エピローグ 春の大夜会
一年後の春。
王宮の大広間には、九脚の椅子が並んでいた。
あとから一脚を加えたのではない。
長卓も、卓布も、食器の間隔も、初めから九人が座るものとして整えられている。
「王族席、確認いたしました」
儀典部の侍従が、配置図へ署名する。
最終確認者の欄には、ジェラルドの名があった。
昨年と同じ役目を担っている。
ただし、彼の前には一案だけでなく、欠席者が出た場合と、外国王族が一名増えた場合の配置図も置かれていた。
「北方王弟夫妻の到着は?」
「予定どおりです。随行員が一名増えるとの連絡は、第二案へ反映しております」
「控室と食事の追加を確認してくれ」
「すでに担当者の署名を受けております」
ジェラルドはその二つを自分で確かめ、最後の欄へ名を書いた。
◆◆◆
衣装室では、リリアが入場の順序を声に出していた。
国王夫妻。
アルフレッドとリリア。
国内王族。
北方王弟夫妻。
「外国王族への礼は?」
女官長に尋ねられ、リリアは浅い礼を行う。
昨年、間違えたものだった。
「結構です」
「もう一度、お願いいたします」
「先ほども正しくできました」
「本番でも同じようにできるとは限りませんから」
リリアは裾を整え、もう一度同じ位置へ立った。
アルフレッドも、衣装室の入口から離れない。
彼の手には、今夜の進行表がある。
「次は、私も一緒に確認する」
二人が並ぶ。
女官長は、礼の深さだけでなく、立つ位置と互いの間隔も記録した。
昨年の失敗は消されていない。
その下に、一年分の練習記録が加わっていた。
◆◆◆
正面扉で名を読み上げられ、エレノアは父と共に広間へ入った。
深い灰色のドレスの裾には、銀の葉が刺繍されている。
北方から第四便で届いた毛織物を、公爵領の工房で染め、銀の葉を刺繍したものだった。
肩を覆う短いショールは、昨春、北方使節団から贈られた銀葉織りの毛織物で仕立ててある。
「エレノア・グランフェルト公爵令嬢」
儀典官が続ける。
「北方毛織物交易事業発案者」
昨年の紹介から、「試験」という二文字が外れていた。
変わったのは、事業の名だけではない。
冬の終わり、ヴァレイン侯爵家とグランフェルト公爵家は、エレノアとセドリックの婚約を公表している。
先に入場していたセドリックが、第二長卓の前で彼女を待っていた。
「無事に届きましたね」
彼がドレスの布を見て言う。
「第四便の灰色ですわ」
「冬の街道を越えてきた便でした」
「中の布は、すべて無事でした」
その後、青と灰色は正式な販売品となった。
紫は第四便でも色がそろわず、今も試験中である。
「紫のドレスは、来年になりそうですね」
「再来年かもしれません」
「待ちましょう」
セドリックは惜しむ様子もなく答えた。
◆◆◆
入場を告げる鐘が鳴る。
アルフレッドとリリアが並んで広間へ進んだ。
北方王弟夫妻から婚約への祝いを受け、リリアは教わった深さで礼を返す。
王弟妃が笑みを向けた。
「今度は、同じ礼でしたね」
「はい」
リリアは頬を赤くしながらも、顔を伏せなかった。
「昨年のお約束を、果たせました」
王弟夫妻が席へ着く。
進行表どおりに晩餐が始まり、九人分の料理が運ばれた。
誰も、第二長卓にいるエレノアへ確認を求めなかった。
◆◆◆
最後の舞踏を前に、セドリックが一枚の予定表を差し出した。
「来月の北方訪問についてです」
国境の市場と、正式な販売を始めた二つの工房を回る日程が記されている。
公爵家の実務担当者も、北方商人組合の代理人も同行する。
予定表の最終日だけ、行き先が空白だった。
「こちらは?」
「仕事の予定は前日までです」
「では、空白のままに?」
「できれば、あなたと街を歩く日にしたいと思っています」
エレノアは受け取った予定表へ目を落とした。
帰りの馬車は、その翌朝。
変更する必要のある仕事はない。
「朝市をご案内いただけますか」
「喜んで」
エレノアは空白の欄へ、朝市、と書き入れた。
楽団が最後の曲を奏で始める。
セドリックが差し出した手に、エレノアは自分の手を重ねた。
「そのあとの予定は?」
「まだ決めておりませんわ」
二人は九脚の椅子が並ぶ長卓の前を通り、春の輪舞へ歩み出した。




