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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部4話『境界の救命戦線(サルヴェージライン)』
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第6幕『イグジット・プロトコル』


 ルカを寝かせたあと、俺たちはいったん部屋を出た。


 あの小部屋は狭い。寝かせるだけならどうにかなるが、大人が何人も残るには向いていない。


 扉をそっと閉めて、搬入口の方へ戻る。



 ガルドたちは、さっきと同じ場所にいた。

 トマスは壁際で横になったまま、まだ顔色が悪い。目は開いているが、起き上がれる状態じゃなさそうだ。


 ミラもユリウスも、こっちを見た。

 明るい話じゃないと分かっていて、それでも次を決める話を聞く顔だった。


 セレスがひとつ息を整える。



 「まず確認するけど、いつまでもここに留まるわけにはいかないわ」



 落ち着いた声だった。

 言い聞かせるんじゃなく、事実として置く言い方だ。



 「ルカちゃんもトマスさんも、王都で診せた方がいい。少なくとも、救助できた人をこれ以上ここに置いておく判断はしたくない」



 ガルドがゆっくり頷く。



 「……村には、戻らにゃならん」



 そこで声が少し低くなる。



 「誰が戻って、誰が戻らんのか……あっちにも知らせんと」



 義務だけじゃない。戻れなかったやつのことを、誰かがちゃんと口にしなきゃならない……そんな重さがあった。


 ミラが膝の上で手を握る。



 「母も……たぶん、待ってます」



 絞るような声だった。



 「何も分からないまま、ここで隠れてるだけは……無理です」



 ユリウスも、小さく頷いた。



 「……だよな」



 俺は壁にもたれたまま、息を吐く。



 「ルカとトマスは急ぎだ。村に戻して、できればそのまま王都に回したい」



 言ってから、エナを見る。

 ルカを寝かせて戻ってから、あいつは少し静かだった。考えるのは得意じゃないはずなのに、こういうときはちゃんと考えようとする。



 「エナ」


 「はいっ」


 「帰るとき、ポータルはどこからでも繋がるわけじゃないよな」



 エナはすぐには答えなかった。

 少しだけ視線を落として、あの銀の円盤を思い出すみたいに空いた手を胸の前で握る。



 「はいっ……たぶん、最初に来た場所じゃないとだめです」



 慎重な声だった。



 「ポータル、あの場所以外だと反応ないです。だから戻るなら、いったん十字路まで行く必要があると思います」



 セブンがすぐ補足する。



 《補足:帰還経路は固定点依存の可能性が高い。別地点での再現性は未確認。安全は保証できない》



 セレスがこめかみを押さえた。



 「つまり、確実に使える避難路は一本だけってことね」



 一本だけ。

 そう言われると、急に細く見える。


 この街のどこまでが安全かも分からない。敵がどこにいるかも分からない。

 その中で、帰り道だけが一本だ。



 「で、問題はそこだけじゃない」



 自然と視線が集まる。



 「セブンのサーチに他の生存反応はない。でも……死体も見つかってない」



 そこで場が少し止まった。

 セブンがその沈黙を埋める。



 《確認:半径二キロ圏内、人型動体は五体のみ。静止した人型反応も検出されず》



 ガルドが床を見たまま言う。



 「……逃げた連中が、もっと奥まで行った可能性もある。

 だが……」



 その先を、俺が引き取る。



 「襲ってきた相手が連れ去ったって線がありえる。

 それなら、死体がないのも説明つく」



 口に出すと、部屋の空気がまた少し冷える。

 ミラの指先が、膝の上で小さく縮こまる。



 「……じゃあ、まだ生きてる人がいるかもしれないんですか」



 細い声だった。

 でも、その一言で十分だった。


 セレスが、少しだけ低い声で言う。



 「もうひとつ問題があるわ」



 仕事の声だ。

 柔らかさは残してるけど、中身は切っている。



 「捜索は、そのまま接敵の可能性を意味する。

 探しに行くとして、相手が何人いるのか分からない」



 ——接敵。



 言い換えるなら、鉢合わせだ。

 しかもこっちは、できれば安静が欲しい負傷者つき。


 俺は壁にもたれたまま、床の一点を見る。



 「……一旦、全員で村へ戻るか。

 それとも、村人を連れて帰る側と、探す側で分かれるか……」



 ユリウスが顔を上げた。



 「分かれるのは……危なくないですか」



 「危ないわよ」



 即答したのはセレスだった。



 「戦力を割るのら危ない、でも、時間をかけるのも危ない。だから困ってるの」



 誰もすぐには返さなかった。



 ルカとトマスを長くここに置くのはまずい。

 でも、まだ生きている人間がいるなら、そのまま帰るのもまずい。


 まともな正解がない。



 「……五人を運ぶだけでも、安全とは言い切れない」



 俺はぽつりと言う。



 「でも、生存者がいるなら猶予は長くないはずだ。分かれるのが一番それっぽく見えるけど、相手の数も分からんのに戦力は割りたくない」



 どちらが正解だとは決められない。

 少なくとも、判断するには情報が足りてない。



 ——誰もすぐには返さなかった。



 そこに、思わぬ方向から声が落ち、沈黙を破る。



 「……三人、だ」



 全員がそっちを見る。

 壁際で横になっていたトマスが、薄く目を開けていた。

 まだ顔色は悪い。唇も乾いてる。

 けど、さっきより焦点は合っていた。



 「襲ってきたの……三人……」



 ミラがはっと身を乗り出す。



 「トマス、無理しないで」



 「……いや……聞いてた……」



 掠れた声だった。

 それでも、自分で話そうとしている声だった。


 セレスがすぐにしゃがみ込む。



 「短くでいいわ。分かるところだけ」



 トマスは一度喉を鳴らした。

 呼吸を整えてから、少しずつ言葉を出す。



 「男が二人……女が一人……女が、指図してた……たぶん、あいつが頭だ」



 オレの頭の中で、敵像が少しだけ形を持つ。



 「他にいたかは……分からねぇ」



 トマスはそこで一度目を閉じた。

 思い出すだけで削られていくのが、見ていて分かる。



 「オレたち、死体と一緒に……馬のいない馬車みてぇなもんに、詰め込まれた」



 村の外れに残っていた轍。

 蹄の跡がないのに、車輪の痕だけが残っていた、あれ。



 「動力付き車両、か……」



 セレスが眉を寄せたまま頷いた。



 「……魔導式の車輌ね。やっぱり、普通の相手じゃないわ」



 ガルドたちは意味までは分からない顔だった。

 でも、まずい方向の話だってことだけは伝わっている。


 トマスはもう少しだけ続けた。



 「揺れは少なかった……荷台みたいだったけど……音も、馬車とは違った……」



 そこまで言って、息が浅くなる。

 エナがすぐそばに寄って背中へ手を添えた。



 「あんまり無理しなくていいですっ」



 トマスは小さく首を振る。



 「……いや、まだ……」



 ここで切ると駄目だと思ってる顔だった。


 一度だけ大きく息を吸って、少し咳き込む。

 それを越えて、また言葉が出た。


 「生きてたのは……五人だ」



 その場の空気がまた静まる。



 「男は、オレとダン」



 少し息を整えてから、トマスは続けた。



 「女は三人……ヘルガのとこの奥さんと娘……それから、ミラの友達のサーシャ」



 ミラの肩が小さく震えた。



 「……サーシャ……」



 名前を呼んだだけなのに、もう泣きそうな声だった。

 トマスは目を閉じたまま続ける。



 「オレたちは、死体と同じ部屋に入れられた。部屋には死体が二つ。

 ダンは……そこで、だめだった」



 誰も何も言わない。

 ダンという名前だけが、その場に落ちた。

 顔も知らない。どんなやつだったかもまだ分からない。

 それでも、“三人死んだ”が急に数じゃなくなる。


 トマスがもう一度、喉を鳴らす。



 「女たちは、別に連れてかれた」



 今度は別の沈黙が落ちた。


 俺は何も言わず、セレスを見る。

 セレスはもう考えていた。目の焦点が少し遠い。



 「待って。名簿と照らす」



 短く落としたあと、ほんの数秒。

 それから、セレスがゆっくり顔を上げる。



 「……今の証言と、ここにいる五人とで数は合うわ」



 一拍。



 「……残りで生きている可能性があるのは、その女性三人……」



 ガルドの手が膝の上で強く握られるのが見えた。

 ミラは顔を上げない。けど、サーシャの名前が出てからずっと呼吸が浅い。

 ユリウスも何か言いかけて、結局やめた。


 たぶん、全員が同じことに気づいたからだ。



 「……紳士的に、男女で部屋を分けたってわけじゃないよな」



 俺の言葉に、セレスが即座に返す。



 「そうね。若い女だけ生かして、別に連れていったのは……」



 そこでセレスも少しだけ言葉を切る。


 言い切りたくない。

 でも、もう分かってる。



 「……多分、そういうことよ」



 ガルドが喉の奥で何かを押し殺した。

 ミラは今度こそ小さくこぼす。



 「サーシャ……」



 細い声だった。

 でも、そこに全部乗っていた。


 怖い。考えたくない。でも考えないわけにもいかない。

 そういうもの全部。



 俺は息をひとつ吐く。


 冷静になったわけじゃない。

 むしろ逆だ。


 ただ、止まってる時間がなくなったことだけは、はっきりした。



 「……急ぐ理由が、増えたな」



 誰も頷かなかった。


 でも、その沈黙ごと、もう次へ進むしかない空気になっていた。


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