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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部3話『不穏な影』
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第9幕『空っぽの、俺の世界』



 ……気まずい。



 いや、空気がとかじゃない。さっきのあれだ。


 “俺がカギだ”とか言っておいて、結局ポーチだったやつ。

 誰も何も言わない。でも、言わないだけで、忘れてもいないのが分かる。



 ……つらい。



 「……とりあえず」



 咳払いをひとつしてから、できるだけ平静を装って言う。



 「原因は分かったんだし、次いくか」



 俺はそのまま腰のポーチを外し、革の口を開けて中を覗き込んだ。


 小物、予備の紐、火打ち石。それに、いつの間にか増えてるよく分からん雑多なやつ。



 ——で。



 「……なんかそれっぽいの、っていえば……」



 一瞬だけ迷ってから、指先でつまみ上げる。



 「……たぶんこれだな」



 取り出したのは、銀色の円盤だった。

 白衣の男から渡されたやつ。ポータルとか呼んでいたあれだ。


 表面は鈍く光り、よく見ると細い線が何重にも刻まれている。その線が、見る角度によって微妙に表情を変えるのが、妙に気味が悪い。


 それを、そのまま十字路の中心へ近づける。


 ……。



 「……お」



 円盤の表面。刻まれた線の一部が、ほんのわずかに光った。

 強くじゃない。でも、確かに。



 《観測:当該空間揺らぎとの共鳴を確認》



 セブンの声が、すぐに重なる。



 《評価:高い相関性》



 「……ビンゴっぽいな」



 円盤を軽くひっくり返しながら、俺は息を吐いた。


 ……で。



 「これ、なんだけど……」



 顔を上げた瞬間。



 「…………」



 アリスが、半歩だけ下がっていた。

 無表情のまま。けど、明らかに距離を取っている。



 「それを、まだ所持していたのですか」



 声はいつも通りだが、温度が低い。



 「廃棄を再提案します」


 「いや、ちょっと待て!?」



 反射で返す。



 「さすがに、捨てる訳にはいかねぇだろ!」


 「理解不能です」



 バッサリだった。



 「当該物品は、不審度および不快度の両面において、保持価値が認められません」


 「言い方ァ!!」



 横で、エナが顔をしかめる。



 「うわっ。……それ、まだ持ってたんですかっ……」


 「お前もかよ!?」



 露骨すぎる。



 「いや、だってこれ……あの人のやつじゃないですか……」



 “あの人”。


 説明しなくても通じるあたりが、もう嫌だ。


 セレスが腕を組み、少し首を傾げながらこちらを見る。



 「……それ、なに?」


 「正体不明の、白衣着た男から渡されたやつ。ポータルとか言ってた」


 「ポータル……?」



 小さく繰り返してから、セレスの視線がエナに向く。



 「あなた、分かる?」


 「……えっと」



 エナが一瞬だけ迷い、それから仕方なさそうに一歩前へ出た。



 「たぶん……ちょっとだけ」



 そう言いながら円盤を見る。

 ……いや、“見る”っていっても、ちゃんと距離を取ってる。



 「……貸してもらっていいですかっ」


 「お、おう」



 差し出すと、エナはそれを指先でつまんだ。なるべく触れないように、虫でも掴むみたいに。



 「……うわぁ……」



 小さく、でもはっきり言う。



 「おい」


 「ごめんなさい、でもこれ……」



 顔をしかめたまま、エナが続ける。



 「リクさん、これ渡された時、あの男どこから取り出しました?」


 「え?」



 思い出す。



 「……白衣の内ポケットだけど」



 一拍。


 エナが、口元を露骨に歪めながら、目を閉じた。



 「……ですよね……」



 心底嫌そうな声だった。



 「あの人……いっつも、そこに入れてるんです」


 「は?」


 「つまりこれ……」



 エナが円盤を見下ろす。



 「ずっとあの人が、"肌身離さず、懐で温めてたやつ"ってことです……」



 ……。



 「…………」


 「…………」



 ゾッとした。



 「やめろ!!」



 即座に叫ぶ。



 「オレ、顔の前でクルクル回したりしてたんだぞ!?」


 「うわっ……」


 「“うわっ”じゃねぇ!!」



 横で、セレスが肩を震わせる。



 「……ふっ」


 「笑うな!!」



 アリスは無表情のまま、さらにわずかに距離を取った。



 「衛生観念の問題ではありません。存在そのものが不快です」


 「お前それさっきから強くない!?」



 エナが、ぐっと息を止める。

 それから覚悟を決めたみたいに言う。



 「……正直、触るのも嫌なんですけど」


 「だろうな!!」


 「でも」



 ちらっとこっちを見る。



 「リクさんの成分で、浄化されたことにします!」


 「なんだよオレの成分て!!」



 反射で返す。



 「なんかこう……キラキラしてて、いい匂いのヤツです!」


 「それもなんか嫌だわ!!」


 「だって、このままだと無理ですもんっ!」


 「無理の方向がおかしいだろ!?」



 ……。


 でも。


 エナは、さっきよりちゃんとそれを持っていた。指先じゃなくて、手で。



 「……これ」



 円盤を、もう一度だけ十字路の中心へ近づける。

 さっきと同じように、表面の線が薄く光る。


 エナの目が、少しだけ細くなる。



 「……やっぱり」



 さっきまでの嫌そうな顔とは違う。ちゃんと、“見る側”の顔だ。



 「これ……ここに反応してます」


 《肯定》



 セブンが即座に重ねる。



 《当該装置と空間揺らぎの相互作用を確認》



 空気が、少しだけ変わる。

 笑いが引いて、さっきまでの軽さがそのまま別の意味に切り替わる。


 エナが、小さく息を吐いた。



 「……これ」



 円盤を見ながら、言う。



 「たぶんですけど……」



 一拍。



 「“開きます”」


 「……開く、って」



 俺はその言葉をゆっくり反芻しながら、円盤を見たまま続ける。



 「それって、転移ってことか?」



 エナは少しだけ首を振る。



 「似てるんですけど……ちょっと違います」



 一拍置いて、言葉を探すように足元へ視線を落とす。



 「えっと……どこかに“行く”っていうより……」



 円盤を持ったまま、地面を見つめて。



 「ここを少しだけ、ズラす感じです」


 「……ずらす?」


 「はいっ。世界の"スキマ"というか……"境目"に行くっていうか……」



 うまく言葉にできていない。でも、指してる方向はズレていないのが分かる。


 エナはそのまま円盤を両手で持ち直した。さっきまでの嫌悪は残っているのに、それでも手放そうとはしない。



 「……ちょっと、やってみます」



 そう言って、一歩だけ中心へ踏み込む。



 ——その瞬間。



 音が、落ちた。


 風の音も、布の揺れる音も、遠くの足音も、全部が一段だけ奥へ引っ込む。


 空気の密度が変わる。見た目は同じなのに、そこに“もう一枚”重なったみたいな感触だけが残る。


 エナを中心に、目に見えない何かがじわりと広がった。



 セレスがわずかに目を細める。



 「……なに、これ」



 アリスは無言のまま、周囲を見渡している。


 セブンが静かに告げる。



 《解析:既知の転送現象とは非一致》



 一拍。



 《補足:三次元座標の接続は確認されない》


 「……じゃあ、なんだよこれ」


 《推定:局所空間位相の偏移》



 少しだけ間を置いて、



 《当該地点に固有の位相構造を、別方向へシフトさせている》



 セレスが顔をしかめる。



 「……簡単に言って」



 俺は少しだけ考えてから、言葉を選ぶ。



 「同じ場所の、違う層にズレる感じ……か。地面はそのままで、“中身だけ別の状態に切り替わる”みたいな」


 《評価:概ね正しい認識》



 セブンが短く肯定する。



 《補足:三次元座標間の接続は行われていないため、

 その痕跡である位相波の発生なし。外部観測網による検出は困難》



 一拍置いて、セレスが口を挟んだ。



 「……要するに、普通の転移は“別々の場所を繋ぐ道"と、その"両端の穴"を無理やり作るものなのよ。

 位相波は、その過程で発生する現象なの」



 指先で、空中に線を引くような仕草。



 「でもこれは違う。最初から、別空間への穴がある」



 その言い方は妙にしっくり来た。



 「……なるほどな」



 小さく息を吐く。



 「最初からある扉の、“鍵だけ開けて入る”ってことか」



 ……なるほど。


 だから、痕跡がない。

 運んでない。転送もしてない。



 ——“ここから消えただけ”に見える。



 「……クソ面倒なやり方だな」



 思わず呟いた。


 エナが円盤を見つめたまま、静かに言う。



 「……たぶん、この中に……います」



 小さく。



 「消えた人たち」



 空気が、もう一段落ちた。

 さっきまでの軽さは、完全に消えている。ただ、静かに重い。


 エナがこちらを見る。



 「……起動していいですか?」



 その声は、いつもより少し低かった。

 俺はすぐには答えず、十字路へ視線を落とす。

 何もない場所。なのに、確かに“ある”場所。



 ——ここを開く。



 「……中に入るってことだよな」


 「はい……」



 即答だった。


 俺は息を吐く。

 危険なのは間違いない。何があるか分からないし、戻れる保証もない。



 それに——



 「……全員で行くの、アリか?」



 視線を上げる。



 「正直、これ……帰れなくなる可能性もあるだろ。

 だったら、誰かは外に残るべきだと思う」



 一拍。



 「最悪、報告できるやつが必要だ」



 それが、一番現実的な判断だった。

 セレスが静かに息を吐く。



 「……そうね。理屈としては正しい」



 でも、その声に迷いはなかった。



 「でも」



 エナが小さく割って入る。

 視線は下を向いたまま。



 「……あの家」



 一拍。



 「子ども、いましたよね。きっと」



 声が、少しだけ揺れる。



 「靴……片方だけ残ってて」



 思い出す。

 囲炉裏の横。開いた箱。あの小さい靴。


 エナが、ぎゅっと手を握る。



 「……あのまま、置いておくの……嫌です」



 顔を上げる。



 「行きたいですっ」



 迷いはなかった。ただ、まっすぐだった。


 セレスがその顔を見る。少しだけ目を細めて、それからゆっくり頷く。



 「……そうね」



 一歩、前に出る。



 「分かれた時点で、戦力は分断される。

 そのポータルってのがないと、向こうの様子を知ることもできないんでしょ?

 半端に引くより、人数がいた方が対応力が高いわ」



 視線が、俺に向く。



 「全員で行きましょう」



 短く、はっきり決めた顔だった。

 俺は小さく息を吐く。



 「……了解」



 頷く。



 「じゃあ」



 エナを見る。



 「頼む」



 エナが強く頷いた。



 「はいっ」



 円盤を、十字路の中心へゆっくり差し出す。


 空気が、わずかに軋んだ。

 円盤の表面が、ふっと明るくなる。


 強い光じゃないのに、刻まれた細い線のひとつひとつが、目に見えない何かをなぞるみたいにじわりと浮かび上がっていく。


 エナが、静かに息を吸った。



 「……いきます」



 指先が、ほんのわずかに動く。



 ——その瞬間。



 音が、消えた。


 さっきと同じ現象なのに、今度は一段では収まらず、風の鳴りも、布の擦れる音も、遠くで誰かが動く気配すら、まとめて奥へ押し込まれていく。


 視界が揺れた。


 いや、揺れたんじゃない。


 今まで見えていた村の景色の上に、別の何かが静かに重なってきて、輪郭と色と奥行きがほんの少しずつ噛み合わなくなり、そのズレが限界まで積み重なったところで——


 世界が、すっと入れ替わった。


 音が戻る。

 けど、違う。


 風の抜け方が、違う。

 空気の“軽さ”が、違う。



 「……っ」



 セレスが、小さく息を呑む。



 「ここが……エナちゃんの言う“境目の世界”?」


 「……たぶん、そうです」



 エナも、わずかに戸惑いを残したまま頷き、

 セブンが、静かに割り込む。



 《補足:当該領域は元空間と同一座標上に存在する別位相層》



 一拍。



 《仮称:“ 境界層(ボーダーレイヤー)”》


 「……セブンくんの呼び方の方が、"境目世界"よりはマシね」


 「でも……」


 セレスが小さく呟き、そのまま周囲へ視線を巡らせた。



 「なにここ……建物や景色……全部初めてみるわ。

 私たちの世界とは…まるで違うわね」



 一歩、足を進める。



 「……それに…人の気配が、ない」



 アリスも無言で周囲を観測している。



 「構造物の材質、既存のデータと一致せず。

 石材ではありません。加工精度が異常に高く、人工構造物と推察」



 セレスが続ける。



 「道もおかしいわね、まっすぐすぎる。生活の中でできた動線じゃなくて、最初から“線”として引かれてる感じ……」


 「あれ……」



 一瞬、言葉を切る。


 彼女が見上げている先。

 空に向かって、まっすぐ伸びる構造物。


 継ぎ目がほとんどない、均一な面で構成された巨大な直方体の構造物。

 何層にも積み上がり、空を削っている。


 セレスが、一歩だけ後ろに下がった。



 「……あんな高さで、完璧に垂直な塔。

 どうやって支えてるの?」



 一拍。



 「……そもそも、なんのため、

 あそこまで高い必要があるのよ……」



 視線は上のままだ。



 ——風が通る。


 

 人の生活音も、動物の気配もなくて、ただ“形だけ”が残っている。



 俺は、その場で立ち尽くしていた。


 視線は自然と前へ向く。

 黒く……土のない道。


 石でもレンガでもない、均一に伸びた滑らかな面が、見慣れた感触でそこにある。


 その脇に立つ、細くまっすぐな……白い鉄の柱と

 その先端の四角い金属の枠……

 その中に、横に並んだ三つの光。


 赤。

 黄。

 そして……緑。



 喉の奥が、わずかに詰まる。


 直線で構成された建物の群れが、無駄のない角度で並び、その壁には歪みのない大きな平面がはめ込まれている。


 あれは、ガラスだ。

 反射の仕方で、分かる。


 見慣れている。

 嫌になるくらい、見てきた。



 「……ねえ」



 セレスの声が、少し遠くに聞こえる。



 「リクくん?」



 俺は答えなかった。

 ただ、目の前の景色を見ていた。



 ——懐かしい。



 帰ってきた、なんて思うほど優しくはないのに、それでも体のどこかが勝手に“知ってる”と反応してしまう。


 でも同時に、ぞっとする。

 ここにあるはずがない。


 ここは、あの場所と同じ形をしているのに、音も、人も、時間の流れも、全部が抜け落ちている。



 「……ここ」



 口が、自然に動いた。


 人影がない。誰も居ないし、動いてるものもない。

 でも、この景色は確かに……



 「“俺の世界”だ」



 風が、静かに通り抜けた。


 そう……


 ——空っぽの、俺の世界。



——第2部第4話につづく。

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