第11話 責任者の名前
翌朝、ジェラルドは北方使節団の滞在する迎賓館を訪れた。
王妃宮の会議で署名してから、まだ半日も過ぎていない。
それでも手元の書類は、昨夜より二十枚近く増えていた。
王太子宮の正式な回答。
大夜会を当初の規模で開催するという決定。
王室費から一時的に不足分を支出することへの国王の承認。
儀典部と侍従部の担当者一覧。
そして、外国使節への対応責任者として記された自分の名前。
迎賓館の応接室では、セドリック・ヴァレインがすでに待っていた。
北方三国から派遣された使節団と王宮をつなぐ連絡役である。今日も黒に近い紺色の礼服を身につけ、卓上には三国それぞれの印章が押された書簡を並べていた。
「お待ちしておりました、ジェラルド卿」
「お時間をいただき、感謝いたします」
ジェラルドは向かいの席へ座り、王太子宮の回答を差し出した。
「春の大夜会につきまして、王家は当初の予定どおり開催することを決定いたしました」
セドリックは書類を受け取り、最初の頁へ目を通した。
「外国使節への対応責任者は、ジェラルド・ハウゼン伯爵令息」
「私が務めます」
「席次や贈答品について変更が生じた場合も、ジェラルド卿の回答を王太子宮の正式なものとして扱ってよろしいのですね?」
「はい」
昨日までなら、そこで話は終わると思っていただろう。
責任者の名を求められた。
その名を届けた。
だが、セドリックは二頁目を開いた。
「では、いくつか確認させてください」
「もちろんです」
「当日、北方三国の使節を最初に迎える方は?」
「王太子殿下と、ベルナール男爵令嬢が――」
言いかけて、ジェラルドは口を閉じた。
昨夜の会議で、リリアは王太子妃候補として審査を受けると決まったばかりだ。
春の大夜会でアルフレッドの隣に立てるかは、今後の教育の進み方を見て判断される。
「王妃陛下が、お迎えになります」
ジェラルドは言い直した。
「王妃宮の女官長と、儀典部長が付き添います」
「ベルナール男爵令嬢は?」
「現時点では、王妃陛下のお客人として出席する予定です」
「王太子妃としての披露は行わない、と考えてよろしいですか」
「正式な審査が終わっておりませんので」
セドリックは、一つ目の書簡へ何事かを書き添えた。
「では、北方三国からの祝辞も、王太子殿下の生誕と両国の友好を祝う内容に留めます。ご婚姻への祝辞は含めません」
「それで結構です」
「王太子殿下とベルナール嬢が、最初の舞踏をなさる予定は?」
「それは……」
ジェラルドの返答が止まる。
昨夜まで、アルフレッドは当然のようにリリアと踊るつもりでいた。
だが、リリアの舞踏教師が戻れるのは十日後である。大夜会までに、人前で踊れる状態になる保証はない。
「まだ決まっておりません」
「決定はいつですか」
「一週間前までには」
「楽団へ曲目を伝える期限は、十日前と伺っています」
ジェラルドは、手元の予定表をめくった。
そこには確かに、曲目確定は開催十日前、と記されている。
「明日までに、王太子宮から方針を回答いたします」
「承知しました」
セドリックは、二つ目の書簡を開いた。
「次に、贈答品についてです」
北方の一国は、王太子の婚約者へ伝統的な毛織物を贈る予定だった。
エレノアが北方交易の拡大に協力したことへの謝意を込め、公爵家の銀色を意匠へ取り入れた品である。
すでに品物は完成し、使節団と共に王都へ運ばれていた。
「こちらは、グランフェルト公爵令嬢個人への品としてお贈りしても差し支えありませんか」
「大夜会の贈答品ではないのですか」
「当初は、王太子殿下の婚約者であり、交易に協力したグランフェルト公爵令嬢へ贈る予定でした」
「それならば、リリア嬢へ――」
言葉にした直後、ジェラルドは違うと気づいた。
交易へ協力したのはエレノアである。
公爵家の色で織られた品を、リリアへ贈る理由はない。
「失礼しました。エレノア様へお贈りください」
「大夜会の場で?」
ジェラルドはまた答えられなくなった。
エレノアは元婚約者であり、今回の大夜会には出席しない意向を示している。
その彼女へ、王太子とリリアが並ぶ会場で、婚約者として用意された品を渡す。どれほど丁寧に説明しても、余計な意味を持つだろう。
「公爵邸へ、直接お届けいただくことは可能でしょうか」
「使節団へ、そのように提案します」
セドリックは贈答品の欄へ線を引き、大夜会の予定から外した。
一つ回答するたび、次の変更が生まれる。
迎える者が変われば、祝辞が変わる。
踊る者が決まらなければ、曲目が決まらない。
受け取る者が出席しなければ、贈答の場所を変えなければならない。
ジェラルドは、書類箱を初めて見たときの自分の言葉を思い出した。
大半の準備は進んでいる。担当を替えれば済む。
確かに、会場も料理も用意されていた。
けれど、誰がどこに立つかが変わっただけで、整っていたものは一つずつ形を失った。
「最後に、出席者の確定についてです」
セドリックが三通目の書簡へ手を伸ばす。
「北方三国は、今お伝えいただいた内容を書面で確認したあと、明日の夕刻までに出席者を確定します」
「今日、確定していただくことはできませんか」
「責任者のお名前は確認できました」
セドリックはジェラルドを見た。
「次は、その責任者からの回答が、明日も変わらないことを確認する必要があります」
穏やかな言い方だった。
それでもジェラルドには、昨夜署名した自分の名が、今になって紙の上から重く返されてきたように感じられた。
「本日中に、修正した回答をお届けします」
「お待ちしております」
ジェラルドは三通の書簡の写しを受け取り、立ち上がった。
応接室を出ようとしたところで、控えていた従者がセドリックへ外出用の上着を運んできた。
「これから、王宮へお戻りになるのですか」
「いいえ。グランフェルト公爵邸へ伺います」
ジェラルドは足を止めた。
「大夜会の件で、エレノア様へ?」
もしかすれば、セドリックから頼んでもらえば、北方使節に関する部分だけでも確認してくれるかもしれない。
そんな期待が、わずかに浮かんだ。
だが、セドリックは首を横へ振った。
「北方の織物と、公爵領の染料を扱う新しい交易について、以前からお約束をいただいております」
「婚約を解消したあとも、ですか」
「グランフェルト公爵家との約束ですから」
セドリックは卓上の書簡を鞄へ収めた。
「エレノア嬢が王太子殿下の婚約者でなくなったことと、彼女が積み上げてきた仕事までなくなることは、同じではありません」
ジェラルドの腕には、王太子宮へ持ち帰る書類が抱えられている。
そのどれにも、今日の午後のエレノアの予定は記されていなかった。




