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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部6話『分断戦線』
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第4幕『張力解放』


 瓦礫の底から、夜空が見えた。


 折れた床。

 曲がった鉄骨。

 ぶら下がった配管。


 その隙間の向こうで、青黒い光が走った。



 ——ハルトだ。



 まだ、終わっていない。



 「……っ」



 身体を起こそうとした瞬間、胸の奥が嫌な音を立てた気がした。


 肺が浅くしか膨らまない。

 息を吸うたび、肋骨のあたりが熱い。

 セブンを握る右腕にも、力が入りきらない。



 でも、上でまだ戦っている。

 アリスとエナが、まだハルトを止めている。


 だったら、ここで寝てる場合じゃない。



 《再度警告:ユーザーの継戦は非推奨》



 「……分かってる」



 声が掠れた。


 分かってる。

 ……分かってはいるけど。


 近くで見ていたかった。

 せめて、状況くらいは見たい。

 助言の一つくらいなら、できるかもしれない。


 ……そう思ってる時点で、たぶんまだ戦う気でいるんだろう。

 自分でも、やっかいな性分だとは思う。



 俺は瓦礫に手をかけた。


 崩れた床を踏む。

 折れた階段の残骸を蹴る。

 むき出しになった鉄骨にセブンを引っかけ、身体を持ち上げる。


 一段。


 もう一段。


 胸が痛むたび、視界の端が白く滲んだ。

 それでも、上へ行く。


 足を滑らせたら終わる。

 今の身体で落ち直したら、たぶんもう立てない。


 だから、焦らない。

 焦らないけど、止まらない。


 最後の段差を越えた時、夜風が顔に当たった。


 俺はビルの屋上の縁に膝をついた。

 すぐには立てない。


 無理だ。

 セブンを振る余力なんて、もう残っていない。


 でも、見える。

 屋上の中央で、銀色の線が走った。



 ——アリスのワイヤーだ。



 細い線が、夜を切って給水塔の脚へ刺さる。

 同時に、エナの黒い装甲片が空中へ散った。


 ライムグリーンの光が、アリスの周囲を守るように広がる。


 その外側を、青黒い影が滑った。


 ハルト。


 魔装翼(レイヴン・スリット)の背部フィンが、薄く開く。

 屋上を蹴った身体が、地面のない場所で角度を変えた。


 アリスのワイヤーは届かない。

 エナのクナイも、ぎりぎりで空を切る。



 「くそ……速いな」



 分かっていた。

 分かっていたけど、近くで見ると余計にひどい。


 ハルトは飛んでいるというより、落ちる場所を選んでいる。

 地面を蹴った一回分の勢いを、フィンと装甲で殺さず、横へ、上へ、斜めへずらす。


 アリスのワイヤーは、地形を支点にする。

 でも、ハルトは支点の外へ逃げる。

 だから届かない。


 届かないのが分かっていて、アリスはそれでも撃ち続けている。

 ……アリスは、意味なく無駄撃ちをするような奴じゃ無い。

 何か……狙ってるのか?



 アリスが一歩下がった。

 その腕を、青黒い刃がかすめる。


 白い皮膚が裂ける。

 血の代わりに、肌の下で細い火花が散る。


 アリスの身体が、わずかに傾いた。


 すぐ立て直す。

 でも、庇っている。


 痛みがあるのかは分からない。 ただ、最初にハルトに裂かれた肩を、なるべく動かさないようにしているのは分かった。


 あれは、嫌な庇い方だ。

 動けるけど、いつも通りじゃない。



 「アリスおねーちゃん、下がってっ!」



 エナが前へ出た。


 黒い鎧のいくつかが欠けている。

 さっきより、装甲片の数も少ない。


 それでも、エナはアリスの前へ出る。



 「継戦可能です」



 「でもっ!」



 エナの声が弾けたその隙間へ、ハルトが滑り込んだ。

 青黒い刃が、アリスの首元へ入る。



 「っ!」



 エナの小刀が割り込む。



 ——ギィンッ!!



 火花が夜に散った。


 ハルトの刃が、盾代わりの小刀を削る。

 エナの顔が、痛みに歪んだ。



 「遅いな」



 ハルトの声は、低く、静かだった。


 怒鳴らない。

 笑わない。

 ただ、刺すみたいに言う。



 「守るものが増えるほど、鈍る」



 エナが歯を食いしばった。

 アリスは表情を変えない。


 ……ただ、次に撃ったワイヤーは、ハルト本人を狙っていなかった。


 細い線が、屋上の端へ走る。


 給水塔の脚。

 折れた看板の支柱。

 壊れた室外機のフレーム。

 屋上の縁。

 それから、エナの装甲片の一つ。


 次々と、ワイヤーが刺さっていく。


 手前を通る。

 背後を塞がない。

 進路の外側へ伸びる。


 狙いが散っている。

 いや、散っているように見える。



 「……なんだ? あの張り方」



 細い指が、次のワイヤーを射出する。

 カチリ、と球体関節が鳴った。


 ハルトが、アリスの正面へ入る。

 今までより、まっすぐ。


 アリスの周囲は、ワイヤーの密度が薄い。

 ハルトから見れば、押せる。そう判断したんだと思う。


 青黒い影が、アリスへ詰めた。

 エナのクナイが、横から走る。

 ライムグリーンの線を引いて、ハルトの脇腹へ向かう。


 ハルトはそれを刃で払わなかった。 背部フィンをわずかに開き、身体を横へ流す。


 クナイは空を切った。

 その回避先に、アリスが素早く一本の銀線を引く。


 ハルトの逃げ道を塞ぐように、屋上灯の支柱と給水塔の脚の間へ張られたワイヤー。

 ハルトから見れば、明らかに邪魔な線だ。

 避けるより、切った方が早い。



 「そこに張るのか」



 青黒い刃が下がる。



 「……雑だな」



 エナが反応する。



 「アリスおねーちゃんっ!」



 「問題ありません」



 アリスの声は平坦だった。


 ハルトが踏み込んだ。

 青黒い刃が走る。



 「切れば終わる」



 ワイヤーが、切れた。



 ——その一回だけで、夜の音が変わった。



 そのとき気づく。

 切られたワイヤーは……拘束線じゃない。


 ……留め具だ。



 限界まで張られていた別のワイヤーが、一斉に解放される。


 一本。


 二本。


 三本。


 銀色の線が、張力で跳ねた。


 給水塔の脚から弾かれ、室外機のフレームを叩き、折れた支柱を鳴らす。

 エナの装甲片の縁を滑って、夜の中で軌道を変える。


 撃たれた線じゃない。

 弓弦みたいに、解き放たれた線だ。


 ハルトの目が、初めてわずかに動いた。



 「……罠か」



 それでも、ハルトの判断は速かった。

 背部フィンが開く。

 上へ抜ける。


 しかし、その先にライムグリーンの盾面が現れた。


 右。

 後ろ。

 斜め下。


 屋上の縁と、もう一枚の盾。


 エナの装甲片が組み合った盾が、

 ハルトが抜けられそうな逃げ道だけを、

 正確に先回りして塞いでいる。



 「……"翠盾重壁(ライム・バスティオン)"っ!」



 エナの声が、夜を割った。

 その盾は、攻撃のためのものじゃない。


 ……逃げ道を、消すために置かれている。



 「チッ」



 ハルトが青黒い刃を振る。

 盾に向かって薙ぐ。


 でも、もう遅い。


 跳ねたワイヤーが、ハルトに届いた。

 銀色の線が絡む。


 背部フィン。

 脚部フィン。

 膝裏の駆動補助。

 肩の可動部。

 右手首の刃の基部。


 飛ぶための場所だけを狙ったように、線が締まる。


 ハルトが刃を動かそうとしたが、

 その手首にも、細いワイヤーが滑り込む。



 「"張力解放式トラップ"……作動」



 アリスの声。


 ワイヤーが一斉に締まった。


 青黒い装甲が軋む。

 背部フィンが開けない。

 脚部フィンが角度を失う。

 腕の刃が、中途半端な位置で止まる。



 ——ハルトの機動が、死んだ。



 背部フィンが一度、無理に開こうとする。

 脚部フィンが角度を取り直そうとして、銀線に引き戻される。 

 そこで初めて、ハルトの視線が下がった。

 自分を縛る線と、切断したワイヤーを見る。 そして、アリスへ目を落とす。



 「……切らせたのか」



 「はい」



 「趣味が悪いな」



 「訂正します」



 アリスの金色の四白眼が、ハルトを捉えた。



 「リクの戦い方を真似ただけです」



 「おい」



 思わず声が漏れた。


 いや、たしかにちょっとそうだけど。

 本人の前で言うな。


 ハルトの身体が、空中で支えを失う。


 落ちる。


 エナが、逃げ道を塞いでいた盾面を一つに集めた。


 ライムグリーンの光が重なる。

 何枚もの装甲片が噛み合い、重い盾になる。



 「逃がしませんっ!」



 盾が上から落ち、ハルトを屋上へ押し込む。



 ——衝撃。



 床が割れる。

 青黒い魔装翼(レイヴン・スリット)に亀裂が走った。


 アリスのワイヤーが四肢と推進器を固定する。

 エナの盾が、その上から押さえる。


 ハルトは、動けない。

 押さえ込まれたまま、低く息を吐いた。



 「俺が切ると踏んで、罠を張ったわけか」



 「はい」



 「切らなかったら?」



 「進路停止。エナによる圧迫制圧へ移行していました」



 「はいっ!」



 エナが元気よく返事をする。

 アリスはそのまま続けた。



 「ただし、切断率は高いと推定していました」



 ハルトの目が細くなる。



 「……理由は」



 「貴方は、最短手順を選択します」



 短い沈黙。

 ハルトが、かすかに口元を歪めた。



 「嫌な人形だ」



 「訂正します。人形ではありません」



 アリスが一歩、ハルトへ近づく。

 ワイヤーに固定されたハルトは、刃を動かせない。


 アリスの細い脚が上がった。

 表情は変わらない。

 ただ、踵がきれいに落ちた。



 ——ヒュッ!……ゴン!!



 鈍い音。

 ハルトの頭が屋上に沈み、身体から力が抜ける。


 アリスはそのまま、静かに告げた。



 「私は、試作ゴーレム群A.Li.C.Eシリーズ3番機・兵装制御補助端末。

  LC-01-A-03、アリス・リドルです」



 エナが、ぱっと顔を明るくした。



 「アリスおねーちゃん、すごいですっ!」



 「訂正します。おねーちゃんではありません。LC-01-A-03、アリス・リドルです」



 少しだけ、間が空いた。

 アリスの視線が、エナの盾へ落ちる。



 「ただし、エナのライム・バスティオンがなければ、拘束罠は成立しませんでした」



 エナが、さらに明るく笑った。



 「はいっ! じゃあ、いっしょに勝ちましたっ!」



 アリスは一拍置いた。



 「表現は簡略ですが、結論は一致します」



 俺は屋上の縁で、それを見ていた。


 自分は戦えなかった。

 ただ、見ていただけだった。


 でも、それでよかった。

 アリスとエナが、自分たちで勝った。



 「……えげつな」



 《評価:合理的な拘束手順》



 「いや、あれピタゴラスイッチ式トラップだろ……」



 アリスが、少しだけこっちを見た。



 「訂正します。"張力解放式トラップ"です」



 「名前ついてる分、余計えげつねぇよ」



 笑おうとした。

 胸が痛んだ。



 「っ、痛ぇ……」



 《安静を推奨》



 「分かってる……」



 返事をしながら、俺はハルトの方を見る。

 動かない。


 ゴードンも、下で沈んだままだ。


 敵二人は無力化した。

 少なくとも、今すぐ立ち上がってくる気配はない。



 ——勝った。



 エナが装甲片を戻す。

 盾がほどけ、欠けた鎧が肩へ、腕へ、腰へ戻っていく。



 《警告:長時間滞在は非推奨。非戦闘員の撤退を優先すべき状況》



 セブンの声は、いつも通り淡々としていた。

 でも、内容は正しい。



 俺は息を吐いた。


 肺が痛い。

 立つだけでもきつい。

 けど、ここで止まったら意味がない。



 「……村人たちを連れて出るぞ」



 セブンを支えにして、膝を上げる。


 足元がふらついた。

 アリスが一歩こちらへ動く。



 「リク、歩行補助が必要です」



 「必要だけど、先に周囲確認」



 「訂正申請。必要ならば、同時進行が可能です」



 アリスの手が、俺の腰のあたりへそっと伸びた。


 支えるだけ。

 引っ張らない。


 俺はそれを見て、少しだけ笑った。



 「……助かる」



 エナがハルトを押さえたまま、屋上の奥を見ている。


 たぶん、まだ嫌な予感が消えきってない。

 この世界で、エナのそれはわりと当たる。


 だったら急げ。

 勝った直後が、一番危ない。

 勝利の余韻を噛み締めるのは、みんなで生還したあとだ。


 ——俺たちは、まだこの場所から出られていない。




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