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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部6話『分断戦線』
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第5幕『女王の降下』


 陽が落ちた、低層商業施設の群は暗く沈み、

 そのなかで看板だけがやけに明るい。


 読めるはずの文字は、どこか並びがおかしくて、意味だけが抜け落ちている。床には割れた菓子袋みたいなものが散らばっていたが、中身の匂いはしない。


 生活を真似た場所なのに、そこには生活の匂いはない。



 その奥の一棟、そのシャッター脇に、

 セレスと村人たちが固まっていた。


 セレスが最初にこっちを見た。

 次にミラ。

 ユリウスが、壁際で膝を抱えるルカの肩を押さえる。


 トマスは横になったまま、俺たちの足音に目だけを動かした。


 最初に口を開いたのはガルドだった。



 「戻ったのか……! じゃあ、あいつらは——」



 言葉は、途中で止まった。

 たぶん、俺の顔を見たからだ。


 いや、顔だけじゃない。

 アリスに肩を借りないと、まともに立てない足。 

 呼吸のたびに勝手に歪む口元。

 

 自分でも分かる。

 ひどい有様だ。


 腰の鞘は、瓦礫に巻き込まれた時に留め具ごと砕けていた。

 そのせいで、右手からぶら下がっているだけみたいなセブン。



 《補足:鞘の保持機構は完全に破損》



 「知ってる。オマエが今いちばん自己主張強い荷物になってる」



 《訂正:当ユニットは荷物ではない》



 「じゃあ自分で歩け」



 アリスも無傷じゃない。


 肩口や腕の人工皮膚が裂け、白い肌の下に硬い素地が覗いている。そこには、黒く焦げた剣筋の跡が残っていた。


 エナの鎧も、いくつか欠けている。

 ライムグリーンの術式線はまだ光っているけど、いつもの元気な明るさより、少しだけ細い。



 「お兄ちゃん」



 ルカの声が、小さく落ちた。

 アリスの背後から、丸い目だけがこっちを見る。



 「死ぬの?」



 空気が、止まった。


 ミラが息を呑む。

 ユリウスがルカの肩を引こうとして、途中で手を止める。

 トマスは壁にもたれたまま、目を伏せた。


 俺は笑おうとした。

 けど、胸が痛んで笑顔にならなかった。



 「死なねぇよ。ちょっとビルと喧嘩して負けただけだ」



 誰も笑わなかった。


 いや、ガルドだけが反応に困ったような顔をした。

 ミラは笑っていいのか泣いていいのか分からない顔で、口元を軽く押さえている。


 セレスだけは、一切笑わなかった。


 彼女は一歩こっちへ来ると、アリスの肩から俺の腕を静かに受け取った。



 「アリスちゃん、ありがとう。リクくんは私が支える」



 「支援継続は可能です」



 「あなたも損傷してる。下がって」



 アリスは一拍だけ沈黙した。

 金色の目が、俺とセレスの手元を見比べる。



 「……リクの体重負荷を移譲します」



 「うん。移譲されます」



 セレスがそう返して、俺の肩を支え直した。


 思ったより、手に力が入っている。

 俺が少しでも膝を抜いたら、そのまま抱え込むつもりみたいな支え方だった。



 「リクくん」



 声が低い。



 「はい」



 反射で返事をした。



 「説明して」



 「何をですか」



 「どうして、『戦闘より、敵を引き離す方を優先しなさい』って言われたあなたが、立つのもやっとの状態で戻ってきているのかを」



 ——まずい。



 これは、かなりまずい。

 敵の攻撃とは違う方向で逃げ場がない。



 「いや、あれはセブンがですね」



 《補足:敵対対象の継戦能力停止のため、出力増加を実行》



 「セブンくんも後で叱る」



 《評価:叱責対象に含まれる理由が不明》



 「ほら、本人もこう言ってますし」



 「リクくん」



 「はい」



 セレスの指が眼鏡を押し上げた。

 金属フレームに触れる指先が、ほんの少し震えている。



 「あなた、今、自分がどれだけ危ない状態か分かってる?」



 「……まあ、痛いなとは」



 「痛いで済ませない」



 声は強い。

 でも、俺を支える腕は乱暴じゃなかった。


 むしろ、さっきより丁寧に、俺の胸へ負担が行かない角度を探している。怒っているのに、手だけはずっと冷静だ。


 軽く返そうとして、できなかった。

 セレスの顔が、思ったより近くにあった。

 いつもの仕事用の顔をしている。けど、灰がかった青緑の目の奥だけが、全然冷静じゃない。



 「あなたが倒れたら、誰が村人たちを外へ出すの。誰がアリスちゃんとエナちゃんを止めるの。誰がセブンくんに“やりすぎ”って言うの」



 《補足:当ユニットは合理的判断を実行する》



 「だから必要なのよ、リクくんが!」



 セブンが黙った。

 俺も、言い返せなかった。


 胸がチクリと痛む。

 ……ついでに肋骨も。


 心配している、とは言わない。

 危なかった、とも言わない。

 全部、任務と安全と役割の言葉で殴ってくる。


 でも、それが逆に、逃げ道を潰していた。



 「……すみません」



 「謝るなら歩いて。ここで倒れないで」



 「叱り方が実務的すぎる……」



 「実務で怒ってるの!」



 そこで、トマスが小さく咳き込んだ。

 張りつめていた空気が、少しだけずれる。

 セレスは一度だけ息を吐いて、すぐに顔を上げた。



 「全員、移動します。荷物は持たない。歩ける人は歩く。歩けない人は運ぶ。今すぐここを出ます」



 ガルドがトマスの方へ寄った。



 「俺が背負う。トマス、こっちへ」



 「いや、待て。お前もふらついてるだろ」



 「言ってる場合か」



 ガルドの膝が、ほんの少し笑っている。

 本人は隠しているつもりなんだろうけど、隠せていない。疲労と飢えと恐怖で、普通に限界が近い。


 エナが前に出た。



 「トマスさんは、あたしが抱きますっ!」



 トマスが目を丸くした。



 「いや、俺は……」



 「軽いですっ!」



 「男としてそれはそれで傷つくな……」



 エナは悪気ゼロの笑顔で、両腕を広げた。



 「大丈夫です! 今のリクさんよりは、壊れにくそうですっ!」



 「比較対象が俺なのやめろ」



 胸がズキリと痛んだ。


 くそ……。

 ツッコミにも体力がいる。



 「はいっ!」



 返事だけは元気だった。


 トマスは抵抗しようとしたが、立ち上がる前に咳き込んだ。その隙にエナが、壊れ物を持つみたいにそっと抱え上げる。

 見た目は完全に、姫騎士に救出される村の青年だ。


 トマスの表情は……なんか複雑だ。



 「……屈辱と安心が同時に来るな、これ」



 「良かったですっ!」



 「いや、良かったのか……?」



 その横で、アリスがルカの前に膝をついた。

 カチリ、と膝の関節が小さく鳴る。



 「ルカ。搬送します」



 「はんそう?」



 金色の四白眼が、まばたきも少なくルカを見る。



 「抱き上げます」



 「おねーちゃんが?」



 「訂正します。おねーちゃんではありません。LC-01-A-03、アリス・リドルです」



 ルカは少し考えてから、こくんと頷いた。



 「アリスおねぇちゃん?」



 アリスは、瞬きもせずにルカを見ている。



 「呼称許可」



 「そこ許可制なんだ……」



 俺がぼそっと言うと、アリスはルカを抱き上げながらこっちを見た。



 「未成年対象による呼称選択と判断しました」



 「基準があるんだな」



 「あります」



 断言だった。


 セレスが俺の肩を支え直す。



 「リクくん、あなたは私が支える。勝手に歩幅を広げない」



 「いや、俺は歩けるよ」



 「肩を貸されながら言う台詞じゃないわ」



 《評価:ユーザーの歩行安定性は低い》



 「お前もセレス側につくな」



 《事実提示である》



 「事実って残酷だな」



 ミラが、小さく笑った。


 笑ったあとで、すぐ口を押さえる。

 こんな状況で笑っていいのか、自分でも分からないんだと思う。


 でも、それでいい。

 少しでも息ができるなら、それでいい。



 「本当に……村に帰れるんですか?」



 ミラの声は細かった。

 セレスは、すぐに頷かなかった。



 「保証はできません。でも、ここに残るより生存率は上がります」



 「言い方が監察官」



 「今は監察官です」



 《補足:現在地における危険度は上昇傾向》



 「お前も不安を煽るな」



 「訂正します。危険情報の共有は必要です」



 アリスがルカを抱えたまま、淡々と割り込む。

 エナはトマスを抱えて、胸を張った。



 「でも、大丈夫ですっ! あたしたち、勝ちましたから!」



 トマスが腕の中で天井を見た。



 「勝った人たちって、普通そんなボロボロか?」



 「勝ち方にも種類があるんですよ」



 ガルドが、軽口を吐いた俺を見た。



 「いや、君、ほとんど死にかけてないか」



 「死にかけてません。生き寄りです」



 「その言い方、余計不安になるからやめなさい」



 ルカがアリスの腕の中で首を傾げた。



 「お兄ちゃん、いきより?」



 「定義不明。使用非推奨」



 「俺の造語を正式に却下するな」



 エナが元気よく片手を上げようとして、トマスを抱えていることを思い出してやめた。



 「リクさんは大丈夫ですっ! あたしのお婿さんなので!」



 「今その話を入れない!

 あと、そもそも違う!」



 今度は、ユリウスも笑った。

 ……小さく、短くだけど。


 笑ったあとで、彼はすぐにアリスの方を見た。ルカがまだ震えていないか、確かめている。兄貴の顔だった。


 ルカはアリスの首にぎゅっとしがみついた。



 「アリスおねぇちゃん、冷たい」



 「体表温度が低いためです。保温が必要なら、エナへの移送を提案します」



 「ううん。冷たくて、気持ちいい」



 アリスは、一拍置いた。


 それから、ほんの少しだけ腕の位置を変えた。

 ルカの背中を支える角度が、さっきより深くなる。



 「保持を継続します」



 俺はそれを見て、少しだけ息を吐いた。


 痛みは消えない。

 状況も良くなってない。

 でも、ルカがしがみつく相手にアリスを選んだことだけは、悪くないと思えた。



 俺たちは商業施設の裏口へ向かった。


 シャッター横の非常口は、見た目だけは現代のものに似ている。

 押し棒を押すと、嫌に軽い音で開いた。防犯ブザーも鳴らない。


 外へ出ると、裏通りの空気が肌に触れた。

 そこには、誰の匂いもなかった。


 普通なら腐った食べ物とか、排水とか、古い油とか、そういう嫌な匂いがあるはずなのに。

 ここには、そういう生活の残り香すらない。


 セレスが短く指示を出す。



 「隊列を作ります」


 「アリスちゃん、先頭。ルカちゃんを抱えたまま、音と動線の確認。

 ガルドさん、ミラさん、ユリウスくんは中央。

 エナちゃんはトマスさんを抱えて中央後方。

 私はリクくんを支えながら後方確認」



 「セブンは?」



 「リクくんの手から落ちないように」



 《評価:当ユニットの保持状態は不安定》



 「お前まで乗るな」



 「事実でしょ」



 セレスに言われると、何も返せない。


 俺はセブンを握り直した。

 握り直しただけで、右腕の奥が嫌な熱を持つ。


 目標は十字路。

 俺たちがこの位相のずれた場所に入ってきた地点。

 白衣の男の、銀色のポータルが反応した場所。


 そこに辿り着けば、元の村へ戻れる可能性が高い。



 ……可能性。


 その言葉が、やけに頼りない。


 敵二人は倒した。

 でも、トマスは言っていた。



 ——男二人、女一人。



 「……相手、まだ残ってるはずだ」



 「分かってるわ。だから急いでる」



 セレスの返事は早かった。


 分かっているのに、急ぐしかない。

 それはつまり、今の俺たちに選択肢が少ないということだ。



 裏通りを抜けようとした、その時だった。

 セブンが、低く告げた。



 《警告:上空に位相波を検知》



 「位相波って……転移のか!?」



 《肯定:転移現象に伴う波形と類似》



 「全員、止まって!」



 セレスが鋭く声をあげて、村人たちが足を止めた。


 ルカがアリスの首にしがみつく。

 ガルドがミラを自分の背後へ押しやる。

 ユリウスは何かを言いかけて、喉だけを鳴らした。



 ——空が歪んだ。



 サンドボックス・シティのビルの上。

 夜空の一部が、紙を指で押したみたいにへこむ。


 次に、青白い円環が開いた。


 円がいくつも重なる。

 歯車みたいに回る。

 中心に、赤い光が灯る。


 その周囲を、文字列にも術式にも見える白い線が走った。



 《再警告:空間変位波形、増大。接続点、上空に固定》



 「最悪のタイミングだな……!」



 「伏せて! みんなを壁際へ!」



 アリスがルカを抱えたまま、音もなく壁際へ下がる。

 エナはトマスを片腕で抱え直し、空いた腕の鎧を広げるように前へ出た。

 セレスは俺を引き寄せる。倒れないように、支えるというより、固定する力だった。



 ——俺は上を見た。

 空の裂け目から、何かが降りてくる。



 最初に見えたのは、白い足先。

 その下に、赤い光の輪がいくつも重なっていた。

 細い脚が、空中で止まる。次に、白と赤の装甲片が、その周囲へ遅れて降りてきた。


 肩の横に、盾みたいな板。

 背中の後ろに、王冠みたいな輪。

 腰の周りに、スカートみたいに広がる刃の束。


 ひとつひとつは人より大きい。

 けど、中心には人型のなにか……。



 ——小柄な、女王。



 そう見えた。


 顔もある。

 細い腕もある。

 膝も、指も、人間の形をしている。

 ただ、表情がない。


 アリスの無表情とは違う。

 あれは、感情を隠しているとかじゃない。

 最初から、その機能のない顔だ。


 ただ、その周囲に吊られた装甲と刃と盾が、そいつを人間から遠ざけていた。

 まるで、少女の形をした人形に、処刑台と王座を無理やり着せたみたいだった。



 《再警告:空間変位波形、増大。降下対象、単一個体ではない》



 「単一個体じゃないって……あれ、何体いるんだよ」



 《評価:中心人型一。周辺兵装、多数。中央の人型個体と連結構造と推定》



 「つまり、あの人型が本体で

 周りのでかいのは全部武器か……!」


 

 巨大な機体が、裏通りへ降りた。

 着地は、静かだった。


 ……いや、着地はしていない。

 俺たちの頭より少し高い位置まで降りて、止まった。


 先に空気が沈んだ。

 次に、路面のガラス片が細かく震える。

 最後に、周囲の装甲が一斉に向きを変えた。



 ——カシャン。



 乾いた音が、狭い通りに落ちる。


 アリスの動きが止まった。

 金色の瞳が、通りに浮かぶ機体を見つめる。


 セブンの声が落ちる。



 《補足:対象内部に高密度魔導コアを確認》



 「コア?」



 《推定:自律思考機構を搭載。

 分類候補:魔導式機動人形。ゴーレム系兵装と推察》



 俺は思わずアリスを見た。



 「ゴーレム……か。

  アリス。なんかわかるか?」



 アリスは返事をしなかった。



 ——いや。



 正確には、一拍遅れた。

 普段なら即座に返ってくるはずの応答がない。



 「……照合します」



 声が少し遅い。


 金色の瞳が、中心の人型を見つめている。

 小さな間。



 「A.Li.C.Eシリーズとの類似構造を検出しました」



 「は?」



 「A.Li.C.Eシリーズと……私と関連する可能性があります」



 「ってことは……あの白衣着た胡散臭い奴が、なんか絡んでんのか」



 「訂正不能。現時点では不明です」



 訂正不能。

 アリスの口から出るには、妙な言葉だった。


 いつもなら、違うなら違うと切る。

 分からないなら照合不可で済ませる。

 なのに、今は訂正できない。


 ルカを抱える腕だけが、ほんの少し強くなった。


 その時、浮かぶゴーレムの少し前に、もう一つ円が開いた。

 割れたアスファルトみたいな路面の上に、青白い転送陣が薄く広がる。


 赤い光が、円の縁をなぞった。

 セレスが息を呑む。



 「まだ来る……!」



 「全員、壁から離れないで!」



 円の中心が、下から吹き上がるみたいに光った。


 光の中に、靴先が現れる。

 細いヒールが、路面を踏んだ。



 ——コツ。



 やけに澄んだ音だった。


 次に、整えられた暗い髪。

 質の良さそうな制服めいた装備。

 そして、濃い口紅。

 四十歳手前……いや、半ばだろうか。


 濃い化粧で年齢は曖昧だが、若くはない。

 中年の女が、転送陣の上に立っていた。


 叫びもしない。

 剣を抜きもしない。

 ただ、そこに現れて、手袋の指先で襟元を整えた。


 ゴーレムは、その背後に浮いている。

 女王の人形と、その処刑台。

 その前に立つ、指揮官。


 ……順番が、嫌に正しかった。


 女は、こちらを見た。


 村人たち。

 俺。

 損傷したアリス。

 鎧の欠けたエナ。

 それから、セレス。


 その視線が、ひとつずつ数を減らすみたいに動く。


 女の指先が、赤い爪を軽く鳴らした。



 ——コツ。



 爪が手袋の留め金に当たる。



 ——コツ。



 もう一度。

 その間だけ、女の笑みが薄く歪んだ。



 「……随分、手間取ったのね」



 声は静かだった。


 でも、静かすぎた。

 言葉の端だけが、紙で指を切るみたいに尖っている。



 「二人も使って、この程度。処理対象は残り、機体は私が出す羽目になる。

  ……本当に、手間ばかり」



 誰に向けた言葉なのか、一瞬分からなかった。


 倒されたハルトとゴードンへ向けたものにも聞こえる。

 俺たちへ向けたものにも聞こえる。

 何より、ここに残っている村人たちを数えた上での言葉に聞こえた。



 セレスが前へ出ようとした。


 でも、俺の肩を支えているせいで動ききれない。

 その一歩が半端に止まる。



 「あなたが、指揮官ね」



 セレスの声に、女はゆっくり視線を下ろした。

 口元だけが、笑った。



 「指揮官。ええ、そう呼んでも構わないわ。少なくとも、下の二人よりは、まだ物事を整理できるから」



 「名乗りなさい」



 「エレノア・ヴァルツ」



 濃い口紅が、丁寧に名前を形にする。

 その直後、彼女は小さく息を吐いた。

 苛立ちを飲み込むみたいに。



 「あなたたちは名乗らなくていいわ。どうせ、ここで処理するもの。……これ以上、余計な記録を増やしたくないの」



 ミラが息を呑んだ。

 ルカがアリスにしがみつく。

 ユリウスが、そのルカを見て唇を噛んだ。


 エレノアの視線が、村人たちへ動く。

 人を見る目じゃない。

 数を数えている目だった。



 「処理対象が、まだこんなに残っている」



 コツ、と爪がまた鳴った。



 「残っているのよ。おかしいでしょう。残していいものではないのに」



 俺はセブンを握り直そうとした。

 けど、力が入らない。

 右手の指が、黒い柄の上で滑る。



 《警告:ユーザーの戦闘行動は不可能に近い》



 「知ってるよ……」



 エレノアの視線が、俺へ落ちた。



 「あなたが、例の召喚者?」



 胸の痛みとは別に、背筋が冷えた。


 ……召喚者。

 その情報を知っている人間は、多くないはずだ。



 魔王側。

 王国政府関係者。

 それと——あの白衣の胡散臭い奴。



 どれだ。

 どれと繋がってる。


 考えようとした瞬間、肺が浅く鳴った。



 「だったら何だよ」



 エレノアは俺を見下ろした。


 見ている。

 でも、見ていない。


 負傷者としてでも、敵としてでもない。

 面倒な例外処理を見る目だった。



 「ずいぶん、見苦しいわね」



 静かな声だった。


 怒鳴らない。

 嘲笑もしない。


 ただ、弱っている相手を見て、当然の評価みたいに言った。


 セレスの手に力が入った。



 「負傷者に向ける言葉じゃないわね」



 エレノアは眉一つ動かさない。

 ただ、口紅の端だけが少し上がった。



 「感情的にならないでくれる? 私は事実を言っているだけよ」



 そこで一度、言葉が切れた。


 エレノアの視線が、俺の肩を支えるセレスの腕へ落ちる。

 次に、セレスの顔。

 眼鏡。

 乱れかけた髪。


 それを見て、彼女はほんの少しだけ目を細めた。



 「有能な顔をして、結局それ? 怪我をした少年に寄りかかって、庇って、守ったつもりになる」



 「……何が言いたいの」



 「いいえ。別に」



 エレノアは、また爪を鳴らした。


 コツ。


 今度は少し強い。



 「ただ、不快なだけよ。便利ね。怪我人に寄りかかれば、自分が優しい側に立てるもの」」



 その言い方で、分かった。


 セレスは、弱っている人間を見ると支える。

 怒っていても、手を差し伸べる。


 でも、弱った相手だからこそ、棒を振り下ろせる人間もいる。


 しかも、自分が殴っているとは思っていない。

 ただ正しい位置から、間違ったものを指摘している顔をしている。


 エレノアは、そっちだ。

 同じ年上の女でも、立っている場所が違う。


 エレノアが、背後に浮かぶ人型へ指を向けた。



 「アニエス・ソレル。"スカーレットライン"、作動」



 中心に浮かぶ、小さな女の子。

 その周りに広がる、処刑機械。



 ——アニエス・ソレル。



 ……それがあの女王の名前。

 

 次の瞬間、

 少女型コアの瞳に赤い光が灯る。



 《Personality layer: sealed.》

 《Dame de Beauté frame: unlocked.》

 《Card soldiers: kneel.》

 《Execution orbit: deployed.》



 感情のない機械音声が、裏通りに薄く響く。


 頭上に浮かぶ王冠のような輪が、ゆっくり回り始めた。

 左右の盾めいた装甲が外へ開き、白い継ぎ目の奥から赤い光が漏れる。


 腰の周囲に浮かんでいた刃の束が、一枚ずつ角度を変えた。



 ——カチ、カチ、カチ。



 刃が揃うたび、壁に、路面に、路地の入口に、赤い点が灯っていく。


 俺たちを囲むみたいに。

 数を数えるみたいに。



 《Verdict: Off with their heads.》



 アニエスの声と共に、王冠のような輪が強く光り、裏通りに赤い線が走った。


 建物の壁。

 割れた街路。

 村人たちの背後。

 逃げ道になりそうな細い路地。


 薄い赤色の隔壁が、一瞬だけ光って、そこに残る。



 《警告:周辺空間に固定障壁に類似する構造を検知。退路制限》



 「っ、退路を……?」



 セレスが低く呟いた。

 アリスは何も言わない。


 ただ、ルカを抱える腕だけが、また少し強くなった。

 ルカは痛がらない。

 むしろ、その腕の中へ顔を押しつける。


 アリスの金色の目は、アニエスを見ていた。


 人型の女王。

 その周囲で、刃のスカートがゆっくり角度を変える。


 何か、思うところがあるのかもしれない。


 でも、アリスは言わない。

 言葉にしない。

 だから俺は、今は聞かなかった。


 エレノアの声が降ってくる。



 「逃がす必要があるの?」



 静かだった。

 でも、最後の一音だけが、わずかに跳ねた。

 怒鳴る寸前の声を、喉の奥で押し潰したみたいに。



 「逃げて、報告して、泣いて、庇い合って。そうやって手間を増やす。だから最初から、きちんと処理しておくべきなのよ」



 赤い隔壁の向こうで、空気が重くなった。


 村人たちは壁際に固まっている。

 セレスは俺を支えていて、自由に動けない。

 アリスはルカを抱えている。

 エナはトマスを抱えたまま、前に立っている。


 俺はセブンを握った。

 握っただけだ。

 腕に、力は入らない。



 《状況評価:極めて不利》



 「見りゃ分かる……」



 目の前には、小柄な女王と、それを囲む処刑機械。

 その前に、エレノア。

 背後には、村人たち。

 そして俺は、もうまともに戦えない。



 「……セレス」



 「分かってる」



 セレスは俺の肩を支えたまま、前を見た。

 眼鏡の奥の目は、もう震えていない。



 「今回は、逃げ切れたら勝ちだ」



 「ええ」



 エレノアの声が、赤い隔壁の向こうから落ちてきた。



 「そう。じゃ、試してみなさい」



——第7話につづく。

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