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第56話:ハーヴェイの記憶《堕落》


ハーヴェイは長い間、沈黙したまま、この場所の空となっている深淵を見つめていた。




狼の方は、すでに立ち去っていた。




断崖の頂に佇みながら、ハーヴェイは何時間もそのまま動かず、まるで意思を失ったかのように立ち尽くしていた。




すると――




突如として、狼が信じられない速さで現れた。


その巨体にもかかわらず、まったく音も衝撃もなかった。




ハーヴェイは気づきもしなかった。




その生き物は彼の隣に寝そべり、面白そうに観察しながら、巨大な前足の指でハーヴェイの体をつつき、左右に転がして反応を確かめるように動かした。




やがて口を開く。




「なあ、小僧……お前が空から落ちてくるのを見たとき、最初はただの何かの破片か……死体だと思ったんだ。


だが、俺の好奇心がお前の命を救った。俺はお前のところまで走り、間一髪で捕まえて……治してやった。


だから今度は、お前が俺に一つ借りを返せ」




虚ろなまま、ハーヴェイは感情のない声で答える。




「俺を食うつもりなら、遠慮はいらない……許可なんていらないだろ、巨大な狼」




フェンリルはわずかに眉をひそめた。




「まず一つ、俺には名前がある。もう言ったはずだ――フェンリルだ。


それともう一つ、人間なんて食わん。お前らは痩せすぎてる」




ハーヴェイは苦笑を漏らす。




「残念だな……野生の獣にすら食われないとは。俺はそこまで惨めなのか?」




「おい!“野生の獣”だと!?」




短い沈黙が流れる。




やがてハーヴェイが疲れたように続けた。




「……で、何が目的だ」




フェンリルは簡潔に答える。




「お前の話を全部聞きたい」




ハーヴェイはわずかに視線を逸らす。




「特別な話なんて何もない……ただの惨めな人生だ。捨てられた子供のな」




フェンリルはしばらく黙り込んだ後、低く呟いた。




「その言葉……俺にも覚えがある。俺も、大切な奴に捨てられたことがある……


まあいい。話せ」




そして、ハーヴェイはゆっくりと語り始めた。




幼少期。


家族。


苦しみ。




フェンリルは最後まで注意深く耳を傾けた。軽い話には笑い、重い記憶には表情を曇らせた。




こうして、ハーヴェイは自分の人生のすべてを語った。




しばらくして――




フェンリルは大きく鼻をすすった。




「ハーヴェイ……お前の人生、悲しすぎるぞぉぉ……」




巨大な目から涙がこぼれ始める。




「やめろ……涙が全部こっちにかかるだろ……」




「決めた!今日からお前は俺の息子だ!愛情なんていくらでもくれてやる!」




ハーヴェイはため息をつく。




「遠慮しておく……狼の息子になるなんてな……


フェンリル……どうして俺、体が動かないんだ……?」




フェンリルは少し目を逸らした。




「医者がまだ診断を出してない……だが、もうすぐ来る」




その言葉が終わるや否や――




足音が聞こえてきた。




こちらへ近づいてくる。




フェンリルは顔を上げる。




「噂をすれば、だな……」




声が響いた。




「Salve, veni ut videam patientem formosum.」




フェンリルはすぐに反応する。




「Pulcher aeger? Nihil nisi puer est, praedatrix! Denique, cura eum.」




混乱したハーヴェイは呟く。




「何を……何を言ってるんだ……?」




フェンリルは軽く咳払いした。




「気にするな……ただの医者だ。お前を診に来た」




謎の女性が近づき、ハーヴェイのそばに座る。




口元には微笑み。




顔は大きな赤いフードで隠されている。




彼女はそっとハーヴェイの手を取り――自分の胸に当てた。




「Alia」




ハーヴェイの顔は一瞬で赤くなった。




だが、体は動かない。




「おい、やめろ!」とフェンリルが叫ぶ。




彼女は不満そうに手を離した。




「Pfff」




困惑したまま、ハーヴェイは呟く。




「な、なんだよ今のは……」




フェンリルはため息をつく。




「初めて人間の男を見たんだ。ちょっと変わってるが……


まあ、名前を教えたってことだ」




アリアはすぐに診察を始めた。




首に触れ、


腹部を確かめ、


目を観察する。




そして奇妙な粉を飲ませた。




フェンリルが呟く。




「診断だ……」




アリアは口を開いた。




「Non solum graviter vulneratus est, sed etiam videtur vehementer veneno infectus esse, cuius origo nihil aliud est quam...」




彼女はハーヴェイの首元のペンダントを指さす。




「Hoc monile」




ハーヴェイの心臓が強く脈打つ。




「フェンリル……何て言ったんだ……?」




フェンリルは一瞬ためらい、そして答えた。




「重傷だ……


それに、致命的な毒に侵されている……


その原因が……その首飾りだ」




沈黙。




ハーヴェイは虚空を見つめる。




「……はは……」




笑いが震える。




「信じたくなかった……


認めたくなかった……


ずっと目を逸らしてた……」




声が崩れる。




「クソどもが……」




頭の中で声が響く――




「ようこそ!」


「ようこそ!」


「愛してるわ、ハーヴェイ」


「お兄ちゃん」


「任せたぞ」




そして――




「運が悪いな……お前を殺そうとしたのは、お前の家族だ」




ハーヴェイは歯を食いしばる。




そして叫んだ。




「俺はあいつらが嫌いだぁぁぁぁ!!!!!!」




生まれて初めて――




憎しみを抱いた。




家族に対して。


父に対して。


カグラに対して。


そして……アンナに対してさえも。




涙が止まらない。




壊れた笑いと共に。




「ははははは……!!」




フェンリルとアリアは黙って見つめていた。




何もできずに。




やがて――




ハーヴェイは意識を失った。




体が崩れ落ちる。




重い静寂が訪れる。




アリアが静かに呟く。




「Haec misera anima tantum passa est… tibi valde similis est, Fenrir.」




フェンリルは何も答えない。




彼女は立ち上がる。




「Denique abeo, mox redibo; cura ut tempus bene transigas, redibo ut curationem incipiam.」




そして去っていった。




時間は止まったかのようだった。




冷たい虚無がすべてを包む。




そして――




ハーヴェイの心に残った願いは、ただ一つ。




消えたい。

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