第七話 取り付け
秋の朝。
岡崎商会が開く前から、人が並んでいた。
十人。
二十人。
三十人。
レオンは窓から外を見て驚く。
「今日は多いな。」
岡崎も外を見る。
だが、様子がおかしい。
誰も笑っていない。
全員、不安そうな顔をしている。
「……来たか。」
店を開ける。
最初の客が言った。
「預けた銀貨を返してくれ。」
岡崎は帳簿を確認し、袋を渡した。
「ありがとうございます。」
男は礼も言わず帰っていく。
次の客。
「俺も返してくれ。」
さらに次。
「私も。」
レオンが慌てる。
「何なんだよ、今日は!」
岡崎は静かだった。
「噂だ。」
「噂?」
「誰かが流した。」
昼になる頃には村中に広まっていた。
『岡崎商会は潰れるらしい。』
『預けた銀貨は返ってこなくなる。』
『紙切れはただの紙になる。』
誰が言い始めたのか分からない。
だが。
人は不安になると、自分で確かめようとはしない。
先に動く。
午後。
預金は半分まで減っていた。
レオンが叫ぶ。
「岡崎!」
「このままだと銀貨がなくなる!」
岡崎は帳簿を見て計算する。
「まだ足りる。」
「でも、この勢いじゃ明日には空になる!」
「そうだな。」
岡崎は立ち上がった。
「広場へ行こう。」
村の中央広場。
岡崎は木箱の上へ立った。
村人たちはざわついている。
岡崎は大きな声で言った。
「預けた銀貨を返してほしい人は、全員返します。」
ざわめきが止まる。
「一枚残らず返します。」
一人の村人が叫ぶ。
「本当か!」
「もちろんです。」
「約束します。」
岡崎は倉庫の扉を開いた。
そこには銀貨が積まれていた。
もちろん、預金の全額ではない。
だが、それを知らない村人は息をのむ。
「見てください。」
「皆さんの銀貨はあります。」
「返してくださいと言われれば返します。」
「無理に預けてもらうつもりはありません。」
一人の老婆が前へ出た。
「私は……返してもらわない。」
周囲が驚く。
「なぜだ?」
老婆は静かに笑う。
「この人は嘘をつかない。」
「孫の薬代を貸してくれた。」
「返済が遅れても怒らなかった。」
「私は信用する。」
続いてハンスが前へ出る。
「俺も預けたままだ。」
パン職人も。
農民も。
少しずつ前へ出てくる。
「俺も。」
「私も。」
「預けたままでいい。」
列の後ろにいた者たちは顔を見合わせた。
やがて、一人、また一人と帰っていく。
銀貨を受け取らずに。
夕方。
岡崎商会。
レオンが帳簿を見て目を丸くする。
「減った預金が……戻ってる。」
それどころか。
新しく預ける人まで現れた。
「噂を聞いて来た。」
「全部返せるなら安心だ。」
岡崎は小さく笑う。
「信用は説明するものじゃない。」
「行動で示すものだ。」
その頃。
村の外れ。
馬車の中で報告を聞く男がいた。
「失敗しました。」
「村人は離れませんでした。」
バルドは静かに窓の外を見る。
「そうか。」
怒りはない。
むしろ興味が湧いていた。
「面白い。」
「普通の商人なら、金が尽きて終わる。」
「だが、あの男は違う。」
部下が聞く。
「次はどうしますか?」
バルドは微笑んだ。
「本人を潰しても意味がない。」
「信用を壊せ。」
「人は金では動かない。」
「恐怖で動く。」
その夜。
アルベルトは岡崎に言った。
「今日、お前は銀行になった。」
岡崎は首をかしげる。
「どういう意味です?」
老人は静かに笑う。
「金を預かるだけなら金庫番だ。」
「だが、人の不安を預かれる者だけが銀行家になれる。」
岡崎は夜空を見上げた。
まだ道は遠い。
村一つ守るだけでも、これほど難しい。
それでも。
彼は歩みを止めなかった。




