第14話 名の並ぶ帳面
帳面の最初の頁には、五つの欄があった。
日付。
依頼者。
実行者。
支払者。
そして、依頼の内容。
アルフレッドは執務机の前へ座り、ジェラルドが運んできた帳面を開いた。
最初の記録は、二年前の春だった。
依頼者 アルフレッド王太子殿下
実行者 ジェラルド・ハウゼン
協力者 東庭園警備責任者、王太子宮侍従二名
内容 ベルナール男爵令嬢との面会のため、東庭園の巡回時刻を変更。
「これは覚えている」
アルフレッドが言った。
リリアと初めて二人だけで話した日だった。
学院の庭では人目が多く、王宮の茶会でも近づけない。アルフレッドが困っていると、ジェラルドが東庭園ならば時間を作れると提案した。
「警備の変更まで記録する必要があるのか」
「殿下の安全に関わる予定変更ですので、警備部に記録が残っておりました」
ジェラルドの向かいには、王宮財務局から派遣された監査官が座っていた。
五十歳ほどの、細い銀縁の眼鏡をかけた男である。
「警備そのものは王宮の職務です。ただし、通常の巡回を変更したため、二名の勤務時間が延長されています」
監査官は帳面の端へ、小さな赤い印を付けた。
「延長分の手当については、私的な面会に伴う支出として確認します」
「わずかな額でしょう」
「一度であれば」
監査官が頁をめくる。
同じ東庭園での面会は、二年間で十七回記録されていた。
雨の日には、庭園に面した小客間が用意された。
アルフレッドの公務が延びた日には、警備と侍従の勤務も延長されている。
面会の日付の横には、毎回違う者の名があった。
扉を開けた侍従。
巡回路を変えた警備官。
リリアを庭園まで案内した女官。
遅い時刻に男爵家へ送り届けた御者。
「これほど多くの者が関わっていたのか」
「殿下とリリア嬢のお二人だけで王宮内を移動することはできません」
ジェラルドが答えた。
「誰かが扉を開け、誰かが人の流れを変える必要がございました」
アルフレッドは次の頁を開いた。
初夏になると、エレノアの名が現れた。
依頼者 アルフレッド王太子殿下
実行者 エレノア・グランフェルト公爵令嬢
協力者 グランフェルト公爵家家令、茶会担当侍女、料理人、庭師
支払者 グランフェルト公爵家
内容 ベルナール男爵令嬢を公爵令嬢の友人として茶会へ招待。王太子殿下との面会が不自然に見えないよう、同年代の令嬢八名を招く。
アルフレッドは、記された八名の令嬢を見た。
全員の顔を思い出せるわけではない。
その日の自分は、リリアと話すことしか考えていなかった。
「この茶会の費用も、公爵家が?」
「はい」
「エレノアが開いた茶会だろう」
監査官は、添付された手紙の控えをアルフレッドへ差し出した。
『リリアと王宮の外で話せる機会を作ってほしい。
人数や招待客については、君に任せる。』
自分の筆跡だった。
その下には、エレノアから届いた報告の写しがある。
招待する令嬢たちの名。
リリアが孤立しないための席順。
茶会にアルフレッドが立ち寄っても不自然に見えない時刻。
費用については、公爵家の私的な茶会として処理します、と記されていた。
末尾には、アルフレッドの返事も残っている。
『それで構わない。助かる。』
「私は、読んでいたのか」
アルフレッドがつぶやく。
「殿下の署名入りの返書がございます」
ジェラルドの返答に、アルフレッドは紙を裏返した。
確かに王太子の署名がある。
けれど、招待客の名も席順も覚えていなかった。
エレノアが整えたと知って、問題が起きないことだけを確かめ、先を読まなかったのだろう。
次の頁にも、彼女の名があった。
秋の音楽会。
冬の慈善市。
学院卒業生の昼食会。
リリアが身分の違いを理由に招かれない場へ、エレノアが自分の客として席を用意している。
依頼者の欄には、アルフレッド。
実行者には、エレノア。
支払者には、グランフェルト公爵家。
協力者の欄だけが、そのたびに変わった。
「公爵家へ、これらの費用を返す必要があるのか」
「グランフェルト公爵家から、茶会や昼食会の費用を請求する意向はないとの回答が届いております」
監査官が言った。
「当時、エレノア様が主催者であったことも事実ですから」
「では、問題はないのだな」
「費用の請求がないことと、誰の負担で秘密が守られていたかは別の問題です」
監査官は赤い印を付けなかった。
代わりに、支払者の欄へ確認済みと記す。
責める言葉はなかった。
ただ、公爵家が負担したという事実だけが残された。
帳面の半ばからは、リリアの教育に関する記録が続いた。
最初の依頼者は、クラウディア。
次にアルフレッド。
教師を選んだのはエレノア。
授業の進み方を相談したのは、三名の教師と王妃宮の女官長。
費用を支払ったのは、公爵家だった。
「母上も、費用が公爵家から出ていることをご存じなかった」
「王妃陛下のお手紙には、教師の紹介を求めることしか記されておりません」
監査官は言った。
「契約と支払いをどなたが行うか、決められていなかったためです」
決められていなかったものを、エレノアが引き受けた。
教師を待たせるわけにはいかず、秘密を公にすることもできなかったからだろう。
アルフレッドは、かつて自分が送った覚え書きを見た。
『リリアが人前で困らないよう、よい教師を付けてほしい。』
短い一文のあとに、四十頁近い記録が続いている。
教師たちの名。
王妃宮の女官長。
馬車を出した者。
教材を用意した書店。
授業場所を貸した公爵家の使用人。
アルフレッドの名は、最初の一頁にしかなかった。
「私は、頼んだ」
誰へ言うでもなく、アルフレッドは口にした。
「君も母上も、エレノアも、必要だと言ったからだ」
「はい」
ジェラルドは否定しなかった。
「必要なことだったと、私も思っておりました」
「ならば、なぜ今になって問題になる」
「必要なことを頼むのが問題なのではございません」
ジェラルドは、帳面へ目を落とした。
「誰が形にしているのか、私も確かめなかったからです」
それは反省の言葉というより、帳面を読んで分かった事実を述べる声だった。
監査官が、最後の書類束を机へ置いた。
「こちらは、王宮側で支出された費用です」
密会に伴う警備と侍従の延長手当。
予定外に使用した馬車。
王太子宮の名でリリアへ届けられた花と書籍。
私的な面会のため変更された公務日程に伴う、宿泊先への追加費用。
それぞれの支出の横には、手配した者と承認した者の署名がある。
ジェラルドの名も、何度も現れた。
「これらは、殿下の個人歳費から支出されるべきものが含まれております」
「私の歳費から?」
「王太子として必要な警備と、私的な都合によって増えた費用を分けて計算します」
監査官は、赤い印が付いた項目だけを別の用紙へ移していく。
まだ合計額は記されていない。
「いつまでに分かる」
「明朝までに」
「大夜会の不足分も、私の歳費から補填することになっている」
「承知しております。その減額後の歳費をもとに、返済可能な期間を算出します」
監査官は立ち上がり、帳面の控えを抱えた。
「追加で確認すべき支出が見つかった場合は、期間が延びる可能性もございます」
部屋を出る前に、机上の帳面へ視線を戻す。
「本日中に、抜けている依頼がないかご確認ください」
扉が閉まる。
アルフレッドは、もう一度最初の頁から帳面をめくった。
自分の名。
ジェラルドの名。
クラウディアの名。
侍従、女官、教師、職人、警備官、御者。
そして、何度も繰り返されるエレノアの名。
二人だけの秘密だと思っていた恋の周囲には、数え切れないほどの名前が並んでいた。
その中で、知らなかったと言える名前は、一つもなかった。




