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ぼくがびっくりしていると、水の中に潜っていなくなってしまった。赤い尾びれがひらひらと潜っていくのが見えて、なんとなく見送ってから、ぼくは慌てて来た道を戻った。
山神さまだとか、金魚だとか、びっくりしたけど。
それよりも帰れなくなるんじゃないかとか、遅くなって怒られるんじゃないかとか、それのほうが気になっていた。
夕日の中を、虫取り網を振り回しながら汗だくで走る。
見慣れた道に出たときは、すごくほっとした。なんとか暗くなる前に、ぼくの家のマンションについた。
階段を駆け上がり、虫取り網を置いてから、勢いよく家のドアを開く。奥から、うるさい、とお姉ちゃんの声がした。
ぼくは無視して靴を脱ぎ捨てると、エアコンの効いたリビングを駆け抜け、ベランダに向かった。
金魚。
この間の夏祭りで、金魚すくいをして連れて帰った金魚を、ぼくは飼っていた。水槽に入れて七日目に死んじゃったけど。
お墓を作りたかったけど、うちには庭がない。
こっそりマンションの植え込みに埋めようかと思っていたら、お母さんが、ガーデニングのお花の鉢寄せに埋めていいって言うから、そこに埋めることにした。
ぼくが両手を伸ばしたくらいに大きい植木鉢だ。そこに金魚の死体をいれてお墓を作った。それからぼくは毎日、残った餌をお供えしていた。
今お母さんは買い物に行っているのか、家にいない。ちょうどいい。ぼくは大きな丸い鉢植えを両手で掘り返した。
だけど、掘っても掘っても、花の根が出てくるだけで、金魚の死体は出てこない。
「なにやってんの? あんた暑くないの?」
きったないわねえ、とお姉ちゃんがぼくを見ている。
「ねえ、金魚、ここに埋めてたんだけど」
「あんたがお墓作った後、お母さんがこっそり掘り起こして、生ゴミで捨ててたわよ。虫がわくからって」
生ゴミ。
お姉ちゃんの言葉に、ぼくは掘るのをやめた。
生ゴミ。ぼくの金魚も、死んだら晩ご飯の魚と同じで、生ゴミで捨てられちゃったのか。
ショックなのかガッカリなのか、腹がたつのか、よくわからなかった。
毎日餌をお供えしてたお墓は、からっぽだったというわけ。
お姉ちゃんはからかうように笑って言った。
「燃やしたら良かったのよ」
「なんで」
「燃やしたら腐らないし。あ、本当にやるのやめてよ。火遊びして大変なことになったら、あたしのせいにされるんだから。あんたすぐ本気にするんだから」
「焼き魚になっちゃうだろ」
まっかな金魚がこんがり真っ黒になるのを想像すると、ひどく残念な気持ちになった。
とにかくわかったことは、ぼくの金魚はもう生き返らない。
晩ご飯でみんながそろっているとき、ぼくはお父さんに聞いた。
「ねえ、人魚って、海の生き物だよね?」
昔読んだ絵本も、アニメも海を泳いでた。
「さあなあ。海だとは思うけどなあ」
お姉ちゃんはぼくをちらっと見て、鼻で笑った。
「人魚なんて架空の生き物でしょ。ほんとは船乗りが岩にぶつけて船を沈没させてたのを、人魚の仕業って怖がってただけって何かで見た」
「お姉ちゃん」
お母さんがたしなめる。けどお姉ちゃんは口をゆがめてから、ご飯を口に放り込んだ。
ぼくはお姉ちゃんを無視して、お父さんに話しかける。
「でも、半分魚だったら、川とか池にいても人魚だよね」
「下半身が魚だったら、海でも川でもいいのかもしれないなあ。どうした、川の探検で人魚でも見つけたのか」
お父さんの言葉に、ぼくはびくりとしてしまった。
「うん。まあね」
ぼくはご飯を口に放り込んで、ごまかした。
大人に言ってもわかりっこない。
「ばかみたい」
お姉ちゃんがしかめっ面で言う。またお母さんが、お姉ちゃん、とたしなめたけど、全然聞いていなかった。
次の日、ぼくはまた用水路をたどって、なんとか山の池にたどり着いた。
今日は地図を書きながら来たから、今度はまっすぐ家に帰れるし、また来るときも間違えずに来られる。
人魚は昨日見たときと同じように、池のふちの石にもたれて、手をぶらぶらさせていた。
ぼくを見て、びっくりしたみたいだった。
昨日みたいに強い言葉を投げられるかと思ったけど、人魚はにっこり笑った。クラスの女子と同じ、普通の女の子みたいに。
「なんだ、また来たの」
家の金魚の話をすると、池の人魚は、あきれかえった顔でぼくを見た。
「あたしの話聞いてなかったの? あたしがとても美しい金魚だったから、山の神様がこうして変化させてくださったのよ。あたし以外の、その辺の平凡な金魚なんか、助けてもらえないわ」
人魚は自慢げな顔で言った。
「それにあたしは死にかけたけど死んでなかったの。死んだら手遅れでしょ。ばかね」
「……それもそうか」
人魚はけっこうおしゃべりで、ぼくに自分のことをいろいろと話した。
去年の夏のお祭りで、町の子供に連れて帰られたこと。
ちゃんと水槽に入れてもらえなくて、すぐに死にかけたこと。
そして、用水路に捨てられたこと。
「藻に絡まってぶらぶら揺れてたら、山神さまが見つけてくださったの。水でも空気の中でも生きていけるようにしてくださったのよ。わたしの尾びれは美しいから、そのまま残してくださったの」
「でも、それって」
人魚は、池の水をすいすいと泳ぐ。
自由自在に、ぼくがみたことがないくらい、のびのびと泳ぐ。外は暑いし、ぼくはいつも汗だくだし、気持ちよさそうでうらやましいけど。
「それって、意地悪じゃない?」
「なんでよ」
人魚は急に不機嫌になった。
「だって」
尾びれがあるから、人魚はこの池にいないといけない。ずっとずっとここから出られない。
中途半端に、半分だけ人間になって、そりゃあ水槽に入れてもらえなくて死ぬことはないだろうけど、そのせいでここに閉じ込められてる。
お祭りの金魚すくいで獲られて、人間の家の水槽に飾られるか、山神さまの池に飾られるか、結局あんまり変わらないような気がする。こっちの方がずっと広いし、外だし、泳いでるのは気持ちよさそうだけど。
ぼくが来て話し相手になってあげないと、自分から誰かに会いに行くこともできないじゃないか。
「山神さまは、よく来るの?」
「ばかね、神さまはそんなに軽々しく姿をみせたりしないの」
「じゃあ、君はいつもどうしてるの? ひとりぼっちなの?」
少女は真っ赤な顔をした。
頬を膨らませて、眉をつりあげた。
「そんなことないわよ!」
叫んだ声が、木の間に響いた。
「蛙もいるし、蝶も鳥も来るし、ひとりぼっちじゃないわよ!」
「でも、話せないんだろう? 君は虫とか鳥の言葉がわかるの?」
おやゆび姫とか、童話の中では蛙とおしゃべりしてたけど。
少女は口を閉ざしてしまった。
「ねえ、名前は?」
あるの? っていいかけて、やめた。
少女は、頬を膨らませたまま答えてくれなかった。
怒らせてしまった。もう口をきいてくれないのかもしれない。
ぼくがあきらめて家に帰ろうと背中を向けると、小さな声が聞こえた。ぱしゃん、と音がして振り返る。
少女の尾びれが、水面を揺らしていた。
「あけ、って」
ふくれた顔で人魚がつぶいた。
「山神さまが、美しい朱って言ってくださったの。だから、わたしの名前は朱よ」
「あけ……?」
「赤色ってこと」
「……それって、名前?」
少女の眉毛がぎゅっと寄る。ぼくはすぐ、しまった、と思った。
「わかりやすくて、いい名前だね」
「わかりやすいってなによ。もっと他に言いようないの」
「うん、ええと。いいんじゃないかな。ぴったり」
ぼくが言うと、人魚は「そうでしょう」とうれしそうに、顔いっぱいに笑った。




