第4幕『接敵圏《エンカウント・レンジ》』
アリスが先行してから、少し遅れて俺も路地を抜けた。
セブンを腰に提げたまま、角を折れる。
視界が開く。
そこは、通りに面した低い建物の裏手だった。
正面から見たときはただの商業施設に見えたが、横へ回ると、外壁に沿って細い通路が伸びている。
その先、半分壊れたみたいに開いた搬入口の奥に、人の気配があった。
——薄暗い。
奥まで光が届いていない。
天井は高いのに、妙に息が詰まる……。
中央寄りの床に、三人。
座り込むように、かたまっていた。
さらに奥の壁には、いくつか扉が並んでいる。
「……っ」
最初にこっちへ気づいたのは、いちばん手前の女だった。
ひゅっと息を呑む。
肩が跳ねる。
隣の男も、反射で身を引いた。
その動きにつられて、もう一人もこちらを見る。
……どこかも分からない場所。
見たこともない形の建物。
たぶん、何が起きてるのかも分からない。
そこに、知らない人影が急に入ってくる。
……そりゃ、ビビるわな。
「ま、待ってくれ!」
俺は、とっさに両手を軽く上げた。
「敵じゃない! 助けに来た!」
声が、奥の壁に反射する。
三人の視線が、揃って俺に刺さる。
怯えと、疑いと、理解の追いつかなさが、全部そのまま顔に出ていた。
「……た、すけ……?」
掠れた声で、年配の男が繰り返す。
日に焼けた顔。
頬はこけて、唇は白く割れている。
服の汚れ方で、ここへ来てからも何度も動き回っていたのが分かった。
「……軍の、人……?」
別の女が、おそるおそる聞いてくる。
軍、って言葉が出るあたり、まだ状況を現実の延長で理解しようとしてる感じだ。
俺は一瞬だけ詰まって、それから首を振った。
「軍っていうか……説明はあとでちゃんとする」
一拍置いてから、続ける。
「リク、俺の名前」
短く、名前だけ出す。
「とにかく助けに来た。それだけ信じてくれ」
……我ながら、ずいぶん雑だ。
もっとマシな言い方はあった気がする。
でも、急に口が回るほど、こっちだって整理できてない。
三人は、すぐには反応しなかった。
ただ、視線だけは俺から外れない。
その沈黙の中で、奥にいた一番若い男が、喉の奥でひっかけるみたいに小さく笑った。
「……助ける、か」
笑った、っていうより。
その言葉を口にしたら、ようやく本当にそうかもしれないと思えた……
そんな顔だった。
「……来るわけ、ないと思ってた……」
その声で、張りつめていたものが少しだけ緩んだ。
隣の女が、口元を押さえる。
泣く寸前みたいな顔で、でもまだ泣けないでいた。
完全に警戒が解かれたわけじゃない。
でも、“会話ができる位置”には来た。
俺は、そこで一歩だけ踏み込む。
「……あんたら、あの村の人間でいいんだよな?」
三人が、わずかに顔を見合わせる。
それから、年配の男が頷いた。
「……ああ」
一拍。
「オレは、ガルドだ。畑やってる」
女が、少し遅れて続く。
「……ミラです」
若い男も、喉を鳴らしてから名乗る。
「ユリウス……です」
「……おっけ」
小さく頷く。
「改めて、リクっていう。俺の他に、あと三人。
さっき言った通り、助ける側で来てる」
そこへ、足音が近づく。
少し遅れて、エナが入ってきた。
胸の前で、ぐったりした村人を抱えている。
さっき路地で見つけた、あの男だ。
エナの腕の中で、頭がかすかに揺れる。
もうさっきよりは呼吸が安定しているが、それでも見て分かるくらい消耗していた。
「リクさんっ、連れてきました……!」
その声に、三人の視線が一斉にそっちへ向いた、次の瞬間。
「……トマス!?」
女が立ち上がりかけた。
けど、脚に力が入らないのか、途中でぐらつく。
それでも床に手をついて、半歩だけ前へ出る。
「トマス……!
トマス、生きて……」
言葉の最後が崩れる。
奥にいた年配の男も、目を見開いていた。
「お、おまえ……散り散りになったあと、姿が見えなくて……」
喜んでる。
たしかに、喜んでるんだ。
でも、でかくは出ない。
声を上げる体力も、感情を一気に噴き出させる余裕も、もう残ってないんだろう。
エナは、その反応にちょっとだけ目を丸くして、それからすぐに表情をやわらげた。
「知り合いの人、だったんですね……」
声を落として、そっと膝をつく。
抱えていた男。トマスを、三人の見える位置へゆっくり下ろした。
「まだ弱ってますけど、息はしてますっ。
お水も……少し飲めました」
その一言に、女が泣きそうなまま何度も頷く。
「……よかった……」
かすかに。
本当に、かすかにだった。
でも、さっきよりこの場の空気が人間のものに戻る。
助かった、って感情が、ようやく床に足をつけた感じがした。
俺はしゃがみ込む。
四人の顔を順に見る。
年配の男。
同年代くらいの女。
若い男。
それと、今エナが運んできたトマス。
そこで、背後に足音が重なった。
「……状況は?」
セレスだった。
路地側を一度振り返ってから、こちらに入ってくる。
完全に警戒は切ってない。けど、声は落ち着いている。
そのまま、俺の横にしゃがみ込む。
視線が一瞬で全員をなぞる。
人数、状態、配置——まとめて掴みにいく動きだった。
「……三人?」
小さく、つぶやくように落とす。
「……子どもは?」
俺が答える。
「奥だと思う」
セレスが頷き、三人へ視線を向ける。
ガルドが一瞬だけ戸惑いながら、声をかけた。
「あんたは……?」
それを受けて、セレスが名乗る。
「セレス・ヴェルスタン。
アストリア王国軍、監察官よ」
三人の反応が、はっきり変わる。
驚きと、警戒と、そして……少しの安心。
“肩書きが分かる存在”は、それだけで支えになる。
「王国軍……」
ユリウスが小さく呟く。
「じゃあ、本当に……」
言葉の続きは出ない。
でも、“助けが来たかもしれない”って感覚は、さっきより確かになっている。
セレスは、そこで一歩だけ距離を詰めた。
「詳しい話はあとでいい。
まずは状況を教えて」
視線はやわらかい。
でも、仕事の芯は通ってる。
そこで、俺が引き取る。
「無理に順番整えなくていい。
思い出せるとこからでいい」
三人は、不安気にお互いの顔を見合わせる。
先に口を開いたのは、若い男だった。
「……分からない」
絞り出すみたいな声だった。
「夜、急に景色が変わって……
気づいたら、ここにいた」
でも、そのあとが続かない。
女も、年配の男も、同じような顔をしていた。
頭の中には残ってる。けど、それがまだうまく並ばない。
だから、急がせない。
「大丈夫。
こっちで繋ぐから」
そう言うと、今度は三人が少しずつ喋り始めた。
「家にいたんです。晩ごはんの片付けしてて……」
「俺は外で、明日の段取り考えてて……」
「寝る前だった。布団に入るところで……」
「ここが、どこかも分からないし、村に戻る道もなくて……」
「だから、手分けして見に行こうって」
全部、ばらばらだ。
でも、中心だけは同じだった。
「……おっけ」
俺は一つずつ頷く。
「みんな、夜は普通に過ごしてた。
場所も、やってたことも別々。で、次の瞬間にはここにいた」
三人の顔を見る。
「そのあと、周りを探して、見つかった人間同士で固まった。
……って感じで、ここまでは合ってる?」
三人が揃って頷く。
よし。
じゃあ次だ。
「……ここに来てから、何があった?」
三人の顔が、また少しだけ曇る。
すぐには答えが出ない。
今度の沈黙は、さっきとは少し違って見えた。
何から話せばいいか分からないんじゃなくて、思い出したくないところで止まっている感じだ。
先に口を開いたのは、ユリウスだった。
「……最初は、周りを見て回ってました」
掠れた声で、少しずつ言葉を探す。
「ここがどこかも分からなかったし……
村の誰かがいるかもしれないと思って」
ミラも、小さく続ける。
「見つかった人同士で固まって……
それで、出られる道とか……
何かないか探して……」
ガルドが、低く息を吐く。
「それで、向こうで……人影を見た」
声はしっかりしているが、表情から苦悶が漏れる。
「最初は、知ってることがあるのかと思った。
オレたちと同じように、ここへ飛ばされた誰かかもしれん、と」
その言葉に、意識が少しだけ前のめりになる。
——連れて来られた村人以外に……人影がいた?
他の場所からも誰か連れて来られてたのか、
それとも、"この世界"の住人なのか……。
あるいは……。
ただ、こんな状況なら、向こうに希望を見たくなるのは当然だ。
「声をかけたんです」
ミラの肩が、そこで小さく強張る。
「おそるおそる……
近づきすぎないようにして」
ユリウスも、目を伏せたまま続ける。
「でも、そいつら……
なんか、おかしかった」
「おかしい?」
俺は、声を挟みすぎないくらいのところで返す。
ユリウスの喉が、上下する。
「人に見えるのに……。
こっちを見てる感じが、しなくて……」
ミラが口元を押さえる。
「話してるのに、会話してる感じじゃなくて……。
品定め、みたいで……」
ガルドが、低く続ける。
「それで、向こうが……。
こっちを見渡して……」
喉が止まる。
三人とも、同じところで息が詰まる。
この先が、ろくでもない話なのは察せる。
でも、どこまで起きたのかを口にするところで止まっている。
俺は少しだけ声を落とした。
「……大丈夫。
順番、整ってなくていい。
言えるとこだけでいいから」
ミラが、こくりと小さく頷く。
ユリウスも、一度だけ目を閉じて、それから言った。
「……逃げました」
短い。
でも、その短さの方が逆に重い。
「逃げた、ってことは」
そこまで言って、俺も止まる。
聞き方を間違えると、ここでまた固まるだろう。
でも、止めすぎても、たぶん前には進まない。
ガルドが、自分から絞り出した。
「殺されかけた」
空気が、ぴたりと止まる。
ミラの指先が震えていた。
ユリウスは、奥歯を噛んだまま下を向いている。
「そのとき……」
ガルドの声が、そこで引っかかる。
「何人か……」
それ以上、続かない。
でも、十分だった。
「……マジか」
ぽつりと漏れた。
……何者かに、この世界へ連れてこられた。
そこまでは、もうほとんど確定で見ていた。
だったら当然、そいつらが善意で動いてるはずもない。
悪意があるのも、最初から予想の範囲だ。
この世界に、そいつらの側の人間がいて。
見つかれば対立するかもしれない……。
そこまでは、覚悟してた。
——でも。
追われたとか、襲われたとか、そういう段階じゃない。
もう、実際にやられてる。
しかも、何人かは、たぶんもう戻らない……
考えてた中でも最悪の類。
……かなりヤバい状況だ。
そこで一回、頭を切り替える。
重さは分かった。
じゃあ次は、それをどう拾うかだ。
「……分かった」
ゆっくり言う。
恐怖は消えてない。
けど、三人の視線が少しだけ戻る。
「見た目は人間っぽい何かが来た。
そいつらに襲われて、みんな散った」
沈黙。
それから、三人がゆっくり頷く。
「……で、残ったのが今の四人、ってことだな」
「……はい」
返事は小さい。
でも、さっきより通っていた。
混乱そのものは消えてない。
けど、“今どの話をしてるか”は掴めている。
少しだけ、戻ってきた。
そのタイミングで、年配の男がもう一度口を開いた。
「……あのとき。
襲ってくる前、オレたちを見渡しながら……
なにか会話してた……。
意味はよくわからなかった…でも」
視線が揺れて、戻る。
「ひとつだけ、はっきり残ってる」
間。
「……“後始末”って、言ってた」
その一言で、空気が一段冷えた気がした。
——後始末。
言葉だけ見れば、なんでもない。
掃除とか、片付けとか、そういう側の響きだ。
なのに今ここで出ると、妙に冷たい。
少し遅れて、その意味が腹に落ちた。
偶然見つけて追われたんじゃない。
最初から……。
ここへ来た人間を、消しに来ていた。
「あなた達が、比較的動けてるのは……」
セレスが、後ろから静かに口を挟む。
「水や食糧がどこかにあったの?」
年配の男が驚いたようにそっちを見る。
「……食べられる物は、ない」
頷く。
「でも、奥に水のある部屋がある」
「水のある部屋?」
俺が聞き返すと、女が困ったように眉を寄せた。
「なんて言えばいいのか……。
白くて、つるつるした、小さい部屋で……」
若い男も手振りを交えて言う。
「ふたの付いた、変な形の器があって……
その中に、水がたまってたんだ」
……ああ。
頭の中で、形が繋がる。
「トイレ、か……」
思わず漏れた。
三人は揃って、きょとんとする。
「といれ?」
年配の男が聞き返す。
そりゃそうだ。
この世界に水洗トイレの概念はない。
「……いや、こっちの話」
今ここで説明して、なにか意味がある話じゃない。
でも、分かる。
あれは本来、飲み水じゃない。
口に入れるようなもんでもない。
けど、汚いなんて言えるような状況じゃない。
それが命を繋いだなら、この場ではそれが正しい水だ。
「……他に、同じ場所は?
水のある部屋。他にも見つけたか?」
三人の顔がまた曇る。
今度は若い男が首を横に振った。
「探した。
似たような建物も、上の階も……」
少し悔しそうに、奥歯を噛む。
「でも、ここだけだった」
「ここだけ?」
「はい……」
女が続ける。
「他にも、それっぽい扉はあったんです。
でも、開かなかったり……
開けても、まったく何もない部屋だったり……」
年配の男が、小さく吐き捨てるように言う。
「見た目だけ、って感じだ。
あるように見えて、中身がない」
……なるほど。
トイレが再現されてるのは、一箇所だけ。
他の設備は抜けてる。
その雑さに、妙な既視感があった。
遠くから見れば、それっぽい。
近づくと、必要なところだけある。
必要でもないところは、平気で省かれてる。
「……まさにゲームの街マップだな。
雑に作りすぎだろ」
小さく漏れた。
セレスが横目でこっちを見る。
「……街マップ?」
「あー……いや、こっちの話。”作り物の街”みたいな意味」
独り言のように続ける。
「手ぇ抜くなら、せめて飲み水くらいもう少し置いとけって話だけどな」
自分で言ってから、少しだけ奥歯に力が入る。
たぶん、この街は……。
そういう作られ方をしてる。




