第15話 削られた歳費
翌朝、アルフレッドの執務机には、三冊の会計簿が置かれていた。
一冊目は、王太子として公務に使用できる王室費。
二冊目は、アルフレッド個人へ毎年支給される歳費。
三冊目は、今後三年間に予定されていた私的な支出である。
王宮財務局の監査官は、三冊目をアルフレッドの前で開いた。
今年の夏に購入する予定だった新しい馬車。
秋の狩猟で使用する猟銃。
来年迎える競走馬。
側近や友人を招く晩餐会。
趣味で集めている古い地図。
それぞれの項目に、細い線が引かれていた。
「すべて取りやめるのか」
「公務に必要な馬車と馬は、これまでどおり王室費から維持されます」
監査官は一冊目の会計簿を示した。
「公式の晩餐会、外国使節への贈答、王太子殿下として必要な衣装も変わりません」
「では、削られるのは?」
「殿下個人がお選びになる品と、私的な催しでございます」
アルフレッドは、線を引かれた予定を見た。
王太子として暮らせなくなるわけではない。
公務へ出るための馬車はある。
外国使節を招く晩餐も開ける。
ただ、自分が欲しいと思ったものを、これまでと同じようには買えなくなる。
「大夜会の不足費用について、今後三年間、殿下の個人歳費の三分の一を王室費へ戻していただきます」
監査官が、年間の支給額へ線を引く。
その下へ、減額後の額が記された。
「昨日確認した私的支出は?」
「当年までに積み立てられた歳費の残額から精算可能です」
次の用紙には、密会のために増えた警備と侍従の手当、予定外の馬車、宿泊先への追加費用がまとめられていた。
二年間の合計は、新しい馬車一台分に近い。
「これだけの額になるのか」
「一件ごとの額は大きくありません」
監査官は、十七回と記された東庭園の記録を指した。
「同じ変更が重なった結果でございます」
アルフレッドは合計額を見つめた。
あの日、一度だけ庭園の警備を変えたときには、費用のことなど考えなかった。
二度目も、三度目も同じだった。
いつの間にか十七回になっていた。
「こちらへ、ご署名を」
大夜会の不足分。
二年間の私的支出。
それぞれについて、支払い方法を確認した書面が差し出される。
アルフレッドはペンを取った。
署名しなければ、費用が消えるわけではない。
王太子宮が支払ったままにすれば、私的な恋のために王室費を使ったことになる。
自分の名を書き、二枚の書類を監査官へ返した。
「以上で、過去の支出に関する精算方法は決まりました」
「過去の、ということは、まだあるのか」
「今後の支出でございます」
監査官は、新しいドレスの見積書を取り出した。
リリアが大夜会で着るための衣装である。
淡い青の生地に、銀糸で小花を刺繍する案が添えられていた。
白いドレスほど高価な生地は使わず、装飾も抑えられている。それでも、短い期間で仕立てるための費用が加わり、男爵令嬢の普段着とは比べものにならない額だった。
次に置かれたのは、三か月分の教育費である。
作法。
外国語。
王国史と法。
舞踏。
それぞれの教師への謝礼と、教材、王宮までの馬車代が記されている。
「これも、私の歳費からか」
「婚約が正式に認められるまでは、殿下またはベルナール男爵家の私費から支払うと決められております」
「男爵家に、これだけの額を用意することはできない」
「すべてを負担するよう求めてはおりません」
監査官は、ベルナール男爵家から届いた書面を差し出した。
男爵家は、王国史と法を教える教師一名分の費用を負担すると申し出ていた。
家計を調べたうえで、無理なく継続できる額が記されている。
「残りは、私が出す」
「その場合、減額後の歳費から、ドレスと三名の教師への費用を支払うことになります」
「足りないのか」
「今年分については、ほかの私的支出を見送れば」
監査官が三冊目の会計簿を開く。
競走馬の購入。
秋の狩猟。
友人たちとの晩餐。
その三つを取りやめれば、必要な額へ届く。
「狩猟館の改修も、夏の離宮滞在もなくなった」
「そちらは、大夜会の不足分を王室費から捻出するための見直しでございます」
「私は、今年一年、何もできないではないか」
「公務は、すべて行えます」
監査官の答えは変わらなかった。
アルフレッドは会計簿へ目を落とした。
自分が何もできないわけではない。
リリアのドレスを贈る。
教師を付ける。
大夜会を当初の規模で開く。
選んだことは、すべて行われる。
その代わり、別のものを手放さなければならないだけだった。
「競走馬と狩猟を取りやめる」
アルフレッドは言った。
「晩餐会は、回数を減らせば残せないか」
「年に一度であれば可能です」
「それで計算し直せ」
「承知いたしました」
監査官は競走馬と狩猟の項目へ、正式な取消印を押した。
晩餐会は六回から一回へ書き換えられる。
空いた額が、リリアの衣装と教育へ移された。
「ジェラルド」
アルフレッドは、部屋の隅に控えていた側近を呼んだ。
「狩猟へ招いていた者たちへ、中止の連絡を」
「すでに日程を空けている者もおります」
「分かっている」
「理由は、どのように?」
アルフレッドはしばらく考えた。
王太子の都合。
大夜会の準備。
いくらでも曖昧に書くことはできる。
「私的な支出を見直したため、と伝えろ」
ジェラルドは一瞬だけ目を上げたあと、頭を下げた。
「承知いたしました」
◆◆◆
午後、リリアは衣装係と共に王太子宮を訪れた。
卓上には、淡い青のドレスの見積書と、三か月分の教育費が並べられている。
「こちらのドレスで、注文を出そうと思う」
アルフレッドが見積書を示す。
「君が選んだ青だ」
「はい」
リリアはすぐには笑わなかった。
見積書の合計額を確かめ、その隣にある歳費の内訳へ目を移す。
「このドレスのために、競走馬をお取りやめになったのですか?」
「ドレスだけではない。教師たちへの費用も含まれている」
「アルフレッド様は、その馬を楽しみにしておられました」
以前、北方から迎える予定の若い馬について、何度も話を聞いた。
どのような毛色で、父馬がどの競走に勝ったのか。届けばリリアにも見せたいと、嬉しそうに語っていた。
「また機会はある」
アルフレッドは見積書へ署名しようとした。
「お待ちください」
リリアが止める。
「やはり、ドレスはもっと簡素なものにいたします」
「遠慮する必要はない」
「遠慮ではありません」
リリアは、衣装係が持ってきた意匠を見比べた。
「この刺繍を半分にしても、大夜会へ出られるでしょうか」
衣装係は少し考えた。
「銀糸の小花を裾だけに残せば、十分にふさわしいものになります」
「では、そうしてください」
「リリア、私が贈ると言った」
「はい。ですから、殿下に贈っていただける範囲のものを選びたいのです」
はっきりとした声ではなかった。
アルフレッドの機嫌を損ねないか確かめるように、リリアの指は布見本の端を握っている。
それでも、決めたあとに視線をそらさなかった。
アルフレッドはペンを置いた。
衣装係が新しい見積もりを計算する。
減った金額は、競走馬を迎えられるほどではない。
けれど、以前よりは小さくなった。
「この内容で、注文を」
アルフレッドが署名する。
今度の注文書には、色も、意匠も、代金も記されている。
注文主の欄には、最初からアルフレッドの名があった。
衣装係が書類を持って退出すると、リリアは教育の日程を手に取った。
「最初の授業は、明日なのですね」
「作法の教師が、戻ってくれることになった」
エレノアが以前選んだ三名のうち、返答を待っていた教師だった。
授業は朝九時から正午まで。
午後には、自習の内容も指定されている。
「三時間も……」
リリアの顔に、不安が浮かんだ。
「難しければ、時間を短くさせよう」
アルフレッドが言うと、リリアはすぐにはうなずかなかった。
日程表の一番下には、授業後、本人の理解度を記録する、とある。
秋の審査へ提出される記録だった。
「まず、受けてみます」
リリアは予定表を折らずに両手で持った。
「短くしていただくかは、そのあとで決めます」




