第32話 秋の夜
秋の王族会議は、朝九時に始まった。
円卓の中央には、春から積み重ねてきた記録が積まれている。
リリアの教育記録。
ベルナール男爵家の財政計画。
春の大夜会と、春から夏に開かれた三度の茶会。
国内外から王家へ届いた意見。
その中には、ベアトリス公爵夫人ら三家が提出した二通の請願もあった。リリアを候補から外す書面と、エレノアを再び候補へ推す書面。どちらもエレノアのために設けられた署名欄は空白であり、本人が同意していないことを示す三通の回答も添付されている。
前者は三家の意見として扱われた。後者は本人に就任の意思がないため、候補者の審議には加えられなかった。
そして、アルフレッドが週に一度参加した授業の記録。
リリアは円卓の端へ座り、最初の頁が開かれるのを待っていた。
隣にアルフレッドはいる。
けれど、彼が代わりに答えることは認められていない。
「外国使節への応対について、ご報告いたします」
教師のマルグリットが立った。
最初の授業。
リリアは、北方の街道整備へ王家が支援できると答えた。
春の大夜会。
燕麦の取引量を増やしてほしいという申し出を受け、父へ確認してから返答すると答えた。
夏の模擬応対では、担当者へ引き継ぐだけでなく、相手が求める量と時期を先に尋ねることが増えた。
「その場で約束できる範囲について、理解は進んでおります」
マルグリットは、別の頁を開いた。
「ただし、慈善施設への寄付を求められた際、王妃宮の費用を使用できると誤って回答した例が一度ございます」
七月の記録だった。
リリアは、王太子妃候補として学んでいる場所だから、王妃宮の費用を使えると思った。
説明を受け、王妃宮が監督する施設と、私的な寄付を求める施設を区別して返答し直している。
「同じ間違いは、その後ございましたか」
老王族が尋ねた。
「ございません。ですが、王家の財産と私費については、引き続き学ぶ必要がございます」
できるようになったことだけではない。
まだ任せられないことも、同じ声で読み上げられた。
リリアは膝の上で手を重ね、記録から目をそらさなかった。
◇
続いて、ベルナール男爵家の財政計画が開かれた。
父であるベルナール男爵が立ち上がる。
「当家が負担できる費用を、三つに分けております」
リリア個人の衣装と身の回りの品。
男爵家の客として人を招く際の費用。
領地から王都へ家族と使用人を移動させる費用。
王家の正式な行事へ出席するために追加で必要となる警備や儀礼用品は、婚約後、王室費から支出する案が示されていた。
「王太子妃の生家として、当家が晩餐会を開く場合は?」
財務官が尋ねる。
「年に二度までであれば、領地収入から負担できます」
「外国王族を招く規模では?」
「できません」
男爵は、取り繕わなかった。
「王家から正式に主催を求められる場合は、費用と警備を王家にご相談いたします」
「王太子妃の生家でありながら、その程度もできないのかと言われた場合は」
「できないものを引き受け、あとで王家または別の貴族家へ負担を移すよりは、最初に申し上げます」
円卓の向こうで、財務官が一行を書き留める。
ベルナール男爵家が、公爵家と同じことを行う必要はない。
できる範囲を先に示し、それを超える役目を王家が求めるなら、王家が費用を決める。
「財務記録に、不明な支出や借り入れは?」
「ございません」
監査官が答えた。
「ただし、収穫量によって収入が変動するため、毎年同額を負担することは困難です。三年ごとに計画を見直す必要がございます」
「その条件を、婚約の付帯事項へ加えます」
宰相が記録官へ告げた。
◇
午前の終わりに、リリア本人への質問が始まった。
「あなたは、王太子妃に必要な教育をすべて終えましたか」
クラウディアが尋ねる。
「いいえ」
「一人で外国使節を迎え、王家を代表して返答できますか」
「まだ、できません」
「では、なぜ候補に残ることを望むのです」
春の会議であれば、アルフレッドを愛しているからと答えたかもしれない。
今も、その気持ちは変わらない。
けれど、今日確かめられているのは、恋の深さだけではなかった。
「できないことを、できるようになるまで学ぶためです」
リリアは答えた。
「私は、三か月前より多くのことを知りました。同時に、まだ知らないことも増えました」
「それでも、王太子妃になることを望みますか」
リリアは一度、隣のアルフレッドを見た。
彼は口を開かなかった。
返事を待っている。
「はい」
リリアはクラウディアへ視線を戻した。
「審査を受け、必要な記録を残しながら学び続けることを望みます」
クラウディアは、賛成とも反対とも言わなかった。
記録官が、リリアの返答をそのまま書き留める。
「アルフレッド」
次に名を呼ばれたのは、王太子だった。
「リリア嬢の教育が終わるまで、婚姻を延期することになった場合は?」
「待ちます」
「どのくらいです」
アルフレッドは答えかけ、言葉を止めた。
一年。
二年。
早く終われば、それでよい。
期限だけを決めても、必要なことが身につくとは限らない。
「教師と王族会議が、必要な教育を終えたと確認するまで」
「婚約後も、彼女が公式の場で失敗することはあります」
「はい」
「その場合、誰が説明しますか」
「本人の責任であれば、リリアが説明します」
アルフレッドは、自分の前にある記録を見た。
「私の指示や、王太子宮の準備不足によるものであれば、私が説明いたします」
その返答も、記録へ残された。
◇
審議の間、リリアとアルフレッドは別室で待った。
扉の向こうから、話し声は聞こえない。
時計の針だけが進んでいく。
「大丈夫だ」
アルフレッドが言った。
「分かりません」
「三か月、これだけ学んだ」
「学んでも、認められないことはございます」
リリアは、机に置いた四枚の札を見た。
約束できること。
確認してから答えること。
担当者へ引き継ぐこと。
誰が答えられるか確認すること。
授業で何度も使った札だった。
「今は、待つことしかできません」
アルフレッドは何か言おうとしたが、やがて隣の椅子へ座った。
二人は審議が終わるまで、未来を約束する言葉を口にしなかった。
扉が開いたのは、午後の鐘が鳴る直前だった。
◇
円卓へ戻ると、二通の書面が用意されていた。
一通は、婚約承認書。
もう一通は、婚姻までに満たす条件を記した付帯書だった。
リリア・ベルナール男爵令嬢を、アルフレッド王太子殿下の正式な婚約者として承認する。
リリアは、その一文を何度も読んだ。
春から変わらなかった肩書が、ようやく変わる。
だが、付帯書には六つの条件があった。
王妃宮での教育を継続すること。
三か月ごとに学習記録を王族会議へ提出すること。
単独で王家を代表する公務は、別途承認を受けること。
ベルナール男爵家の負担額を三年ごとに見直すこと。
王家と男爵家の費用を混同しないこと。
婚姻の時期は、教育の進み方を確認して改めて決定すること。
「条件を受け入れる場合は、婚約承認書と付帯書の両方へ署名を」
宰相が言う。
アルフレッドが先にペンを取ろうとした。
隣で、リリアはまだ付帯書を読んでいる。
彼の手が止まる。
リリアが六項目を最後まで読み終えるまで、待った。
「受け入れます」
リリアが署名する。
そのあとで、アルフレッドも自分の名を書いた。
ベルナール男爵が、家長としての承認欄へ署名する。
国王の印が押される。
「これをもって、両名の婚約を承認する」
拍手は起こらなかった。
王族会議では、記録官が成立の時刻を書き入れただけだった。
◇
その夜、王宮では秋の祝賀会が開かれる。
北方との試験取引が予定どおり三回目を終えたこと。
王都近郊の収穫が無事に済んだこと。
そして、アルフレッドとリリアの婚約承認。
三つの報告が、招待客へ公表される予定だった。
エレノアのもとへ届いた招待状には、王太子の元婚約者という言葉はなかった。
北方交易試験計画発案者。
グランフェルト公爵令嬢エレノア。
父と共に王宮へ到着すると、北方商人組合の一行が先に控室へ入っていた。
その中に、セドリックの姿がある。
「三度目の布も、無事に届きました」
挨拶のあと、彼が言った。
「東側の街道を使った便ですね」
「はい。雪はまだですが、箱の積み替えも試しました。破損はありません」
「明日、記録を拝見いたします」
「今夜ではなく?」
エレノアは、広間へ続く扉を見た。
「今夜は祝賀会へ出席する予定ですので」
セドリックがわずかに笑う。
「それは、よい予定だと思います」
やがて入場を告げる鐘が鳴った。
招待客が広間へ進む。
高座の下には、王族と高位貴族のための長卓が用意されていた。
春の大夜会では八脚だった椅子が、今夜は九脚並んでいる。
アルフレッドの隣に加えられた一脚には、リリア・ベルナールの名札が立てられていた。
秋の夜、王族席には、春より一つ多い椅子が並んでいた。




