第11話 少女の事情
狂爪大熊の脅威が去り、森は平穏を取り戻した。
心地よい微風が吹く木陰の下、ルーカスは焚き火の準備を進めていた。先ほどの戦いで服が濡れてしまったので、街に戻る前に乾かしておきたいからだ。もちろん、いつもの服でないとしっくりこない、という至極単純な理由でもあった。
そこら辺で集めた薪を円形に並べ、その中心に火種を置く。火種は、残っていたバーンの実の欠片だ。
「原初の火をここに灯さん——《灯火》」
その言葉と共に火が点きはじめ、やがてパチパチと火の粉を上げる。ルーカスは水入りの釜を火にかけると、革袋から干し肉を取り出し、一口サイズに切り分けて投入した。
「お待たせ……」
そこに、着替えを終えたシルヴィが、茂みをかき分けてやってくる。薄い花弁を何枚か重ねたようなワンピースを着ており、髪は長いツインテールに結んでいる。
その妖艶さすら感じさせる姿は、さながら花の妖精といったところだ。あまりの可愛らしさに、ルーカスはつい頬を赤らめてしまう。
「……ジロジロ見ないで……」
その様子に何かいかがわしさを感じ取ったのか、シルヴィはジト目で抗議する。ルーカスは「ごめん」と一言呟き、咄嗟に目を逸らした。
(あの服……なんていうか……)
否定はしない。だが、目のやり場に困った姿だった。薄地のせいで肌が透けていたのだ。幸い、大事なところは見えていなかった。
とはいえ、シルヴィからの怪訝さを増した視線を向けられるのは痛い。
このままでは空気が険悪になる、と思ったルーカスは、釜の中をかき回しながら、平然を装って話を切り替えた。
「そ、それより、シルヴィもこっちで暖まるといいよ。さっきまでびしょ濡れだったでしょ? 風邪引いちゃうよ?」
「……う、うん……」
シルヴィは小さく頷き、しぶしぶ焚き火の手前の切り株に腰を下ろした。
「……何作ってるの?」
「スープだよ。こういうときは温かいものを摂らないと」
「ふぅん……」
シルヴィは徐に地面に手をかざした。すると、淡い紫色の魔力光が地面を伝い、凄まじいスピードで果物が生成されはじめた。
「植物を生成する魔法か……便利だね。魔法陣は使わないの?」
「魔法……陣? なにそれ?」
シルヴィは首を傾げ、まぁいいかと言わんばかりの様子で果実に齧り付く。
「もしかして、知らないの……? ほとんどの場合、魔法の発動は魔法陣が必要なんだよ」
ルーカスはちぎった野草を一旦釜に放り込むと、腰の錬金短剣を引き抜く。そして、剣の腹に刻まれた魔法陣を指差した。
「ほら、ここに刻んであるでしょ。こうやって、魔力を流すと……」
柄を握る手から淡い蒼の魔力が流れ出すと、魔法陣が緑光を帯びていく。次の瞬間、起こった気流が刃を這いはじめた。
「それって、さっき使ってた魔法? たしか《風刃》って呼んでた……」
「そうそう。魔法陣があれば、魔法の発動は可能なんだ」
魔法——もとい「魔素反応法則現象」は、自然界の魔素の反応によって引き起こされる現象だ。この魔素の反応というのは、基本的に生物の思念を通じて引き起こすことができる。
この「魔法」を発動させるために最低限必要になるのが、魔法陣や詠唱である。これらは、引き起こしたい現象について言語化したもので、つまるところ、魔法陣が魔法発動のツールとなるため、詠唱を省いても問題ないというわけだ。
しかし、シルヴィの顔を見るに、いまいち納得できていなさそうだった。
「……詠唱はしないの? さっきはしてたはず……」
「あぁ。この場合、詠唱はしなくてもいいんだ。さっきのは、出力を高めるための、言ってみれば重ね掛けだよ」
事実として、魔法発動の本質は「イメージ」にある。イメージが明確であればあるほど、現象の具現化はしやすい。
魔法陣を用いつつ、詠唱も行うというのは、イメージの正確さを補強する行為である。結果として、魔法の出力が高められるというわけだ。
「へぇ〜。詳しいんだね」
「まぁ、魔道具作ってるからね……」
面白そうな顔で関心を寄せるシルヴィに、ルーカスは笑みを浮かべて返答する。
ただ、その笑みとは裏腹に、彼の内心では疑問が渦を巻いていた。
(魔法の基本を知らない……のか……?)
ルーカスが話したことは魔法の基礎の基礎だ。魔道具が生活で普及した現代において、そこら辺の子どもでもある程度は理解している。もはや、魔法に関する基礎知識が欠けてるなどあり得ないと言ってもいい。
確かにシルヴィは魔法を使っていた。植物を生やす魔法だけではない。教会が管理しているはずの“回復魔法”も、だ。
そんな彼女が、魔法の基礎知識を知らないなどあり得るだろうか。些か奇妙である。
何かが突っかかる。違和感を覚えたルーカスは、少し探りを入れてみることにした。
「そう言うシルヴィだって、魔法を使えているじゃないか。それも植物を操るなんて、見たことがないよ。誰に教わったの?」
「それは……分からないの」
その言葉に、ルーカスの目が点になった。けれど、シルヴィの様子を見るに嘘を言っているようには見えない。むしろ、困惑の色が滲んでいる。
「……この森に来てから、なんとなく頭に入っていたの。まるで……最初から埋め込まれていたみたいに」
「回復魔法も?」
「……ん」
縮こまりながら、小さく頷くシルヴィ。
「もしかして……使っちゃ……ダメだった?」
「——ッ!」
その声は——微かに震えている。
ルーカスの中で、喉から出かけた言葉が詰まった。
聞きたいことは山ほどある。だが、彼女は状況を読み込めない中、あの喧騒に巻き込まれて、疲弊しているはずだ。今ここで質問を詰めるのは、きっと良くない。
それに、あの状況で助かったのはシルヴィのおかげだ。紛れもない事実だ。まずは、そのことに感謝すべきではないか。
「……いいや。そんなことはないよ。むしろ、使ってもらわなきゃ死んでたかもしれない」
ルーカスは心からの感謝を、笑顔とともに伝える。今はただ、それだけで十分だ。
「ありがとう。本当に助かったよ」
「……ど、どういたしまして……」
シルヴィは少しばかりはにかんで、けれど視線を逸らしてそう言った。




