第19話 公爵令嬢の仕事
王家とグランフェルト公爵家の訂正文が公表された朝、エレノアは染料工房から届いた報告書を読んでいた。
春の大夜会まで、あと十一日。
王都の掲示所には、両家の印が押された文書が掲げられている。
婚約解消は双方の合意によるものであること。
エレノアの行いを理由としたものではないこと。
王家は、彼女が七年間にわたり果たしてきた務めへ感謝すること。
同じ文面が、国内の高位貴族と外国使節団にも送られた。
公爵邸にも控えが届いている。
けれど、エレノアの前に置かれているのは、その紙だけではなかった。
未染色の毛織物十二枚。
公爵領で作られた三色の染料。
染め上げたあとの縮みを記した報告書。
北方との試験取引に必要な費用の一覧。
応接室の長卓は、書類と布で端まで埋まっていた。
「青は問題ございません」
公爵領から王都へ出てきた染料工房の責任者が、三枚の布を並べた。
「二度染めれば、厚い毛織物でも色が均一に入ります。ただ、紫は布によって差が出ました」
同じ染料へ浸したはずの布は、一枚が濃く、一枚は赤みが強い。
もう一枚には、端の部分だけ色の薄い箇所があった。
「染料の量が足りなかったのですか」
「量ではなく、羊毛に残った油分の違いかと」
責任者は、色の薄い部分を指で示す。
「北方では、織り上げた布をどこまで洗ってから出荷するのか、工房ごとに決まりが違うようです」
エレノアは北方の二工房から届いた見本を分けた。
薄い印が一つ入っているもの。
二つ入っているもの。
並べ直すと、色の薄い布はすべて同じ工房のものだった。
「こちらの工房へ、出荷前の洗い方を確認しましょう」
「洗浄を増やすよう求めますか」
公爵家の会計官が尋ねた。
「先に、今の工程を確かめます。作業を増やせば、その分だけ北方側の費用が上がります」
洗い方が足りないと決めつけて、負担だけを増やすことはできない。
現在の工程が分かれば、公爵領へ届いてから染める前に洗う方法も選べる。
「比較のため、最初の荷は二つの工房の布を混ぜないでください」
エレノアが告げると、会計官が試験取引の手順へ書き加えた。
「工房ごとに荷札の色を変えます」
「雨に濡れても判別できる札を。箱の外だけでなく、布の内側にも一枚ずつお願いいたします」
「承知いたしました」
次に確認したのは、染め上がった布の寸法だった。
北方から届いたときより、青はわずかに短くなり、紫はそれ以上に縮んでいる。
同じ長さとして販売すれば、購入者へ渡る量が変わってしまう。
「染める前の長さではなく、完成後に測り直す必要がございます」
工房の責任者が言う。
「一枚ずつ測るのであれば、人手が増えます」
「費用はどのくらいですか」
その場で計算され、布一枚あたりの追加額が示された。
小さな金額だった。
だが、取引量が百枚、二百枚と増えれば無視できない。
「試験取引では、すべて測ってください」
エレノアは決めた。
「縮み方が工房と色ごとに一定だと確認できれば、そのあとで測る枚数を減らします」
「最初から抜き取りにすれば、費用を抑えられますが」
会計官の提案に、エレノアは二色の布を重ねた。
端が指二本分ほどずれている。
「何を基準に抜き取るか決めるための記録が、まだございません」
「では、最初の三回は全数を」
「お願いします」
決まった内容が、その場で試験計画へ書き込まれる。
工房の責任者が確認し、会計官が費用を記し、最後にエレノアが署名する。
誰かが返事を待つ必要はなかった。
できないことは、できないと言われる。
費用が増えるなら、金額が示される。
そのうえで、何を優先するかを決めればよい。
「来春の市へは、何色を出しますか」
工房の責任者が尋ねた。
「王都の商会からは、青と紫を多く求められております」
「まだ決めません」
エレノアは、色の薄い紫の布を見た。
「最初の三便で同じ品質を続けて作れた色だけを、冬季輸送を確かめたあと、翌春から販売します」
「三回ですか」
「一度だけ美しく染まった布を見本にしても、次に同じ品を渡せなければ取引は続きません」
工房の責任者は少し考え、紫の布を持ち上げた。
「では、この色は洗浄方法が分かるまで保留にいたします。青と灰色は、もう一度試します」
「お願いいたします」
机上から紫の販売予定が外される。
その分、最初に見込んでいた売上は減った。
会計官が収支見込みを書き直す。
黒い数字が少なくなっても、エレノアは元へ戻すよう求めなかった。
◆◆◆
正午を過ぎたころ、会議は終わった。
工房の責任者たちが退室すると、使用人が染料と布を片づけ、新しい茶を運んでくる。
入れ替わるように、セドリックが公爵邸へ到着した。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。大夜会の準備でお忙しいところ、恐れ入ります」
「使節団の席次は、昨日確定しました。今日は王宮の用件ではございません」
セドリックの従者が、細長い箱を卓上へ置いた。
蓋が開かれると、銀色の意匠を織り込んだ毛織物が現れる。
北方使節団が、エレノアへ用意していた品だった。
光の当たる角度によって、濃い灰色の地に細い銀の葉が浮かぶ。
「北方交易へのご協力に対する、使節団からの贈り物です」
セドリックが正式な贈答状を差し出した。
宛名は、王太子の婚約者ではない。
エレノア・グランフェルト公爵令嬢。
その名だけが記されていた。
「ありがたく頂戴いたします」
エレノアは礼をし、受領書へ署名した。
侍女が箱を下げようとしたところで、彼女は毛織物の端へ目を留めた。
「少し、触れてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。あなたへの品ですから」
エレノアは布の端を指で挟んだ。
先ほどまで調べていた見本より薄く、糸の撚りも細い。
「こちらは、試験取引で届く布とは織り方が違うのですね」
「よくお気づきになりましたね」
「この厚さなら、染料の入り方も変わりそうです」
セドリックがわずかに笑う。
「贈答品を前に、最初に染め方を考えられる方は多くありません」
「午前中ずっと、布を見ておりましたので」
長卓の端には、片づけきれなかった青い毛織物が一枚残っている。
セドリックは、書き直された試験計画へ視線を向けた。
「取引量を減らされたのですか」
「紫の品質がそろいませんでした。原因が分かるまで、販売分には含めません」
「北方側は、最初の取引量を増やす案を用意しています」
「増やす前に分かって、幸いでした」
惜しむ様子のない返答に、セドリックは手元の鞄を開いた。
「その件で、本日お持ちしたものがございます」
取り出されたのは、北方の二つの工房と商人組合の印が押された条件書だった。
「先日、こちらから示された試験計画に対する回答です」
エレノアは書類を受け取り、一頁目を開いた。
最初に記されているのは、布の洗浄でも価格でもなかった。
輸送路の変更。
北方側が赤い線を引いた地図が、条件書へ添えられている。
「現在の計画では、国境から公爵領まで西側の街道を使用することになっています」
セドリックが地図を広げた。
「ですが、この道を荷馬車が通れるのは、秋の終わりまでです」
「冬は、雪で閉ざされるのですか」
「はい」
彼の指が、計画書に記された輸送予定日で止まる。
第一便は初夏。
第二便は、夏の終わり。
第三便は、秋の初め。
第四便は、冬の初め。
「第四便の荷が出るころには、この街道は地図にあっても、道としては使えません」




