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「ミカ、おはよう。いい朝ね!」
今朝もミカの部屋には、クラウディアがやって来る。
公爵家に来た最初の朝だけは、長旅の疲れで熟睡していたミカの側で、クラウディアは本を読みながら、ミカが目を覚ますのをおとなしく待っていた。
だが、その翌日からは、毎朝必ず起こしに来るのだ。
おかげでミカは、決まった時間に目が覚めてしまうのだけれど、クラウディアに声を掛けられるまでは、じっと目をつむったまま待っている。
前に一度、先に起きて彼女を待っていたら、少しだけ残念そうな顔をされたからだ。
理由を尋ねたら、「だって、目が覚めたときに誰かがいた方が、ミカ、寂しくないでしょ?」と言っていた。「さみしい」がわからない自分に、「寂しくないように」って言うクラウディアがよくわからなかったけど、残念そうな顔は見たくなくて、それ以降は、声を掛けられるまで寝た振りを続けている。
それに、どうやら今まで寝起きが悪かったクラウディアが、ミカが来てから早起きするようになったと侍女達が話していたから、きっとこうするのが正解なんだと思う。
「……うん、おはよう、ディア」
「おはようございます、ミカ様。クラウディア様もお支度して、食堂へどうぞ」
クラウディアと一緒に入室してきたミカの専属侍女のサラが、窓のカーテンを開けながら、穏やかな声で二人に言った。サラは40歳くらいの子供好きな侍女だ。
ミカは当然だが、クラウディアも寝衣のままだ。
「ええ、よろしくね、サラ。ミカ、今日も森に行きましょ! じゃあまた、食堂でね。マリー私も着替えるわ」
クラウディアは、部屋の扉の側で控えていた彼女の侍女マリーの手を取ると、慌ただしく自室に戻っていった。
そうして、ミカの一日は始まる。
ファーレン公爵家の子供たちは、おそらく王宮よりもずっと自由でおおらかに育てられているのだと思う。
クリスティアンには、7歳の頃から家庭教師が付いるというが、それも午前中だけで、午後からはクラウディアやミカ達と遊んで過ごしてくれるというか、付き合ってくれている。
森で二人が遊んでいる……正しくは、クラウディアにミカが引っ張り回されているときも、近くで本を読んで過ごしていて、時々やり過ぎるクラウディアに声をかけてくれる。
クラウディアは控え目に言っても、お転婆だと思う。体力があって、ミカが公爵領に来たばかりの頃は、追いついていくのが大変だった。
もちろん彼女はミカを待っていてくれたし、助けてもくれた。
すごいのは、森でまったく迷うことがないのと、どんな動物たちも彼女に親しげだということだ。狼や熊でさえ、クラウディアいや、子供たちに危害は加えない。
あと、食べられる実や草をよく知っている。逆に毒になるものも。
そしてクリスティアンは、天気の変化に敏感だ。雨が降りそうとか、風が強くなりそうとか。あとは、川が増水して危険だとか、干ばつがおきそうとか。
どこで判断しているんだろう?と尋ねてみたけど、本人達も首を傾げて「なんとなく」と言っていた。不思議だ。
そんな二人と一緒だからか、森に行くときだけは供や護衛を付けなくても許可されていたのだと、ミカは思っていたが……
実はそうではなかったのだとミカが知ったのは、ミカが6歳になった頃だった。
その日は、いつものように三人で森に遊びに行っていた。
初夏のある日、森の奥にあるエレフィン湖の畔で、小動物たちと過ごしていたときだ。
「クリス、ディア、久しぶりだな」
突然、本当にいきなり声をかけられて、ミカはビクリと肩を竦ませた。
だが、兄妹はパアッと表情を輝かせる。
「大叔父さま! こんにちは」
クラウディアは、挨拶と同時にその男に抱きついた。
背が高く、長い焦げ茶の髪を結い、白い貫頭衣をまとった端整な面立ちの青年だ。深い緑色の瞳が理知的に笑んで、見た目の年齢よりも少し上に見えた。
クリスティアンは、姿勢よく立ち軽く頭を下げる。
「大叔父さま、こんにちは。お久しぶりでございます」
二人に大叔父と呼ばれた男は、クラウディアをぶら下げたまま、クリスティアンの頭に優しく手を伸ばす。
「クリスはずいぶん大きくなった。ディアは相変わらず元気だなあ。さて、この子は……マリアネラが言っていた子供かな?」
クリスティアンの頭を撫でながら、彼は、ぼんやりと自分を見上げているミカに視線を向ける。
クラウディアが腕を解いて男の隣に立ち、得意げにミカを紹介する。
「ミカよ、大叔父さま。私の妹なの。とってもいい子なのよ」
「ほう、ミカか。クリスとディアとよく森に遊びに来ているのは感じていたよ。皆も君が気に入っているようだ」
すっと流れるように、男はミカの前に立った。
「あの……はじめまして」
ミカは少し顔を引きながら、なんとか挨拶の言葉を返した。
ミカが感じているのは、よくわからない畏怖の感情だ。この男は普通じゃない、と全身の感覚が訴えている。
すると男の後ろから、ヒョイとクラウディアが顔をのぞかせた。
「ミカ、私達の大叔父さまよ。大地の精霊王のクレイダレスさま」
「え? 精霊王……さま? 大叔父?」
更に驚いて固まるミカに、精霊王クレイダレスは頷くと、ミカの前に膝をついて、その顔を近づける。
こうして間近にいると、精霊王は見た目よりもずっと……貫禄がある。ミカが今まで会ったことのあるどの大人達よりも、長く生きているような。
クレイダレスの深い緑の瞳が探るようにミカをのぞきこんだ。まるで初めてマリアネラに出会ったときと同じように。
そして、兄妹には聞こえない声で、ミカの耳元に顔を近づけ小さく囁いた。
「ミカ、君には確かに、我が祖父が与えた加護があるのだな」
「⁉」
かつての精霊王が、ローゼンタール王国の始祖であるレオナルドを王と認め、人民と共に精霊も護り、この地を治めていく者として盟約を交わし加護を与えたのは、564年前のことだ。
これをローゼンタール暦では、元年と定めている。
その加護は「武運長久」。以降、直系王族は何かしらの加護持ちで生まれてくる事になり、代々その加護を活かし、このローゼンタール王国を統治してきた。
そして国教として、大地の精霊王を信仰し、それは広くこの国の民達に浸透している。
長命の精霊達は、およそ500年を生きるという。ローゼンタール王国の国王は現在34代目だが、この精霊王クレイダレスの祖父の時代が、ローゼンタール建国の時代だったのだ。
「大叔父さま」
ミカが驚きで固まっていると、クリスティアンの遠慮がちな声が、精霊王を呼んだ。
クレイダレスは立ち上がり、兄妹を振り返る。
「ああ、クリス、わかっている。さあ、今日はもう帰りなさい。じきに雨が降る。私が家まで送ってやろう。また遊びに来るといい」
そう言われた次の瞬間、三人の子供達は屋敷の裏手、森の入口に立っていた。歩いて約半時の距離が一瞬だった。
ミカは唖然として立ち尽くしていたが、いつもと変わらないクラウディアに手を引かれて、部屋に戻ってきた。
ミカはぼんやりとしながら、サラに風呂に入れられて、室内着に着替えさせられていく。
その間ずっと、ミカは先程の出来事に考えを巡らせていたのだ。
ミカの知識では、とうてい理解できない経験だったから。
ミカは、公爵領に来てから多くの本を読んでいた。最初はクラウディアに勧められた絵本を手に取ったが、公爵家の図書室に案内され多くの価値ある書籍を目にしてからは、それに夢中になった。
当時3歳の幼子が難しい本を読むことに周囲の大人達は驚いたが、ミカの加護を知るマリアネラの言葉で、周囲はそれを見守ることにしたのだ。
クラウディアは素直に感心して、ミカに見習って、簡単な本から一緒に読み始めた。
彼女はミカと同じ時間を過ごすと決めていたからだ。
ミカは、絵本だけは寝る前にクラウディアに読んでもらうからと約束して、午前中の時間は、図書室の本を片っ端から読みふけった。
ただ、寝る前の絵本読み聞かせは、とっても好きだ。クラウディアの声は心地良いし、絵本の内容はすぐ眠くなる。彼女は時々子守唄を歌ってくれることもあって、ミカは毎晩あっという間に眠ることが出来た。
かくして、ミカの頭の中には、膨大な知識が蓄積されていた。そこにはローゼンタールの歴史や、精霊信仰のことなども含まれていたものの、先程の現象や兄妹の大叔父という内容に心当たりはなかった。
窓の外からは、激しい雨音が聞こえている。
夕食の時間になり、ミカはサラと共に、食堂へと向かった。
ファーレン公爵家では、ほとんど毎日家族揃っての夕食だ。
兄妹から、今日の話を聞いていた公爵夫妻は、ミカに視線を向けた。
「ミカ、あなたはクレイダレス叔父様とお会いして、どうだった?」
マリアネラが優しく問う。
「とっても不思議な方でした。その後気が付いたら森の入口にいたことも……」
「そうね。ミカあなたには、私達ファーレン公爵家のことを話しておかなければ、ね」
そうして知ったのは、ファーレン公爵家の歴史の一部。
マリアネラは、精霊王クレイダレスの弟ライクレアトスと、ファーレン公爵家始祖である当時の王弟ガイウスの娘フェアリーナの子供として、約200年前に生まれたことを。
フェアリーナは人としての生を望み、その55年後には死別。以降、妻を愛していたライクレアトスは、今も彼女の棺の傍で、約140年間眠り続けていること。
そして、クリスティアンとクラウディアは、先代の精霊王の血を引くマリアネラと人である現ファーレン公爵との間に生まれた子供達だということと、二人の不思議な力は、そこに由来するものだということ。
ファーレン公爵家は、大地の精霊王が棲む魔の森を守護する家系であり、同時に精霊王から愛されてもいる。
だから、魔の森で子供達が害されることは決してなく、むしろ護られているのだと、ミカは知ったのだった。
本日13時に次話更新します




