第33話 一つ多い椅子
数時間前。
一脚の椅子を置くために、長卓全体を動かす必要があった。
「このままでは、給仕が後ろを通れません」
儀典部の侍従が、アルフレッドの隣に置かれた椅子と壁の間へ立っている。
人一人が横向きになれば通れる。
だが、料理の盆を持った給仕が、招待客の背後を安全に歩ける幅ではなかった。
「長卓を、窓側へ寄せればよいのでは?」
別の侍従が言う。
「燭台が天井飾りの真下から外れます」
「では、燭台だけを」
「卓上の配置は、すでに八席分で整えてあります」
皿。
グラス。
銀器。
秋の花を飾った三つの器。
椅子を一脚加えた場所だけ、皿と皿の間が狭い。
アルフレッドの右側には、正式な婚約者となったリリアが座る。
そこまでは決まっていた。
問題は、九人が座る卓の準備ができていないことだった。
「婚約が承認された場合の席次案は、どこにある」
儀典部長が尋ねる。
「王太子宮から、リリア様の椅子を追加するよう連絡がございました」
「椅子だけか」
「はい」
会議の結果が届いたのは、午後一時を過ぎたころだった。
祝賀会の開場までは、四時間。
王太子宮から送られてきた連絡には、正式婚約の成立と、承認済みの第二案へ切り替えるよう記されていた。
だが、書類箱へ入っていたのは九席分の席次だけだった。
卓を延長し、周囲の配置を動かすための図がない。
若い侍従は、届いた席次に従って、先にリリアの椅子だけを加えていた。
「第二案を取り寄せなさい」
儀典部長が命じた。
「承認された場合と、されなかった場合の二案を作成したはずだ」
「席次案はございます。ですが、卓の配置図が見当たりません」
若い侍従が、書類箱を探す。
宴会場の入口では、招待客の名札を確かめていたエレノアが、そのやり取りを聞いていた。
北方交易の関係者が座る卓を確認するため、父より先に広間へ入ったところだった。
「エレノア様」
彼女に気づいた若い侍従が、安堵したように歩み寄る。
「春の大夜会では、長卓を延ばす場合、どのように動かすご予定でしたでしょうか」
エレノアは、九脚になった椅子を見た。
以前なら、答えられた。
長卓を窓側へ半歩。
第二長卓を扉側へ。
二つの燭台を一つ外し、花器の間隔を変える。
給仕は右側からではなく、中央の通路を使う。
頭の中には、今も配置が残っている。
「現在の席次案を、私は確認しておりません」
エレノアは答えた。
「春の配置と同じとは限りませんので、儀典部の承認をお取りください」
「ですが、おおよその位置だけでも」
「私の判断で動かせば、今夜の責任者がどなたか分からなくなります」
声を強めたわけではなかった。
若い侍従は、なおも何か言いたそうに長卓とエレノアを見比べる。
「その件は、私が引き取ります」
後ろから、ジェラルドの声がした。
王太子宮の書類箱を抱え、広間へ入ってくる。
「エレノア様に確認を求める必要はありません」
彼は若い侍従から短い連絡書を受け取った。
末尾には、ジェラルドの承認署名がある。
「第二案へ切り替えるご指示ですね」
エレノアは署名へ目を向けた。
「はい。ですが、配置図の到着まで確認しておりませんでした」
ジェラルドは否定しなかった。
「席次だけでは、第二案を実行できません」
「第二案は?」
「王太子宮にございます」
彼は使いを走らせようとして、時計を見た。
往復を待てば、ほかの準備まで遅れる。
「写しが王妃宮にも保管されているはずです。私が取りに参ります」
部下へ任せず、自分で広間を出ていく。
エレノアは若い侍従へ礼をし、北方交易の卓へ向かった。
長卓は、まだ動かさなかった。
◆◆◆
王妃宮から届いた第二案には、九席分の配置が描かれていた。
長卓の中央へ、継ぎ足し用の板を一枚入れる。
窓側へ半歩移動。
第二長卓も同じだけ扉側へ動かす。
燭台は三つから二つへ。
花器を中央と両端へ置く。
給仕は中央の通路から入り、左右へ分かれる。
春にエレノアが考えていた配置と、ほとんど同じだった。
ただし、第二案を作成したのは儀典部であり、末尾には儀典部長の署名がある。
ジェラルドは内容を一行ずつ確認し、王太子宮の承認欄へ自分の名を書いた。
「配置を変更します」
儀典部長の指示で、食器と花が一度すべて下げられた。
長卓を分け、中央に板を足す。
卓布を九席用の長いものへ替える。
第二長卓を動かすと、その後ろにいた楽団の奏者たちも椅子を下げなければならなかった。
壁際の小卓を一つ、別室へ移す。
給仕たちは、料理を運ぶ道をもう一度歩いた。
一脚を置くだけでは終わらない。
二十分ほどで、広間の形がわずかに変わった。
「リリア様の入場位置も、変更になります」
女官長が新しい配置図を見て言った。
王妃の客人として別に入場する予定ではない。
正式な婚約者となった今夜は、アルフレッドと共に正面扉から入る。
入場後は、彼の右側に立つ。
高座への礼を終えたあと、九席になった長卓へ進む。
「ご本人へ、変更をお伝えしましたか」
儀典部長が尋ねる。
誰もすぐには答えなかった。
会議後、リリアは衣装を替えるため王妃宮へ移っている。
席の追加は伝えられていても、入場順まで変わるとは知らされていなかった。
ジェラルドが、先ほど自分の署名を入れた第二案を閉じる。
「私が説明してまいります」
◆◆◆
王妃宮の衣装室で、リリアは深い赤のドレスを身につけていた。
婚約承認が決まる前から用意されていたものである。
候補のまま祝賀会へ出席する場合は、王妃の客人として。
婚約が認められた場合は、王太子の婚約者として。
どちらの立場でも使えるよう、王家の紋章も、婚約者だけに許される色も入れていない。
「アルフレッド様と一緒に、入場するのですか」
ジェラルドから変更を聞き、リリアが尋ねた。
「はい。会議の決定に伴い、席と入場順が変更されました」
「練習していたものとは違います」
「今から、広間で一度確認いたします」
衣装係が、まだ留めていない背中の飾り紐を手にしたまま止まっている。
「確認には、どれほどかかりますか」
リリアは尋ねた。
「歩く位置と礼の順を確かめるだけなら、十五分ほどです」
「衣装を整える時間は?」
衣装係が答える。
「あと二十分は必要でございます」
開場までは、一時間を切っている。
リリアは鏡に映る自分と、ジェラルドが持つ配置図を見た。
「先に衣装を仕上げてください。そのあと、広間へ参ります」
「歩く練習の時間が短くなります」
「飾り紐を留めないまま歩くことはできません」
リリアは衣装係へ背を向け直した。
「ジェラルド様。入場位置と礼をする相手を、こちらで先に説明していただけますか」
「承知いたしました」
ジェラルドが配置図を鏡台の前へ広げる。
アルフレッドの右。
正面扉から高座まで、半歩後ろ。
国王夫妻へ一礼。
続いて北方の王弟夫妻へ挨拶。
そのあと、長卓へ進む。
「北方の王弟殿下へは、春と同じ礼でよろしいのですか」
「いいえ。今夜は王太子殿下の正式な婚約者としてご紹介されます」
候補のときと、礼の深さが変わる。
リリアは、鏡台に置かれた紙へ順番を書き留めた。
◆◆◆
開場の十分前、九席分の準備が整った。
新しい卓布。
間隔をそろえた食器。
中央の通路を確保した給仕。
リリアの椅子は、アルフレッドの右側にある。
彼女が広間へ入るころには、一脚だけあとから加えられたようには見えなくなっていた。
招待客が順に入場する。
エレノアは、北方商人組合の者たちと第二長卓へ着いた。
彼女の前には、北方交易試験計画発案者と記された名札がある。
セドリックは二席離れた場所に座っていた。
「席のご相談を受けていましたね」
彼が小さな声で尋ねる。
「現在の責任者へお返しいたしました」
「では、今夜は?」
エレノアは、目の前の献立表を開いた。
「こちらのお料理をいただきます」
入場を告げる鐘が鳴る。
広間の全員が立ち上がった。
国王とクラウディア。
北方の王弟夫妻。
続いて、アルフレッドとリリアが正面扉から現れる。
リリアは教えられたとおり、アルフレッドの半歩後ろを進んだ。
国王夫妻の前で足を止める。
一礼。
次に、北方の王弟夫妻へ向き直る。
リリアは息を整え、正式な婚約者として外国王族へ向ける、最初の礼に臨んだ。
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