第4幕『張力解放』
瓦礫の底から、夜空が見えた。
折れた床。
曲がった鉄骨。
ぶら下がった配管。
その隙間の向こうで、青黒い光が走った。
——ハルトだ。
まだ、終わっていない。
「……っ」
身体を起こそうとした瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた気がした。
肺が浅くしか膨らまない。
息を吸うたび、肋骨のあたりが熱い。
セブンを握る右腕にも、力が入りきらない。
でも、上でまだ戦っている。
アリスとエナが、まだハルトを止めている。
だったら、ここで寝てる場合じゃない。
《再度警告:ユーザーの継戦は非推奨》
「……分かってる」
声が掠れた。
分かってる。
……分かってはいるけど。
近くで見ていたかった。
せめて、状況くらいは見たい。
助言の一つくらいなら、できるかもしれない。
……そう思ってる時点で、たぶんまだ戦う気でいるんだろう。
自分でも、やっかいな性分だとは思う。
俺は瓦礫に手をかけた。
崩れた床を踏む。
折れた階段の残骸を蹴る。
むき出しになった鉄骨にセブンを引っかけ、身体を持ち上げる。
一段。
もう一段。
胸が痛むたび、視界の端が白く滲んだ。
それでも、上へ行く。
足を滑らせたら終わる。
今の身体で落ち直したら、たぶんもう立てない。
だから、焦らない。
焦らないけど、止まらない。
最後の段差を越えた時、夜風が顔に当たった。
俺はビルの屋上の縁に膝をついた。
すぐには立てない。
無理だ。
セブンを振る余力なんて、もう残っていない。
でも、見える。
屋上の中央で、銀色の線が走った。
——アリスのワイヤーだ。
細い線が、夜を切って給水塔の脚へ刺さる。
同時に、エナの黒い装甲片が空中へ散った。
ライムグリーンの光が、アリスの周囲を守るように広がる。
その外側を、青黒い影が滑った。
ハルト。
魔装翼の背部フィンが、薄く開く。
屋上を蹴った身体が、地面のない場所で角度を変えた。
アリスのワイヤーは届かない。
エナのクナイも、ぎりぎりで空を切る。
「くそ……速いな」
分かっていた。
分かっていたけど、近くで見ると余計にひどい。
ハルトは飛んでいるというより、落ちる場所を選んでいる。
地面を蹴った一回分の勢いを、フィンと装甲で殺さず、横へ、上へ、斜めへずらす。
アリスのワイヤーは、地形を支点にする。
でも、ハルトは支点の外へ逃げる。
だから届かない。
届かないのが分かっていて、アリスはそれでも撃ち続けている。
……アリスは、意味なく無駄撃ちをするような奴じゃ無い。
何か……狙ってるのか?
アリスが一歩下がった。
その腕を、青黒い刃がかすめる。
白い皮膚が裂ける。
血の代わりに、肌の下で細い火花が散る。
アリスの身体が、わずかに傾いた。
すぐ立て直す。
でも、庇っている。
痛みがあるのかは分からない。 ただ、最初にハルトに裂かれた肩を、なるべく動かさないようにしているのは分かった。
あれは、嫌な庇い方だ。
動けるけど、いつも通りじゃない。
「アリスおねーちゃん、下がってっ!」
エナが前へ出た。
黒い鎧のいくつかが欠けている。
さっきより、装甲片の数も少ない。
それでも、エナはアリスの前へ出る。
「継戦可能です」
「でもっ!」
エナの声が弾けたその隙間へ、ハルトが滑り込んだ。
青黒い刃が、アリスの首元へ入る。
「っ!」
エナの小刀が割り込む。
——ギィンッ!!
火花が夜に散った。
ハルトの刃が、盾代わりの小刀を削る。
エナの顔が、痛みに歪んだ。
「遅いな」
ハルトの声は、低く、静かだった。
怒鳴らない。
笑わない。
ただ、刺すみたいに言う。
「守るものが増えるほど、鈍る」
エナが歯を食いしばった。
アリスは表情を変えない。
……ただ、次に撃ったワイヤーは、ハルト本人を狙っていなかった。
細い線が、屋上の端へ走る。
給水塔の脚。
折れた看板の支柱。
壊れた室外機のフレーム。
屋上の縁。
それから、エナの装甲片の一つ。
次々と、ワイヤーが刺さっていく。
手前を通る。
背後を塞がない。
進路の外側へ伸びる。
狙いが散っている。
いや、散っているように見える。
「……なんだ? あの張り方」
細い指が、次のワイヤーを射出する。
カチリ、と球体関節が鳴った。
ハルトが、アリスの正面へ入る。
今までより、まっすぐ。
アリスの周囲は、ワイヤーの密度が薄い。
ハルトから見れば、押せる。そう判断したんだと思う。
青黒い影が、アリスへ詰めた。
エナのクナイが、横から走る。
ライムグリーンの線を引いて、ハルトの脇腹へ向かう。
ハルトはそれを刃で払わなかった。 背部フィンをわずかに開き、身体を横へ流す。
クナイは空を切った。
その回避先に、アリスが素早く一本の銀線を引く。
ハルトの逃げ道を塞ぐように、屋上灯の支柱と給水塔の脚の間へ張られたワイヤー。
ハルトから見れば、明らかに邪魔な線だ。
避けるより、切った方が早い。
「そこに張るのか」
青黒い刃が下がる。
「……雑だな」
エナが反応する。
「アリスおねーちゃんっ!」
「問題ありません」
アリスの声は平坦だった。
ハルトが踏み込んだ。
青黒い刃が走る。
「切れば終わる」
ワイヤーが、切れた。
——その一回だけで、夜の音が変わった。
そのとき気づく。
切られたワイヤーは……拘束線じゃない。
……留め具だ。
限界まで張られていた別のワイヤーが、一斉に解放される。
一本。
二本。
三本。
銀色の線が、張力で跳ねた。
給水塔の脚から弾かれ、室外機のフレームを叩き、折れた支柱を鳴らす。
エナの装甲片の縁を滑って、夜の中で軌道を変える。
撃たれた線じゃない。
弓弦みたいに、解き放たれた線だ。
ハルトの目が、初めてわずかに動いた。
「……罠か」
それでも、ハルトの判断は速かった。
背部フィンが開く。
上へ抜ける。
しかし、その先にライムグリーンの盾面が現れた。
右。
後ろ。
斜め下。
屋上の縁と、もう一枚の盾。
エナの装甲片が組み合った盾が、
ハルトが抜けられそうな逃げ道だけを、
正確に先回りして塞いでいる。
「……"翠盾重壁"っ!」
エナの声が、夜を割った。
その盾は、攻撃のためのものじゃない。
……逃げ道を、消すために置かれている。
「チッ」
ハルトが青黒い刃を振る。
盾に向かって薙ぐ。
でも、もう遅い。
跳ねたワイヤーが、ハルトに届いた。
銀色の線が絡む。
背部フィン。
脚部フィン。
膝裏の駆動補助。
肩の可動部。
右手首の刃の基部。
飛ぶための場所だけを狙ったように、線が締まる。
ハルトが刃を動かそうとしたが、
その手首にも、細いワイヤーが滑り込む。
「"張力解放式トラップ"……作動」
アリスの声。
ワイヤーが一斉に締まった。
青黒い装甲が軋む。
背部フィンが開けない。
脚部フィンが角度を失う。
腕の刃が、中途半端な位置で止まる。
——ハルトの機動が、死んだ。
背部フィンが一度、無理に開こうとする。
脚部フィンが角度を取り直そうとして、銀線に引き戻される。
そこで初めて、ハルトの視線が下がった。
自分を縛る線と、切断したワイヤーを見る。 そして、アリスへ目を落とす。
「……切らせたのか」
「はい」
「趣味が悪いな」
「訂正します」
アリスの金色の四白眼が、ハルトを捉えた。
「リクの戦い方を真似ただけです」
「おい」
思わず声が漏れた。
いや、たしかにちょっとそうだけど。
本人の前で言うな。
ハルトの身体が、空中で支えを失う。
落ちる。
エナが、逃げ道を塞いでいた盾面を一つに集めた。
ライムグリーンの光が重なる。
何枚もの装甲片が噛み合い、重い盾になる。
「逃がしませんっ!」
盾が上から落ち、ハルトを屋上へ押し込む。
——衝撃。
床が割れる。
青黒い魔装翼に亀裂が走った。
アリスのワイヤーが四肢と推進器を固定する。
エナの盾が、その上から押さえる。
ハルトは、動けない。
押さえ込まれたまま、低く息を吐いた。
「俺が切ると踏んで、罠を張ったわけか」
「はい」
「切らなかったら?」
「進路停止。エナによる圧迫制圧へ移行していました」
「はいっ!」
エナが元気よく返事をする。
アリスはそのまま続けた。
「ただし、切断率は高いと推定していました」
ハルトの目が細くなる。
「……理由は」
「貴方は、最短手順を選択します」
短い沈黙。
ハルトが、かすかに口元を歪めた。
「嫌な人形だ」
「訂正します。人形ではありません」
アリスが一歩、ハルトへ近づく。
ワイヤーに固定されたハルトは、刃を動かせない。
アリスの細い脚が上がった。
表情は変わらない。
ただ、踵がきれいに落ちた。
——ヒュッ!……ゴン!!
鈍い音。
ハルトの頭が屋上に沈み、身体から力が抜ける。
アリスはそのまま、静かに告げた。
「私は、試作ゴーレム群A.Li.C.Eシリーズ3番機・兵装制御補助端末。
LC-01-A-03、アリス・リドルです」
エナが、ぱっと顔を明るくした。
「アリスおねーちゃん、すごいですっ!」
「訂正します。おねーちゃんではありません。LC-01-A-03、アリス・リドルです」
少しだけ、間が空いた。
アリスの視線が、エナの盾へ落ちる。
「ただし、エナのライム・バスティオンがなければ、拘束罠は成立しませんでした」
エナが、さらに明るく笑った。
「はいっ! じゃあ、いっしょに勝ちましたっ!」
アリスは一拍置いた。
「表現は簡略ですが、結論は一致します」
俺は屋上の縁で、それを見ていた。
自分は戦えなかった。
ただ、見ていただけだった。
でも、それでよかった。
アリスとエナが、自分たちで勝った。
「……えげつな」
《評価:合理的な拘束手順》
「いや、あれピタゴラスイッチ式トラップだろ……」
アリスが、少しだけこっちを見た。
「訂正します。"張力解放式トラップ"です」
「名前ついてる分、余計えげつねぇよ」
笑おうとした。
胸が痛んだ。
「っ、痛ぇ……」
《安静を推奨》
「分かってる……」
返事をしながら、俺はハルトの方を見る。
動かない。
ゴードンも、下で沈んだままだ。
敵二人は無力化した。
少なくとも、今すぐ立ち上がってくる気配はない。
——勝った。
エナが装甲片を戻す。
盾がほどけ、欠けた鎧が肩へ、腕へ、腰へ戻っていく。
《警告:長時間滞在は非推奨。非戦闘員の撤退を優先すべき状況》
セブンの声は、いつも通り淡々としていた。
でも、内容は正しい。
俺は息を吐いた。
肺が痛い。
立つだけでもきつい。
けど、ここで止まったら意味がない。
「……村人たちを連れて出るぞ」
セブンを支えにして、膝を上げる。
足元がふらついた。
アリスが一歩こちらへ動く。
「リク、歩行補助が必要です」
「必要だけど、先に周囲確認」
「訂正申請。必要ならば、同時進行が可能です」
アリスの手が、俺の腰のあたりへそっと伸びた。
支えるだけ。
引っ張らない。
俺はそれを見て、少しだけ笑った。
「……助かる」
エナがハルトを押さえたまま、屋上の奥を見ている。
たぶん、まだ嫌な予感が消えきってない。
この世界で、エナのそれはわりと当たる。
だったら急げ。
勝った直後が、一番危ない。
勝利の余韻を噛み締めるのは、みんなで生還したあとだ。
——俺たちは、まだこの場所から出られていない。




