第六話 紙切れ一枚
岡崎商会には毎日のように村人が訪れるようになった。
銀貨を預ける者。
借りる者。
返済する者。
帳簿は一冊では足りなくなっていた。
レオンがため息をつく。
「銀貨を数えるだけで一日が終わる。」
岡崎は帳簿を閉じた。
「これじゃ駄目だ。」
「何が?」
「金が増えるほど仕事が遅くなる。」
その日の午後。
一人の農民が店へ来た。
「岡崎。」
「何でしょう?」
「預けた銀貨を返してくれ。」
岡崎は袋を渡す。
農民は受け取り、少し困った顔をした。
「重いな……。」
銀貨三十枚。
袋はずっしり重い。
農民は笑う。
「盗まれそうだ。」
その一言で岡崎の手が止まった。
(そうか。)
(持ち歩く必要があるから危険なんだ。)
翌日。
岡崎は一枚の紙を書いた。
『銀貨三十枚を預かる』
岡崎の署名。
日付。
印。
「これを持ってきてください。」
農民は首をかしげる。
「紙だけ?」
「ええ。」
「銀貨はいらない。」
「この紙を持ってくれば、いつでも返します。」
最初は誰も信じなかった。
「紙で金になるわけがない。」
当然だった。
ところが。
三日後。
農民はその紙をパン職人へ渡した。
「銀貨の代わりだ。」
パン職人は岡崎の店へ行く。
紙を見せる。
岡崎は銀貨を渡す。
「本当に換えられた!」
その噂は一気に広がった。
「銀貨を持ち歩かなくていい。」
「盗まれない。」
「軽い。」
レオンが驚く。
「紙がお金になった。」
岡崎は首を振る。
「違う。」
「紙じゃない。」
「信用がお金になったんだ。」
その夜。
アルベルトは一枚の預かり証を見つめていた。
「恐ろしい男だ……。」
「金そのものではなく。」
「信用を流通させ始めた。」
老人は確信する。
(これは商売じゃない。)
(文明そのものを変える。)
翌朝。
岡崎商会の机には、一枚一枚丁寧に書かれた預かり証が並んでいた。
銀貨五枚。
銀貨十二枚。
銀貨三十枚。
岡崎は一枚ずつ印を押していく。
レオンは不思議そうに眺めていた。
「本当に、この紙だけで取引する奴なんているのか?」
「まだ少ない。」
岡崎は笑う。
「でも、便利なものは必ず広まる。」
数日後。
村の市場。
パン職人の店で、一人の農民が紙を差し出した。
「パンを十個。」
パン職人は紙を見る。
少し迷う。
だが、岡崎の署名を確認すると頷いた。
「分かった。」
パンを渡し、お釣りとして新しい預かり証を渡す。
周りで見ていた村人たちがざわめく。
「銀貨を使ってないぞ。」
「紙だけで買い物した。」
「本当に使えるのか?」
一人、また一人と試し始める。
気が付けば市場では、銀貨よりも紙が行き交う場面が増えていた。
レオンは帳簿を見ながら興奮していた。
「岡崎!」
「預けられた銀貨が百枚を超えた!」
「村中の金が集まってきてる!」
岡崎は静かに頷く。
「いい傾向だ。」
「でも勘違いするな。」
「俺たちが集めているのは銀貨じゃない。」
「信用だ。」
その頃、隣町。
商人ギルドの倉庫では異変が起きていた。
「最近、この村から銀貨が流れてこない。」
帳簿を見た商人が首をひねる。
「おかしい。」
「取引は増えているはずなのに。」
部下が答えた。
「どうやら、銀貨を使わずに商売をしているそうです。」
「……何だと?」
「紙切れ一枚で取引していると。」
部屋の空気が変わった。
「馬鹿な。」
「そんなことができるわけがない。」
数日後。
バルドは自ら村を訪れた。
豪華な馬車。
立派な護衛。
村人たちは道を開ける。
彼は岡崎商会へ入り、机の上の紙を一枚手に取った。
「これが噂の紙か。」
岡崎は静かに答える。
「預かり証です。」
「紙切れじゃないか。」
「ええ。」
「ですが、この紙は銀貨と交換できます。」
バルドは鼻で笑う。
「もし、お前が死んだら?」
「もし店が燃えたら?」
「その紙は何の価値もなくなる。」
レオンが言い返そうとするが、岡崎が制した。
「その通りです。」
バルドは少し驚いた。
「認めるのか?」
「だからこそ信用が必要なんです。」
「紙に価値はありません。」
「価値があるのは、それを約束した人間です。」
バルドはしばらく岡崎を見つめていた。
やがて笑う。
「面白い。」
「だが、お前は長くない。」
「なぜです?」
「信用ほど壊しやすいものはないからだ。」
そう言い残し、バルドは店を後にした。
夜。
アルベルトは深刻な表情で言った。
「岡崎。」
「気を付けろ。」
「バルドは帰ったんじゃない。」
「調べに来たんだ。」
岡崎は頷く。
「分かっています。」
「次は噂では済まない。」
レオンが不安そうに尋ねる。
「何をしてくる?」
岡崎は窓の外を見る。
「信用を壊しに来る。」
「銀行を潰す方法は簡単だ。」
「一人でも『返してもらえない』と思えばいい。」
レオンは息をのむ。
「じゃあ……。」
岡崎は静かに言った。
「近いうちに来る。」
「預金を一斉に引き出す者たちが。」




