第6幕『イグジット・プロトコル』
ルカを寝かせたあと、俺たちはいったん部屋を出た。
あの小部屋は狭い。寝かせるだけならどうにかなるが、大人が何人も残るには向いていない。
扉をそっと閉めて、搬入口の方へ戻る。
ガルドたちは、さっきと同じ場所にいた。
トマスは壁際で横になったまま、まだ顔色が悪い。目は開いているが、起き上がれる状態じゃなさそうだ。
ミラもユリウスも、こっちを見た。
明るい話じゃないと分かっていて、それでも次を決める話を聞く顔だった。
セレスがひとつ息を整える。
「まず確認するけど、いつまでもここに留まるわけにはいかないわ」
落ち着いた声だった。
言い聞かせるんじゃなく、事実として置く言い方だ。
「ルカちゃんもトマスさんも、王都で診せた方がいい。少なくとも、救助できた人をこれ以上ここに置いておく判断はしたくない」
ガルドがゆっくり頷く。
「……村には、戻らにゃならん」
そこで声が少し低くなる。
「誰が戻って、誰が戻らんのか……あっちにも知らせんと」
義務だけじゃない。戻れなかったやつのことを、誰かがちゃんと口にしなきゃならない……そんな重さがあった。
ミラが膝の上で手を握る。
「母も……たぶん、待ってます」
絞るような声だった。
「何も分からないまま、ここで隠れてるだけは……無理です」
ユリウスも、小さく頷いた。
「……だよな」
俺は壁にもたれたまま、息を吐く。
「ルカとトマスは急ぎだ。村に戻して、できればそのまま王都に回したい」
言ってから、エナを見る。
ルカを寝かせて戻ってから、あいつは少し静かだった。考えるのは得意じゃないはずなのに、こういうときはちゃんと考えようとする。
「エナ」
「はいっ」
「帰るとき、ポータルはどこからでも繋がるわけじゃないよな」
エナはすぐには答えなかった。
少しだけ視線を落として、あの銀の円盤を思い出すみたいに空いた手を胸の前で握る。
「はいっ……たぶん、最初に来た場所じゃないとだめです」
慎重な声だった。
「ポータル、あの場所以外だと反応ないです。だから戻るなら、いったん十字路まで行く必要があると思います」
セブンがすぐ補足する。
《補足:帰還経路は固定点依存の可能性が高い。別地点での再現性は未確認。安全は保証できない》
セレスがこめかみを押さえた。
「つまり、確実に使える避難路は一本だけってことね」
一本だけ。
そう言われると、急に細く見える。
この街のどこまでが安全かも分からない。敵がどこにいるかも分からない。
その中で、帰り道だけが一本だ。
「で、問題はそこだけじゃない」
自然と視線が集まる。
「セブンのサーチに他の生存反応はない。でも……死体も見つかってない」
そこで場が少し止まった。
セブンがその沈黙を埋める。
《確認:半径二キロ圏内、人型動体は五体のみ。静止した人型反応も検出されず》
ガルドが床を見たまま言う。
「……逃げた連中が、もっと奥まで行った可能性もある。
だが……」
その先を、俺が引き取る。
「襲ってきた相手が連れ去ったって線がありえる。
それなら、死体がないのも説明つく」
口に出すと、部屋の空気がまた少し冷える。
ミラの指先が、膝の上で小さく縮こまる。
「……じゃあ、まだ生きてる人がいるかもしれないんですか」
細い声だった。
でも、その一言で十分だった。
セレスが、少しだけ低い声で言う。
「もうひとつ問題があるわ」
仕事の声だ。
柔らかさは残してるけど、中身は切っている。
「捜索は、そのまま接敵の可能性を意味する。
探しに行くとして、相手が何人いるのか分からない」
——接敵。
言い換えるなら、鉢合わせだ。
しかもこっちは、できれば安静が欲しい負傷者つき。
俺は壁にもたれたまま、床の一点を見る。
「……一旦、全員で村へ戻るか。
それとも、村人を連れて帰る側と、探す側で分かれるか……」
ユリウスが顔を上げた。
「分かれるのは……危なくないですか」
「危ないわよ」
即答したのはセレスだった。
「戦力を割るのら危ない、でも、時間をかけるのも危ない。だから困ってるの」
誰もすぐには返さなかった。
ルカとトマスを長くここに置くのはまずい。
でも、まだ生きている人間がいるなら、そのまま帰るのもまずい。
まともな正解がない。
「……五人を運ぶだけでも、安全とは言い切れない」
俺はぽつりと言う。
「でも、生存者がいるなら猶予は長くないはずだ。分かれるのが一番それっぽく見えるけど、相手の数も分からんのに戦力は割りたくない」
どちらが正解だとは決められない。
少なくとも、判断するには情報が足りてない。
——誰もすぐには返さなかった。
そこに、思わぬ方向から声が落ち、沈黙を破る。
「……三人、だ」
全員がそっちを見る。
壁際で横になっていたトマスが、薄く目を開けていた。
まだ顔色は悪い。唇も乾いてる。
けど、さっきより焦点は合っていた。
「襲ってきたの……三人……」
ミラがはっと身を乗り出す。
「トマス、無理しないで」
「……いや……聞いてた……」
掠れた声だった。
それでも、自分で話そうとしている声だった。
セレスがすぐにしゃがみ込む。
「短くでいいわ。分かるところだけ」
トマスは一度喉を鳴らした。
呼吸を整えてから、少しずつ言葉を出す。
「男が二人……女が一人……女が、指図してた……たぶん、あいつが頭だ」
オレの頭の中で、敵像が少しだけ形を持つ。
「他にいたかは……分からねぇ」
トマスはそこで一度目を閉じた。
思い出すだけで削られていくのが、見ていて分かる。
「オレたち、死体と一緒に……馬のいない馬車みてぇなもんに、詰め込まれた」
村の外れに残っていた轍。
蹄の跡がないのに、車輪の痕だけが残っていた、あれ。
「動力付き車両、か……」
セレスが眉を寄せたまま頷いた。
「……魔導式の車輌ね。やっぱり、普通の相手じゃないわ」
ガルドたちは意味までは分からない顔だった。
でも、まずい方向の話だってことだけは伝わっている。
トマスはもう少しだけ続けた。
「揺れは少なかった……荷台みたいだったけど……音も、馬車とは違った……」
そこまで言って、息が浅くなる。
エナがすぐそばに寄って背中へ手を添えた。
「あんまり無理しなくていいですっ」
トマスは小さく首を振る。
「……いや、まだ……」
ここで切ると駄目だと思ってる顔だった。
一度だけ大きく息を吸って、少し咳き込む。
それを越えて、また言葉が出た。
「生きてたのは……五人だ」
その場の空気がまた静まる。
「男は、オレとダン」
少し息を整えてから、トマスは続けた。
「女は三人……ヘルガのとこの奥さんと娘……それから、ミラの友達のサーシャ」
ミラの肩が小さく震えた。
「……サーシャ……」
名前を呼んだだけなのに、もう泣きそうな声だった。
トマスは目を閉じたまま続ける。
「オレたちは、死体と同じ部屋に入れられた。部屋には死体が二つ。
ダンは……そこで、だめだった」
誰も何も言わない。
ダンという名前だけが、その場に落ちた。
顔も知らない。どんなやつだったかもまだ分からない。
それでも、“三人死んだ”が急に数じゃなくなる。
トマスがもう一度、喉を鳴らす。
「女たちは、別に連れてかれた」
今度は別の沈黙が落ちた。
俺は何も言わず、セレスを見る。
セレスはもう考えていた。目の焦点が少し遠い。
「待って。名簿と照らす」
短く落としたあと、ほんの数秒。
それから、セレスがゆっくり顔を上げる。
「……今の証言と、ここにいる五人とで数は合うわ」
一拍。
「……残りで生きている可能性があるのは、その女性三人……」
ガルドの手が膝の上で強く握られるのが見えた。
ミラは顔を上げない。けど、サーシャの名前が出てからずっと呼吸が浅い。
ユリウスも何か言いかけて、結局やめた。
たぶん、全員が同じことに気づいたからだ。
「……紳士的に、男女で部屋を分けたってわけじゃないよな」
俺の言葉に、セレスが即座に返す。
「そうね。若い女だけ生かして、別に連れていったのは……」
そこでセレスも少しだけ言葉を切る。
言い切りたくない。
でも、もう分かってる。
「……多分、そういうことよ」
ガルドが喉の奥で何かを押し殺した。
ミラは今度こそ小さくこぼす。
「サーシャ……」
細い声だった。
でも、そこに全部乗っていた。
怖い。考えたくない。でも考えないわけにもいかない。
そういうもの全部。
俺は息をひとつ吐く。
冷静になったわけじゃない。
むしろ逆だ。
ただ、止まってる時間がなくなったことだけは、はっきりした。
「……急ぐ理由が、増えたな」
誰も頷かなかった。
でも、その沈黙ごと、もう次へ進むしかない空気になっていた。




