5. ~雨降りの朝とマニキュア~
ある朝、雨音で目が覚めた。
遠くの方で微かに雨の降る音がする。
雨音が少しずつ大きくなってきて、
眠りから
だんだん覚めてきたことがわかった。
その雨音が私のからだの隅々まで
染み渡っていくようだった。
胸の奥にもその雨音が染みてきて、
広がった。
こんなにも
雨音が気持ちよく感じられるなんてことは
在職中にはなかった。
雨の日の駅のホームや満員電車は
何かと大変だったから、
雨の日はそれだけで憂鬱になった。
今朝の雨音の静けさは特別だった。。
いつまでも、この雨音を聴いていたい。
もう一度、目を閉じた。
その雨音に身を預けた。
ぽっかり浮かんでいるようだった。
しばらくそうしたあと、
ベッドの中から、窓を見た。
雨粒が、窓ガラスにぶつかって、
雫になって、流れ落ちてくる。
いくつもいくつも落ちてくる。
その流れる雫をぼんやり見ていた。
流れ落ちるときに何かに反射して
一瞬微かに光ったような気がした。
今日は、池はお休みだな
通い始めて13日目の朝だった。
12日間も毎日、池に通ったことで、
少し、疲れもあったから、
今日はゆっくり過ごすことにした。
置きっぱなしになっていたマニキュアを
左の人差し指に塗ってみた。
まだ、使えそう。
全部の指に塗ってみた。
明日は、出掛ける予定があったから、
数年振りに塗ってみた。
雨音に、包まれながら、ひと指ずつ、
丁寧に塗った。
こんなふうに、自分の指を飾るのは
いつ振りのことなんだろう。
乾かしながら窓の明るい方に
手をかざしてみた。
指先が、仄かに煌めいた。
さっき見ていた、いくつもの雨の雫が
私の指先に来てくれたみたいだった。
翌日、電車に乗ってでかけた。
数年振りの、慣れないマニキュアが
気になって、
何度も何度も自分の手を見ていた。
膝の上で手を握って見たり、開いて見たり、
マニキュアの具合を確かめていた。
だいじょうぶかな、おかしくないかな。
すると、頭の上の方から声がした。
可愛い。
隣に座っていた人が
立ち上がって、
私に微笑みかけていてくれた。
私は本当に驚いて、
彼女を見上げたままフリーズしてしまった。
目を見開いたまま固まってる私を見て、
もう一度、微笑んで、電車を降りていった。
ありがとうも言えなかった。
驚いてしまったけど、とても嬉しかった。
彼女の耳には、
トカゲの形の
赤い小さなピアスが揺れていた。
私の心が読めたのだろうか。
そういえば、一昨日の朝、池の小道で、
鮮やかなグリーンのトカゲが
足元を横切っていったっけ。
(つづく)




