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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部8話『灰色の境界』
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第3幕『灰色の見舞客』


 廊下へ出たところで、俺は言った。



 「なあ、もう歩けるって」



 車椅子の背後で、セレスが足を止める。


 しばらく沈黙。

 その沈黙だけで、だいたい答えは分かった。



 「歩けません」



 「いや、歩けるかどうかで言えば、歩けるだろ。足は折れてないし」



 「それは“立てば倒れるまでに一歩くらい前へ出る可能性がある”という意味?」



 「言い方」



 《補足:現状のユーザーは歩行可能ではなく、転倒可能である》



 車椅子の右側に固定されたセブンが、淡々と刺してくる。



 「お前まで言うなよ」



 《再損傷、発熱悪化、医務官による拘束具追加の可能性が高い》



 「最後だけなんか怖くない?」



 セレスが車椅子を押し直す。

 石床の継ぎ目を越える時だけ、少しだけ速度が落ちた。



 「怖がるくらいなら、最初から大人しく座っていなさい」



 「……はい」



 「返事が遅い」



 「はい」



 会議室の熱が、まだ背中に残っていた。


 責任。

 保留。

 死亡推定。

 数字。


 あの部屋の中では、言葉が全部、紙の上で死んでいくみたいだった。

 誰かが死んだことも。

 誰かがまだ帰っていないことも。

 誰かの母親が泣いていたことも。


 紙に載せると、重さが変わる。


 軽くなるのではない。

 人が持てる重さに切り分けられてしまう。


 俺はそれが、気持ち悪かった。



 「顔色が悪いわ」



 セレスの声が、少しだけ近くなる。



 「元からだろ」



 「悪化してるって言ってるの」



 「……医務室に戻ればいいんだろ」



 「分かっているなら、余計な反論はしない」



 「年上の説教って、なんか妙に効くな」



 セレスが一瞬、押す手を乱した。

 車椅子が小さく揺れる。



 「変な言い方をしないで」



 「変だった?」



 「変です。とても」



 やばい。これは地雷を踏んだかもしれん。



 《評価:セレス・ヴェルスタンの心拍上昇を検出》



 「セブンくん」



 「セブン、やめろ。医務室までに俺が殺される」



 《評価:事実報告》



 「だから、やめろって言ってんだよ」



 廊下の先で、外の音が混じり始めた。


 最初は風かと思った。

 でも違う。

 人の声だった。


 いくつもの声が重なって、石壁にぶつかり、低く濁って響いている。

 軍部の正門が近づくにつれ、その声ははっきりしていった。



 「戦争反対!」

 「若者を前線へ送るな!」

 「帝国との友好を!」

 「王国軍は民を守れ!」



 門の外に、人だかりができていた。


 粗末な板札を掲げた男。

 布に大きな文字を書いた横幕。

 鍋を叩いている女。

 人混みの後ろで、退屈そうに欠伸をしている若い連中。


 正門の前には柵が置かれている。

 兵士たちは槍を構えているが、突き出してはいない。

 押し返すだけだ。

 怒鳴り返す兵士もいない。


 そのせいか、群衆の方は妙に勢いづいていた。


 泥団子が飛ぶ。

 門の脇に当たり、べちゃりと崩れる。

 誰かが笑った。



 「"世界平和を願う人々の会"……ね」



 セレスが、横幕の文字を読んだ。



 「名前とやってることの距離がすげぇな」


 

 群衆の中では、太った男が壇のような木箱に乗って叫んでいる。



 「王国軍は真実を隠している! 魔王軍との戦争は、貴族と軍上層部の利益のために続けられているのだ!」



 「おおー!」



 「帝国は友好の手を差し伸べている!」



 「そうだ!」



 「王国は市民の声を聞け!」



 声だけ聞けば、立派だった。


 でも、その男の足元では、別の男が兵士へ向けて腐りかけた野菜を投げていた。

 その隣の若い男は、声を張るでもなく、ただ笑いながら柵を蹴っている。


 子どもを連れた女が、人混みの端で困った顔をしていた。

 帰りたいのに、帰れない。

 そんなふうに見えた。



 「……あれ、全部が本気なのか?」



 「まさか」



 セレスは車椅子を止めず、正門から少し離れた渡り廊下へ回る。



 「親帝国派の関係者が一部。

  あとは貴族家や商会から動員された縁者。残りは……」



 セレスは一度、群衆の方を見る。


 柵を叩いていた男が、兵士に睨まれて半歩下がった。

 それでも、兵士が手を出さないと分かると、また棒で柵を叩く。



 「殴り返さない相手に棒を振り上げたい人たち」



 俺は少しだけ首を傾ける。



 「世界平和を願う人々はどこ行ったんだよ」



 「こんな情勢だもの。あいにく忙しいわ」



 セレスの返しが早すぎて、俺は少しだけ笑いそうになった。

 でも胸が痛むので、笑う手前でやめる。



 「活動の資金源を調べると、なかなか面白いとこに行き着くわよ」



 《分析:反国家的言動が国家中枢施設前で一定範囲容認されている。

  国家が即時排除を選択しないことは、国家統制に余力がある証左》



 「皮肉か?」



 《否定。分析結果である》



 「じゃあ余計タチ悪いな」



 門の向こうで、また声が上がった。


 友好。

 真実。

 民の声。

 戦争反対。


 門の向こうでは綺麗な言葉が、泥団子や腐った野菜と一緒に飛んでいる。


 俺は少しだけ息を吐いた。



 「この辺は、俺の世界とも大して変わらねーな」



 セレスは何も聞かなかった。

 たぶん、聞きたいことはあったと思う。

 でも、今は聞かないことを選んだ。


 車輪が石畳を鳴らす。


 門前の声は、背中の方へ遠ざかっていった。



————



 医務局へ戻ると、年配の医務官が腕を組んで待っていた。


 ……顔が怖い。


 俺は反射的に背筋を伸ばしかけて、胸が痛んで失敗した。



 「……ただいま戻りました」



 なぜか敬語になった。


 医務官は俺を見て、セレスを見て、それからセブンを見た。



 「発熱」



 「少しだけ」



 「呼吸」



 「浅いかも」



 「胸部痛」



 「あります」



 「では、何をどう考えたら“少しだけ歩ける”などと言い出せるんです?」



 「えっ、なんで知って——」



 セレスが目を逸らした。



 《補足:廊下での発言は記録済み》



 「お前か!」



 《医療上有益な情報共有である》



 「裏切り者!」



 《否定。当ユニットは最初から歩行に反対している》



 医務官は、俺の左肩に手を置いた。

 力は強くない。

 でも、逃がす気のない手だった。



 「本日は面会制限。刺激の強い方は退室」



 「刺激の強い方って」



 「銀髪の鎧の方です」



 「名指しじゃねぇか」



 「昨日から三十三回、入室を試みています」



 「……すみません」



 なぜか俺が謝った。



————



 夕方には、アリスとエナが来た。


 結局、二人は部屋へ戻されることになったが、

 エナは最後まで粘っていた。


 ベッド脇に膝をついて、俺の左手を両手で包んだまま、医務官に向かって真剣な顔をする。



 「あたし、静かにできますっ。リクさんの横で、寝ないで見守るだけですっ」



 「見守るだけでも、あなたは距離が近いです」



 医務官の一言で、エナは分かりやすく肩を落とした。



 「でも、床なら……」



 「床でも近いです」



 「天井なら……?」



 「出なさい」



 エナがしゅんとした。

 しゅんとしたが、俺の手は離さない。


 アリスはベッド脇で、俺の呼吸数と医務官の顔色を交互に見ていた。



 「提案。夜間はエナの接触行動による患者負荷が増加すると推定。退室が妥当です」



 「アリスおねーちゃんまでっ」



 「安全確保が優先です」



 「でも、リクさんが寂しかったら」



 「寂しさによる死亡可能性は、現時点で低いと推察します」



 「言い方が冷たいですっ」



 俺は口を挟もうとして、医務官に睨まれた。


 ……黙った。



 エナは扉の前で何度も振り返った。

 そのたびに肩の装甲がかすかに鳴る。

 修復途中の緑の光が、細く揺れていた。



 「リクさん、ちゃんと寝てくださいねっ」



 「おう」



 「起きたら呼んでくださいねっ」



 「いや、こっからどう呼ぶんだよ」



 「念じてくださいっ」



 「無理だろ」



 「がんばって受信しますっ」



 「何を?」



 アリスが、エナの腕を引く。



 「退室時刻を超過」



 「うう……リクさん、おやすみなさいっ」



 「おう、おやすみ」



 扉が閉まる。

 急に、静かになった。



 医務室の窓は細く開いている。

 夜の空気が入ってきて、薬草と蝋燭の匂いを薄めていた。

 遠くで、まだ門前の声が残っている。

 昼ほど大きくはない。

 でも完全には消えていない。


 王都は、眠るにも騒がしい街だった。


 俺は仰向けのまま、天井を見る。


 眠れなかった。


 身体は疲れている。

 頭も重い。

 熱もある。


 なのに、目を閉じると会議室の声が戻ってくる。


 保留。

 死亡推定。

 責任。

 数字。


 それから、ルカの母親の声。


 俺は左手でシーツを掴んだ。



 「……セブン」



 「さっきの会議。お前はどう見た」



 《質問の範囲が広い。限定を求む》



 壁際に立てかけられた黒い剣。

 布は外され、黒曜石みたいな刀身が暗がりに沈んでいる。

 蝋燭の火が揺れるたび、刃の縁だけが細く光った。



 「ボーダーレイヤー。お前、あれ……どう思う」



 《分析:同一座標上に形成された異層空間。ユーザーの出身世界に類似した都市構造を含む。帰還条件に関与する可能性を否定できない》



 帰還。


 その言葉は、まだ胸の奥に残っていた。


 俺は元の世界に帰りたい。

 それは変わっていない。


 学校。

 屋上。

 街。

 コンビニ。

 母親のいない家。

 それでも俺の世界だった場所。


 でも、あの空っぽの街は違った。


 似ているのに、違う。

 俺の世界の顔をしているのに、中身がなかった。



 「帰れるかもしれない場所が、あんなもんってのもな」



 《可能性の一つである。断定は不可》



 「分かってる」



 《加えて、未回収者の所在確認にも関与する可能性が高い》



 「ああ」



 俺は目を閉じた。


 三人の女の人たち。

 顔も知らない。

 でも、連れて行かれたと聞いた。


 ルカのように、誰かが待っているかもしれない。

 麦粥を温めている人がいるかもしれない。

 叱ろうと思っている人がいるかもしれない。



 「あのままにはできない」



 《同意》



 セブンの返答は短かった。

 でも、その短さが少しだけ楽だった。



 《ただし、ユーザーの療養完了前の再侵入は却下》



 「……分かってるよ」



 《重傷者が未確認領域へ再突入する行為は、救助ではなく追加の要救助者の発生である》



 「言い方」



 《正確な表現である》



 「そうだけどさ」



 暗い部屋に、セブンの声だけが残る。


 人間の声じゃない。

 慰めでもない。

 こっちの気持ちを分かってくれているわけでも、たぶんない。


 それなのに、変に落ち着いた。


 昼間の会議室では、誰も俺の見ているものを見ていなかった。


 責任とか、派閥とか、兵力とか、数字とか。

 言っていることが間違っているとは思わない。

 思わないけど、あの人たちの言葉は、俺の胸の奥にあるものを素通りしていった。


 セブンの言葉は違う。


 冷たい。

 遠慮がない。

 たまに腹が立つ。


 でも、俺が見ているものの横に、当たり前みたいに並んでいる。



 「……言い方が相棒すぎて腹立つな、お前」



 考えていたことが、ぽろっと口から落ちた。



 《評価:意味不明》



 「そこは分かれよ」



 《当ユニットは相棒である。言い方が相棒に近似するのは当然と推察》



 「そういうところだよ」



 《補足:腹立たしさの原因は、当ユニットの発言内容ではなく、ユーザー側の情緒処理にある可能性が高い》



 「うるせぇな、急に刺すな」



 そう言った声は、思ったより弱かった。


 俺は左手を布団の上で握る。


 アリスもエナもいない。

 セレスもいない。


 ……医務官は隣室だ。

 別に、呼べば誰か来てくれる。


 それは分かっている。


 でも、部屋にセブンが居ることに、少しだけ安心していた。


 変な話だ。

 黒い剣。しかも、人間の感情を慰める気なんて欠片もない、口の悪い古代兵器。


 それなのに。


 ここにセブンがいると、世界から完全に放り出された感じが少し薄れる。



 「……一人で寝るのが寂しいとか、ガキかよ」



 思わず、小さく呟いた。

 


 《補足:年齢分類上、ユーザーは未成年》



 「そういう意味じゃねぇ」



 《発言意図の再提示を求む》



 「求むな」



 セブンは黙った。


 それが、気を遣った沈黙なのか、単に処理を終えただけなのかは分からない。


 分からないけど、今はどっちでもよかった。


 窓の外で、遠い声がまた少しだけ揺れた。

 誰かが笑っている。

 誰かが怒鳴っている。


 それでも、医務室の中は暗い。


 目を閉じる。


 燭台の光が、まぶたの裏で赤く滲んだ。

 外の音が少し遠くなる。


 眠れる気はしなかった。

 でも、いつの間にか、呼吸の間隔が伸びていた。


 最後に聞こえたのは、セブンの声だった。



 《睡眠を推奨》



 「……命令すんな」



 《提案である》



 「似たようなもんだろ」



 そこまで言って、たぶん、俺は眠った。



————



 翌朝。


 最初に聞こえたのは、扉を叩く音だった。


 軽い。


 医務官の遠慮ない叩き方ではない。

 エナの勢いでもない。

 アリスなら、叩く前に入室許可を申請してくる。


 俺が目を開けると、セブンがすでに壁際でわずかに発光していた。



 《来訪者一名。歩幅、成人男性。金属装備少量。敵対行動なし》



 「誰だ」



 扉の向こうから声がした。



 「王立魔導機関、技術解析局のヴェイル・ノクス・ルーンヴァイスです。見舞いと、可能であれば短い聞き取りを」



 昨日の会議室で聞いた声だった。


 俺は身体を起こそうとして、すぐ諦めた。

 胸が痛い。



 「……どうぞ」



 扉が開く。


 入ってきた男は、昨日と同じ濃紺の長衣を着ていた。

 軍人のようには歩かない。

 けれど、足音は妙に少なかった。


 手には小さな紙袋。

 もう片方の手には、薄い記録板を抱えている。


 顔立ちは整っているのに、印象が残りにくい。

 視線は合う。

 合うのに、どこか奥の方を見られているような気がした。



 「お加減はいかがですか」



 「……見ての通り、です」



 「では、悪いですね」



 「遠慮がないですね」



 「嘘をつく理由がありません」



 自分で言って、言葉の堅苦しさに少し変な感じがした。


 胡散臭い白衣のアイツとか相手なら、『見りゃ分かるだろ』で済ませていただろう。

 でも、初対面の大人に、いきなりタメ口を叩くほどの理由もない。


 ヴェイルは、ほんの少しだけ目を細めた。



 「敬語は結構ですよ。あなたと私の間に、縦の関係はない」



 「……でも、ヴェイルさんは敬語なんですね」



 言ってから、少し突き放した言い方だったと思った。

 けれど、ヴェイルは気にした様子もなく頷く。



 「これは性分です」



 「性分」



 「ええ。礼儀というより、距離の測り方です。

  近すぎる言葉は、時に相手を不用意に踏みます。私は、それがあまり得意ではありません」



 さらっと言われて、返す言葉に少し困った。



 「……なら、俺も敬語のままで」



 「無理をしているなら不要です」



 「じゃあ、やめる」



 「はい」



 「切り替え早いな」



 「無理をしない方が、証言の精度は上がります」



 「……結局、そこなのかよ」



 「はい」



 その返事があまりに自然で、少しだけ気が抜けた。


 ヴェイルは椅子を勝手に引かなかった。

 医務室の入口近くで一度止まり、こちらを見る。



 「座っても?」



 「ああ」



 「ありがとうございます」



 椅子が床を擦る音は、小さかった。


 ヴェイルは紙袋を脇の台に置く。

 中から、硬そうな焼き菓子の匂いがした。

 甘いというより、麦と木の実の匂い。



 「見舞い品です。医務官に確認済みですので、食べられない物ではありません」



 「そこ、確認するんだな」



 「患者を見舞いに来て、患者を悪化させるのは非効率です」



 セブンがわずかに鳴る。



 《評価:合理性あり》



 「ありがとうございます」



 ヴェイルはセブンへ軽く視線を向けた。


 怖がらない。

 珍しがりもしない。

 ただ、そこにいる相手として扱っている。


 それが少し意外だった。



 「聞き取りって、昨日の続き?」



 「半分は。もう半分は、私個人の確認です」



 「個人?」



 「魔術現象の専門家として、です」



 ヴェイルは記録板を膝の上に置き、縁から短い金属筆を抜いた。



 「まず、ボーダーレイヤーについて。会議では簡略化しましたが、王国の既存転移術とは全くの別物です。少なくとも、魔導機関の公開資料に一致する現象はありません」



 「公開資料には、ってことは」



 俺は言葉を返した。



 「非公開ならあるかもしれないってことか」



 ヴェイルはすぐには否定しなかった。



 「私が言える範囲では、ありません」



 その言い方で、部屋の温度が少し下がった気がした。

 セブンが淡く光る。



 《補足:否定範囲の限定を確認》



 「はい。限定しています」



 ヴェイルはセブンの言葉を嫌がらなかった。



 「国家機関に完全な透明性はありません。魔導機関も例外ではない。ですから私は、“言えない”とは言えますが、“知らない”とは言えません」



 正直なのか。

 逃げているのか。


 判断しにくい。


 けれど、昨日の会議室で聞いたどの言葉よりは、信用できる気がした。



 「あの場所は、俺の世界に似てた」



 「報告で聞きました」



 「でも……本物じゃなかった」



 「なぜ、そう判断しましたか?」



 「建物も文字も信号も同じだった。けど……人が生きた跡が抜け落ちてた」



 《補足:当ユニットの分析も概ね一致。都市構造は成立していたが、継続使用に伴う損耗や流体循環に不自然な欠落を確認》



 ヴェイルは小さく頷く。



 「なるほど……模倣精度は高いが、生活痕跡が再現されていない、と」



 少し考えてから、静かに付け加えた。



 「人工的に構築された空間か、あるいは何かを写し取った痕跡か。現時点では、その程度までしか言えません」



 セブンが鳴る。



 《評価:観測事実に基づく妥当な分析。推論の飛躍も少ない》



 「お前ら、仲良くなれそうだな」



 《否定。評価対象は発言内容であり、人物ではない》



 「はい。私も同意します」



 「そういうとこだよ」



 少しだけ息が抜けた。


 胸は痛い。

 けれど、昨日の会議室とは違う痛みだった。


 ヴェイルは次に、記録板の留め具を外した。



 「次に、魔装について」



 「ハルトとゴードンが使ったやつか」



 「はい。青黒い翼状魔装と、赤黒い殻状魔装。どちらも王国制式魔導兵装とは異なります」



 「つまり、魔導機関じゃない?」



 「少なくとも、王国が公開している魔導兵装ではありません。他国の技術にも、近似する公開設計はない」



 「……また"公開"、か」



 「はい。また公開です」



 ヴェイルは悪びれない。



 「魔王軍は?」



 「可能性はあります。ですが、現時点では根拠が薄い」



 「前線で見たことないって、エルド将軍も言ってたな」



 「魔王軍は、強力です。

  しかし技術の出方には傾向がある。少なくとも、今回の魔装士は“魔王軍らしい”とは言いにくい」



 また、その話に戻る。


 ……結局、そこは誰もはっきり言わなかった。


 保留された捜索。

 置き去りにされた三人。

 回収されていない遺体。

 残っているかもしれない敵。


 俺は左手でシーツを掴む。



 「女性型ゴーレム……アニエス・ソレルについてはどう思う?」



 ヴェイルが俺を見る。


 

 「王国のゴーレム技術は、基本的に労務、築城、運搬、あるいは限定的な防衛用途です。

 ……大型戦闘用の試作に関する基礎研究もなくはないですが、そこまで指揮支援と広域制圧に振り切った機体は、少なくとも表向きにはありません」



 表向き……てことは。



 「裏向きには?」



 「私が言える範囲では、ありません」



 また、同じ答えだった。


 俺は少しだけ、ヴェイルを見る。



 ——アニエスの構造。



 アリスが言った、A.Li.C.Eシリーズとの類似。


 ……言うべきか?


 王国は、昨日あの三人を「保留」と呼んだ。

 その王国に、アリスとエナ。二人を"造った"って奴のことをどこまで話す?


 言えば、何か進むかもしれない。

 でも、それはアリスを差し出すことになる気もした。



 俺は口を閉じた。


 ヴェイルは待っていた。


 急かさない。

 尋ねない。

 ただ、俺が言うかどうかを見ている。


 それが逆に、気づかれているみたいで嫌だった。



 「……見た目は、変だった」



 俺はそれだけ言った。



 「白と赤。王冠みたいな頭。盾みたいな翼。処刑台みたいな感じだった」



 「……処刑台」



 ヴェイルはその言葉だけ、記録板に書いた。



 「良い表現です。外観設計の意図が、そのまま心理圧に繋がっている」



 「褒められてる気がしねぇ」



 「褒めています。表現が具体的で、こちらも思い浮かべやすい」



 「どうも」



 ヴェイルはペンを止めた。



 「他に、言いにくい情報はありますか?」



 心臓が、一度だけ強く鳴った。


 セブンは何も言わない。

 壁際で沈黙している。


 俺はヴェイルを見る。



 「……ねぇよ」



 ヴェイルは、ほんの少しだけ頷いた。



 「では、そういうことにしましょう」



 「……疑わねぇのな」



 「疑っています」



 即答だった。



 「ただし、今ここで無理に聞き出せば、あなたは私を信用しなくなる。信用しない相手から出る証言は、精度が落ちます」



 「そこ、計算かよ」



 「はい」



 嫌な言い方ではある。でも、誠実でもある。

 だから、不思議と嫌いにはなれなかった。



 「それに」



 ヴェイルはペンを置く。



 「あなたが何かを伏せる理由が、保身だけとは限りません。誰かを守るための沈黙なら、責める前に理由を確認するべきです」



 何も言えなかった。


 セレスとも違う。

 エルド将軍とも違う。

 優しいのではない。

 ただ、結論に飛びつかない。


 それが今は、ありがたかった。


 俺は話題を変えるように言った。



 「なあ」



 「はい」



 「ルーンヴァイスって、ルルと同じ家名だよな」



 ヴェイルの手が止まった。

 今度の間は、さっきより少しだけ長い。



 「ルセリアをご存じなのですね」



 「こっちに召喚された時、最初に会ったのがルルだった」



 「そうでしたか」



 ヴェイルは視線を少しだけ下げた。



 「私は本家ではありません。遠縁です」



 「遠縁?」



 「はい。ルーンヴァイス家は、王国建国以前から星見に関わる家系です。ただ、一族すべてが同じ役割を担うわけではありません」



 「ルルは、"星の巫女"って奴だよな」



 「ルセリアは、民に見せる光を扱う方です」



 その言い方は、少しだけ柔らかかった。



 「祈り、暦、祭儀、星の導き。人が空を見上げる時、そこに意味を与える側です」



 「じゃあ、あんたは?」



 「私は、見せない数字を扱う側です」



 ヴェイルは淡々と言った。



 「星がいつ動いたか。世界がどこで歪んだか。祈りの言葉から削ぎ落とされた、記録と誤差と再現性。それが私の仕事です」



 ルルの顔が浮かぶ。


 王都で、空を見上げていた姿。

 笑うと年相応なのに、時々、こっちが触れられない場所を見ているような目。



 「同じ家系でも、ずいぶん違うんだな」



 「同じ根から伸びた枝です。向きが違うだけで」



 「仲は?」



 聞いてから、少し踏み込みすぎたかと思った。


 ヴェイルは怒らなかった。

 困った顔もしない。



 「悪くはありません。ただ、近くもありません。星の巫女は民の前に立つ。私は、基本的に地下か研究棟の上です」



 「なんか寂しいな」



 「仕事ですから」



 「仕事で済むのかよ」



 ヴェイルは少しだけ考えた。



 「済ませてきました」



 その言葉だけ、他の説明より少しだけ低かった。


 すぐに、ヴェイルは記録板を閉じる。



 「長くなりました。医務官に怒られる前に退室します」



 「怒られんの、嫌なのかよ……」



 「医務官は、軍上層部より交渉が困難です」



 「まぁ……分かる」



 《評価:同意》



 「お前もかよ」



 ヴェイルは立ち上がった。


 椅子を戻す。

 紙袋は台の上に置いたまま。



 「焼き菓子は、昼食後に。空腹時に食べると喉が渇きます」



 「詳しいな」



 「医務官に言われました」



 「なるほど……」



 扉へ向かいかけて、ヴェイルは一度だけ足を止めた。



 「ミナセ・リクさん」



 フルネームで呼ばれると、少しだけ背筋が伸びる。



 「境界層の再調査は、必要です。あなたの帰還のためにも、未回収者のためにも。ただし、あなたが今動けば、調査対象が一つ増えるだけです」



 「……俺が要救助者になるだけ……ってやつな」



 「はい、そのとおりです」



 セブンが鳴る。



 《同意》



 「こら、二人して言うな」



 ヴェイルは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 笑った、というほどではない。

 でも、冷たい感じはしなかった。



 「療養してください。それも、現時点では作戦行動の一部です」



 俺は、ヴェイルの脇で閉じられた記録板を見た。

 さっき並べられた言葉が、頭の中に残っていた。



 ……俺は、この世界のことを何も知らない。


 転移者とはなにか。

 魔術が何で、魔導機関が何をしていて、魔王は何を探してるのか。

 セブンが何なのか。

 俺が呼ばれたことに、どれだけの意味があるのか。


 知らないまま、走っていた。

 知らないまま、戦っていた。


 その結果、守れなかったものがある。



 「……俺、知らないこと多すぎるな」



 声に出すつもりはなかった。


 ヴェイルは、扉へ向かいかけていた足を止めた。

 少しだけ振り返る。



 「当然です」



 「いや、当然って」



 「あなたは、この世界に来て日が浅い。しかも、最初から戦場と政治の只中に置かれている。体系的に学ぶ時間がなかった」



 責める声ではなかった。

 ただ、事実を棚に戻すみたいな言い方だった。



 「知れば、変わる?」



 「少なくとも、判断材料は増えます」



 「判断材料……か」



 「ええ。知識は正解を保証しません。ですが、間違い方を選べるようにはなります」



 その言い方が、少しだけ引っかかった。

 でも、不快ではなかった。



 「機密情報は教えられません」



 「いきなり冷てぇな」



 「王立魔導機関の研究員ですので」



 「その辺、ちゃんとしてんのな」



 「そこをちゃんとしない研究員は、長生きできません」



 淡々と言われると、冗談なのか本気なのか分からない。


 ヴェイルは続けた。



 「ただし、公開研究の範囲であれば説明できます。転移者制度。基礎魔術理論。魔導機関とルーンヴァイスの関係。王国と帝国の研究史。

  あなたが知っておくべきことは多い」



 「それ、今聞いていいか?」



 「駄目です」



 即答だった。



 「重症者相手に講義するには、内容が多すぎます」



 「医務官みたいなこと言うな」



 「医学的にも妥当です。加えて、あなたは講義中に反論するタイプに見える。体力を使います」



 「否定できねぇ……」



 ヴェイルは、そこでほんの少しだけ表情を緩めた。


 笑った、というほどではない。

 けれど、会議室で見た無機質さとは少し違った。



 「怪我を治してください」



 「治ったら?」



 「私を訪ねてきてください。王立魔導機関、技術解析局。受付で私の名を出せば、伝わるようにしておきます」



 「そこ、普通に入れるのか?」



 「普通は入れません」



 「じゃあ、駄目じゃねぇか」



 「私が許可を出します」



 さらっと言った。


 その一言で、少なくともこの人が、ただの末端研究員ではないことは分かった。



 「……いいのかよ」



 「必要だと判断しました」



 ヴェイルは扉の取っ手に手をかける。



 「あなたは、知らないまま動きすぎている。ですが、知らないまま動ける人間だから見えるものもある」



 「褒めてるのか、それ」



 「分析結果です」



 「セブンみたいなこと言うな」



 《正式に遺憾を表明》



 壁際からセブンが即座に言った。

 ヴェイルは初めて、少し目を細めた。



 「面白い相棒ですね」



 「だろ? たまに腹立つけどな」



 《補足:相互評価として妥当》



 「は? お前もそう思ってんのかよ」



 《肯定》



 「即答すんな」



 少しだけ、空気が緩んだ。


 ヴェイルは扉を開ける前に、もう一度こちらを見た。



 「今は眠ってください、ミナセ・リクくん。講義は、あなたが椅子に座って最後まで聞ける状態になってからです」



 「……分かった」



 「では、お大事に」



 見舞いの言葉だけは、普通だった。


 扉が閉まる。

 医務室に、薬草の匂いと朝の光が戻ってくる。


 俺はしばらく、閉まった扉を見ていた。



 「……見て回るだけで、わかる世界じゃねぇってことか」



 《分析:対象・ヴェイルは、知識供給源としての利用価値は高い》



 「だよな」



 転移者、魔術、王国、魔王、ルーンヴァイス。

 

 それだけじゃない。


 この世界じゃ、子どもでも知っているようなことすら、俺は知らない。


 なら、知るしかない。


 今は立てない。

 歩けない。

 走れない。


 だから、まず治す。


 それが、今できる一番腹立たしい前進だった。


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