表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部8話『灰色の境界』
PR
113/117

第2幕『責任の置き場所』


 車輪の音が、廊下にひっかかっていた。


 石床の継ぎ目を越えるたび、椅子が小さく跳ねる。

 そのたびに胸の奥が軋んで、俺は息を細く吐いた。



 医務官は最後まで反対していた。



 「出席など論外です。発熱も残っていますし、肋骨の固定も終わったばかりです。証言だけなら、この場で聞き取りを——」



 そう言っていた医務官の顔を、俺は覚えている。


 年配の女の人だ。

 目の下に皺があって、袖口には薬草を刻んだ青い染みが残っていた。

 怒っているというより、呆れていた。


 けれど、廊下の向こうから来た軍の伝令は、医務官の顔色より紙の方を見ていた。



 「当事者証言が必要とのことです。議長名義での召喚状です」



 ——召喚状。



 俺はその単語を聞いた瞬間、少しだけ笑いそうになった。

 召喚された異世界人が、今度は会議に召喚される。


 笑えない冗談だ。



 セレスが、車輪付きの椅子を押してくれている。



 「無理なら、今からでも戻すわ」



 背中越しに聞こえる声は硬かったけど、車椅子を押す手は慎重だ。

 段差の手前で一度止まり、身体に響かない角度を探してから、ゆっくり進む。



 「戻ったら、どうなる?」



 「私が一人で証言する。あなたの発言は後日書面で提出。医務官の診断書を添付して、欠席理由は成立する」



 「で、向こうは?」



 セレスは少しだけ黙った。



 「……あなたたちが、都合の悪い場を避けた、と言う人間は出るでしょうね」



 「だろうな」



 腹が立ったわけじゃない。


 ……いや、立っていた。

 でも、それより、身体の奥が冷える。


 俺は膝の上に置かれた左手を握った。


 右腕は布で吊られたまま、ほとんど動かせない。

 セブンは車椅子の右側に固定されている。

 黒い刀身が布に巻かれ、ただの長い荷物みたいに見えた。



 《補足:現在のユーザー状態で長時間の着席は非推奨》



 「知ってる」



 《再検討を提案》



 「却下。漢字二文字で却下」



 《評価:非合理》



 「三文字で返すな」



 セレスが小さく息を吐いた。



 「二人とも、会議室に入る前から揉めないで」



 「揉めてねぇよ」



 《訂正:当ユニットの認識は意見交換》



 「それを世間では揉めてるって言うの」




 廊下の先に、重い扉が見えた。

 扉の前には衛兵が二人。

 槍を持って、こっちを見ている。


 その視線が、俺の顔から右腕へ落ちる。

 次に、セブンへ移る。


 警戒。

 同情。

 あと、ほんの少しの面倒臭そうな気配。



 ——それが、妙に現実的だった。




 扉が開く。


 熱がこもった空気が、こちらへ流れてきた。


 部屋の中は広かった。

 けれど、広さより先に、匂いが来た。

 蝋燭の油。

 乾いた羊皮紙。

 濡れた外套を部屋の隅で乾かしているような、少し重い布の匂い。


 長い卓が置かれ、その上には地図と書類が重なっている。



 俺たちが入ると、会話が一瞬だけ止まった。


 エルド将軍が、いちばん先にこちらを見た。

 白く混じった髭を撫でる手を止め、眉間の皺を深くする。



 「……その状態で、キミが呼ばれたのか」



 低い声だった。


 議長席に座っていた神経質そうな文官が、書類をめくる手を止めた。

 たぶん、この会議をまとめる立場なのだろう。

 けれど、顔色はまとめる側というより、揉め事の真ん中に置かれた人間のそれだった。



 「当事者証言が、必要と判断されましたので」



 「医務官の許可は?」



 「限定的な出席です」



 エルド将軍の問いに答えたのは、セレスだった。

 椅子を俺の席まで押し、脇に立つ。


 姿勢が変わる。

 医務室で俺に蜂蜜入りの薬草水を置いていった人とは、別の顔だ。



 「王国軍監察局直属、特命監察官セレス・ヴェルスタン。現場責任者として出席します」



 その声で、部屋の空気が少しだけ締まった。


 卓の向こう側に、女の軍人が座っていた。

 銀縁の眼鏡越しに、セレスを見る。

 髪はきっちりまとめられ、指先で書類の角を揃えている。

 感情のない動作だった。



 「……フェルゼン少将」



 セレスが小さく頭を下げる。


 ……コルティア・フェルゼン少将。セレスの上官。

 軍部の中でも完全に管理派。俺たちを危険因子とみなしてる筆頭だ。



 「挨拶は後でいいわ。座りなさい」



 冷たい声。

 でも、セレスを立たせて晒すつもりはないらしい。


 その隣にいた、妙に袖口の飾りだけ目立つ男が、鼻で笑った。



 「随分と手厚いことですな。

  監察局は、情に厚い部署になったようで」



 年は三十代半ばくらい。

 服は整っているが、袖口の飾りだけが妙に目立つ。

 その指が、羽根ペンの先で机を軽く叩いていた。



 「彼は、技術監査官付副官、アドラ・ベイラム」



 セレスが小声で教えてくれる。

 管理派の一人だって言ってた奴か……。


 アドラの隣には、氷柱みたいな女がいた。

 白に近い金髪を首の後ろでまとめ、ほとんど瞬きをしない。

 卓の上の数字だけを見ている。

 書記が「戦略室主任、エステラ・リューネ」と読み上げた時も、彼女は顔を上げなかった。


 奥の席では、文官らしい男が薄い手袋を直している。

 ローレンス・ディルク外務調整官。

 帝国との折衝を担当している、と誰かが囁いた。


 その反対側には、大柄な将軍が椅子を軋ませて座っていた。

 バルトラム・グレイヴ中将。

 胸の勲章が多い。

 多すぎて、歩くたびに鳴りそうだった。


 向かいにはひとり。


 魔導機関の人間らしく、濃紺の長衣を着ている。

 袖口から覗く指先に、黒いインクが残っている。



 「王立魔導機関、技術解析局。主幹研究員、ヴェイル・ノクス・ルーンヴァイス」



 書記がそう読み上げた。



 「……ルーンヴァイス?」



 その家名に少し、引っ掛かりを覚える。



 ……正直、全員の肩書きはもう覚えきれない。

 だが、分類はできた。


 俺たちを危険物みたいに管理したい連中が三人。

 魔王戦に使いたい軍人が一人。

 帝国を巻き込みたい外交屋が一人。


 そして、何を考えてるのかよく分からない魔導機関の研究者が一人。


 味方らしい味方は、エルド将軍だけ。



 ——今は、それだけ覚えておけば十分だ。



 そこで、議長が咳払いをする。



 「では、緊急査問を始めます。議題は、北東街道沿いの村落域における集団失踪事件、および未確認境界層への侵入、戦闘、民間人死亡に関する——」



 「議題が多すぎますな」



 アドラが、いきなり遮った。


 議長の手が止まる。

 紙が一枚、ずれた。



 「まず確認すべきは一つです。特命監察官セレス・ヴェルスタンと召喚者一行は、なぜ任務外の未知領域突入を実施したのか」



 部屋の空気が、そこへ吸い寄せられた。


 エルド将軍の眉が動く。

 バルトラム中将は腕を組んだまま、興味深そうに笑った。

 ローレンス外務調整官は、ため息をつくように顎を引いた。


 セレスは動かなかった。



 「当該突入は、私の現場判断です」



 その声は、揺れなかった。

 アドラの羽根ペンが止まる。



 「ほう。では、命令違反を認めると?」



 「いいえ。失踪調査任務の延長です」



 セレスは淡々と答えた。



 「現場では、失踪地点と同座標上に未知の位相異常が確認されました。失踪事件との関連性が極めて高いと判断し、調査を優先しました」



 「そして、召喚者を戦闘へ投入した」



 「当初の目的は調査です。

  敵性存在との接触は想定外でした」



 「結果、死者が出た」



 胸の奥が、ひゅっと縮んだ。


 ルカの顔が浮かぶ。

 あの小さな身体。

 アリスの腕。

 母親の声。


 俺は左手で椅子の肘掛けを握った。


 セレスは一拍だけ黙った。

 でも、目を逸らさなかった。



 「はい、死者が出ました」



 部屋の中で、ペンの音が止まる。



 「その事実は記録すべきです。ただし、その場で突入しなければ、救出された村人の一部も死亡、あるいは未回収となっていた可能性が高い。

  判断の妥当性と結果責任は、分けて検証すべきです」



 「便利な言い方だ」



 アドラが笑う。



 「失敗した時だけ、結果と判断を分ける。いかにも女らしい他責的な処理ですな」



 隣で、セレスの指がわずかに動いた。

 眼鏡の縁へ触れかけて、止まる。


 先に声を出したのは、コルティア少将だった。



 「アドラ副官」



 冷たい一言だった。

 アドラの笑みが少しだけ固まる。



 「監察局の人事評価に、技術監査官付副官の所感は不要です」



 「しかし、少将。これは——」



 「不要です」



 二度目は、もっと短かった。


 コルティア少将は書類を閉じた。

 薄い音が、卓上に落ちる。



 「セレス・ヴェルスタン監察官の判断に不備があったかどうかは、監察局が検証します。

  あなたの興味が彼女の性別に向いているなら、それは事件調査ではありません」



 部屋が、少しだけ静かになった。


 セレスは何も言わない。

 ただ、背筋を伸ばしたまま、膝の上の書類を押さえていた。



 「それで」



 バルトラム中将が、重い声で割り込んだ。



 「召喚者は、まだ戦えるのか。後遺症は?」



 視線が俺に来る。

 いや、俺じゃない。

 俺の使い道を見ている。



 「この負傷が回復すれば、魔王討伐作戦に投入可能か。

  あの黒い剣も含めてだ」



 《警告:当ユニットの運用判断に、当ユニットの同意が含まれていない》



 セブンの声が、布の中から響いた。


 議長がぎょっとする。

 ローレンス外務調整官が目を細める。

 バルトラム中将は、むしろ笑った。



 「セブンは俺の持ち物じゃない」



 思ったより低い声が出た。


 胸が痛む。

 でも、止まらなかった。


 バルトラム中将の目が、面白がるように細くなる。



 「少年。戦争では、使えるものを使う」



 「人も、ですか」



 「当然だ」



 即答だった。


 その一言で、この人とはたぶん分かり合えないと思った。



 「グレイヴ中将」



 エルド将軍が低く言った。



 「この場は作戦会議ではない」



 「ならば何の会議ですかな、エルド将軍。

  責任者を吊るす会議か。民間人の死を悼む会か。どちらにせよ、戦争は終わらん」



 ローレンス外務調整官が手袋の皺を伸ばした。



 「終わらせる方法ならあります。王国単独で抱え込むから話が歪む。帝国との共同調査、および軍事協定の再交渉を——」



 「帝国に借りを作れと?」



 バルトラム中将が鼻で笑う。



 「借りではありません。現実的な調整です。未確認境界層、魔装士、女性型ゴーレム。王国単独で説明不能な事象が連続している。

  ここで面子にこだわる方が危うい」



 「帝国に情報を渡せば、魔王軍より先に王都の喉元を測られるぞ」



 「では、突如あらわれた召喚者と古代兵器に頼るのですか?」



 言葉が、卓上でぶつかる。


 魔王。

 帝国。

 責任。

 命令違反。

 技術漏洩。

 監察局。

 魔導機関。


 誰も、ルカの名前を言わなかった。

 誰も、あの母親の声を知らない。


 いや、知る必要がないのかもしれない。

 この人たちには、紙に書けるものだけが必要なのだ。



 「そもそも」



 ローレンスが、また手袋を弄る。



 「敵国工作と決めるには証拠が薄い。魔導事故として処理するには規模が大きすぎる」



 アドラは羽根ペンを回した。



 「あるいは魔王軍ですかな」



 エルド将軍が言った。



 「前線では見たことのない技術だが」



 アドラが肩をすくめる。



 「未知の兵装、未知の空間、未知のゴーレム。魔王軍の新戦力と言われても否定はできません。

  違法研究の線もあるが、そうなると責任は王国内部へ向く。であれば、まず現場の逸脱行為を確定させるのが筋だ」


 

 「つまり、俺たちのせいにしたいってことか」



 部屋の視線が、俺に集まった。

 言ったあとで、少しだけ後悔した。

 でも、引っ込める気にはならなかった。


 アドラが口元を歪める。



 「被害者意識がお強い」



 「違う」



 俺は息を吸った。

 胸が痛い。

 声が少し掠れる。



 「俺たちの判断が全部正しかったなんて言ってない。ルカが死んだのも、俺が判断を間違えたからだって、何度も考えた」



 「っ……! リクくん!」



 セレスが、こちらを見る気配がした。

 俺は見返さなかった。



 「でも、まだ帰ってない人がいる。女の人が三人。死んだって決まってない。

  なのに、なんで先に責任の置き場所を探してんだよ」



 誰もすぐには答えなかった。


 エステラ主任が、初めて顔を上げた。

 氷みたいな目が、こちらを見る。



 「捜索には人員が要ります。境界層への再侵入手段は不安定。敵戦力の残存も不明。死亡推定の高い対象に、現時点で兵を割く優先度は低い」



 「死亡推定って」



 「数字の話です」



 「人の話だろ」



 エステラ主任は瞬きしなかった。



 「戦略室では、数字として扱います」



 その言い方は、冷たかった。

 でも、嘘はなかった。

 だから余計に腹が立った。



 「人道的捜索は必要だ」



 エルド将軍が言った。

 ゆっくりと、だがはっきり。



 「救出された村人の証言を軽んじれば、今後、辺境域の協力は得られん。

  遺体の回収も同じだ。死者を置き去りにする軍を、民が信用すると思うな」



 「情緒論ですな」



 アドラが言う。



 「兵站論だ」



 エルド将軍の声が、少し低くなる。



 「民が逃げ、村が閉じ、街道が荒れれば、軍は動けん。

  死者を弔うことも、生存者を探すことも、戦略の外にある話ではない」



 部屋の空気が、少し変わった。



 ——その時。



 「一点、よろしいでしょうか」



 静かな声がした。



 ヴェイル・ノクス・ルーンヴァイスだった。


 彼は今まで、ほとんど発言していなかった。

 卓上に置かれた金属片を、細い器具で軽く叩いている。

 音を聞いているようにも見えた。


 議長が、ほっとしたような顔で頷く。



 「ルーンヴァイス主幹研究員。どうぞ」



 「責任の所在は、後で構いません」



 アドラの眉が動いた。



 「後で?」



 「はい」



 ヴェイルは顔を上げた。

 目立つ声ではない。

 けれど、不思議と部屋の端まで届いた。



 「民間人の犠牲、責任の所在も重要です。ですが、今回の事案で最も"異常"なのは、それらではありません。

  同一座標上に、異界都市を模倣した"境界層(ボーダーレイヤー)"が形成されていたことです」



 サンドボックス・シティ。


 あの空っぽの街。

 信号。

 ガラスの建物。

 意味の通じる文字。

 でも、生活の抜け落ちた場所。


 俺は背中に汗が滲むのを感じた。



 「境界層?」



 ローレンス外務調整官が眉をひそめる。



 「既存転移とは違うのかね」



 「違います。転移は座標間の接続です。今回の報告では、座標そのものは村の十字路と一致している。

  ずれているのは、位置ではなく(レイヤー)です」



 ヴェイルは、卓上の紙に指を置いた。

 何かを書き込むのではなく、紙を二枚重ねるように動かす。



 「こちらの紙と、こちらの紙。穴を開けて移動したのではなく、重なった紙の隙間へ足を踏み入れた。

  そういう現象に近い」



 分かりやすい。

 でも、簡単にされたせいで、余計に気味が悪かった。



 「それと魔装士に何の関係が?」



 コルティア少将が問う。



 「現時点では断定できません」



 ヴェイルはすぐに言った。



 「ただし、ゴードン、ハルトと呼ばれる二名が展開した"魔装"という技術。

  加えて、女性型ゴーレム、アニエス・ソレル。いずれも現行の魔導兵装の設計思想から外れています」



 アドラが身を乗り出す。



 「既存技術ではないと?」



 「少なくとも、公開系統ではありません」



 「では、非公開系統なら?」



 その言葉に、部屋の何人かが動いた。


 コルティア少将は表情を変えない。

 エステラ主任は書類に視線を戻す。

 議長は喉を鳴らした。


 ヴェイルだけが、淡々としていた。



 「その場合、ここで責任者探しをしている全員が、調査対象になり得ます」



 部屋が、静かになった。


 アドラの顔から、笑みが消える。



 「……言葉には気をつけられた方がよろしいかと」



 「気をつけています」



 ヴェイルは、金属片を布の上へ置いた。



 「だから断定していません。必要なのは、現場保存、境界層の再観測、救出者証言の保全、未回収者の捜索です。

  死亡推定の高さは、調査打ち切りの根拠にはなりません。むしろ、何が起きたかを確定するための理由になります」



 初めて、この部屋でまともなことを聞いた気がした。


 いや、エルド将軍もセレスも言っていた。

 でも、ヴェイルの言葉は違う場所から来ていた。


 助けたいから探す、ではない。

 真相に近づくために探す。


 冷たいようで、でも、今はそれでもよかった。



 「しかし、兵を割く余裕はない」



 エステラ主任が言う。



 「前線補充の遅延が出ています。境界層への再突入には護衛、観測班、回収班、治療班が必要です。最低でも一個小隊規模。さらに失敗時の政治的責任が——」



 「また責任かよ」



 口から漏れた。


 今度は、誰も笑わなかった。


 議長が両手を重ねる。

 汗ばんだ指が、紙の端を少し濡らしていた。



 「本件については、捜索隊編成を……保留とします」



 エルド将軍が目を細めた。



 「保留?」



 「現時点では、追加調査の必要性は認めつつ、兵力配分および指揮責任の整理が未了です。したがって、次回協議まで——」



 「その間に死ぬかもしれないだろ」



 俺の声だった。


 思ったより大きかった。

 胸が痛んで、息が詰まる。


 セレスが一歩動きかけた。

 でも、俺は左手を上げて止めた。



 「三人、まだ生きてるかもしれない。なのに、次回協議まで待てって?」



 議長は俺を見ない。

 書類を見ている。



 「可能性の問題です。生存可能性と、救出可能性と、作戦成功率は別に——」



 「別にしてる間に、人は死ぬだろ」



 静かになった。


 左手が震えていた。

 怒りのせいか、熱のせいか、分からない。


 セブンが、布の中で淡く鳴る。



 《警告:ユーザーの心拍上昇。発熱傾向増加》



 「分かってる」



 《再度、退室を提案》



 「まだだ」



 セレスが俺の肩に触れた。

 押さえつけるでも、止めるでもない。

 ただ、そこに手を置いた。



 「リクくん」



 仕事用の声じゃなかった。

 小さい声だった。



 「ここでは、これ以上は通らない」



 その言葉が、いちばん痛かった。


 戦えば、勝てるかもしれない。

 走れば、届くかもしれない。

 でも、ここでは違う。


 正しいだけでは通らない。

 怒っても通らない。

 泣いても通らない。


 コルティア少将が、セレスを見た。



 「ヴェルスタン監察官。負傷者を医務室へ戻しなさい」



 「……はい」



 セレスは椅子の持ち手に手をかけた。

 アドラが、最後に小さく言った。



 「感情優先の非論理的な証言でしたな」



 セレスの手が止まる。


 俺が何か言うより早く、コルティア少将の声が飛んだ。



 「アドラ副官」



 「はい」



 「次に同じことを言えば、あなたの発言記録を監察局へ提出します。技術監査官付副官が、負傷した当事者証人を挑発した記録として」



 アドラの口が閉じた。


 コルティア少将は、こちらを見ない。

 書類へ視線を落としたまま、続ける。



 「ヴェルスタン監察官。早く」



 「はい」



 セレスが椅子を押す。


 扉へ向かう途中、ヴェイルと目が合った。

 いや、合った気がした。


 彼は俺を見ていたのか、セブンを見ていたのか分からない。

 ただ、その手元の金属片だけが、蝋燭の光を受けて鈍く光っていた。


 扉が開く。


 廊下の空気は、会議室より少し冷たかった。

 車輪が石床の継ぎ目を越える。


 胸が痛む。

 頭も熱い。


 それでも、俺は左手を握ったままだった。



 何も決まらないまま、俺は会議室から追い出された。


 いや、違う。


 決まったことはあった。


 生きてるかもしれない三人も、死んだ村人たちも、まだ置き去りにされている。

 そして王国は、それを「保留」と呼んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ