第35話 王太子の訂正
「この原因では、足りない」
アルフレッドは報告書を卓へ戻した。
ジェラルドが、差し出しかけたペンを引く。
「礼を間違えたのは、リリアです」
「はい」
「正式な婚約者としての礼を、十分に身につけていなかったことも事実だ」
「そのとおりでございます」
「だが、それだけを原因にすれば、三か月教えてきた教師と、リリア一人の責任になる」
報告書に添付された時刻を、アルフレッドはもう一度見た。
婚約承認は、午後零時五十分。
本人への説明は、午後四時十分。
広間での確認は一度だけ。
「婚約が承認された場合の席次は、第二案まで作っていた」
「はい」
「衣装も、どちらの立場でも着られるものを用意した」
「はい」
「なぜ、入場と礼だけは二通り練習しなかった」
ジェラルドはすぐに答えなかった。
「正式な婚約者としての礼を繰り返し練習すれば、審議前から承認を前提としているように見えると、王妃宮から意見がございました」
「誰へ見える」
「教師と、練習へ参加する侍従たちに」
「席次の第二案は、儀典部と王太子宮が知っていた」
「席次と衣装は、どちらの結果にも備えるために必要と判断されました」
「入場も同じではないのか」
祝賀会を秋の審議と同じ日に開くと決めた時点で、結果が出てから十分な練習を行う時間はなかった。
承認されると決めつけることはできない。
だが、承認された場合に使う礼を、条件付きの練習として教えることはできた。
「祝賀会で婚約を発表したいと求めたのは、私だ」
アルフレッドが言う。
夏の半ば、王族会議へ提出した願いだった。
秋の審議で承認されたなら、同夜の祝賀会で発表したい。
国王は、二つの結果に備えた準備を行うことを条件に認めた。
「その願いも、原因へ加える」
「殿下が発表を希望されたことと、リリア様が礼を間違えたことを、同じ原因として記すのですか」
「同じ日に行うと決めなければ、練習する時間はあった」
アルフレッドは、報告書の余白へ印を付けた。
「リリアの誤りは消さない。その前にあった判断も消すな」
◆◆◆
リリアは、王妃宮の控室で訂正後の報告案を読んだ。
王太子婚約者リリア・ベルナールは、北方王弟夫妻への最初の挨拶において、候補時に用いる礼を行った。
当日午後に正式婚約が承認され、入場および礼の変更が本人へ伝えられたのは開場五十分前であった。広間での確認は一回のみ。
審議当日の発表を希望した者――アルフレッド王太子殿下。
二通りの入場と礼を事前に練習させなかった責任――王太子宮および王妃宮の儀礼担当。
実行時に候補としての礼を行った者――リリア・ベルナール。
晩餐後、本人から北方王弟夫妻へ説明し、正式婚約者としての礼を改めて行った。王弟夫妻はこれを受け入れた。
一つ目の草案より、長くなっている。
リリアは、自分の名が三か所にあることを確かめた。
「私が間違えたことは、残っています」
「残すよう、殿下から指示がございました」
女官長が答える。
「リリア様がご自身の名を消すよう求められた場合も、応じないと」
「求めません」
リリアは二つ目の行を指した。
「ただ、候補としての礼しかできなかったわけではありません。説明を受けたあと、衣装室では一度、正しい形を行いました」
「では、そのことも加えますか」
「いいえ」
リリアは首を横へ振った。
「本番で間違えたことは変わりません」
練習ではできた。
時間がなかった。
突然、立場が変わった。
どれも事実であり、どれも失敗をなかったことにはしない。
リリアは、確認欄へ署名した。
「この内容を、公に訂正すると伺いました」
「王太子殿下が、そのように希望しておられます」
「私の失敗を、もう一度皆様の前で話すことになります」
女官長は答えなかった。
公表すれば、リリアが間違えたことも広く残る。
公表しなければ、エレノアや以前の教師が教えなかったという話だけが広がるかもしれない。
「アルフレッド様と、お話しできますか」
◆◆◆
最後の舞踏が終わるまで、あと二曲。
アルフレッドは広間に面した小客間で、リリアと向き合った。
「訂正を公表してもよいか、君に確認したかった」
「しなければ、公式の記録だけを直すのですか」
「そうなる」
「今夜、皆様の前で礼を間違えました。訂正を聞けば、もう一度思い出されます」
「ああ」
恥ずかしくないはずはなかった。
正しい礼をやり直した場にいたのは、王弟夫妻と王家の者だけである。
広間にいた者たちが見たのは、最初の失敗だけだった。
「エレノア様が教えなかったからだと、お話ししている方がいるそうです」
リリアが言う。
「女官長から聞いた」
「訂正するときは、私が間違えたことも省かないでください」
「そのつもりだ」
「でしたら、公表してください」
アルフレッドはすぐに部屋を出なかった。
「本当に、それでよいのか」
「よいとは思いません」
リリアは膝の上で指を重ねた。
「できれば、皆様には忘れていただきたいです」
正直な声だった。
「でも、私だけ忘れていただいて、別の方のせいになるのは困ります」
アルフレッドはうなずいた。
「王弟殿下にも、訂正の内容を確認していただく」
◆◆◆
北方の王弟夫妻は、報告案を最後まで読んだ。
「我々が異議を申し立てたようには、書かれていませんね」
王弟が確認する。
「はい。問題にしないとのお言葉も、正式な記録へ残します」
「では、公表するかどうかは、貴国の判断でしょう」
王弟妃が、リリアへ目を向けた。
「次の礼を正しく行うという約束は、忘れないでください」
「はい」
「それで十分です」
王弟が報告案へ確認の署名を入れた。
相手国の了承が得られたあと、国王とクラウディアも公表を認めた。
◆◆◆
最後の舞踏が始まる前、楽団の音が止まった。
アルフレッドが広間の中央へ進む。
壇上には上がらなかった。
リリアも、その隣には立たなかった。
彼女は王族席の前で、クラウディアと共に話を聞いている。
「今夜の入場において、リリア・ベルナールは、北方王弟殿下ご夫妻へ誤った礼を行いました」
ざわめきは起きなかった。
すでに多くの者が見ていたことだった。
「その場で礼を誤ったのは、リリア本人です」
アルフレッドは、そこを省かなかった。
「同時に、彼女の婚約が承認されたのは本日の午後であり、入場方法の変更を伝えたのは開場五十分前でした。二通りの入場と礼を事前に練習させなかったのは、王太子宮と王妃宮の準備不足です。また、審議当夜の発表を求めたのは私です」
第二長卓にいた侯爵夫人が、扇を止める。
エレノアは、手元のグラスへ触れなかった。
「春以前の教師、ならびにエレノア・グランフェルト公爵令嬢に、今夜の礼を教える役目はございませんでした」
名前を出されたエレノアへ、いくつもの視線が集まる。
アルフレッドは彼女に礼も、返答も求めなかった。
「晩餐後、リリアは王弟殿下ご夫妻へ事情を説明し、正しい礼を行いました。ご夫妻からは、訂正を受け入れるとのお言葉をいただいております」
王弟夫妻が、席から浅くうなずく。
「以上を、今夜の記録へ加えます」
謝罪を美しく言い換える言葉はなかった。
リリアだけを守る言葉も、王太子宮だけを責める言葉も。
起きた順番が、広間へ示された。
アルフレッドは用意していた報告書へ署名した。
続いてジェラルド。
クラウディア。
そしてリリアが、自分の席で確認欄へ署名する。
記録官が四人の名を確かめ、訂正版を閉じた。
楽団が最後の曲を奏で始める。
◆◆◆
「踊りませんか」
セドリックがエレノアの前へ立った。
最後の曲は、招待客であれば誰でも参加できる輪舞曲だった。
エレノアは、少し離れた場所にいる父を見る。
父は北方商人組合の代表と話しており、娘の視線に気づくと一度だけうなずいた。
「明日の記録確認は、朝十時でしたね」
エレノアが尋ねる。
「ええ」
「遅くなりすぎなければ」
「この一曲だけにいたしましょう」
セドリックが差し出した手へ、エレノアは自分の手を重ねた。
広間の中央ではなく、招待客が作る大きな輪の中へ進む。
今夜の訂正版に、エレノアの署名欄はなかった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
新作の連載を始めました!
『乙女ゲームの悪役令嬢の継母に転生しました。娘が可愛すぎるので、嫌われ役の舞台ごと壊します』
七歳の娘が、震える声で「悪役令嬢の台詞」を練習させられていた。
そんな場面で前世を思い出したのは、娘を冷たく育て、最後には見捨てるはずの継母でした。
娘の教育を止め、まずは一緒に安心して暮らそう。
ところが教育係の帳面には、娘の悪口だけでなく、それを聞いたヒロインの反応まで書かれていて……。
子どもたちに嫌な役を押しつけた大人を、見過ごすつもりはありません。
娘との不器用な距離の縮め方や、少しずつ育つ子ども同士の友情、そして証拠を揃えて反撃する継母のお話です。
▼新連載はこちら
https://ncode.syosetu.com/n0056mu/
こちらの作品とあわせて、新しい母娘の物語も楽しんでいただけたら嬉しいです。




