第1幕『魔装士』
黒い槍が、隣の屋上に突き立っていた。
壊れた室外機。
ひしゃげた配管。
崩れたコンクリート。
その中心で、ライムグリーンの術式光だけがまだ細く脈を打っている。
エナが、ゆっくりと腕を下ろした。
槍を形作っていた黒い装甲がほどける。
破片みたいに散った鎧が、光の線を引きながら戻ってきた。肩へ、腕へ、腰へ。
銀髪が夜風に揺れた。
シャツは乱れている。
鎧も欠けている。
それでも、エナの立ち方はもう崩れていなかった。
俺は短く息を吐いた。
ゴードンは沈めた。
殺したかは分からない。
でも、少なくとも今すぐ笑って立つ状態じゃないだろう。
なら、次。
「アリス!」
「はい」
離れた位置で、アリスがハルトから視線を切らずに返す。
細いワイヤーが、夜の中に何本も張られている。捕まえるためじゃない。抜けさせないための線だ。
ハルトはその向こうで、じっとこちらを見ていた。
ゴードンが吹き飛ばされても、顔色は変わっていない。 驚きも、焦りも、怒りもない。
仲間が叩き潰された直後にする顔じゃない。 壊れた道具の具合を、遠くから確かめている顔だ。
セブンを握り直す。
腕はまだ痺れている。
肩も痛い。
でも、止まってる暇はない。
次はハルトだ。
そう思った、その瞬間だった。
隣の屋上が、吠えた。
「——ガァァァァァァァァァッ!!」
瓦礫の山が内側から爆ぜた。
室外機の残骸が跳ねる。
コンクリート片が夜空へ散る。
白い蒸気が、獣の息みたいに噴き上がった。
「っ……!」
俺は反射でセブンを構えた。
砂塵の向こう。
何かが動いていた。
……瓦礫を押しのけて、ゴードンが立ち上がる。
生きている。無傷じゃない。 肩は潰れ、片腕はだらりと下がっている。口元から血が垂れて、足元もまともじゃない。それでも、立っている。
目だけが、異様にぎらついていた。
「……やってくれたなぁ」
低い声だった。
さっきまでの下卑た笑いじゃない。 喉の奥を焼きながら、怒りだけで絞り出したような声。
ゴードンの視線が、こちらへ向く。
まず、エナを見た。 次に、俺を見た。 それから、アリスを見た。
最後に、ハルトへ向く。
「ハルトォオ!!」
咆哮が、ビルとビルの間を渡った。
「もう本気出していいよなぁ!!」
ハルトは細い目で、ゴードンを見た。
その顔には、驚きも焦りもなく、
ただ面倒なものを見る冷たさだけがある。
「敵に手の内を——」
「うるせぇぇぇ!!!!」
ゴードンが吠えた。
足元の瓦礫が、びりびりと震える。
「もう、こいつら皆殺しって決まったからよぉ、いいんだよ!」
その言葉に、空気が変わった。
ゴードンの足元に、赤黒い円が開く。
……魔法陣かなにか……か?
円の中に、歯車みたいな紋様が噛み合っている。 文字列の間を、骨みたいな線が走っている。
それが一つ、二つ、三つ。瓦礫の上で重なり、回転し、ゴードンの影に喰いついていく。
《警告:高密度術式反応を検知》
セブンの声が、耳の奥に刺さる。
《対象ゴードン周辺に魔術展開反応。種別:強化術式に類似》
「くっ……こいつら、魔導師か!」
思わず声が出た。
ゴードンの口元が、血まみれのまま歪む。
「そんなチンケな名前で呼ぶんじゃねぇよ」
魔法陣が爆ぜる。
その光の内側で、何かが組み上がっていく。
赤黒い術式線が硬化する。
人間の身体の上に、もう一つの骨格が重ねられていく。
黒い板が骨格へ吸い寄せられ、焦げた獣の甲殻みたいな質感のそれが、ゴードンの身体を外側から覆っていった。
肉と鉄と魔術を無理やり噛み合わせた、巨大な殻。
「オレたちは——」
赤黒い光の中で、ゴードンが叫ぶ。
「“魔装士”だッ!!」
その名を吐いた瞬間、隣でも魔法陣が開いた。
ハルトの足元。
青黒い円が、静かに回る。
ゴードンの術式みたいな暴力的な光じゃない。
細い。
冷たい。
刃物の背を撫でたみたいな光。
ハルトは小さく息を吐いた。
舌打ちはしない。
ただ、目だけが少し細くなる。
「……予定外だ」
その一言と同時に、術式がハルトの身体へ走った。
細い装甲が、皮膚の上に貼りつくように組み上がる。
黒と青の鋭い装甲が、必要な場所だけを覆っていく。
脚部には翼みたいなフィン。
背中には薄い推進器。腕には短い刃。
《警告:対象ハルト、外部装甲を形成。
脚部および背部に推進補助と思われる構造を確認。関節部に駆動補助反応あり》
「……機動型か」
《肯定:高速移動への備えを推奨》
視線を隣の屋上へ戻す。
赤黒い巨体が、瓦礫の上で首を鳴らしていた。
「……あっちは、どう見てもパワータイプだな」
《推定:質量および筋力補助に重点を置いた構成と推察》
「そこは見たまんまで助かる」
巨大化した装甲が、隣の屋上を軋ませた。
人間の形は残っている。 でも、もう人間の輪郭じゃない。
赤黒い肩装甲。
獣みたいな腕。
胸部に埋め込まれた魔導炉のような光。
ゴードンは両拳を打ち鳴らした。
——轟音。
「魔装殻——」
ゴードンが、夜空へ向かって吠えた。
獣じみた叫びが、ビルのガラス窓を震わせる。
「ガルム・ブレイカァァァァァッ!!!!!」
続いて、ハルトが一歩前へ出る。
青黒い装甲が、音もなく夜へ溶ける。
背中の薄いフィンが開き、刃のような光を引いた。
「魔装翼——」
その声は低く、平坦だった。
名乗りですら、手順の一つみたいに聞こえた。
「レイヴン・スリット……」
直後、ハルトの姿がぶれた。
消えたわけじゃない。
速すぎて、目が一瞬だけ追いつかなかった。
「……っ」
背筋が冷えた。
……これが、本気……。
俺はセブンを構え直す。
アリスのワイヤーが、静かに張り直される。
エナの装甲が、俺の隣で低く鳴った。
赤黒い巨体。 青黒い影。 それが、二つの屋上に立っている。
セブンが告げた。
《推奨:敵戦力を再算定》
「……だよな」
手の中の黒い剣が、さっきより重く感じる。
ゴードンが、赤黒い眼で俺たちを睨んだ。
「さぁ、続きだ」
巨大な拳が、ゆっくりと持ち上がる。
「第2ラウンドだッ」
俺は奥歯を噛んだ。
……勝った、なんて思う暇はなかった。
ハルトは崩せていない。
ゴードンも、まだ立っている。
けど、やることは変わらない。
後ろへ行かせない。
もう誰も……ここで死なせない!




