過去修正サービス
僕が「過去修正サービス」を訪れたのは、妻と大喧嘩した翌日だった。
きっかけは、些細なことだった。
でも、お互い譲らず、言い合いになった。
最後には、妻が泣いて部屋に籠もってしまった。
僕は——
ああいう喧嘩、なければ良かったのに、と思った。
◆◆◆
店は、駅前のビルにあった。
清潔な待合室。
受付の女性が、微笑んで迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。ご予約の方ですか?」
「いえ、初めてです」
「かしこまりました。では、こちらにご記入ください」
僕は、簡単な問診票に記入した。
修正したい過去:「家族との喧嘩」
◆◆◆
カウンセラーの男性が、僕を個室に案内した。
「では、まず過去を見ていただきます」
男性は、装置を僕の頭に装着した。
「リラックスしてください。過去の記憶が、映像として見えます」
目を閉じると——記憶が、蘇った。
◆◆◆
妻との出会い。
初めてのデート。
プロポーズ。
結婚式。
幸せな記憶が、流れていく。
そして——
最初の喧嘩。
新婚三ヶ月目。
僕の帰りが遅いことで、妻が怒った。
「もっと早く帰ってきてよ!」
「仕事なんだから、仕方ないだろ!」
お互い、譲らなかった。
でも——
その夜、僕が謝った。
妻も、謝った。
二人で、抱き合った。
初めて、お互いの気持ちを知った夜だった。
◆◆◆
子供が生まれた。
息子の誕生。
幸せだった。
でも——
夜泣きで眠れない日々。
妻はイライラしていた。
僕も、疲れていた。
ある日、ぶつかった。
「もっと手伝ってよ!」
「俺だって疲れてるんだ!」
喧嘩になった。
でも——
翌朝、息子の笑顔を見て、二人とも笑った。
「頑張ろうね」
妻が、そう言った。
僕も、頷いた。
あの時から、二人で協力するようになった。
◆◆◆
息子が五歳の時。
僕は、仕事で息子の誕生日を忘れた。
帰宅すると、息子が泣いていた。
「お父さん、僕の誕生日、忘れたの?」
妻は、怒っていた。
僕は——
本当に、申し訳なかった。
翌日、息子にプレゼントを買った。
家族で、遊園地に行った。
息子は、笑顔だった。
妻も、許してくれた。
あの日から、僕は手帳に家族の予定を書くようになった。
◆◆◆
記憶は、続いた。
息子の反抗期。
妻との価値観の違い。
お金のこと。
義理の両親のこと。
色々な、喧嘩。
色々な、衝突。
でも——
その度に、話し合った。
その度に、理解し合った。
その度に、絆が深まった。
◆◆◆
そして——
昨日の喧嘩。
妻の言葉。
僕の言葉。
お互い、傷つけ合った。
でも——
映像を見て、僕は気づいた。
妻は、泣きながらも、僕の夕食を作っていた。
僕が帰ってくるのを、待っていた。
怒っているけど——
心配していたんだ。
◆◆◆
装置が外された。
カウンセラーが、言った。
「いかがでしたか?」
僕は、少し考えた。
「修正したい過去は、ありましたか?」
僕は——
首を横に振った。
「いえ、ありません」
「本当に? 喧嘩や衝突、たくさんありましたが」
「はい」
僕は、微笑んだ。
「あれも、これも、全部——思い出です」
「そうですか。それは、良かったです」
僕は、頭を下げた。
「ありがとうございました」
◆◆◆
家に帰ると、妻がいた。
まだ、少し気まずい空気。
でも——
僕は、言った。
「昨日は、ごめん」
妻は、驚いた顔をした。
「私も……言い過ぎた」
「いや、俺が悪かった」
僕は、妻を抱きしめた。
「これからも、喧嘩するかもしれない。でも——それも含めて、俺たちの人生だから」
妻は、泣きながら笑った。
「何、急に」
「ちょっと、色々考えたんだ」
僕も、笑った。
◆◆◆
夜、息子が帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえり」
家族三人で、夕食を食べた。
いつもの、何でもない食卓。
でも——
今日は、特別に思えた。
この日常が——
どれだけ、大切か。
失敗も、喧嘩も、衝突も。
すべてが、この幸せを作っている。
僕は——
今の人生を、修正したくない。
このままで、いい。
◆◆◆
その頃、過去修正サービスの事務所では——
カウンセラーが、受付の女性と話していた。
「今日も、修正しないって言われましたね」
「ええ。いつも通りです」
カウンセラーは、コーヒーを飲みながら笑った。
「過去なんて、修正できないのにね」
「でも、皆さん満足して帰られますよね」
「そうだね。気づきを得て、前向きになって帰る」
カウンセラーは、窓の外を見た。
「過去は変えられない。でも、見方は変えられる。それだけで、人は救われる」
「良い仕事ですね」
「ああ」
カウンセラーは、微笑んだ。
「修正できないのに、仕事になるんだから——助かるよ」




