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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部8話『灰色の境界』
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第4幕『痛みと疑い』


 午後になると、医務室の窓に差す光が少し黄色くなった。


 朝の白い光より、ずっと鈍い。

 壁に吊られた包帯の影が伸びて、薬棚の瓶の中で乾いた根っこみたいなものが沈んでいる。


 俺は寝台の上で、上半身だけ少し起こされていた。

 背中には丸めた布をいくつも挟まれている。

 自力で起き上がったわけじゃない。


 医務官に「動くな」と言われたので、「ちょっとだけ」と返したら、返事の代わりに布団を剥がされ、問答無用でこの姿勢に固定された。


 たぶん、治療という名の拘束だ。



 《評価:妥当》



 「お前、医務官の味方なのか」



 《否定。当ユニットはユーザーの継続稼働を優先》



 「おい、言い方」



 寝台の横に立てかけられたセブンが、黒い刀身に午後の光を吸い込んでいる。

 見舞い客が来ると不気味がられるからという理由で、布をかけようとした医務官がいたが、セブン本人が《拒否》した。


 剣に拒否権があるのか、とも思うが。

 ……あったんだよな、これが。



 扉が叩かれた。


 医務官の乱暴な叩き方ではない。

 アリスの一定間隔でもない。

 エナなら、叩く前に声がする。



 「リクくん。入ってもいい?」



 セレスだった。



 「どうぞ」



 扉が開く。


 セレスは記録具と薄い書類束を抱えていた。

 軍服の襟は整っている。

 けれど、眼鏡を押し上げる指の動きが少し重い。たぶん、まだ寝不足だ。



 「顔色、少し戻ったわね」



 「そうか?」



 「少なくとも、昨日みたいに会議室で倒れそうな顔ではないわ」



 「倒れてねぇし」



 「倒れる前に撤収させたからよ」



 言い返せない。


 セレスは寝台の横の椅子に座った。

 書類束を膝の上に置き、いつもの仕事の顔に戻る。



 「体調確認と、報告を兼ねて来たわ」



 「見舞いじゃねぇの?」



 「見舞いも兼ねているわ」



 「順番逆じゃない?」



 「仕事中だもの」



 さらっと言った。


 でも、膝の上の書類束の隣に、小さな包みが置かれている。

 布越しに、甘い匂いがした。



 「それは?」



 「医務官に確認して。食べてもいいと言われた焼き菓子」



 今朝、ヴェイルにも似たようなのを渡された。

 ありがたいけど、ベッドの横が菓子棚みたいになりそうだ。



 「仕事中なのに?」



 「見舞いも兼ねているって言ったでしょう?」



 セレスは少しだけ視線を逸らした。

 俺は笑いそうになって、胸が痛む前にやめた。



 「ありがと」



 「どういたしまして」



 そこで一度、空気が落ち着く。


 俺は包みを見る。

 食べたい。

 でも、今聞くべきことはそれじゃない。



 「セレス」



 「なに」



 「ポータルは?」



 セレスの表情が、すぐに仕事のものへ戻った。



 「証拠品として押収されているわ」



 「やっぱりか」



 「王国軍、監察局、魔導機関の三者立ち会いで保管。私一人の判断では持ち出せない」



 「厳重だな」



 「当然よ。未知の位相層を開いた可能性のある道具だもの。下手に触れば、また別の場所へ繋がるかもしれない」



 そう言われると、文句を言いにくい。



 ——あの銀色の円盤。



 あの白衣を着た、距離感のバグった男が置いていった、胡散臭い道具。

 それを使って、ボーダーレイヤーに入った。


 逆に言えば、あれがないと、あの場所にもう一度入れるかも分からない。



 「アニエスのこと、あの白衣着た男に聞く必要がある」



 セレスの手が、書類の端で止まった。



 「……ポータルを持ってたって人ね。その男を疑っているの?」



 「疑ってる」



 俺は正直に言った。



 「でも、黒幕だと決めつけてるわけじゃない。あいつがやったとは限らない。でも、何か知ってるはずだ。

  全部じゃなくても、何かは」



 セブンが小さく鳴る。



 《補足:ポータルは、既存転移とは異なる位相干渉を示した。当該人物が関連情報を保有している可能性は高い》


 

 「ポータルがあれば、通信できるかもなんだけど……」



 セレスは眼鏡を押し上げた。



 「言ったでしょ。押収中よ」



 「こっそり借りるとか?」



 「犯罪宣言を、監察官の前でしない」



 即答だった。



 「いや、冗談だって」



 「冗談にしては目が本気だったわ」



 《分析:本気度四十七パーセント》



 「盛るな」



 《否定。低めに申告》



 「低めかよ」



 セレスがため息をついた。

 呆れている。

 でも、完全には否定していない顔だった。



 「必要性は理解しているわ。だから、私からも正式に申請を出している。ポータルの解析状況と、外部連絡手段としての使用可否の確認」



 「通りそう?」



 「簡単には無理ね」



 「だよな」



 「でも、出さなければ絶対に通らない」



 その言い方は、セレスらしかった。


 走って突破するんじゃない。

 書類を書いて、判を取って、相手の逃げ道を塞ぐ。

 それが、セレスの戦い方なんだろう。


 俺には、たぶん向いてない。

 向いてないから、ありがたかった。


 俺は顔をしかめる。

 セレスがすぐに気づいた。



 「痛む?」



 「まあ、そこそこ」



 「医務官を呼ぶ?」



 「いや、大丈夫」



 「あなたの『大丈夫』は信用してない」



 「じゃあ、まあまあ大丈夫」



 「もっと信用できないわね」



 俺は左手で包帯の上を軽く押さえた。



 「なあ、この世界って回復魔法ないの?」



 セレスが、書類をめくる手を止めた。



 「回復魔法?」



 「そう。ヒールとか、ホイミとか。こう、パッて光って、サッと怪我が治るやつ」



 言いながら、自分でも雑な説明だと思った。

 手をかざす。

 そしたら光る。

 で、怪我が治る。


 セレスは、真面目な顔で聞いていた。



 「どんな仕組みで?」



 「いや、それは知らねーよ」



 「知らない仕組みで肋骨が繋がると思っていたの?」



 「元の世界だと、そういうもんなんだよ。……フィクションの中だけど」



 「便利な世界ね」



 「現実にはねーけどな」



 「なお悪いわ」



 即答だった。

 セブンが壁際で淡く鳴る。



 《補足:ユーザーは、発言に創作物に由来する概念を混入させる傾向がある》



 「お前、冷静に分析すんな。はずいだろ」



 セレスは少し考えるように、指先で眼鏡の縁に触れた。



 「治療補助の術式ならあるわ。血止め、消毒、腐敗抑制、痛みの緩和、熱を下げる」



 「じゃあ、治るんじゃ」



 「それは、人の身体が治るのを助けているだけ。切れた肉が一瞬で塞がるわけではないし、折れた骨が即座に元通りになるわけでもない」



 「魔法なのに?」



 「厳密にいえば、魔法と魔術は違う概念よ」



 セレスは、少しだけ眉を寄せた。



 「現象には代償と過程がある。傷を塞ぐには材料が要る。熱を奪うには逃がす先が要る。肉を無理に繋げば、膿むこともある。骨を急がせれば、曲がって固まることもある」


 

 「……RPGみたいにはいかねぇか」



 「あーるぴーじー?」



 「俺の世界の遊び。細かい説明は長くなる」



 「そう」



 セレスはそれ以上、聞かなかった。

 代わりに、書類束を膝の上で整える。



 「つまり、今のあなたに必要なのは、安静、薬、食事、睡眠。あと、余計な会議に出ないこと」



 「最後だけ刺してきたな」



 「事実よ」



 《評価:医療方針として妥当》



 「お前ら、今日ずっと組んでない?」



 セレスが少し笑った。

 笑ってから、すぐに表情を戻す。



 「リクくん」



 「うん」



 「パッと治る魔法がないから、人は怪我を恐れる。だから、軍は撤退路を作るし、衛生兵を連れていくし、死者の数を数える」



 ファンタジー世界なんだから、便利な回復魔法があってもおかしくない、と思っていた。

 でも、もしそれが当たり前になったら。……人は傷付くことを、今ほど怖がらなくなるかもしれない。


 剣で切られても治る。

 骨を折られても治る。

 なら、斬る側も折る側も、今ほどためらわなくなるんだろうか。


 怪我を怖がらない人間は、自分の身体だけじゃなく、他人の身体も軽く見る気がする。


 ……それは、少し怖い気がした。



 セレスは膝の上の書類に目を落とした。



 「数えるのは、冷たいことだけど。数えなければ、次に減らせない」



 俺は何も言えなかった。


 昨日の会議室を思い出す。

 死亡推定。

 兵力配分。

 保留。


 数字にされるのが嫌だった。

 でも、数字にしなければ動けない人間もいる。

 たぶん、それもこの世界の現実なんだろう。


 セレスは焼き菓子の包みを寝台の横の台へ置き、立ち上がる。

 書類束を抱え直し、扉へ向かった。

 扉へ向かう途中、セレスは一度だけ振り返る。



 「それと、リクくん」



 「ん?」



 「ポータルを持ってた男を疑うのはいい。王国を疑うのも、今は仕方ない。でも、一人で抱え込まないこと」



 「……分かってる」



 「あなたの『分かってる』も、信用してない」



 「じゃあ、まあまあ分かってる」



 セレスが、起こってるような、笑ってるような微妙な表情をみせてから、扉を閉める。


 医務室に、また薬草の匂いと午後の光だけが残った。


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