第5幕『バイタル』
「……子どもは?」
セレスの問いに、ガルドたち三人の顔がまた少しだけ強張った。
でも今度のそれは、さっきみたいな“言いたくない”じゃない。
“どこから言えばいいか分からない”の方だった。
先にミラが答える。
「……います」
声が掠れていた。
「まだ、小さい子で……ずっと熱っぽくて……
さっきから、奥で寝かせてます」
「熱っぽい?」
俺が聞き返すと、ユリウスがすぐ首を振る。
「分からないんです。
熱があるのか、弱ってるだけなのか……
ずっとぼんやりしてて……水も、あんまり飲めなくて」
ガルドが低く続けた。
「この場所に連れてきてから、あまり動かしちゃいない。
奥の部屋に、寝かせてる」
——奥。
さっきから視界の端に入っていた、壁沿いの扉が並ぶ方だ。
俺がそっちへ目をやった、そのタイミングで。
「リク」
背後から、短い声が落ちた。
振り返る。
アリスだった。
いつの間に降りてきたのか、搬入口の影のところに立っている。
長い黒髪の先だけが、遅れて揺れた。
その姿に、ミラが小さく息を呑んだ。
ユリウスも一瞬だけ目を見開く。
——まあ、驚くよな。
けど、アリスが俺たちのすぐ横まで来ると、二人ともそれ以上は騒がなかった。
少なくとも、“こっち側”だとは分かったんだろう。
アリスは三人へ向けて、ほんのわずかに頭を下げる。
「型式番号LC-01-A-03。コードネーム、アリス・リドルです」
ミラがぱち、と瞬く。
「……かたしき?」
「いや、そういうのはいいから」
俺はすぐ挟んだ。
「アリスって呼んでやってくれ」
アリスが一瞬だけこっちを見る。
でも訂正はしなかった。
「奥を確認しました。
敵性反応なし。生活反応……一件、微弱です」
「子どもか?」
「はい」
一拍。
「単独での移動は困難と推察します」
……やっぱり、かなり弱ってるのか。
「案内、頼めるか」
「了解」
アリスはそう言って、すぐ奥へ向かう。
歩幅は小さいのに、妙に速い。
俺も立ち上がった。
「ガルドさんたちは、ここで休んでてくれ」
ガルドが反射的に何か言いかけたが、先にセレスが入る。
「大丈夫。私たちが見るわ」
仕事の声だった。
押しつけじゃない。安心させるための断定だ。
ミラが、唇を噛んでから小さく頷く。
奥の通路は、手前よりさらに暗かった。
壁は白い。
白いはずなのに、光が足りないせいで妙に青白く見える。
足音が響く。
床も、壁も、天井も、全部が固い。音の逃げ場がない。
並んだ扉のひとつが、少しだけ開いていた。
アリスがその前で止まる。
「この中です」
中は、小さかった。
というか……
たぶん、本来は人が寝るための部屋じゃない。
物を置くための空間に、無理やり毛布を敷いた感じだ。
壁際に寄せられた箱。開かない棚。意味の分からない金属の台。
その隙間、床に近いところで、毛布がひとつ膨らんでいた。
「……っ」
こっちの気配に反応して、毛布の奥がわずかに動く。
細い指が、端を少しだけ握る。
そのあとで、ようやく顔がのぞいた。
小さい。
十歳……いや、もっと下かもしれない。
頬は少しこけて、髪は額に張りついてる。
でも、目だけはちゃんと起きていた。
いや、“起きようとしている”の方が近い。
俺たちを見てる。
けど、見えてるものの意味が、まだ追いついていない。
「……だれ」
小さな声だった。
それでも、その場にいた全員がちゃんと聞いた。
視線は、真っ先にアリスへ向いていた。
この中じゃ一番背丈が近いし、前に出ていたのもアリスだ。
少なくとも、このメンツの中では一番親しみが持てるんだろう。
アリスが、一歩だけ前に出る。
いつも通り、まっすぐだった。
「わたしは、型式番号LC-01-A-03。コードネーム、アリス・リドルです。
あなたの安全確認を担当します」
……硬い。
毛布の中の子どもの目が、ぱち、と瞬いた。
完全に意味が分かってない顔だ。
だろうな。
俺だって初見なら分からん。
「いや、だから名乗りが硬ぇんだよ」
思わず口を挟む。
アリスが、無言でこっちを見た。
金色の目だけが、じとっと細くなる。
その圧を無視して、俺は子どもの目線までしゃがみこんだ。
「悪い。こいつ、ちょっと最初だけこうなんだ」
アリスを親指で示す。
「アリス。名前はアリスでいい。
ちゃんと味方だから、安心してくれ」
一拍遅れて、エナもひょこっと顔を出す。
大きい図体のくせに、出方だけ妙に遠慮がちだ。
「え、えっと……あたしはエナですっ。
こわくないですよっ」
その言い方のせいで、逆にちょっと怖がられてないか心配になる。
いや、まあ、今さら見た目のインパクトはどうしようもないんだけど。
セレスは少し後ろで膝を折って、声だけを柔らかくした。
「セレスよ。大丈夫、今は無理に起きなくていいわ」
最後に、俺が自分を指す。
「で、俺がリク」
短く、それだけ言う。
「助けに来た。ほんとに」
子どもは、毛布を握ったまま、順番に俺たちを見た。
アリス。
俺。
エナ。
セレス。
その視線の動きが遅い。
けど、ちゃんとひとりずつ見ている。
「……リク」
まず、俺の名前を繰り返した。
次に、アリスを見る。
「……アリス、おねえちゃん?」
横で、アリスの動きが一瞬だけ止まった。
で、たぶん本人の中では訂正しないと気が済まなかったんだろう。
「訂正します。
おねえちゃんではありません。アリスです」
「そこ訂正するんだ……」
思わず漏れる。
子どもは意味が分からないまま、でもちょっとだけ口元を緩めた。
たぶん、俺たちが言い争ってるんじゃない、ってことだけは分かったんだと思う。
「君、名前は?」
そう聞くと、少しだけ間があいた。
自分の名前を言うだけなのに、息を整えるみたいに時間がかかる。
それから、ようやく。
「……ルカ」
小さく。
でも、今度はちゃんと聞こえた。
「ルカ、か」
俺が繰り返すと、ルカはこくりと頷いた。
その頷き方も、力が足りない。
首が重そうだ。
アリスが、そこでしゃがみこむ。
「ルカ。接触判定を行います」
言ってから、一拍。
さすがにそのままだと伝わらないと判断したのか、珍しく少しだけ言い直した。
「……体の具合を、確認します。
痛みがあれば申告してください」
ルカは、ぼんやりしたまま頷く。
アリスの冷たい指先が、額に触れる。
次に首筋。手首。
ルカがびくっとするかと思ったが、そうはならなかった。
むしろ、冷たさが気持ちよかったのか、少しだけ目を細める。
「バイタル確認」
アリスの声が、機械みたいに落ちる。
「脱水症状、中度から重度。栄養状態、低下。
軽度の発熱を確認。感染症の兆候はありません。
現時点での断定はできませんが、ストレスと消耗と推察します」
セレスがすぐに拾う。
「歩かせるのは?」
「非推奨です」
一拍。
「短距離なら運搬補助前提で可能。
ただし、自力歩行は、かなりの消耗をまねくと推察します」
ルカは、話の半分も分かってなさそうな顔で、ただアリスを見ていた。
それから、ふっと小さく言う。
「……つめたい」
アリスが、ぴたりと止まる。
言い返すかと思ったが、今回はしなかった。
ルカの口元がまた少しだけ動いた。
笑った、ってほどじゃない。
でも、さっきよりほんの少しだけ、顔から怯えが引いていた。
よかった。
とりあえず、ここまでは。
目の前のこの子は、まだ“無事”とは言えない。
でも、ちゃんと名前があって、受け答えができて、俺たちを見てる。
それだけで、こっちができることは全然違ってくる。
「ルカ」
できるだけ、低くしすぎない声で呼ぶ。
「あとで、ここから出る。
そのために、もうちょっとだけ頑張れそうか」
ルカはすぐには答えなかった。
でも、毛布の端を握ったまま、ゆっくり頷いた。
そのあとで、息の隙間みたいな声で、小さく足す。
「……がんばる」
その動きの小ささが、逆に重かった。




