第4話 三週間後の大夜会
正午を告げる鐘が鳴る少し前、アルフレッドは国王の執務室へ入った。
室内には国王だけでなく、王妃クラウディアと宰相もいた。机の上には、グランフェルト公爵家から届いた抗議文が開かれている。
「座る必要はない」
国王の第一声に、アルフレッドは伸ばしかけた手を引いた。
「昨夜の発表について確認する。私は、おまえとエレノア嬢の婚約解消を認めた。相違ないな」
「はい」
「リリア・ベルナール嬢との婚姻を、王族会議で審議することも許した」
「はい」
「では、なぜ審議前の令嬢を壇上へ立たせ、エレノア嬢への説明もないまま、あのような発表をした」
アルフレッドは答えるまでに一拍を要した。
「私の意思を、皆にはっきり示す必要があると考えました」
「婚約を解消する意思か。それとも、決められた手順を無視する意思か」
「そのようなつもりではございません」
「おまえにどのようなつもりがあったかは聞いていない。何をしたのかを聞いている」
国王の声は低かった。
アルフレッドは視線を落とす。
「婚約解消については、エレノアも承知しておりました」
「公表前に、本人へ直接説明するという条件も承知していたはずです」
王妃が言った。
昨夜の驚きは消え、今は王妃としての硬い表情を浮かべている。
「なぜ、約束を守らなかったのです」
「先に話せば、発表を止められるかもしれないと考えました」
「エレノア嬢は、婚約解消に同意していたのでしょう?」
「時期については、春の大夜会よりあとにすべきだと」
「理由は聞きましたか」
「準備が整っていないからだと」
「そして実際に、整っていなかった」
王妃は机の端に置かれた資料へ目を向けた。
アルフレッドが朝に見た、大夜会に関する報告だった。
「彼女が何を懸念していたのか確かめず、自分に都合の悪い反対だと決めつけたのですね」
「私は、ただ――」
「真実の愛を貫きたかった、と?」
国王が遮る。
「その言葉で外国使節の席が決まるなら、王宮の儀典官など必要ない」
アルフレッドは口を閉じた。
「婚約解消は、予定どおり正式な記録へ残す」
国王は抗議文をたたんだ。
「同時に、解消が両家の合意によるものであり、グランフェルト公爵令嬢が婚姻を妨げた事実はないことを、王家の名で通知する。おまえが昨夜作った印象を完全に消せるとは思わぬが、少なくとも公の記録は正す」
「承知いたしました」
「春の大夜会については、今夕までに報告を出せ。予定どおり開催できるのか。誰がどの立場で招待客を迎えるのか。費用はどこから出すのか。三点だ」
アルフレッドが顔を上げる。
「今夕まで、ですか」
「三週間もあるのであろう?」
朝、自分が口にした言葉を返され、アルフレッドは何も言えなくなった。
◆◆◆
王太子宮へ戻ると、ジェラルドが新たに届いた書簡を抱えて待っていた。
「すべて、春の大夜会に関するものです」
執務机へ置かれた書簡には、まだ封を切られていないものも多い。
「これほど早く返事が来たのか」
「出席の返答ではございません。昨夜の発表を受け、先に確認したいことがある、と」
アルフレッドは最初の一通を開いた。
差出人は、国内でも古い家柄を持つ侯爵だった。
婚約解消が正式に発表された以上、春の大夜会は何を祝う催しになるのか。新たな王太子妃候補が決まったのであれば、王族会議の承認日はいつか。
それが決まるまで、出席者と同伴者の返答を保留したい。
二通目も、似たような内容だった。
外国使節からはさらに具体的な質問が届いている。
歓迎の挨拶を行う女性は誰か。
その女性へ贈る品には、どの家の紋章を用いるべきか。
王太子妃の席が空席となるなら、各国使節の配偶者は誰の先導を受けるのか。
「昨夜、リリアを愛していると明言した。彼女が私の隣に立つことは、皆も理解しているはずだ」
「お気持ちについては、理解しているかと」
ジェラルドは慎重に答えた。
「ですが現時点のリリア様は、ベルナール男爵家のご令嬢です」
「次の王太子妃になる女性だ」
「まだ、候補としての審議も始まっておりません」
「父上は、審議を許している」
「審議の結果まで、お認めになったわけではございません」
それは先ほど、国王から言われたばかりだった。
アルフレッドは書簡を机へ戻した。
「審議を急がせよう」
「身元と家歴の確認、教育状況、健康状態、ベルナール男爵家の財務状況について、提出が必要です」
「三週間で済ませればよい」
「ベルナール男爵家には、必要な記録を揃えるだけの者がおりません。王太子宮から人を出す必要がございます」
「出せばよいだろう」
「大夜会の準備へ回す予定だった者を、ですか?」
ジェラルドの問いに、アルフレッドは眉を寄せた。
人手が必要なら増やせばよい。そう答えようとして、王宮の者を一朝一夕に増やせるわけではないと気づく。
「では、どうすればよい」
「これまでは、エレノア様がベルナール家と王宮の間に入っておられました」
また、エレノアだった。
「彼女は、リリアの身元調査までしていたのか」
「調査そのものは王宮の役目です。ただ、ベルナール男爵家へ必要なものを説明し、不足している記録を確認しておられました」
アルフレッドは椅子へ深く腰を下ろした。
「引き継ぎの箱に、何か残っているだろう」
「途中までの確認内容はございます。ただし、残りの収集と提出は王宮で、と」
「ならば、そこから続けろ」
「誰を責任者にいたしましょう」
アルフレッドは執務室を見回した。
ジェラルドは王太子の側近だが、儀典や王族婚姻の審査を担当した経験はない。
侍従長は大夜会の準備だけでも手いっぱいだと訴えている。
王妃付きの女官たちは、リリアが正式な王太子妃候補と決まるまでは勝手に動けない。
これまでは、誰が責任者だったのか。
その問いへの答えだけは、考えるまでもなかった。
扉が叩かれた。
「北方使節団との連絡を担当する、ヴァレイン侯爵令息がお見えです」
「通せ」
入室した青年は、黒に近い紺色の礼服をまとっていた。セドリック・ヴァレイン侯爵令息。北方諸国との交易に携わる家の出身で、今回の使節団と王宮の連絡役を任されている。
セドリックはアルフレッドへ礼をすると、一通の書簡を差し出した。
「北方三国の使節団から、春の大夜会について確認を求められております」
「その件なら、今ちょうど整理しているところだ」
「では、王太子妃側の応対を引き継ぐ方は決まりましたか」
「王宮の者が行う」
「どなたでしょう」
「侍従長と女官長を中心に――」
「最終的な判断を下す方のお名前を伺いたいのです」
セドリックの声は穏やかだった。
だが、曖昧な返答を受け入れる様子はない。
「グランフェルト公爵令嬢からは、すでに担当を離れたとの連絡が届いております。今後、席次や贈答品について変更が生じた場合、北方使節団はどなたの回答を正式なものとして扱えばよろしいのでしょう」
ジェラルドが口を挟む。
「エレノア様が作成した案は、王太子宮へ引き継がれています。それをもとに進めれば、問題はありません」
「案を作った方が、変更の判断もなさるのですか」
「それは……」
「昨夜の発表以前と同じ回答をいただけるとは限りません。王太子妃の席へ座る方も、公爵家からの費用も変わったのでしょう」
セドリックは、アルフレッドへ視線を戻した。
「使節団は、王太子殿下のご事情へ口を出すつもりはございません。ただ、誰の判断に従えばよいのか分からない状態で、国を代表する者を出席させることもできません」
「欠席するというのか」
「責任者が決まるまで、出席者の確定を保留するとのことです」
それは、今朝から届いている国内貴族の返事と同じだった。
誰も、アルフレッドとリリアの恋を否定してはいない。
ただ、その恋によって変わったものの行き先を尋ねている。
「返答は、いつまで待てる」
「明日の正午までに、責任者のお名前だけでも」
明日の正午。
国王からは、今夕までに大夜会の開催可否を報告するよう命じられている。
アルフレッドは机の上に積まれた書簡を見た。
三週間後の催しについて問うものばかりなのに、その三週間をどう使うか決める者さえ、まだいない。
「追って知らせる」
どうにか答えると、セドリックは一礼した。
「お待ちしております」
彼が退室したあと、執務室には沈黙が残った。
アルフレッドはジェラルドを見る。
「誰か、任せられる者はいないのか」
ジェラルドは答えなかった。
三つの書類箱は届いている。
だが、箱を受け取る者の名だけが、どこにも記されていなかった。




