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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部7話『欠けた帰路』
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第1幕『逃走条件』


 赤い隔壁が、夜の裏通りを塞いでいた。


 向こう側の景色は見えている。

 灯りの消えた自販機。意味のない文字列の貼り紙。ひび割れた舗装。遠くの街灯だけが、細い路地の端を頼りなく照らしている。



 ——なのに、通れる気がしない。



 薄い光の膜が一枚あるだけだ。

 それだけなのに、俺たちの足は止まっていた。


 隔壁の向こう、エレノアがアニエス・ソレルを背に立っている。

 背後には、小柄な少女型コア。

 その周囲に、盾と刃と王冠みたいな兵装が、夜の暗がりへ大きく広がっていた。


 エレノアが、赤い壁越しにこちらを見た。



 「では、試してみなさい」



 その声に、ルカがアリスの首へ顔を押しつけた。

 アリスの腕が、ほんの少し深くなる。



 「ルカ。頭部を固定します」



 「……うん」



 俺はセブンを握る。

 握った、つもりだった。


 指に力が入らない。

 柄が手の中で半端に浮いて、右腕の奥がじんと熱くなる。


 くそ。


 さっきまで当たり前に振っていた剣が、今は持ち上げるだけで遠い。

 身体が、勝手に俺を戦場の外へ押し戻そうとしてくる。



 《警告:ユーザーの握力低下を確認》



 「そういうの、実況しなくていい……」



 《補足:把持継続に失敗した場合、当ユニットの戦術投入は困難となる》



 「分かってるよ」



 分かっているから、嫌なんだ。


 今の俺が前に出ても、足手まといになる。

 走れない。跳べない。たぶん、まともに振れない。

 それでも、何もしないで立っているには、目の前の状況が悪すぎた。


 セレスの手が、俺の肩を支えている。


 彼女は一度だけ、俺の右手を見た。

 震えている指。

 持ち上がらないセブン。

 それを見てから、前へ視線を戻す。


 エレノアが薄く笑う。



 「ずいぶん慎重なのね」



 「慎重にならなきゃいけない状況を作った奴が言うなよ」



 「感情的ね」



 「負傷者つれた集団を囲って、処理対象呼ばわりする奴よりは健康的だろ」



 濃い口紅だけが、わずかに歪んだ。



 「青臭いわ」



 その言葉で、セレスの指に少しだけ力が入る。



 「リクくん、挑発に乗らない」



 「乗ってない」



 「乗りかけてる」



 「……はい」



 この人、こういう時は本当に容赦ない。


 エレノアの視線が、セレスへ移った。



 「あなたも随分と必死ね。そんなにその子たちを守りたいの?」



 「現場にいる生存者を外へ出す。それだけよ」



 「それだけ?」



 エレノアは、ゆっくり瞬きをした。



 「弱い者を抱えて、負傷者を庇って、逃げ道まで塞がれて。

  それでまだ、自分は正しいことをしているつもり? 非合理だわ」



 「合理的かどうかの話じゃないわ」



 セレスは、俺の肩を支える角度を少しだけ変えた。

 前に出るためじゃない。

 村人たちから、エレノアの視線を切るためだ。



 「ここにいる人たちは、救助対象よ」



 「言葉を変えても、足手まといは足手まといよ」



 「いいえ」



 セレスの声は、それまでより強かった。



 「生きている人間よ」



 その言葉に、ミラが唇を噛んだ。


 ガルドが、無意識に背筋を伸ばす。ユリウスはルカを見たあと、自分の足元を見た。逃げる準備だ。

 次の合図を待っている。


 エレノアは薄く息を吐いた。



 「アニエス・ソレル」



 アニエスの中心に浮かぶ少女型コアが、わずかに顔を上げた。


 返事はない。

 表情もない。


 それでも、命令を聞いたことだけは分かった。

 エレノアが手袋の留め金を、赤い爪で軽く叩く。



 「“スカーレット・ステイク”」



 左右に浮かぶ盾状装甲が開いた。

 その継ぎ目に赤い光が走る。



 ——槍だ。



 細く、長い。

 処刑台に並べられた杭みたいな赤い槍が、暗い空中に一斉に並ぶ。


 嫌な予感より先に、セレスが叫んだ。



 「全員、伏せて!」



 赤い槍が落ちる。


 セレスが叫ぶより、アリスとエナの方が早かった。



 「射出します」



 アリスのワイヤーが、夜の裏通りに銀線を引いた。

 壁の配管。折れた街灯。転がった標識の支柱。引っかけられる場所へ、迷いなく線を打ち込む。


 同時に、エナの装甲片が散った。

 ライムグリーンの光が、俺たちの前で重なる。



 「通しませんっ!」



 狭い路地に合わせて、小さな盾面が斜めに何枚も並ぶ。

 落ちてくる角度をずらして、逸らすための壁だ。


 ギィンッ、と金属音が弾けた。


 一本が盾で跳ねる。

 別の一本はワイヤーに触れ、軌道をわずかに逸らされた。

 壁に刺さる。舗装を砕く。火花が、暗い路地を一瞬だけ白く照らす。


 一本、俺たちのすぐ横に落ちた。

 衝撃が胸に響いた。



 「っ、ぐ……!」



 息が詰まる。


 痛い。

 普通に痛い。


 でも、当たってない。

 それだけで、今は御の字だ。



 《推定:初撃は制圧目的。精密照準ではない》



 「だったら……次は狙って来るな」



 俺が言うより先に、エレノアの目が細くなった。



 「アニエス。あの女からやりなさい」



 指先が、セレスを示す。



 ——まずい。



 セレスは俺を支えている。

 避けられない。俺も支えから外れたら、立っていられるか怪しい。



 「セレスっ!」



 言い切る前に、セレスの左手が腰のホルスターへ滑った。

 取り出したのは、手のひらサイズの丸い器具。銀色の縁取り。表面の小さな留め具。


 セレスの親指が、留め具を弾いた。

 カシャン、と小さな音を立てて蓋が開く。

 内側の鏡面に、青白い光が走った。


 一見すると、携帯型の手鏡。

 けど、化粧道具にしては作りが硬い。


 厚い銀縁の奥で、細い術式線が順番に灯っていく。


 

 「多重撹乱術式、展開……"ミラージュ・ミロワール"っ!」



 ポン、と小さく光が弾けた。

 次の瞬間、裏通りにセレスが増えた。



 ——ポン! ポン!



 一人じゃない。

 三人、五人、十人。


 増えたセレスの隣には……俺!?

 全員が俺の肩を支えている。


 ……いや、正確にはそう見える。


 本物のセレスも、幻影のセレスも、同じ角度で俺を支え、同じ顔で前を睨んでいた。青白い輪郭の中に、俺の重みを受ける腕の形まで再現されていた。



 「……え、なにこれ」



 俺の声と同時に、アニエスの照準がぶれた。


 赤い光が、本物のセレスから少し前に出た幻影へ移る。

 次に、別の幻影へ。

 また戻る。


 一番近いセレス。

 俺を支えているセレス。

 エレノアを睨むセレス。


 全部、セレスだ。

 選べていない。


 エレノアの声に、苛立ちが混じる。



 「頭の悪い機体ね。優先度判定を飽和させられた程度で迷わないで」



 「機械相手にキレるの、だいぶ余裕ないな」



 「リクくん、挑発するまえに状況を見て」



 「はい」



 セレスが俺を支えたまま、半歩だけ動く。

 それに合わせて、幻影のセレスたちも散った。


 全員が、少しずつ違う方向へ。

 全員が、俺らしき影を支えたまま。


 夜の路地に、青白いセレスがばらける。


 アニエスを向いていたせいで、エレノアの視線が迷った。


 たぶん、完全に見失ったわけじゃない。

 でも、一瞬でいい。

 その一瞬だけが、今は命を繋ぐ。



 「アニエス。“スカーレット・ステイク”、範囲指定。まとめて潰しなさい」



 盾状装甲の内側で、赤い光が増えた。


 今度は一本ずつじゃない。

 面で来る。


 セレスの幻影たちが、一斉に走る。

 赤い槍が降る。幻影が貫かれる。青白い像が、夜の中で砕ける。


 本物には、当たっていない。

 セレスが息を切らしながらも叫んだ。



 「アリスちゃん、エナちゃん! このまま防御継続!」



 アリスが短く返す。



 「継続可能です」



 「はいっ!」



 槍がまた落ちる。

 エナの盾面が火花を散らす。

 アリスのワイヤーが、跳ねる槍の角度をずらす。


 持ちこたえてる。

 でも、ずっとは無理だ。


 エナの鎧は欠けている。

 アリスだって無傷じゃない。


 セレスの幻影も、今のでかなり魔力を食ったはずだ。

 このまま同じことを続けたら、先にこっちが削り切られる。


 だったら、どこを抜ける。


 前は赤い壁。

 上はアニエス。

 横の路地も細い。囲まれてる。



 くそ、どこだ。


 どこか抜けられそうな場所……!



 《地形スキャン開始》



 セブンの声が俺の手から響く。



 《左手側十七メートル先。地下通路入口を確認。地下構造内に固定障壁反応なし》



 「……地下?」



 思わず顔を上げた。


 左手。

 大通りへ繋がる地下道。

 たしかに、半分崩れた案内板がある。


 見落としていた……。

 いや、見えてはいたけど、逃げ道として見ていなかった。



 「本当か、セブン」



 《肯定。隔壁構造は地表に限定。地下には同種反応なし》



 「下は塞がってない……!」



 セレスが、すぐに左側を見た。

 エナもアリスも、その一瞬だけ視線を向ける。


 暗い。狭い。

 さっきの広域攻撃で、入口のコンクリが欠けて半分埋まりかけている。

 だが、通れないほどじゃない。



 ——問題は、その先だ。



 地下道へ入る時、全員で固まったら終わる。

 狭い入口に人が詰まれば、槍の的になる。



 「セブンくん、通路の幅は?」



 《推定:横二名での通行は困難。一列移動を推奨》



 セレスの目が、すぐに地下道入口へ向いた。



 「先行と後送に分ける。先に抜けた側で、出口を守る人が必要よ」



 エナが前へ出た。



 「あたしが先に行きますっ!」



 迷いがない。

 即答だった。



 「トマスさんも一緒に連れていきますっ。向こうに着いたら、出口を守ります!」



 トマスが目を丸くする。



 「俺、自力で走れる気はしないんだけど」



 「だからですっ!」



 エナが胸を張る。

 欠けた鎧が、小さく鳴った。



 「出口に置いといた方が安全ですっ!」



 理屈は正しい。

 出口側で防御を張れるのは、今この場じゃエナだけだ。


 セレスは俺を支えながら撹乱。

 俺は……走れない。


 状況は最悪だ。

 でも、最悪の中に、一本だけ線が見えた。



 ——とはいえ。



 「賭けだな……」



 口の中で呟く。


 道を塞ぐ隔壁(スカーレット・ライン)を乱発できるなら、詰み。

 紅い杭での攻撃スカーレット・ステイクで入口を潰されたら、詰み。

 エレノアが地下道に気づいて先回りしても、詰み。


 ……詰みばっかじゃねぇか。


 でも、他にベットできる手はねぇ!

 なら、急げ! 相手に考えさせる時間をやるな。


 セレスが短く息を吸った。



 「エナちゃん!」



 「はいっ!」



 「トマスさんを連れて、左手の地下道へ先行。入口で止まらないで。抜けた先で防御を展開して」



 「はいっ!」



 「地下道は一列。中で詰まったら全員が危険になる。トマスさんを抱えたまま、まずあなたが出口側を確保して」



 エナの顔が、引き締まった。

 いつもの元気な返事の前に、自分が最初に行く意味を理解した顔だった。



 「アリスちゃん、村人を順番に地下道入口へ誘導! エナちゃんが抜けたら、次はルカちゃん、ユリウスくん、ミラさん、ガルドさんっ!」



 アリスが短く頷いた。



 「了解。搬送順、記憶しました」



 「はいっ!」



 エナがトマスを抱え直す。



 「トマスさん、揺れます! 歯を食いしばって」



 「落とさないでくれよ」



 セレスが続ける。



 「エナちゃんを信じて」



 「それはもう、信じるしかないな」



 消耗してる。エナも、無傷じゃない。

 それでも、彼女は笑った。



 「リクくんは、敵の照準を見て。声が出なければ、セブンくんに中継させて」



 「……了解」



 悔しいけど、助かった。

 俺が叫ぶより、その方が速い。

 セレスが前を見据えた。



 「行って、エナちゃん!」



 「はいっ!」



 エナが走り出した。

 トマスを抱えたまま、低く、左へ。 

 すぐに、エレノアの視線が動いた。



 「アニエス。逃走経路を——」



 「ミラージュ・ミロワール、撹乱継続」



 セレスの声が、エレノアの命令にかぶさった。


 ——ぽん。



 青白い幻影が弾ける。 建物の中へ向かうセレス。 俺を支えて逆方向へ動くセレス。 アニエスの横を抜けようとするセレス。


 全部が、別々の方向へ散った。

 アニエスの赤い光が割れる。

 どれを撃つか、迷っている。


 その一瞬で、エナが地下道へ届いた。

 二人並べはかたがぶつかりそうな、暗い入り口。

 それを薄く照らす蛍光灯。

 エナがトマスを抱えたまま、暗い通路へ飛び込んだ。


 姿が消える。

 心臓が、嫌な跳ね方をした。


 これで先にも待ち伏せがいたら。 通路が途中で塞がっていたら。

 考えるな。

 そう思うほど、嫌な想像ばかり浮かんだ。


 身体中が痛いせいか、思考まで弱っている。

 まだ起きていない最悪だけが、妙にくっきり見えた。



 《エナの反応、地下を正常に移動中》



 「……助かる、セブン」



 直後に、アリスが動いた。

 ルカを抱えたまま、ユリウスの胴にワイヤーを絡めて引き寄せる。



 「ユリウス。転倒防止を実施します」



 「え、あ、おお!」



 ユリウスの声と同時に、アリスの太腿から、もう一本のワイヤーが地下道へ。


 アリスが走る。


 正確には、走るというより滑る。

 ワイヤーを巻き取る勢いで、路面を噛まずに進む。


 逃げる三人を見て、エレノアの指が下がる。



 「子どもを狙いなさい」



 ルカの肩が跳ねた。

 ユリウスが、とっさに前へ出ようとして、アリスのワイヤーに引き戻される。



 ——ぽん。



 青白い光が弾けた。

 路地に、小さなセレスが現れた。


 六歳くらい。

 小柄で、髪も少し短い。

 眼鏡だけが妙に大きくて、真面目な顔が余計に子供っぽい。


 ぽん。

 ぽん。

 ぽん。


 また増える。


 逃げる子供セレス。

 転んで涙目で立ち上がろうとする子供セレス。

 転んだ子供セレスを助けに行く子供セレス。

 その横で、やたら真面目に眼鏡を押し上げる子供セレス。


 全部、セレスだ。


 挿絵(By みてみん)


 「……」



 エレノアが黙った。

 俺も……ちょっと黙った。


 いや。


 ……これは。



 「……なんか、可愛いな」



 「リクくん! いまツッコミは邪魔!」



 「はい」



 重ねるように叱られた。

 でも、その声は少し苦しそうだった。


 セレスの呼吸が浅い。

 俺を支える腕にも、さっきより力が入っている。


 少しだけ緩みかけた気持ちを、すぐに引き締める。



 「アリス、ルカを低く抱えろ!」



 アリスに向かって叫ぶ。

 いや……叫び声ってほど大きな声は出なかった。

 それでも、胸がズキリと痛んだ。



 「把握しました」



 アリスがルカを抱えたまま沈む。


 赤い槍が、子供セレスの群れへ降った。

 青白い小さな影が、次々と砕ける。


 ルカが目を閉じる。

 ユリウスがその肩を守るように寄る。


 でも、二人には当たらない。


 ……当たらせない!



 アリスが地下道へ滑り込んだ。


 ユリウスも続く。

 ルカを抱えたアリスの影が、階段の暗がりへ消えた。



 《アリスおよび二名、表通り方向へ移動》



 「よし……!」



 胸の痛みより先に、視線を上げる。

 まだ終わってない。


 ミラとガルド。

 そして、俺とセレス。


 エレノアも、それに気づいている。

 濃い口紅が、暗がりの中で歪んだ。



 「優先順位を決めるのね」



 「……決めるしかねーからな」



 「誰を先に逃がすか。誰を後に残すか。誰の危険を許容するか」



 エレノアの声は静かだった。

 静かなぶん、嫌な場所に刺さる。



 「綺麗な言葉で包んでも、やっていることは選別よ」



 セレスの肩が、わずかに止まった。


 ほんの一瞬。

 でも、俺には分かった。


 こいつは、本当に嫌な場所を刺す。


 選んでいるのは事実だ。

 順番を決めているのも事実だ。

 危険を後ろへ回しているのも事実だ。


 だからどうした。

 選ばなきゃ、全員死ぬ。



 「ミラ、ガルド、次!」



 息を切らすセレスの代わりに、なんとか叫ぶ。

 


 「でも、リクさんは……っ」



 ガルドが、ミラの手を強く引いた。



 「迷ってる分だけ、邪魔になる!」



 幻影のセレスが二人の周囲に走る。

 負傷したセレス。

 子供のセレス。

 俺を抱えたセレス。

 全部がバラバラに動き、アニエスの赤い照準を散らす。


 赤い槍が落ちる。


 ミラが悲鳴を飲み込む。

 ガルドが肩で破片を受ける。

 でも、止まらない。


 地下道の入口まで、あと少し。


 その時、エレノアが指を曲げた。



 「入口を潰しなさい」



 赤い光が、地下道の上へ集まった。


 まずいっ!

 そこを潰されたら終わる。


 俺はセブンを握った。


 握っただけだ。

 振れるわけじゃない。


 それでも、身体が勝手に前へ出ようとする。



 「リクくん!」



 「分かってる!」



 いや分かってない。


 身体が勝手に動いた。

 頭じゃ止めているのに、足が前へ出ようとしている。

 それを、セレスの腕が押さえた。


 同時に、地下からライムグリーンの光が噴き上がる。


 地下道から、盾がせり上がった。

 入口の上に、斜めの防壁が組まれる。

 エナの翠盾重壁(ライム・バスティオン)……!


 赤い槍がそこへ落ちた。



 ——轟音。



 盾が軋む。

 階段の入口が震える。

 埃が噴き上がる。


 でも、崩れない。


 エナが、向こう側から踏ん張っている。



 「エナ……助かった」



 小さく呟く。



 「ミラさん、ガルドさん、今!」



 セレスの声で、二人が飛び込んだ。


 ガルドがミラを先に押し込む。

 自分も続いて、狭い地下道へ滑り落ちるように消える。


 残ったのは、俺とセレスだけ。


 エレノアは、その事実を待っていたみたいに、ゆっくり笑った。



 「結局、最後に残るのは負傷者と、その世話係なのね」



 「言い方が最悪だな……」



 「事実よ」



 「人間だからな、こっちは」



 「人間だから醜いのよ」



 エレノアの声は冷たかった。


 でも、さっきまでの余裕はない。

 苛立ちが混じっている。

 セレスの幻影に、エナの盾に、アリスのワイヤーに、俺たちの足掻きに。


 この女は、少しずつ焦らされている。

 それだけで、少し息が入った。



 「リクくん、歩ける?」



 「歩く」



 「答えになってない」



 「今は、それで許してくれ」



 セレスは一拍だけ黙った。

 それから、短く息を吐く。



 「許します。今回だけ」



 「助かる」



 赤い槍が、アニエスの周囲に並ぶ。

 エレノアが、静かに指を下ろした。



 「アニエス・ソレル。残りを処理しなさい」



 赤い光が、俺たちへ集まる。

 セレスの幻影が、最後にもう一度だけ増えた。


 負傷者。

 子供。

 俺を支えるセレス。

 倒れかけたセレス。


 全部が混ざって、地下道に走る。


 どれが本物か。


 エレノアも、アニエスも、一瞬だけ迷った。

 その一瞬でいい。



 「行くぞ、セレス」



 「ええ」



 俺はセブンを杖にして、一歩を踏み出した。


 胸が痛い。

 腕が痛い。

 足も、たぶんまともじゃない。


 でも、前へ。


 逃げ切れば勝ち。


 その勝ちが、まだ遠くても……。


 誰も落とさないために、今は一歩でいい。


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