第36話 私自身の予定
秋の祝賀会の翌朝、王宮から一通の封書が届いた。
昨夜、広間で読み上げられた訂正記録の写しだった。
エレノアは朝食の席で封を開き、末尾まで目を通した。
リリアが行った礼。
婚約が承認された時刻。
入場方法の変更を伝えた時刻。
二通りの礼を事前に練習させなかった王太子宮と王妃宮の責任。
審議当夜の発表を希望したアルフレッドの名。
そして、春以前の教師とエレノアには、秋の祝賀会で求められた礼を教える役目がなかったこと。
広間で告げられた内容から、省かれたものはない。
「確認の返書は必要なのか」
向かいに座る父が尋ねた。
封書へ添えられていた送付状には、受領の返答を求める言葉がなかった。
「必要ございません」
「訂正への同意も?」
「求められておりません」
エレノアは写しを封筒へ戻した。
自分の名が記されている。
けれど、その内容を成立させるための署名欄はない。
王太子宮の記録係が作り、当事者と責任者が確認し、王家の記録として閉じた書面だった。
「では、参りましょう」
エレノアは席を立つ。
居間の時計は、九時半を指していた。
今日の最初の予定は、朝十時。
王宮交易局で、北方から届いた三度目の荷の記録を確認することになっている。
◆◆◆
交易局の会議室には、十二枚の布が並べられていた。
深い青が四枚。
灰色が三枚。
染め方を変えて試した紫が五枚。
窓際には、東側の街道を通ってきた輸送箱も置かれている。角に小さな傷はあるが、中の布に汚れはなかった。
「第三便、全二十四箱。到着の遅れは半日」
交易局の官吏が実施記録を読み上げる。
「低地街道の橋で、先行する荷馬車の車輪が外れました。そのため後続の隊列を止めております」
「こちらの荷に破損は?」
「ございません。ただし、停止中に雨が降り、外箱二つへ水が染みました」
輸送業者が、該当する箱の蓋を開ける。
外側の板には水の跡が残っている。
内側へ張った油紙は濡れていなかった。
「冬用の箱を、そのまま使ったのですね」
エレノアが尋ねる。
「はい。雪が降る前ではございますが、防水の確認になると判断しました」
「油紙の継ぎ目は?」
「一箱だけ、端が浮いております」
布には届いていない。
だが、雪の中を何日も走れば、同じ状態で済むとは限らなかった。
「次の便までに、折り返す幅を増やします」
箱を作った職人が答える。
官吏は、遅れと水濡れ、油紙の修正を同じ頁へ書き加えた。
成功の記録から、都合の悪い部分だけを外すことはなかった。
◆◆◆
紫の布は、五枚のうち四枚が同じ色に染まっていた。
残る一枚は、中央だけわずかに薄い。
「販売分へ加えますか」
北方商人組合の代理人が尋ねる。
エレノアは、薄くなった部分を窓の光へかざした。
以前の紫より、差は小さい。
一着のドレスに仕立てれば、気づかない者もいるだろう。
「今回は加えません」
「四枚は同じ色です」
「その色の試料が、すべて同じ品質にそろうことが条件でした」
工房の責任者も異議を唱えなかった。
薄くなった原因を調べ、次の便でもう一度試す。
青と灰色の布は、正式な販売契約へ進める。
紫は試験を続ける。
決まった内容が、品目ごとに分けて記された。
「では、第三便の記録を閉じます」
官吏が清書を一人ずつへ回す。
輸送を担当した者。
箱を作った者。
染めた工房。
契約を承認するグランフェルト公爵と北方商人組合の代理人。
それぞれが、自分の担当した欄へ署名する。
エレノアの前へ届いた書面には、二つの確認欄があった。
事業発案者
第三次試験記録確認者
どちらにも、エレノア・グランフェルトと記す。
署名を終えると、書面は向かい側へ渡った。
セドリックが、北方側連絡責任者の欄へ名を書く。
「次は、雪が降ってからですね」
彼が言った。
「はい。第四便で冬の街道と箱を確かめます」
「それが無事に着けば、春から青と灰色を正式に扱う」
「紫は、そろえば」
「北方の工房には、そのように伝えます」
セドリックが署名した書面を官吏へ戻す。
昨夜の訂正記録と同じ王宮で作られた紙だった。
けれど、こちらには、エレノアが確認すべき内容と、彼女自身の署名欄がある。
◆◆◆
会議が終わると、グランフェルト公爵は交易局長に呼び止められた。
来春の販売量について、別室で相談したいという。
「先に馬車へ戻っていなさい」
父が言う。
「かしこまりました」
エレノアが書類を侍女へ預けると、セドリックも席を立った。
「東門まで、ご一緒してもよろしいですか」
「もちろんです」
二人は交易局を出て、王宮の回廊を歩いた。
祝賀会の飾りは、すでに半分ほど片づけられている。
広間から運び出された花。
畳まれた卓布。
楽団が使用した譜面台。
侍従たちは作業の手を止めず、通り過ぎる二人へ礼をした。
昨日まで九脚あった王族席の椅子も、倉庫へ戻されている。
次に並べるときは、最初から必要な数が用意されるのだろう。
「冬の使節団は、第四便まで王都に滞在なさるのですか」
エレノアが尋ねる。
「一部は帰国します。私は第四便を見届けるまで残ります」
「では、もうしばらくお忙しいのですね」
「ええ。ですが、仕事以外の時間を一つ、いただきたいと思っています」
エレノアの足が、わずかに緩んだ。
セドリックは立ち止まり、彼女へ向き直る。
「来週、ヴァレイン侯爵家で小さな昼餐会を開きます。父と母が、グランフェルト公爵ご夫妻とあなたをお招きしたいと申しております」
「北方交易の関係者として、でしょうか」
「いいえ」
セドリックは、はっきりと答えた。
「私は、あなたとの婚姻を望んでおります。そのことを両家へ申し上げる前に、あなたご自身が望まれるかを伺いたかったのです」
交易の確認なら、すでに終わっている。
使節団との面会でもない。
「昼餐会だけではなく、その先のお話も、ということですか」
「はい。ただし、今ここでお返事を急がせるつもりはありません」
エレノアは侍女から予定帳を受け取った。
来週の頁を開く。
午前には、紫の染め方について工房から報告を受ける。
翌日は、領地へ戻る父と収穫記録を確認する。
昼餐会が予定されている日の午後には、まだ何も書かれていなかった。
「お受けいたします」
「ありがとうございます」
「昼餐会も、その先のお話も。私も、セドリック様との未来を考えたいと思っております」
セドリックが、少しだけ笑った。
「王太子殿下のご予定ではなく?」
「もちろん」
エレノアも笑みを返した。
「私自身の予定ですわ」
東門の外には、公爵家の馬車が待っていた。
エレノアは予定帳を開いたまま、来週の空白へ新しい約束を書き入れる。
ヴァレイン侯爵家昼餐会。
窓から差し込む秋の光が、まだ乾かない文字の上を明るく照らしていた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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