第20話 北方から来た条件
セドリックが広げた地図には、二本の道が引かれていた。
西側の街道は、国境からグランフェルト公爵領まで九日。
川沿いに南へ回る東側の街道は、十五日。
エレノアたちが試験取引に選んでいたのは、短い西側の道だった。
「こちらは、昨年の夏に使節団が通った道ですね」
「はい」
エレノアは、計画書に添えた調査記録を開いた。
路面の状態。
橋の幅。
荷馬車を替えられる宿場。
国境から公爵領までの通行料。
必要な情報はそろっていると思っていた。
しかし、どの記録も春から秋までのものだった。
「冬季の記録を確認しておりませんでした」
エレノアが言うと、公爵家の会計官が地図へ目を落とした。
「計画を作成したのが昨年の春で、現地を確認したのが夏でございました。初回の取引だけを考えれば、問題のない道です」
「第四便まで同じ道を使えると、私が決めつけました」
誰かに誤った資料を渡されたのではない。
夏の調査結果を、冬にも当てはめたのはエレノアだった。
「北方の商人たちは、計画そのものを断ると言っているのですか」
「いいえ」
セドリックは条件書の二頁目を開いた。
「西側の街道を使うのは、十月の半ばまで。冬季は東側の低地街道へ変更することを求めています」
東側の道は遠い。
途中で二つの領地を通り、橋を三つ渡る。
荷馬車一台ごとに必要な通行料も、西側の街道より高かった。
「十五日で確実に着くのですか」
「平年であれば」
「雪が多い年は?」
「二十日ほどかかります」
「最長で二十日として、布を雨と雪から守る箱が必要になりますね」
エレノアは家令に、王都で取引のある輸送業者を呼ぶよう頼んだ。
業者が到着するまでの間に、北方側から示された条件を一つずつ確認する。
一つ目は、季節によって輸送路を変更すること。
二つ目は、冬季の輸送費について、通常の一・五倍までを公爵家側が負担すること。
三つ目は、東側の国境検査所でも、北方側と公爵家側の者が布の状態を確認すること。
四つ目は、雪や雨による遅れを理由として、到着前に代金の減額を決めないこと。
「一・五倍を超えた場合は、どうなりますか」
会計官が尋ねた。
「条件書には記されていません」
セドリックが答える。
「それでは、どちらが負担するかで荷が止まります」
エレノアは余白へ印を付けた。
「追加費用が生じた理由を確認し、双方で合意してから負担を決める、と加えましょう」
「緊急時に、返事を待つ余裕がない場合は?」
「輸送を続けるために必要な費用には、上限を設けます」
会計官が、予想される宿泊費と飼料代を計算する。
三日間の遅れまでなら、現地の輸送責任者が判断できる。
それを超える場合は、早馬で両家へ知らせる。
「北方側にも、同じ権限を持つ責任者を一人決めていただく必要がございます」
「条件へ加えます」
セドリックが修正点を書き留めた。
北方から届いた条件に、ただ承諾の印を押すのではない。
実際に荷を運ぶ者が迷わないところまで、言葉を足していく。
◆◆◆
輸送業者が到着したのは、午後の半ばだった。
五十歳ほどの、日に焼けた顔の男である。
地図を見るなり、西側の街道に引かれた線を指でなぞった。
「冬は使えません。早い年なら、十月の初めに峠が閉まります」
「北方側は、十月半ばまでとしています」
「積雪が遅い年の話でしょう」
業者は過去五年分の運行帳を開いた。
西側の峠を最後に通過した日が、年ごとに記されている。
十月二十三日。
十月十七日。
十月四日。
九月二十九日。
十月十一日。
「年によって、ひと月近い差があります」
エレノアは条件書へ引いた印を見た。
十月半ばまで。
それでも、固定された日付では遅い。
「西側の街道を使用する期限は、日付で決めないほうがよさそうですね」
「では、何を基準にしますか」
「峠の手前にある宿場から、積雪の知らせを出せます」
輸送業者が答えた。
「毎年九月に入ったら、三日ごとに街道の状態を確認します。閉鎖の恐れがあれば、最初から東へ回す」
「荷を出したあとに峠が閉じた場合は?」
「北方側へ戻すより、途中の分岐から東へ向かったほうが早い。ただし、そこで荷馬車を替えることになります」
「布を積み替えるのですか」
「箱ごと移します。だから、冬用の箱は少し小さくしたほうがよい」
大きな箱なら、一度に多く運べる。
けれど、東側の街道で使われる荷馬車には載らない。
輸送量を増やしたい北方の商人にとって、箱を小さくするのは歓迎できない条件だろう。
「一箱あたりの布を減らし、箱の数を増やす場合の費用を出してください」
輸送業者と会計官が計算を始める。
箱代。
荷馬車の台数。
検査所で箱を開け、閉じ直す作業。
冬用の覆い。
数字を積み上げると、北方側が示した一・五倍をわずかに超えた。
「これでは、条件に合いません」
会計官が言った。
「一箱の布を減らさず、箱の形だけ変えることは?」
エレノアが尋ねる。
「幅を狭くして、深くすれば載せられます」
「下の布に重みがかかりませんか」
「間に板を一枚入れます。それで重さを分けられる」
新しい箱を試作する費用を加えても、三回使えば一・五倍の範囲に収まる。
「最初の冬だけ、新しい箱の製作費を公爵家で負担します」
エレノアは会計官へ確認した。
「翌年以降は、通常の輸送費として計算できますか」
「三年以上使用できれば」
「輸送業者には、使用回数と破損を記録していただきます。二年以内に使えなくなった場合は、原因を確認して負担を決めましょう」
業者はうなずいた。
「それなら、お引き受けできます」
積雪の知らせによる輸送路の切り替え、積み替え用の箱、現地責任者が判断できる追加費用の範囲。遅延だけを理由に、検品前の代金を減らさないこと。
第三便は雪の前に東側の街道と箱を試し、第四便で実際の冬季輸送を行う。修正された条件が、別の紙へ清書されていった。
「第四便を春へ延ばす方法もございます」
セドリックが言った。
「そのほうが、費用は少なく済みます」
エレノアは、最初の試験計画を見た。
第四便を春にすれば、冬の輸送を考えなくてもよい。
だが、本格的な取引が始まったあとも、冬は毎年来る。
「今回は、冬にも運びます」
「理由を伺っても?」
「試験取引で、使わない季節の問題を残したくありません」
エレノアは、冬用の箱の試作費へ印を付けた。
「荷が少ないうちに、一度確かめます」
「北方側へ、そのように伝えます」
セドリックは修正案の末尾へ、自分の名を記した。
北方側へ持ち帰る連絡役としての署名だった。
輸送業者。
公爵家の会計官。
染料工房の責任者。
エレノア。
それぞれが、自分の確認した箇所へ署名する。
最後に、グランフェルト公爵が家長として承認した。
「これで、条件へ回答できます」
セドリックが書類をまとめる。
「北方の商人組合が受け入れれば、次は王都で正式な協議を開きます」
「王都で?」
「東側の街道は、王家が管理する橋を二つ通ります。冬季の通行予定を届け、検査所にも新しい手順を伝えなければなりません」
交易そのものは、北方の工房とグランフェルト公爵家の取引である。
それでも、国境と王家の橋を通る以上、両者だけでは決められないことがあった。
「協議書には、北方側と公爵家側の提案者を記載します」
セドリックは、自分の控えを鞄へ収めた。
「草案が届きましたら、エレノア嬢にもご確認をお願いいたします」




