間、賑やかな声が耳に飛び込んできた。大手商会【トルコネ商会】が、朝市を開催していたためだ。
「さあさあ、寄ってけ寄ってけ! 朝搾りのミルクは栄養満点! 美容にも効果的! おっとおっと、そこの道行くお嬢さん! 一本だけでも飲んできな!」
「今朝仕入れたばっかりの果物だよ! 今が一番美味しいよ!」
「へへっ、お客さん。その果物美味いよな。せっかくなら良い皿で食いてぇよな! ウチの皿は——」
大通りに並ぶ店では、色鮮やかな果物が山と積まれ、磨き上げられた食器が朝日を反射する。あちらこちらに出店が並び、呼び込む声が飛び交い、香ばしい匂いが辺りを包み込んでいく。
ルーカスはこのちょっとしたお祭りのような雰囲気が好きだった。出店でお気に入りの串焼きを買い食いしながら、取引先に向かう。ささやかな楽しみである。
そして、なによりも自分の仕事が街を支えているという実感が誇らしかった。
「おうっ、ルーカス! こないだは助かったぜ!」
「やぁ、蒼いの。おまえさんの湿布のおかげで、腰痛があっという間に治ったよ。また頼むぞ」
「あらルーカス! 先月の防腐剤、評判良かったわよ! 次も頼むわね!」
歩くだけで声がかかる。そのたびにルーカスは軽く手を振り、短く返事を返した。
しばらくして大通りを抜けると、小さな商店街に出た。入り組んだ道を進んだ先に、目的の店が見えてくる。
——【水妖精の雑貨屋】
ファンシーな名前にそぐわない、いたって平凡な雑貨屋だが、何を言おうルーカスの唯一の得意先である。朝一番の仕事は、この店との取引だ。
ルーカスは軽快にドアをノックする。
「おはようございます! マリンさん! 例の薬、持ってきましたよ」
「あらルカ君。待ってたわ〜」
店の中から顔を出したのは、水色髪の若々しい女性。おっとりしているが、値切り交渉になると一切譲らないことで有名だった。
「朝からご苦労様。その大荷物だと、重かったでしょ」
「そんなことありませんよ。毎日鍛錬をしているおかげで、楽に運べていますよ」
「あら、そうなの? う〜ん……言われてみれば、たしかに筋肉がついてきているわね。アベルと良い勝負しそうだわ〜」
「それは流石に言い過ぎですよ」
たわいもない話を交わしつつ、ルーカスは背負子から薬の入った商品箱を取り外す。
「これ、先週頼まれていた商品です」
「ふふ、いつもありがとう」
マリンは中身をちらりと確認しただけで頷いた。
「ルカ君の商品なら心配してないけど、一応確認しないとね〜。サンプル持ってる?」
「もちろんです。こちらに用意してますよ」
ルーカスは傷薬と解毒剤の小瓶をテーブルに置いてそう伝えた。一方で、マリンは棚からガラス皿と試験紙を持ってくる。
まずは傷薬から。マリンは瓶を光に透かす。優しいエメラルドグリーンの薬液には、一切の濁りも見られない。
「透明度よし。沈殿もなしね〜」
次にマリンは解毒剤を開けると、中身をガラス皿へ一滴垂らした。そして、紫色の試験紙へ解毒剤を染み込ませる。
数秒後。試験紙はゆっくりと白へ戻った。
「うん、問題なし。今回も上物だけど、前よりも質が良くなってるわね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
「うふふ。これならルカ君の言い値で買ってもいいかもしれないわね〜」
穏便に事が進んでいる……というのは間違いである。むしろ、ここからが本番だ。
「それじゃあ、四万ゼルでどうでしょう? 質が上がった分、効果は保証しますよ」
「その金額なら妥当かもね。ただ、今の相場だと店頭価格は五万ゼルが限界かしら」
「そうなると……」
「ウチの取り分を考えると、三万二千ゼルが上限ね〜」
「……わかりました。それで手を打ちましょう」
「ふふ。交渉成立ね♪」
マリンは上機嫌にそう言うと、金貨三枚と黒銀貨二枚をルーカスに手渡した。予定の二割引きとなってしまったが、この範囲なら想定内だ。
「ところでルカ君。もう一つ箱があるみたいだけど、中には何が?」
「ああ、これはですね……」
勿体ぶった口ぶりで箱を開けると、そこには黄色い薬液入りの小瓶がぎっしりと詰まっていた。
「こ、これって……⁉︎」
「はい。新しく錬成してみた、“魔力回復剤”です!」
それを知った途端に、マリンの目が見開かれる。その反応を確認するなり、ルーカスはニヤリと目を光らせた。
「うそでしょ〜⁉︎ 魔力回復剤なんて王都でも滅多に見ないのに!」
「えへへ、どうでしょう。初めて作ったにしては、我ながら良く出来たと思うんですが」
「初めて作って……しかも百本も用意してくれるなんて……」
マリンの反応も無理はない。魔力回復剤は原料の都合で、流通量が極めて少ないのだ。
なお、ルーカスがこれを作成できたのはシルヴィのおかげだったりする。魔力の源となる“魔素”の吸収効率を高める“マギシャ草”を、例の魔法で生成してくれたからだ。
「でも、たしかマギシャ草って、豊穣の森だと生えていなかったんじゃなかったかしら?」
「そうなんですけど、知人が採ってきてくれたもので」
「ふ〜ん。知人ねぇ……」
平然を装ったルーカスの言葉に、マリンは目を細めた。
「もしかして、女の子?」
「なんでそうなるんですか」
「だって、ちょっぴりお花みたいな香りがするんだもん」
ルーカスは不意を突かれた。そうだった。この人もリザと同じタイプだった。——人様の色恋沙汰に限って、とことん鼻が利く。
「うふふ……図星みたいね〜♪ 別に隠す必要はないでしょ? 私で良ければ話を聞かせてちょうだい」
「……わかりましたよ。ちょっとだけですよ」
「やった〜♪」
大人びた雰囲気とは裏腹に、急に口調が子供っぽくなるマリン。もはや敵わないなと、ルーカスは内心苦笑いしてしまった。
そして、事の経緯を軽く話す。そして、シルヴィの正体や魔法については伏せたまま、これまでのことを簡単に説明した。
思えば、軽率なことをしたのかもしれない。
途中から、相槌が減っていたことに気づく。
気づいた時には、もう遅かった。
マリンの顔は——いつにもなく神妙だった。
「ルカ君……その子と離れたほうがいいわ」




