第3幕『灰色の見舞客』
廊下へ出たところで、俺は言った。
「なあ、もう歩けるって」
車椅子の背後で、セレスが足を止める。
しばらく沈黙。
その沈黙だけで、だいたい答えは分かった。
「歩けません」
「いや、歩けるかどうかで言えば、歩けるだろ。足は折れてないし」
「それは“立てば倒れるまでに一歩くらい前へ出る可能性がある”という意味?」
「言い方」
《補足:現状のユーザーは歩行可能ではなく、転倒可能である》
車椅子の右側に固定されたセブンが、淡々と刺してくる。
「お前まで言うなよ」
《再損傷、発熱悪化、医務官による拘束具追加の可能性が高い》
「最後だけなんか怖くない?」
セレスが車椅子を押し直す。
石床の継ぎ目を越える時だけ、少しだけ速度が落ちた。
「怖がるくらいなら、最初から大人しく座っていなさい」
「……はい」
「返事が遅い」
「はい」
会議室の熱が、まだ背中に残っていた。
責任。
保留。
死亡推定。
数字。
あの部屋の中では、言葉が全部、紙の上で死んでいくみたいだった。
誰かが死んだことも。
誰かがまだ帰っていないことも。
誰かの母親が泣いていたことも。
紙に載せると、重さが変わる。
軽くなるのではない。
人が持てる重さに切り分けられてしまう。
俺はそれが、気持ち悪かった。
「顔色が悪いわ」
セレスの声が、少しだけ近くなる。
「元からだろ」
「悪化してるって言ってるの」
「……医務室に戻ればいいんだろ」
「分かっているなら、余計な反論はしない」
「年上の説教って、なんか妙に効くな」
セレスが一瞬、押す手を乱した。
車椅子が小さく揺れる。
「変な言い方をしないで」
「変だった?」
「変です。とても」
やばい。これは地雷を踏んだかもしれん。
《評価:セレス・ヴェルスタンの心拍上昇を検出》
「セブンくん」
「セブン、やめろ。医務室までに俺が殺される」
《評価:事実報告》
「だから、やめろって言ってんだよ」
廊下の先で、外の音が混じり始めた。
最初は風かと思った。
でも違う。
人の声だった。
いくつもの声が重なって、石壁にぶつかり、低く濁って響いている。
軍部の正門が近づくにつれ、その声ははっきりしていった。
「戦争反対!」
「若者を前線へ送るな!」
「帝国との友好を!」
「王国軍は民を守れ!」
門の外に、人だかりができていた。
粗末な板札を掲げた男。
布に大きな文字を書いた横幕。
鍋を叩いている女。
人混みの後ろで、退屈そうに欠伸をしている若い連中。
正門の前には柵が置かれている。
兵士たちは槍を構えているが、突き出してはいない。
押し返すだけだ。
怒鳴り返す兵士もいない。
そのせいか、群衆の方は妙に勢いづいていた。
泥団子が飛ぶ。
門の脇に当たり、べちゃりと崩れる。
誰かが笑った。
「"世界平和を願う人々の会"……ね」
セレスが、横幕の文字を読んだ。
「名前とやってることの距離がすげぇな」
群衆の中では、太った男が壇のような木箱に乗って叫んでいる。
「王国軍は真実を隠している! 魔王軍との戦争は、貴族と軍上層部の利益のために続けられているのだ!」
「おおー!」
「帝国は友好の手を差し伸べている!」
「そうだ!」
「王国は市民の声を聞け!」
声だけ聞けば、立派だった。
でも、その男の足元では、別の男が兵士へ向けて腐りかけた野菜を投げていた。
その隣の若い男は、声を張るでもなく、ただ笑いながら柵を蹴っている。
子どもを連れた女が、人混みの端で困った顔をしていた。
帰りたいのに、帰れない。
そんなふうに見えた。
「……あれ、全部が本気なのか?」
「まさか」
セレスは車椅子を止めず、正門から少し離れた渡り廊下へ回る。
「親帝国派の関係者が一部。
あとは貴族家や商会から動員された縁者。残りは……」
セレスは一度、群衆の方を見る。
柵を叩いていた男が、兵士に睨まれて半歩下がった。
それでも、兵士が手を出さないと分かると、また棒で柵を叩く。
「殴り返さない相手に棒を振り上げたい人たち」
俺は少しだけ首を傾ける。
「世界平和を願う人々はどこ行ったんだよ」
「こんな情勢だもの。あいにく忙しいわ」
セレスの返しが早すぎて、俺は少しだけ笑いそうになった。
でも胸が痛むので、笑う手前でやめる。
「活動の資金源を調べると、なかなか面白いとこに行き着くわよ」
《分析:反国家的言動が国家中枢施設前で一定範囲容認されている。
国家が即時排除を選択しないことは、国家統制に余力がある証左》
「皮肉か?」
《否定。分析結果である》
「じゃあ余計タチ悪いな」
門の向こうで、また声が上がった。
友好。
真実。
民の声。
戦争反対。
門の向こうでは綺麗な言葉が、泥団子や腐った野菜と一緒に飛んでいる。
俺は少しだけ息を吐いた。
「この辺は、俺の世界とも大して変わらねーな」
セレスは何も聞かなかった。
たぶん、聞きたいことはあったと思う。
でも、今は聞かないことを選んだ。
車輪が石畳を鳴らす。
門前の声は、背中の方へ遠ざかっていった。
————
医務局へ戻ると、年配の医務官が腕を組んで待っていた。
……顔が怖い。
俺は反射的に背筋を伸ばしかけて、胸が痛んで失敗した。
「……ただいま戻りました」
なぜか敬語になった。
医務官は俺を見て、セレスを見て、それからセブンを見た。
「発熱」
「少しだけ」
「呼吸」
「浅いかも」
「胸部痛」
「あります」
「では、何をどう考えたら“少しだけ歩ける”などと言い出せるんです?」
「えっ、なんで知って——」
セレスが目を逸らした。
《補足:廊下での発言は記録済み》
「お前か!」
《医療上有益な情報共有である》
「裏切り者!」
《否定。当ユニットは最初から歩行に反対している》
医務官は、俺の左肩に手を置いた。
力は強くない。
でも、逃がす気のない手だった。
「本日は面会制限。刺激の強い方は退室」
「刺激の強い方って」
「銀髪の鎧の方です」
「名指しじゃねぇか」
「昨日から三十三回、入室を試みています」
「……すみません」
なぜか俺が謝った。
————
夕方には、アリスとエナが来た。
結局、二人は部屋へ戻されることになったが、
エナは最後まで粘っていた。
ベッド脇に膝をついて、俺の左手を両手で包んだまま、医務官に向かって真剣な顔をする。
「あたし、静かにできますっ。リクさんの横で、寝ないで見守るだけですっ」
「見守るだけでも、あなたは距離が近いです」
医務官の一言で、エナは分かりやすく肩を落とした。
「でも、床なら……」
「床でも近いです」
「天井なら……?」
「出なさい」
エナがしゅんとした。
しゅんとしたが、俺の手は離さない。
アリスはベッド脇で、俺の呼吸数と医務官の顔色を交互に見ていた。
「提案。夜間はエナの接触行動による患者負荷が増加すると推定。退室が妥当です」
「アリスおねーちゃんまでっ」
「安全確保が優先です」
「でも、リクさんが寂しかったら」
「寂しさによる死亡可能性は、現時点で低いと推察します」
「言い方が冷たいですっ」
俺は口を挟もうとして、医務官に睨まれた。
……黙った。
エナは扉の前で何度も振り返った。
そのたびに肩の装甲がかすかに鳴る。
修復途中の緑の光が、細く揺れていた。
「リクさん、ちゃんと寝てくださいねっ」
「おう」
「起きたら呼んでくださいねっ」
「いや、こっからどう呼ぶんだよ」
「念じてくださいっ」
「無理だろ」
「がんばって受信しますっ」
「何を?」
アリスが、エナの腕を引く。
「退室時刻を超過」
「うう……リクさん、おやすみなさいっ」
「おう、おやすみ」
扉が閉まる。
急に、静かになった。
医務室の窓は細く開いている。
夜の空気が入ってきて、薬草と蝋燭の匂いを薄めていた。
遠くで、まだ門前の声が残っている。
昼ほど大きくはない。
でも完全には消えていない。
王都は、眠るにも騒がしい街だった。
俺は仰向けのまま、天井を見る。
眠れなかった。
身体は疲れている。
頭も重い。
熱もある。
なのに、目を閉じると会議室の声が戻ってくる。
保留。
死亡推定。
責任。
数字。
それから、ルカの母親の声。
俺は左手でシーツを掴んだ。
「……セブン」
「さっきの会議。お前はどう見た」
《質問の範囲が広い。限定を求む》
壁際に立てかけられた黒い剣。
布は外され、黒曜石みたいな刀身が暗がりに沈んでいる。
蝋燭の火が揺れるたび、刃の縁だけが細く光った。
「ボーダーレイヤー。お前、あれ……どう思う」
《分析:同一座標上に形成された異層空間。ユーザーの出身世界に類似した都市構造を含む。帰還条件に関与する可能性を否定できない》
帰還。
その言葉は、まだ胸の奥に残っていた。
俺は元の世界に帰りたい。
それは変わっていない。
学校。
屋上。
街。
コンビニ。
母親のいない家。
それでも俺の世界だった場所。
でも、あの空っぽの街は違った。
似ているのに、違う。
俺の世界の顔をしているのに、中身がなかった。
「帰れるかもしれない場所が、あんなもんってのもな」
《可能性の一つである。断定は不可》
「分かってる」
《加えて、未回収者の所在確認にも関与する可能性が高い》
「ああ」
俺は目を閉じた。
三人の女の人たち。
顔も知らない。
でも、連れて行かれたと聞いた。
ルカのように、誰かが待っているかもしれない。
麦粥を温めている人がいるかもしれない。
叱ろうと思っている人がいるかもしれない。
「あのままにはできない」
《同意》
セブンの返答は短かった。
でも、その短さが少しだけ楽だった。
《ただし、ユーザーの療養完了前の再侵入は却下》
「……分かってるよ」
《重傷者が未確認領域へ再突入する行為は、救助ではなく追加の要救助者の発生である》
「言い方」
《正確な表現である》
「そうだけどさ」
暗い部屋に、セブンの声だけが残る。
人間の声じゃない。
慰めでもない。
こっちの気持ちを分かってくれているわけでも、たぶんない。
それなのに、変に落ち着いた。
昼間の会議室では、誰も俺の見ているものを見ていなかった。
責任とか、派閥とか、兵力とか、数字とか。
言っていることが間違っているとは思わない。
思わないけど、あの人たちの言葉は、俺の胸の奥にあるものを素通りしていった。
セブンの言葉は違う。
冷たい。
遠慮がない。
たまに腹が立つ。
でも、俺が見ているものの横に、当たり前みたいに並んでいる。
「……言い方が相棒すぎて腹立つな、お前」
考えていたことが、ぽろっと口から落ちた。
《評価:意味不明》
「そこは分かれよ」
《当ユニットは相棒である。言い方が相棒に近似するのは当然と推察》
「そういうところだよ」
《補足:腹立たしさの原因は、当ユニットの発言内容ではなく、ユーザー側の情緒処理にある可能性が高い》
「うるせぇな、急に刺すな」
そう言った声は、思ったより弱かった。
俺は左手を布団の上で握る。
アリスもエナもいない。
セレスもいない。
……医務官は隣室だ。
別に、呼べば誰か来てくれる。
それは分かっている。
でも、部屋にセブンが居ることに、少しだけ安心していた。
変な話だ。
黒い剣。しかも、人間の感情を慰める気なんて欠片もない、口の悪い古代兵器。
それなのに。
ここにセブンがいると、世界から完全に放り出された感じが少し薄れる。
「……一人で寝るのが寂しいとか、ガキかよ」
思わず、小さく呟いた。
《補足:年齢分類上、ユーザーは未成年》
「そういう意味じゃねぇ」
《発言意図の再提示を求む》
「求むな」
セブンは黙った。
それが、気を遣った沈黙なのか、単に処理を終えただけなのかは分からない。
分からないけど、今はどっちでもよかった。
窓の外で、遠い声がまた少しだけ揺れた。
誰かが笑っている。
誰かが怒鳴っている。
それでも、医務室の中は暗い。
目を閉じる。
燭台の光が、まぶたの裏で赤く滲んだ。
外の音が少し遠くなる。
眠れる気はしなかった。
でも、いつの間にか、呼吸の間隔が伸びていた。
最後に聞こえたのは、セブンの声だった。
《睡眠を推奨》
「……命令すんな」
《提案である》
「似たようなもんだろ」
そこまで言って、たぶん、俺は眠った。
————
翌朝。
最初に聞こえたのは、扉を叩く音だった。
軽い。
医務官の遠慮ない叩き方ではない。
エナの勢いでもない。
アリスなら、叩く前に入室許可を申請してくる。
俺が目を開けると、セブンがすでに壁際でわずかに発光していた。
《来訪者一名。歩幅、成人男性。金属装備少量。敵対行動なし》
「誰だ」
扉の向こうから声がした。
「王立魔導機関、技術解析局のヴェイル・ノクス・ルーンヴァイスです。見舞いと、可能であれば短い聞き取りを」
昨日の会議室で聞いた声だった。
俺は身体を起こそうとして、すぐ諦めた。
胸が痛い。
「……どうぞ」
扉が開く。
入ってきた男は、昨日と同じ濃紺の長衣を着ていた。
軍人のようには歩かない。
けれど、足音は妙に少なかった。
手には小さな紙袋。
もう片方の手には、薄い記録板を抱えている。
顔立ちは整っているのに、印象が残りにくい。
視線は合う。
合うのに、どこか奥の方を見られているような気がした。
「お加減はいかがですか」
「……見ての通り、です」
「では、悪いですね」
「遠慮がないですね」
「嘘をつく理由がありません」
自分で言って、言葉の堅苦しさに少し変な感じがした。
胡散臭い白衣のアイツとか相手なら、『見りゃ分かるだろ』で済ませていただろう。
でも、初対面の大人に、いきなりタメ口を叩くほどの理由もない。
ヴェイルは、ほんの少しだけ目を細めた。
「敬語は結構ですよ。あなたと私の間に、縦の関係はない」
「……でも、ヴェイルさんは敬語なんですね」
言ってから、少し突き放した言い方だったと思った。
けれど、ヴェイルは気にした様子もなく頷く。
「これは性分です」
「性分」
「ええ。礼儀というより、距離の測り方です。
近すぎる言葉は、時に相手を不用意に踏みます。私は、それがあまり得意ではありません」
さらっと言われて、返す言葉に少し困った。
「……なら、俺も敬語のままで」
「無理をしているなら不要です」
「じゃあ、やめる」
「はい」
「切り替え早いな」
「無理をしない方が、証言の精度は上がります」
「……結局、そこなのかよ」
「はい」
その返事があまりに自然で、少しだけ気が抜けた。
ヴェイルは椅子を勝手に引かなかった。
医務室の入口近くで一度止まり、こちらを見る。
「座っても?」
「ああ」
「ありがとうございます」
椅子が床を擦る音は、小さかった。
ヴェイルは紙袋を脇の台に置く。
中から、硬そうな焼き菓子の匂いがした。
甘いというより、麦と木の実の匂い。
「見舞い品です。医務官に確認済みですので、食べられない物ではありません」
「そこ、確認するんだな」
「患者を見舞いに来て、患者を悪化させるのは非効率です」
セブンがわずかに鳴る。
《評価:合理性あり》
「ありがとうございます」
ヴェイルはセブンへ軽く視線を向けた。
怖がらない。
珍しがりもしない。
ただ、そこにいる相手として扱っている。
それが少し意外だった。
「聞き取りって、昨日の続き?」
「半分は。もう半分は、私個人の確認です」
「個人?」
「魔術現象の専門家として、です」
ヴェイルは記録板を膝の上に置き、縁から短い金属筆を抜いた。
「まず、ボーダーレイヤーについて。会議では簡略化しましたが、王国の既存転移術とは全くの別物です。少なくとも、魔導機関の公開資料に一致する現象はありません」
「公開資料には、ってことは」
俺は言葉を返した。
「非公開ならあるかもしれないってことか」
ヴェイルはすぐには否定しなかった。
「私が言える範囲では、ありません」
その言い方で、部屋の温度が少し下がった気がした。
セブンが淡く光る。
《補足:否定範囲の限定を確認》
「はい。限定しています」
ヴェイルはセブンの言葉を嫌がらなかった。
「国家機関に完全な透明性はありません。魔導機関も例外ではない。ですから私は、“言えない”とは言えますが、“知らない”とは言えません」
正直なのか。
逃げているのか。
判断しにくい。
けれど、昨日の会議室で聞いたどの言葉よりは、信用できる気がした。
「あの場所は、俺の世界に似てた」
「報告で聞きました」
「でも……本物じゃなかった」
「なぜ、そう判断しましたか?」
「建物も文字も信号も同じだった。けど……人が生きた跡が抜け落ちてた」
《補足:当ユニットの分析も概ね一致。都市構造は成立していたが、継続使用に伴う損耗や流体循環に不自然な欠落を確認》
ヴェイルは小さく頷く。
「なるほど……模倣精度は高いが、生活痕跡が再現されていない、と」
少し考えてから、静かに付け加えた。
「人工的に構築された空間か、あるいは何かを写し取った痕跡か。現時点では、その程度までしか言えません」
セブンが鳴る。
《評価:観測事実に基づく妥当な分析。推論の飛躍も少ない》
「お前ら、仲良くなれそうだな」
《否定。評価対象は発言内容であり、人物ではない》
「はい。私も同意します」
「そういうとこだよ」
少しだけ息が抜けた。
胸は痛い。
けれど、昨日の会議室とは違う痛みだった。
ヴェイルは次に、記録板の留め具を外した。
「次に、魔装について」
「ハルトとゴードンが使ったやつか」
「はい。青黒い翼状魔装と、赤黒い殻状魔装。どちらも王国制式魔導兵装とは異なります」
「つまり、魔導機関じゃない?」
「少なくとも、王国が公開している魔導兵装ではありません。他国の技術にも、近似する公開設計はない」
「……また"公開"、か」
「はい。また公開です」
ヴェイルは悪びれない。
「魔王軍は?」
「可能性はあります。ですが、現時点では根拠が薄い」
「前線で見たことないって、エルド将軍も言ってたな」
「魔王軍は、強力です。
しかし技術の出方には傾向がある。少なくとも、今回の魔装士は“魔王軍らしい”とは言いにくい」
また、その話に戻る。
……結局、そこは誰もはっきり言わなかった。
保留された捜索。
置き去りにされた三人。
回収されていない遺体。
残っているかもしれない敵。
俺は左手でシーツを掴む。
「女性型ゴーレム……アニエス・ソレルについてはどう思う?」
ヴェイルが俺を見る。
「王国のゴーレム技術は、基本的に労務、築城、運搬、あるいは限定的な防衛用途です。
……大型戦闘用の試作に関する基礎研究もなくはないですが、そこまで指揮支援と広域制圧に振り切った機体は、少なくとも表向きにはありません」
表向き……てことは。
「裏向きには?」
「私が言える範囲では、ありません」
また、同じ答えだった。
俺は少しだけ、ヴェイルを見る。
——アニエスの構造。
アリスが言った、A.Li.C.Eシリーズとの類似。
……言うべきか?
王国は、昨日あの三人を「保留」と呼んだ。
その王国に、アリスとエナ。二人を"造った"って奴のことをどこまで話す?
言えば、何か進むかもしれない。
でも、それはアリスを差し出すことになる気もした。
俺は口を閉じた。
ヴェイルは待っていた。
急かさない。
尋ねない。
ただ、俺が言うかどうかを見ている。
それが逆に、気づかれているみたいで嫌だった。
「……見た目は、変だった」
俺はそれだけ言った。
「白と赤。王冠みたいな頭。盾みたいな翼。処刑台みたいな感じだった」
「……処刑台」
ヴェイルはその言葉だけ、記録板に書いた。
「良い表現です。外観設計の意図が、そのまま心理圧に繋がっている」
「褒められてる気がしねぇ」
「褒めています。表現が具体的で、こちらも思い浮かべやすい」
「どうも」
ヴェイルはペンを止めた。
「他に、言いにくい情報はありますか?」
心臓が、一度だけ強く鳴った。
セブンは何も言わない。
壁際で沈黙している。
俺はヴェイルを見る。
「……ねぇよ」
ヴェイルは、ほんの少しだけ頷いた。
「では、そういうことにしましょう」
「……疑わねぇのな」
「疑っています」
即答だった。
「ただし、今ここで無理に聞き出せば、あなたは私を信用しなくなる。信用しない相手から出る証言は、精度が落ちます」
「そこ、計算かよ」
「はい」
嫌な言い方ではある。でも、誠実でもある。
だから、不思議と嫌いにはなれなかった。
「それに」
ヴェイルはペンを置く。
「あなたが何かを伏せる理由が、保身だけとは限りません。誰かを守るための沈黙なら、責める前に理由を確認するべきです」
何も言えなかった。
セレスとも違う。
エルド将軍とも違う。
優しいのではない。
ただ、結論に飛びつかない。
それが今は、ありがたかった。
俺は話題を変えるように言った。
「なあ」
「はい」
「ルーンヴァイスって、ルルと同じ家名だよな」
ヴェイルの手が止まった。
今度の間は、さっきより少しだけ長い。
「ルセリアをご存じなのですね」
「こっちに召喚された時、最初に会ったのがルルだった」
「そうでしたか」
ヴェイルは視線を少しだけ下げた。
「私は本家ではありません。遠縁です」
「遠縁?」
「はい。ルーンヴァイス家は、王国建国以前から星見に関わる家系です。ただ、一族すべてが同じ役割を担うわけではありません」
「ルルは、"星の巫女"って奴だよな」
「ルセリアは、民に見せる光を扱う方です」
その言い方は、少しだけ柔らかかった。
「祈り、暦、祭儀、星の導き。人が空を見上げる時、そこに意味を与える側です」
「じゃあ、あんたは?」
「私は、見せない数字を扱う側です」
ヴェイルは淡々と言った。
「星がいつ動いたか。世界がどこで歪んだか。祈りの言葉から削ぎ落とされた、記録と誤差と再現性。それが私の仕事です」
ルルの顔が浮かぶ。
王都で、空を見上げていた姿。
笑うと年相応なのに、時々、こっちが触れられない場所を見ているような目。
「同じ家系でも、ずいぶん違うんだな」
「同じ根から伸びた枝です。向きが違うだけで」
「仲は?」
聞いてから、少し踏み込みすぎたかと思った。
ヴェイルは怒らなかった。
困った顔もしない。
「悪くはありません。ただ、近くもありません。星の巫女は民の前に立つ。私は、基本的に地下か研究棟の上です」
「なんか寂しいな」
「仕事ですから」
「仕事で済むのかよ」
ヴェイルは少しだけ考えた。
「済ませてきました」
その言葉だけ、他の説明より少しだけ低かった。
すぐに、ヴェイルは記録板を閉じる。
「長くなりました。医務官に怒られる前に退室します」
「怒られんの、嫌なのかよ……」
「医務官は、軍上層部より交渉が困難です」
「まぁ……分かる」
《評価:同意》
「お前もかよ」
ヴェイルは立ち上がった。
椅子を戻す。
紙袋は台の上に置いたまま。
「焼き菓子は、昼食後に。空腹時に食べると喉が渇きます」
「詳しいな」
「医務官に言われました」
「なるほど……」
扉へ向かいかけて、ヴェイルは一度だけ足を止めた。
「ミナセ・リクさん」
フルネームで呼ばれると、少しだけ背筋が伸びる。
「境界層の再調査は、必要です。あなたの帰還のためにも、未回収者のためにも。ただし、あなたが今動けば、調査対象が一つ増えるだけです」
「……俺が要救助者になるだけ……ってやつな」
「はい、そのとおりです」
セブンが鳴る。
《同意》
「こら、二人して言うな」
ヴェイルは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
笑った、というほどではない。
でも、冷たい感じはしなかった。
「療養してください。それも、現時点では作戦行動の一部です」
俺は、ヴェイルの脇で閉じられた記録板を見た。
さっき並べられた言葉が、頭の中に残っていた。
……俺は、この世界のことを何も知らない。
転移者とはなにか。
魔術が何で、魔導機関が何をしていて、魔王は何を探してるのか。
セブンが何なのか。
俺が呼ばれたことに、どれだけの意味があるのか。
知らないまま、走っていた。
知らないまま、戦っていた。
その結果、守れなかったものがある。
「……俺、知らないこと多すぎるな」
声に出すつもりはなかった。
ヴェイルは、扉へ向かいかけていた足を止めた。
少しだけ振り返る。
「当然です」
「いや、当然って」
「あなたは、この世界に来て日が浅い。しかも、最初から戦場と政治の只中に置かれている。体系的に学ぶ時間がなかった」
責める声ではなかった。
ただ、事実を棚に戻すみたいな言い方だった。
「知れば、変わる?」
「少なくとも、判断材料は増えます」
「判断材料……か」
「ええ。知識は正解を保証しません。ですが、間違い方を選べるようにはなります」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
でも、不快ではなかった。
「機密情報は教えられません」
「いきなり冷てぇな」
「王立魔導機関の研究員ですので」
「その辺、ちゃんとしてんのな」
「そこをちゃんとしない研究員は、長生きできません」
淡々と言われると、冗談なのか本気なのか分からない。
ヴェイルは続けた。
「ただし、公開研究の範囲であれば説明できます。転移者制度。基礎魔術理論。魔導機関とルーンヴァイスの関係。王国と帝国の研究史。
あなたが知っておくべきことは多い」
「それ、今聞いていいか?」
「駄目です」
即答だった。
「重症者相手に講義するには、内容が多すぎます」
「医務官みたいなこと言うな」
「医学的にも妥当です。加えて、あなたは講義中に反論するタイプに見える。体力を使います」
「否定できねぇ……」
ヴェイルは、そこでほんの少しだけ表情を緩めた。
笑った、というほどではない。
けれど、会議室で見た無機質さとは少し違った。
「怪我を治してください」
「治ったら?」
「私を訪ねてきてください。王立魔導機関、技術解析局。受付で私の名を出せば、伝わるようにしておきます」
「そこ、普通に入れるのか?」
「普通は入れません」
「じゃあ、駄目じゃねぇか」
「私が許可を出します」
さらっと言った。
その一言で、少なくともこの人が、ただの末端研究員ではないことは分かった。
「……いいのかよ」
「必要だと判断しました」
ヴェイルは扉の取っ手に手をかける。
「あなたは、知らないまま動きすぎている。ですが、知らないまま動ける人間だから見えるものもある」
「褒めてるのか、それ」
「分析結果です」
「セブンみたいなこと言うな」
《正式に遺憾を表明》
壁際からセブンが即座に言った。
ヴェイルは初めて、少し目を細めた。
「面白い相棒ですね」
「だろ? たまに腹立つけどな」
《補足:相互評価として妥当》
「は? お前もそう思ってんのかよ」
《肯定》
「即答すんな」
少しだけ、空気が緩んだ。
ヴェイルは扉を開ける前に、もう一度こちらを見た。
「今は眠ってください、ミナセ・リクくん。講義は、あなたが椅子に座って最後まで聞ける状態になってからです」
「……分かった」
「では、お大事に」
見舞いの言葉だけは、普通だった。
扉が閉まる。
医務室に、薬草の匂いと朝の光が戻ってくる。
俺はしばらく、閉まった扉を見ていた。
「……見て回るだけで、わかる世界じゃねぇってことか」
《分析:対象・ヴェイルは、知識供給源としての利用価値は高い》
「だよな」
転移者、魔術、王国、魔王、ルーンヴァイス。
それだけじゃない。
この世界じゃ、子どもでも知っているようなことすら、俺は知らない。
なら、知るしかない。
今は立てない。
歩けない。
走れない。
だから、まず治す。
それが、今できる一番腹立たしい前進だった。




