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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部4話『境界の救命戦線(サルヴェージライン)』
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第7幕『二体接近』


 誰も頷かなかった。

 でも、その沈黙ごと、もう次へ進むしかない空気になっていた。


 最初に口を開いたのは、セレスだった。



 「……方針を決めるわ」



 声は低くない。

 けど、さっきまでより一段だけ硬い。



 「私はともかく、リクくんたちは正式な軍属じゃない」



 視線が、俺、アリス、エナを順に通る。



 「未知の場所を調べるだけなら、まだ私の責任で押し通せたかもしれない。

 でも、もう違う」



 そこで、言葉が少しだけ重くなる。



 「明確な敵対勢力が確認された以上、

 王国軍所属の立場であなたたちを預かっている私が、命の危険に晒してまで任務を続行させるわけにはいかない」



 ……まっとうだ。

 というか、たぶん、俺たちをここまで連れてきてる時点で、監察官の立場としてはもうだいぶ無理してる。


 セレスは、そのまま続けた。



 「一度、全員で戻る。

 軍本部へ報告して、救援を要請する。

 それから、本格的な捜索体制を取れる部隊に引き継ぐ」



 そう言い切った。

 迷いを消すために、自分でも少し強めに言ったのが分かる。



 ガルドたちは、すぐには何も言わなかった。

 助けられた側で、しかもルカとトマスはもう限界に近い。


 ここで『三人を助けてくれ』と言える立場でも、状況でもない。



 俺も、すぐには口を挟まなかった。

 ……セレスの言葉は、間違いなく筋は通ってる。


 けど。



 「……やですっ」



 真っ先に食い下がったのは、エナだった。


 声は大きくない。

 でも、はっきりしていた。


 全員がそっちを見る。

 エナは、その視線を受けても引かなかった。



 「やです」



 さっきより、少しだけ低い声で言い直す。



 「ルカちゃんとトマスさんを戻すのは、ぜったいにその方がいいですっ。

 でも……でも、それで終わりにはしたくないです」



 胸の前で、ぎゅっと手を握る。



 「まだ生きてるかもしれない人、いるんですよね……?」



 ミラが、はっとしたみたいに顔を上げる。

 サーシャの名前が出てから、ずっと沈んでいた顔だった。


 エナは気づいてた。

 気づいてたから、そこで止まれないんだろう。



 「急がないと、だめだと思うんですっ」



 セレスが、すぐには返さなかった。

 否定したいんじゃない。

 否定できないからこそ、返し方を選んでる顔だ。


 その横で、アリスが一歩だけ前へ出る。



 「進言します」



 いつも通り、硬い声。


 でも、間の取り方だけで分かる。

 ただの補足じゃない。



 「当該敵対勢力が、先行して撤収、あるいは対象を移送した場合、救援到着時には状況が変化している可能性が高いです」



 セレスがアリスを見る。



 「……つまり?」


 「時間経過は不利です」



 短い。

 けど、それで足りる言葉だった。



 「現在判明している敵性個体数は三。

 対して、こちらは退路を既に確保しています。

 救援要請は必要と認識しますが、完全撤収のみを選択した場合、未発見生存者の救出可能性は低下します」



 ミラが膝の上で握っていた手に、少しだけ力を込めたのが見えた。


 セレスは眼鏡の位置を直す。

 その指先が、ほんの少しだけ早い。



 「分かってるわ」



 感情を押さえた声だった。



 「分かってるけど、それでも私は“行けるかどうか”じゃなく、“行かせていいかどうか”で判断しなきゃいけないの」



 ……そうだ。

 今この場では、“預かっている”のはセレスだ。

 まして、俺たちは自分の部下ですらない。

 誰かの勇気を利用して、危ない方へ押し出す立場にはない。


 この場で“止める側”に立てるのは、セレスしかいない。

 だから、そこから逃げていない。


 ……でも……。



 「……セレス」



 俺は、そこでようやく口を開いた。


 セレスがこっちを見る。

 少しだけ警戒してる顔だ。

 たぶん、俺が“それでも行く”って言い出すと思ったんだろう。


 ……半分は当たりだ。



 「一旦戻る、でいい。

 本部への報告と救援要請は必須だ。そこは俺もそう思う」



 セレスの目が、わずかに細くなった。

 でも、まだ続きがあるとも分かってる顔だ。



 「ただ」



 俺は足元に視線を落として、言葉の順番を頭の中で揃えた



 「報告はセレスに任せる。

 俺たちは、そのあと斥候として戻ってくる」



 ガルドたちが息を呑む気配があった。

 でも、そこで止まらず続ける。



 「本隊と合流するまでの情報収集だけだ。

 退路は常に確保。

 生存者を見つけても、接敵の可能性があるなら戦闘はしない。

 位置だけ取って、すぐ引く」



 無茶を通す話じゃない。

 無茶の幅を、どこまで削れるかだ。



 「先に戻る。

 そのうえで、本隊が動くまでの空白を、偵察で埋める」



 セレスは、すぐには答えなかった。

 顔つきは変わってない。

 でも、目の奥だけが忙しい。


 

 「……それ、結局戻ってきてるじゃない」



 少し遅れて、そう返ってきた。



 「ああ。戻ってくる」



 誤魔化さずに言う。



 「でも“捜索隊”じゃない。

 先に見て、すぐ引く"先遣隊”なら、まだ話が通る」



 「通らないわよ」



 即座に返された。

 でもその声は、さっきより少しだけ低い。


 怒ってるわけじゃない。

 真面目に困ってる時の声だ。



 「敵がいる場所に戻るのよ?

 接敵しないつもりで接敵するのが、一番よくある事故でしょうが」



 セレスが息をついた。

 眼鏡の奥で、諦め半分、まだ抵抗半分みたいな顔をしている。


 一度だけ、奥の通路へ目をやる。

 ……ルカたちのいる方だ。


 それから、眼鏡の位置を直して言った。



 「……報告は、村長に私の書簡を託して先に走らせる」



 その声でもう分かった。

 断るんじゃない。責任を持てる形に組み直したんだ。



 「本部への正式報告と救援要請は、それで手配する。

 捜索には、私も同行する」



 エナが、ぱっと顔を上げた。

 アリスは無言のまま、わずかに視線を細める。


 俺は、壁から背を離した。



 「……いいのか?」



 聞き返すと、セレスはすぐに頷かなかった。


 ほんの少しだけ口元がきつくなる。

 それから、言う。



 「よくないわよ」



 はっきりしていた。



 「本当は、全員まとめて戻して終わりにしたい」



 そこで一度、言葉が切れる。

 でも、逃げなかった。



 「でも、救援が到着するまでの時間に意味があるのも事実。

 だったら、現場責任者として目の届く範囲でやるしかないでしょう」



 その言い方で、ようやく形が決まった。

 俺たちの意見を飲んだ、というより。

 セレスが責任を持てる形に、無茶を削り直したんだ。


 俺は、そこで少しだけ肩の力を抜いた。



 「……悪い。ありがとな」



 セレスが、わずかに眉を上げる。



 「どっちに?」


 「両方」



 俺は、少しだけ口角を上げる。



 「立場的には止める方が正しいのに、エナとアリスの気持ちを拾ってくれた」



 言いながら、ちらっと二人の方を見る。


 エナはまだ真剣な顔のままだし、アリスは無表情だ。

 でも、あそこで完全に切られてたら、たぶんどっちも納得はしなかった。



 「……そのうえで、ちゃんと責任取れる形に直してくれた。正直、助かった」



 セレスは一瞬だけ黙って、それから小さく息をついた。



 「そういう言い方されると、私が“頼れるお姉さん”みたいじゃない」


 「いや、今さらそこは否定しないだろ」


 「やめて。変に褒められると、あとで一人で反芻して勝手に恥ずかしくなるタイプなの」


 「面倒くせぇな、その自覚あるのかよ」


 「あるわよ。

 残念ながら、あるのよ」



 それだけ返して、セレスは咳払いをひとつした。


 少しだけ緩んだ空気を、自分でちゃんと仕事の方へ戻すための咳払いだった。



 方針が決まると、空気は少しだけ動き出した。

 さっきまで、この場にあったのは判断の重さだった。

 でも今は違う。


 戻る。

 報告を飛ばす。

 そのうえで、もう一度入る。


 危ないのは変わらない。

 けど、少なくとも“次に何をするか”だけは決まった。

 人間って、たぶんそれだけで少し息ができる。



 「じゃあ、先に動ける形を作るわよ」



 セレスが、仕事の声で言った。



 「村に戻ったら、村長に書簡を預ける。王都への伝令手配は私が文章を作るから、その間にリクくんたちは出発準備。……って流れになるわね」


 「了解」



 俺が短く返すと、セレスは手帳を開いて、何かを確認しはじめた。

 眼鏡を押し上げる指先が、さっきより少しだけ早い。

 頭の中では、もう必要な文面と報告順を組んでるんだろう。


 こういう時、本当に仕事が早い。

 ガルドも、ゆっくりと背を伸ばした。



 「……なら、わしらも戻る支度をせんとな」



 声はまだ重い。

 でも、さっきまでみたいな“止まってる声”じゃなかった。


 ミラは、トマスの様子を見てから、小さく頷く。



 「ルカにも、ちゃんと話さないと……」



 その言葉に、エナがぱっと顔を上げた。



 「じゃあっ、あたしが行きますっ!」



 反射みたいに言ってから、少しだけ声を落とす。



 「……ルカちゃん、一人で不安だと思うので」



 セレスが顔を上げた。

 少しだけ考えて、それから頷く。



 「ええ、お願い。怖がらせないようにね」


 「はいっ!」



 返事だけは、いつも通り元気だった。

 でも、くるっと踵を返す前に、エナは一瞬だけルカのいた奥の通路を見た。

 たぶん、あえて明るくしようとしてる。

 自分で分かってるんだろう。


 ああいう時のエナは、わりと頑張って空気を持ち上げようとする。考えるのは得意じゃないくせに、場の温度には妙に敏い。



 「アリスも行くのか?」



 俺が聞くと、アリスは少しだけ間を置いてから頷いた。



 「同行します」



 いつも通りの声音。



 「歩行補助および運搬支援の事前準備を行います。

 加えて、ルカの心理安定にも一定の寄与が見込まれます」


 「最後だけ自分で言うなよ」


 「事実です」


 「はいはい」



 横からセレスが、ほんの少しだけ口元を緩める。



 「アリスちゃん、ルカちゃんには“型式番号”から入らないであげてね」



 アリスが、無表情のままセレスを見る。



 「努力目標として受領します」


 「努力目標なんだ……」



 思わず漏らすと、アリスはじとっとこっちを見た。

 その視線の圧だけで、

 “余計なことを言いましたね”

が伝わるの、ずるい。


 エナが、そんなアリスの手首を軽く引く。



 「いきましょ、おねーちゃんっ」


 「私は“おねーちゃん”ではありません」


 「でも、ルカちゃんから見たら、おねーちゃんですっ」


 「定義の拡張が雑です」



 そう言いながらも、アリスは手を振りほどかなかった。

 二人が奥の通路へ消えていくのを見送る。

 あの感じなら、少なくともルカは少し安心するだろう。


 ガルドが、その背中を見ながらぽつりと言った。



 「……賑やかな連中だな」


 「すみませんね」



 俺が返すと、ガルドは首を振った。



 「いや……悪くない」



 短いけど、それで十分だった。

 ミラも、少しだけ頬をゆるめた。



 「ルカ、ああいう子……好きだと思います」


 「どっちだよ。エナ? アリス?」



 聞くと、ミラは困ったように笑う。



 「……両方、です。

 たぶん、今は特に」



 それは、なんとなく分かる。

 エナは見てて分かりやすく明るい。

 アリスは硬いけど、子ども相手なのに妙に律儀だ。

 ああいうのは、弱ってる時ほど効く。


 少しして、奥の方からエナの声が聞こえた。



 「ルカちゃーんっ、準備、ちょっとずつしますよっ」



 そのあとで、少し小さくなる。



 「こわくないですっ。たぶん、いちばんこわいのはアリスおねーちゃんの自己紹介なのでっ」


 「訂正します。発言内容に悪意を確認」


 「えへへっ、ばれましたっ」



 通路の向こうで、ルカの小さい笑い声みたいなものが、かすかに混じった。


 ほんの短く。

 でも、たしかに聞こえた。


 ミラが、口元を押さえる。

 泣きそう、というより。

 張りつめすぎてた糸が、やっと少しだけ緩んだ顔だった。



 「……ルカちゃん、強い子ね」



 セレスが、手帳に視線を落としたまま言った。



 「強いっていうか、頑張り屋だな」



 俺が返すと、ガルドが小さく頷いた。



 「……あの子は、泣く前に我慢する」



 短い言い方だった。

 でも、それで大体伝わる。

 そういう子なんだろう。


 俺は、壁に寄りかかったまま、奥の通路へ目をやる。

 さっき見た、毛布の端を握る小さい手が、頭の中に残っていた。


 怖い。

 しんどい。

 でも、頷く。


 ああいうのは、たぶん、後からくる。

 だからせめて、戻るまでの間くらいは、少しでも安心させてやれたらいい。



 ——その時だった。



 奥で、エナがピタリと止まる。



 「……っ」



 顔が上がる。

 さっきまでの柔らかい表情が、一瞬で消える。

 エナの、いつもの"嫌な予感"……。


 まずい、と言葉になるより早く、セブンが走った。



 《広域サーチ》


 「拾ったか!?」


 《二体接近中。いずれも人型》



 床の奥で、誰かの喉が鳴った。



 「方角と距離!」


 《方位:搬入口方向。距離約二キロメートル》



 セブンの声が、低く続く。



 《対象は屋上間を跳躍しつつ、周辺を索敵中。

 移動速度は常人の範囲を逸脱。高練度、かつ高戦闘力個体と推定》



 ……二キロ先。


 まだ近いわけじゃない。

 でも、安心できる距離でもない。

 探してる。しかも、ただ走ってるんじゃない。

 上を使って、見渡しながら、絞ってきてる。



 《進行方向は、当該区画へ漸近。

 ただし現時点では、この地点を特定したとは断定できない》



 断定はできない。

 けど……時間の問題かもしれない。



 「……哨戒ね」



 セレスの声が、すぐに落ちた。

 もう完全に仕事の顔だった。



 「全員、声を落として。

 今からは、見つからないのが最優先よ」



 短く、でも迷いがない。



 「ガルドさんたちは奥へ。壁から離れないで。

 ルカちゃんとトマスさんは寝かせたまま、毛布で輪郭を消して。

 物音を立てない」



 視線が一瞬で室内をなぞる。

 どこが見られやすいか、どこに人影が残るか、もう計算している目だった。



 「エナちゃん、ルカちゃん優先。

 アリスちゃんは搬入口の視線を切れる位置を確保。必要なら遮蔽物を作って」


 「了解ですっ」



 エナは即答して、すぐにルカの方へ身を返した。

 さっきまでの明るさを引っ込めて、今度は守るための顔になる。



 「了解。視線遮断を最適化します」



 アリスも短く返して、搬入口の見える角度へ滑るように移動する。

 足音ひとつ、残さない。


 空気が、すっと細くなる。

 誰ももう余計なことは言わなかった。

 息を潜めたまま、それぞれが自分の役割へ沈む。


 遠くの跳躍音が、まだ聞こえもしないのに。

 もう全員、次に鳴る“何か”を待っていた。


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