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夜天幻時録  作者: 影光
第1章 春桜開花編
15/102

第14話 普通の学園生活

 夢の中で見るモノは、いつだって残酷だった。

 しかし、先日見た夢は、とても暖かくて、とても羨ましく思えるモノだった。

「ッ!!!」

 今日も夢を見た。

 残酷な夢…………だったはず。

 たが、いつも通り、その夢の内容は全く思い出せない。

 ま。考えても仕方がないし、今は朝食の準備をしよう。

 ワタシはベットを降り、私服に着替える。

 階段を降りて、台所へ向かう。

 すでに、慣れた日常。

 暦は五月になった。

 つまり、ワタシが《(ココ)》へ来て、もう一ヶ月近くが経つ。

 短いような、長いような、不思議な感覚がある。

 それでも、いつかそんな日々にも終わりは来るのだろう。

 ならば、それまで、耐えるしかない。

 朝食を食べ終え、開いた空席を埋めるように学園に向かった。

 しかし、学園に来たからといって、授業に出る必要を見出だせず、ワタシは中庭をぶらりと歩き廻っていた。

 春の暖かさは抜け、満開に咲き誇っていた木々達は深緑。染まっていた。

 もう一月もすれば、夏が来る。

 五月といえば、六月と共に気温が低下する時季だ。

 深緑の葉を揺らすように吹くそよ風が、ワタシの頬を撫でる。

 しかも、《神代学園(ココ)》の中庭は他のソレと違い、沢山の木々がせめぎ会うように植えられている。

 普通、一般的な中庭といえば、開けた場所に花壇が設置され、様々な花が咲いている。

 なんとも不思議な場所ではあるが、ワタシとしては、こんな感じに程好いそよ風の吹く木陰の多い場所は好きだ。

 ワタシは、その木々の中で、良さそうな木の根元に腰を降ろした。

 今日は、側に誰もいない。

 咲良(サクラ)さんは、用事があるとかで学園には来てないし。最中(モナカ)さんは、いつも通り学園内をうろちょろしているのだろう。

 久々の静かな一時だ。

 それは、《局》以来のものだろうか。

「…………」

 数分が経ち、若干肌寒く感じたワタシは、中庭を出た。

 そして、目の前に見えた建物に、ふと疑問を感じた。

「そう言えば、ワタシ、医療棟の中ってあんまり知らないんだよね………?」

 先日の時は、悠長に中を見回すことなど出来なかった。

 医療棟が、そんなことの許される場所だとは思わない。

 けれど、なんとなく、興味が湧いた。

 ワタシの足は、自然と医療棟の方へと向かった。


 その建物は相変わらずデカイ。

 高さだけならば、図書館を下回るだろう。

 しかし、その横幅は本校舎一つ分よりやや大きいくらいだ。

 ワタシは、中へ入り、見知った人物の姿を探す。

「……………」

 しかし、そんな人物がこの辺をうろちょろとしているはずもなく…………、ワタシは途中で飽きて外へ出た。

 中庭を抜けようとした途端、違和感の覚えるモノを感じた。

「不思議な………風?」

 その風は、熱く、冷たい。そんな、不思議な風だった。

 いったい………、何処から………?

 意識を集中させ、その発生源を探る。

 方角は北だ。

 密林のように生い茂る木々の間を、縫うように進んで行く。

 進むに連れ、その風の濃度は濃くなり、人の気配が段々と濃くなっていく。

 人の気配は、二…………いや、三か……。

 その気配の感じは、若干、最中さんに似た何かを感じさせる。

 しかし、はっきりと最中さんではないと断言できる為、ワタシの興味は余計に掻き立てられていた。

 気配からはおよそ四・五メートルと踏んだところで、ワタシは自身の吐く息が、白く凍りついていることに気付いた。

「本当に、大丈夫………かな?」

「大丈夫大丈夫。何かあってもアタシ達が居るし……」

 最後の木を抜け、ワタシはその気配の目の前に現れた。

「これは…………」

 その場に出た時、そう呟かずにはいられなかった。

 少し開けたその場所は、不自然な状況に見舞われていた。

 辺りの木々は、まるで氷河期の訪れのように凍り付き、その開けた場所は、まるで山火事でも起きたのではないかと思える程に焼け焦げていた。

 その現象が混ざり合ってか、辺りの空気は、冬至と夏至の中間のような気候となっていた。

 その場にいた二つの人影。

 一つは、大きめの木に背を着けて座る蒼い髪の少女。

 もう一つは、中央で舞踊を舞う朱髪の小柄な少女。

 クルクルと回る朱髪の少女から、火の粉のようなモノが辺りに飛び、凍り付こうとしていた場所が一瞬にして溶けていく。

 不可思議な現象ではあるが、ワタシが気になったのは、二人の存在そのものだった。

 間反対に見える二人の少女。

 それは、髪の色だけでなく、二人の性格やその顔色、雰囲気など、色々な面で正反対だった。

 ガサッ──。

 と不自然に、ワタシの真上の枝木が揺れた。

「「「ッ!!!」」」

 それに、ワタシだけでなく、目の前の少女二人も反応する。

「誰!?」

 そして、当然の如く、二人の少女はワタシの存在に気付く。

 ワタシの存在に、朱髪の少女が声をあげる。

「「…………」」

 ワタシはどうしていいか分からず、二人の少女に視線を向ける。

 それは、朱髪の少女も同じようで、朱髪の少女は怪訝そうな視線をワタシに向ける。

 その隣で、蒼い髪の少女は不思議そうな顔て状況を理解しようと思考を回らせていた。

「えと………」

 ワタシは頬を掻き、少しずつ前に出る。

 しかし………、

「ッ!!?」

 パキパキパキパキッ……………。

 と、ワタシの足下が、ゆっくりとだが凍り付いていく。

 その凍り付き方は異常で、ワタシの足には何の事態も起こらず、氷の層はその範囲だけを拡大していく。

「へぇ~。アンタも効かないんだ」

「へ?」

 朱髪の少女の言葉に、ワタシは疑問を感じた。

 朱髪の少女は、気にせず足下に『チカラ』を入れる。

「!!?」

 すると、朱髪の少女から真紅の粉塵が吹き出、凍りついていた場所が一瞬にして溶けていった。

「すごい………」

「で。何しに来た?」

 ワタシの感心の声も虚しく、朱髪の少女は問う。

「えと………、特に無いです」

 ワタシは頬を掻き対応する。

「は?」

 朱髪の少女は首を傾げる。

「不思議な風を感じたので、その発生源が気になっただけと言いますか………」

「くすっ…」

 その返答に、先程まで蚊帳の外状態だった蒼い髪の少女が小さく笑う。

「それだけ?」

「……そうですね。ちょっとした好奇心のようなものです」

「……………」

「ホノちゃん。この子面白いよ?」

 蒼い髪の少女はお腹を押さえながら、朱髪の少女にそんなことを伝える。

「確かに面白いけど…………」

 そう言うと、朱髪の少女は一歩下がり、左腕を横に突きだして、その掌に小さな火球を作り出した。

「すごい…………」

「…………。なんか、調子が狂うな………」

 朱髪の少女は、呆れたような顔をすると、火球を握り潰した。

「えと………、初めまして。ワタシ、神威(カミイ)柚希(ユズキ)と言います」

 軽い自己紹介をし、軽く頭を下げた。

「私は、水瀬(ミナセ)(アオイ)。こっちが、鳴滝(ナルタキ)火乃華(ホノカ)。えと…………あれ?」

 何を探しているのか、蒼い髪の少女こと───水瀬さんは、辺りを見渡す。

「このちゃんが居ないよ?」

 水瀬さんは、隣にいる小柄な少女───鳴滝さんに問う。

「どっか近くにいるんじゃない?」

 鳴滝さんにも分からないようで、鳴滝さんは首を傾げた。

「えと………、後ろにいる方ですか?」

 二人の会話を見兼ね、ワタシは人差し指で真上を指し、二人に合いの手を差し出す。

「「………?」」

 しかし、二人は理解できていないようで、同時に首を傾げた。

 ガサッ!

 その二人の後ろに、先程まで気配を殺していた人物が姿を見せた。

「このちゃん!?さがしたよ~~?」

 水瀬さんが、現れた若葉色の髪の少女に抱き着こうとする。

 しかし、若葉色の髪の少女は、水瀬さんの抱擁から逃れるように、真上の木に飛び乗った。

「あぁう~~」

 残念そうに肩を沈める水瀬さん。

「あ。ちなみに、あの子は、麻鶴木(マツルギ)このは。ちょっとつかみ所の無い感じが特徴かな?」

 さも他人事のように、鳴滝さんは話を進める。

「なんだか、グダグダですね?」

「ま。いつもこんな感じなんだけどね………」

 微笑を浮かべて、鳴滝さんは水瀬さんをお姫さま抱っこで持ち上げる。

「アタシ達は部屋に戻るけど、貴女はどうするの?」

 鳴滝さんに問われ、ワタシは木々の隙間から見える青い空を見上げた。

 それと同時に………、

「あ………」

 昼休憩の予鈴が鳴った。

「では、ワタシは………あれ?」

 視線を戻したその場所には、すでに水瀬さん達の姿は無く麻鶴木さんの微かな気配も消えていた。

「ワタシも戻ろ……」

 そう呟き、ワタシは本校舎の方へと歩いて行った。


 目指す宛も無く、ワタシはただ校舎の中を歩き続けた。

「あ、柚希じゃない」

 ふと、後ろから声が聞こえた。

「最中さん……」

 振り向くと、そこには大きな荷物を抱えた最中さんの姿があった。

「ちょっと手伝って」

「いいですけど、何処に運ぶんですか?」

「生徒会……」

「セイトカイ?」

 それは、聞かない名称だった。

 何の名称かは分からないが、とりあえず、ワタシは最中さんの後を着いて行くことにした。


 ドカッ!!

「持って来た~~」

 言動と行動が一致しない事を平然と仕出かす最中さん。

 それに反応する、奥で作業していたであろう少女。

「ちょっと!いつも入って来るなり、扉を壊さないでくれる?」

 少女は咄嗟に抗議の声をあげる。

 あ。いつも、こんなやり取りしてるんだ………。

「良いじゃん。すでに、ボロボロな状態なんだから」

「アナタがヤったんでしょ!?」

 確かにボロボロだ。

 先程までは、ドデカい隕石を分厚い鉄板で受けたような状態だったが、それが部屋の隅で、木片のゴミのように纏まっていた。

 おそらく、今のが最後の一撃となったのだろう。

「で。これは、何処に置くの?」

「…………。そこのテーブルの上に置いといてくれる?」

 少女は、何か言いたげな表情をしていたが、仕事が忙しいのか、すぐさま作業を再開した。

「一人でこの作業………」

 部屋の中を見渡し、ワタシはポツリと呟いた。

「いないよ?」

「そうなんですか?」

「まぁ仕方ないね。葉月ちゃんは、ボッチだから──」

「ボッチ言うなぁ~~!!」

 葉月と呼ばれた少女は、持っていた書類を最中さんに投げ付け、大声で抗議する。

「でも、事実でしょ?」

「うぐッ………」

 図星を突かれ、言葉に詰まる。

「……ところで、その子は誰?見ない顔だけど……?」

 ようやくその視界に映ったのか、葉月さんの視線はワタシに向けられる。

「えと……、神威柚希……です」

 ワタシは、一歩前に出て軽い自己紹介をした。

「あ、うん。ワタシは佐久屋(サクヤ)葉月(ハヅキ)……」

「ちなみに、葉月ちゃんは、この学園の生徒会副会長なんだよ」

 何故か、最中さんは微笑しながら言う。

「だから、葉月ちゃん言うなぁ~~!!」

「えと……、それで、今は副会長さんだけなんですか?」

 なんとか話を脱線させまいと、ワタシは話題の切り口を持ち出す。

「そうだよ。何てったって、ウチの副会長様はボッチちゃんだからね?」

 ワタシの問い答えたのは、あろうことか最中さんだった。

「だから、ボッチ言うなぁ~~!!」

 すでに、見慣れてしまいそうになりつつあるやり取り。

 微笑を浮かべてしまいそうになる顔を引き締め、ワタシは新たな質問をする。

「これは、何をされてるんですか?」

「生徒会宛ての書類整理」

 ワタシは、足下に落ちていた書類の一枚を拾い、その内容に目を通した。

 そこに書かれていたのは、討伐依頼の受領書。

 近くの机の上に高々と積まれた種類を数枚取り、その内容に目を通した。

 それらは、どれも討伐や採取などの依頼ばかりで、どの書類にも【延期中】という判子が押されている。

「あの、ワタシも手伝いましょうか?」

 書類整理を手伝っているうちに、大量に出てきた討伐依頼。

 その数を見兼ねて提案したのだが………、

「いいよいいよ!これはワタシの仕事だし、それに、書類整理を手伝ってもらっただけでも感謝してるんだから!」

「ですが………」

「それに、あまり下級生に仕事取られちゃうと、ワタシの立場が危ういし………」

「…………」

 ワタシはふと思う。

 副会長さんの身長は、ワタシと差して変わらないということに。

 副会長さんの見た目は幼く、最中さんの胸元ほどぐらいしかない。

 もう少し具体的に言えば、ワタシと最中さんの中間くらいであろうか。

 しかし───、

「大丈夫だよ。こう見えても、柚希の実力は私や葉月ちゃんより大分上だし、あの風音(カザネ)が買ってるんだから」

「あの御方が………?」

 風音さんのこと、あの御方って言ってるよ………。

 言わされてるのかな?いや、勘違いしてるだけだろう……。

「あぁぁ……。じゃあ、お願いしようかな?」

 何ヵ所か引っ掛かる点があったが、ワタシは気にせず渡された依頼書に書かれた場所に向かった。


 何度か迷子を経験しつつ、ワタシはようやくその場所に到着した。

「もう夕方か………」

 空を見上げ、そう呟く。

「まぁ、いいか…………」

 なんとなく、卑下した感情が湧いたが、それを抑え込み歩を進める。

 しかし、そうそう目的地に着けるはずもなく…………。

「あ、やば…………」

 ワタシは何度かの迷子になった。

 それにしても、よくなるなぁ………。

 自分の不甲斐なさを卑下しつつ、ワタシはいつの間にか入ってした密林のような森の中をさ迷っていく。

 そして、ふと考える。

 何でだろうな………?

 こういうモノの多い場所では、必ず迷子になってしまう。

 自覚はしているが、一向に治る気配が無い。

 仕方のない事とはいえ、この状況では正直、ため息が止まらない。

「はぁぁぁ…………」

 何度かの重いため息を吐く。

「あれ?柚吉じゃん。何してんの?こんな(トコ)で」

 突然聞こえてきた声に、ワタシはゆっくりと振り向いた。

「五十嵐さん………」

 そこにいたのは、以前理事長室に案内された際の案内人の内のひとり、五十嵐蕩花さんだった。

「えと……、五十嵐さんこそ、こんな所で何されてるんですか?」

 あまり詮索されるのも何なので、ワタシはわざと話をそらす。

「何って、此処私ん家の敷地だけど?」

「ふぇ……?」

 五十嵐さんの言葉に、ワタシの頭の中は真っ白になった。

 な、え?敷地………?

 そう思い、辺りを見渡す。

 しかし、辺りは木々ばかりで家の姿はない。

「……………」

「で。何してんの?」

「………えと、迷いました」

 悩んだ末、ワタシは正直に答えることにした。

「そっか………」

 一人、顔を赤らめていたワタシを他所に、五十嵐さんは深く納得していた。

「もしかして、方向音痴か?」

「………はい」

 一々隠していては埒が明かないので、ワタシは五十嵐さんの質問に正直に答えた。

「このまま東に向かって行くと《学園》の裏庭に出るから」

「わ、分かりました」

 若干冷や汗を掻きながら、ワタシは五十嵐さんが指差した方角を見つめた。

「手、繋いで行ってあげようか?」

「い、いえ!そこまでには及びません」

 突然の提案を、ワタシは咄嗟に拒否した。

 その提案を拒否した理由は、単にとある出来事が頭に浮かんだからだ。

「そうか…………」

「では。ありがとうございました」

 軽く会釈をし、五十嵐さんと別れた。

 それから、幾度か迷いを繰り返し、ようやく森の外へ出た。

「ありゃ…………」

 ふと、空を見上げる。

 すでに、空は暗くなっており、時刻は八時を回っていた。

 だが、ワタシが出たその場所は、教えられた裏庭ではなく、《学園》の隣の学舎近くだった。

「…………?」

 一安心着き、帰路へ踵を向けた途端。

 ワタシは一つの影───正確には、光の筋に気付いた。

 それは、校舎の方から放たれていた。

 その光の筋を辿り、出所を探す。

「あ………」

 その出所は、先程ワタシがいた教室───生徒会室だった。

 依頼の件は明日でも良かったのだが、なんとなく気になり、その生徒会室に向かった。


 バキッ!

 その部屋に到着し、その部屋の扉に手を掛けた途端、その扉は煙でも掴んだかのように粉々に砕けた。

「…………」

 案外、物凄い物音が鳴ったにも関わらず、その部屋の奥にいた少女は微動だにしていなかった。

「佐久屋さん……?」

 佐久屋さんに近づきながら、部屋の中を見渡す。

 部屋の中は、昼頃と比べて物凄く片付いていた。

 しかし、佐久屋さんは、未だ書類仕事に精を出していた。

「何されてるんですか?」

 佐久屋さんの隣に回り、その横顔に訊ねる。

「ん?おわっ!!……ビックリした………」

 佐久屋さんは、ワタシの存在に気付いたが、その反応はコチラもビックリする程のオーバーリアクションだった。

「えと………、神威さん?………だったよね?」

 散らばった書類を拾いながら、佐久屋さんは訊ねてくる。

「何か用?」

「特に用があるという訳では無いのですが、電気が点いていたので……」

「そっか………」

 書類の角を整え、佐久屋さんは仕事を再開した。

「あの、他の方々は………?」

 頭に引っ掛かっていた。

 最中さんは、佐久屋さんの事を『副会長』と紹介していた。

 ならば、『会長』という存在もあるはずだ。

「いませんよ………」

 佐久屋さんは、冷たく答える。

「それは、どうして………」

 佐久屋さんの表情が気に掛かったが、ワタシはその意味を訊ねた。

「この《学園》の校風が原因かもね………」

 その物言いは、どこか怒りのようなものが混じっているように感じて聞こえた。

 しかし………、この《学園》の校風か……………。

 それは、何処かの廊下にデカデカと貼られていた一枚のポスター。

 そこに書かれていた言葉は、【自我を尊重せし者は、覇を成し己を()つ】だ。

 つまり、自分がやりたいことは、とことんまで押し通せ。という意味だ………と、以前風音さんから聞いた。

 聞いた時はよく分からなかったが、此処へ来て一月が経った今では、その意味以外はよく分かる。

「では、会長さんはすでに帰っちゃたってことですか?」

「ま、皆ね……」

 皆……?

 よく分からないが、一人で大変そうなのだけは分かった。

「あの…………手伝いましょうか?」

「ありがたいけど遠慮しとくわ」

 気になったので手伝いを申し出たが、あっさりと断られてしまった。

「そうですか……」

「あ、そうだ」

 一人、肩を竦めていると、佐久屋さんが声を掛けてきた。

「はい……?」

「貴女は、今から(ウチ)に帰るの?」

 一瞬、その質問の意味が分からなかったが、なんとなく意外な展開が脳裏を過った。

「どうでしょう………。なんとなく、遅すぎる気がしています」

「………。なら、少し手伝ってくれない?」

「へ?」

 言い方に違和感を感じたが、なんとなく言わんとしている事が理解できた気がした。

「あ、はい。分かりました」

 若干、嫌な冷や汗を掻きながら、ワタシは佐久屋さんの仕事を手伝う。


 作業を終えた帰り道。

「今日はありがとうございました」

「あ、いえ。こちらこそ、色々と勉強になりました」

 ワタシは、葉月さんの後ろを着いて、夜道を歩いていた。

「柚希は、何か好き嫌いとかありますか?」

「いえ、特には無いと思います」

「特には………?」

「《(コチラ)》に来てから一月程しか経ってませんので、《(コチラ)》の食べ物はあまり知らないんですよ」

「そうでしたか………」

 その帰り道は、それほど長くなかった。

「大きな建物ですね…………」

 《学園》程では無いが、近しい存在感を放つその建物の天辺を見上げながら、ワタシは呟いた。

「この建物は、《学園》の寮ですよ」

「リョー………」

 聞きなれない単語だが、おそらく《局》にいた頃の学生館に類似するモノなのだと認識した。

「ホントに、コチラのことを知らないみたいですね?」

「へ?」

 階段を上りながら、葉月さんはそんなことを呟いた。

 唐突に、懐から懐中時計を取り出す。

 葉月さんの部屋に到着した時には、その時計の時針はすでに九時を回っていた。

「とりあえず、その辺に座ってて」

「分かりました」

 本来は手伝いを申し出るつもりだったが、生徒会室での一戦を思い出して、素直にその指示に従うことにしたのだ。

 この日の晩は、葉月の家で食事も睡眠も取る事となった。

 その日の夜、ワタシは一人、寮の外に出ていた。

 そっと、空を見上げる。

「綺麗………」

 満天の夜空に複数の星。その中央に大きく輝く満月。

 久々に見上げた夜空は、一生に一度と言わんばかりに綺麗だった。

 そんな夜空を見上げながら、ワタシはふと今日の出来事を振り返る。

 『普通』とは言えないであろう一日ではあったが、数ヶ月と比べれば、幾分かマシと言えるだろう。

 しかし………、学校か………。

 複雑な感じがするが、何が正解なのか、全く分からない。

 このままで良いのだろうかと思う時もえる。

 しかし、この日常だ。

 あまり考えない方が正解なのかも知れない。

 軽いランニングに出掛けた後、その日の晩を明かした。


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