第17話 乙女のフラッシュバック
「恵みの朝露よ、生命を育む雫とならん——《癒しの雫》」
シルヴィの指先から淡い黄緑色の雫が零れ落ちる。落ちた先はルーカスの身体。染み込むと同時に、修行で負った傷が瞬く間に塞がっていく。
「どう? 痛まない?」
「うん。ありがとう」
「そっか。ならよかった……」
ぽつりと漏れたその声に、ルーカスは思わず胸を高鳴らせた。普段と何も変わらないはずなのに、不思議と耳に残る。
「……どうかしたの?」
「えっ……いや、なんでもないよ」
平然を装ってルーカスは視線を逸らした。
(アルラウネは獲物を誘惑するためにフェロモンを出す……か)
脳裏をよぎった知識に、ルーカスは慌てて首を振る。
(いや、何を考えてるんだ僕は……)
「?」
シルヴィは首を傾げて「変なの」と呟く。ルーカスが頬を赤らめている原因が、まさか自分の魅惑の香りによるものだとは思ってすらいない。
彼女は引き続き傷の治療へと移る……のだが、ふとルーカスの胴体に視線が落ちた。
「それにしてもルカ……前よりもたくましくなったね」
「ま、まぁね。日々の鍛錬の賜物だよ」
腹筋は六つに割れ、背筋や胸筋も大きく発達している。腕の筋肉も前よりかは付いていた。典型的な筋骨隆々とした戦士のそれとは並べて語れるほどではないものの、確実に身体は鍛えられていた。
「そういえば、最近は息切れしなくなったなぁ」
「そうなの?」
「うん。前より多く薬を積んだんだけどさ、軽々と持ち運べるようになってたんだ」
鍛錬の成果は、ルーカスの日常生活の中にも影響を及ぼしていた。以前であれば二往復しなければ運べない量の薬を、一回きりで運べるようになったのは大きな変化だ。
「あと、前よりも集中力が……ん?」
違和感を覚えたルーカスは、逸らしていた視線を再びシルヴィに向ける。目が合わない。彼女の視線は、ルーカスの胸元に吸い寄せられていた。
「すごく……温かい」
「……シ、シルヴィ?」
シルヴィは返事もせず、華奢な手でルーカスの胸筋をぺたぺたと触った。
「なんだか、安心する……」
「そ、そうかな?」
「うん」
熱を帯びた視線が、ルーカスの心臓を射抜く。思わず、ルーカスは彼女に問いかけた。
「シ、シルヴィ……その……触りすぎじゃないかな?」
「そんなことない。今のルカ、エネルギーに満ち溢れてる。魔力神経も太くなってる……」
「答えになってないよ! っていうか、そんなこともわかるの⁉︎」
二重の意味で動揺を隠せないルーカスだったが、彼女の言葉でふと思い出したことがあった。
(そういえば、錬金術を使える時間が倍になった気がするな……)
生物には“魔力”を循環させるための「魔力神経」というものがある。呼吸などで外部から取り込んだ魔素が、身体中の神経系に沿って流れて形成される“第二の神経”である。
これが肥大化することで、多くの魔力を流し込めるようになる。ルーカスが錬金術をより長く行使できるようになったのは、そのためである。
とはいえ、その魔力神経を視認できるのは、あまりにも常人離れしている。いや、彼女はアルラウネなので、見える世界が違うのかもしれない。
「あったかくて……優しい……」
それはさておき、シルヴィはいまだにぺたぺたと身体を触り続けている。柔らかな指は、彼女の好奇心と甘えのエッセンスが効いていて、とてもくすぐったい。
「もうそろそろ……離れてくれてもいいんじゃないかな?」
「……ダメ。まだ触っていたい……」
「そこまで執着するものなのかな……」
「だって……ルカだって私の……」
そこまで言いかけて、シルヴィの動きが止まった。
「私の……」
ふと顔を上げる。ルーカスと目が合った。
その瞬間、彼女の恥ずかしい記憶がフラッシュバックする。水浴びのときの——あの出来事。不本意ながら感じてしまった、あの感覚。
「——〜〜ッ⁉︎」
じわじわと熱を帯びていた水が急激に沸騰したかのように、彼女の顔が真っ赤になった。
「な、なに言わせようとしてんのよ〜ッ‼︎」
「いやっ、シルヴィが勝手に言いはじめたんだろッ⁉︎」
こればかりは完全に彼女の自爆だ。だが、シルヴィは聞く耳を持ってくれなかった。
「ルカのエッチィッ‼︎」
「だから、なんで僕がッ——」
次の瞬間。
パァンッ!
「ぶぐぉッ⁉︎」
シルヴィの平手打ちが綺麗に決まった。
森は時として牙を剥く。
だが、まさかこんな形で牙を剥かれるとは思わなかった。
(ルカ。飯の支度を——)
丁度、風狼が合流した。
風狼は二人を見た。
シルヴィを見た。
頬を押さえるルーカスを見た。
そして静かに口を開く。
(——なるほど、若いな!)




