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 ローゼンタール暦573年。


 忘れることが出来ない……ということは、幸福なのか不幸なのか。


 エディウスが3歳の頃、初めてファーレン公爵家を訪れた時の記憶は鮮明だ。

 まるで初めて色がついた景色を見たときのように。そして、触れてくるクラウディアの手の温度をちゃんと温かいと感じたように。

 いつだって優しい気持ちで思い出せる。


 エディウスが、あの場所で家族と呼べる人たちと過ごした時間は、寂しいことなんてなかった。

 ディアと二人、少しずつ互いの気持ちを思いやり寄り添いあいながら、哀しいときは共に泣き、嬉しいときは共に笑い、楽しいことは分かち合い、怒ったときは宥められ、辛い記憶は癒されて。

 そんな子供時代を、姉と妹として過ごして、ずっと満たされていたのだ。


 それを幸せと言うのだと、エディウスは知ることが出来た。だから、あの8年間の記憶は、エディウスにとっての幸福だ。


 だけど……

 「絶対記憶」という加護を持って産まれてきたローゼンタールの第一王子、エディウス・ミカエル・ローゼンタールにとって、この世に生まれてから3歳までの記憶は、冷たくて暗いものがほとんどだ。それはまるで、灰色と黒と白だけで構成された世界のように。


 彼が生まれて間もなくの母の死。

 悲しみ打ちひしがれる父ユリウスに同情することなく、王太子の義務だからと周囲から後妻を迎えるように言われ、エディウスの養育は乳母に任された。


「エディウス殿下、お父上はアリア様を愛していらっしゃいました。もちろん殿下のことも愛していらっしゃいます。

 けれども、仕方がないのです。王家にとって、後継者を生み育てることは義務なのです」


 王太子である父の側近は、まだ1歳を超えたばかりのエディウスに型通りの説明だけをした。当然、彼はエディウスが理解をしているとは思っていない。

 エディウスだってそうだ。

 わからないけれど、ただ記憶している。

 そこには、なんの感情もない。


 やがて輿入れしてきた後妻ジョセフィーヌが懐妊すると、どういうわけかエディウスの周りの側仕えの顔が少しだけ入れ替わった。


 そして、エディウスが3歳を迎える数ヶ月前、第二王子となるセシルが誕生した。

 それから間もなく、毒物で乳母が死んだ。


「殿下……申し訳ありません……どうぞ、御身お大事に……お気をつけください」


 乳母は、母の元侍女をしていた女性だった。愛情は与えられていたのだと思う、だが彼女は臣下だった。エディウスに出された食事の毒見をして、乳母は逝ってしまった。最後にエディウスの身を案じる言葉を遺して。


 その後エディウスには、父である王太子ユリウスにより護衛が増やされるが、襲撃や事故が重なり側仕えや護衛が数人死んだ。


 とうとう父は、昔からの旧友であるファーレン公爵家の当主ラサニエル・アレックス・ファーレンに秘密裏にエディウスを預けることにした。


「すまない、ラサニエル。今の私には君しか頼る者がいないんだ。

 エディウス暗殺未遂の黒幕を特定し、突きつける証拠が集められない。かといって、これ以上王宮にエディウスを置いておくのも危険だ。今の私の立場では、あの子を守りきれない。父上は傍観の構えだ。

 だから頼む、時期が来るまで、どうかエディウスを内密に匿って欲しい」


 そうしてエディウスは、誰にも告げることなく見つかることなくファーレン公爵領に行くことになったのだ。

 身分を隠し、性別も偽り、公爵家の養女として。


 当時は幼かったから、ただ他人の都合で振り回されるのはどうしようもなかった。今となってはそれが何故だったのか理由も分かるし納得もしている。

 エディウスは、王族として生まれながらも決して幸せな幼少期を過ごしたわけでは無かったのだ。


 彼の持つ加護だってそうだ。

 ローゼンタール始祖王の頃から、直系王族のみに授かる加護。

 加護の種類は様々だが、この加護こそが王族である証であり、大地の精霊王の祝福だと言われている。

 父の加護は「豊穣」。しかし、エディウスの加護は「絶対記憶」だ。


「幸せな記憶だけを覚えていられたらよかったのに……」


 そう。

 エディウスにとっての幸せな記憶は全て、ファーレン公爵領で得たものだ。

 あの家で、ファーレン公爵家の家族として過ごした8年間の記憶が、エディウスを感情豊かな人間に育ててくれた。


 ローゼンタール暦569年、エディウスが11歳のとき、ローゼンタール国王が代替わりとなり、エディウスの父ユリウス・ライゼル・ローゼンタールが第35代国王に即位した。

 それと同時に、エディウスは王家の第一王子として呼び戻され、あれから4年。


 ミカというファーレン公爵家の美しく可憐な末姫は、もうどこにもいない。


 今エディウスは、15歳を迎えていた。


 個人の持ち物などにほとんど興味を持たないそんな彼が、「私の宝物」と称するものは、ガラスケースに丁寧に収められ寝台の側に飾られたテトという名のクマのぬいぐるみと、文箱に詰まったクラウディアからの手紙だけだ。



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