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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部6話『分断戦線』
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第2幕『切断される支点』


 先に動いたのは、ハルトだった。



 ——いや。



 動いた、と分かった時にはもう遅い。


 青黒い装甲が夜へ溶けた。

 背中の薄いフィンが一瞬だけ光を引き、次の瞬間、ハルトの姿が屋上灯の影から外れる。


 速い。


 消えたわけじゃない。

 アリスは、まだ目では追えている。でも、身体の方が間に合ってない。


 あれは……焦る。



 「アリス!」



 声を出した時には、もう金属音が鳴っていた。


 アリスのワイヤーが三本、ほとんど同時に走る。

 正面を塞ぐ線。

 斜め上へ逃げ道を潰す線。

 足元を刈る線。


 捕まえるためじゃない。

 進ませないための線だ。


 けど、ハルトは止まらなかった。


 青黒い影が、張られた線と線のわずかな隙間へ滑り込む。

 ワイヤーを避けた、というより、最初からそこしか見ていなかったみたいな動きだった。



 ……飛んでる。


 すぐに、そう思った。

 ただ跳んでいるだけじゃない。


 ハルトは屋上を蹴った勢いを、空中で殺していない。

 背中と脚のフィンが薄く開き、身体の角度だけを変える。


 落ちる方向を、横へずらす。

 地面がない場所で、もう一度進路を変えていた。



 「——っ」



 アリスが上体を引く。

 その首元へ、青黒い刃が薄く入った。

 致命傷は避けた。そこは、さすがアリスだ。 

 さすがだけど……完全には避けきれていない。



 アリスの肩の、白い皮膚が弾けるように裂ける。

 ……血は出ない。


 身体が屋上を滑る。ワイヤーは一本、切断されていた。



 「損傷軽微。戦闘継続可能」



 声は平坦だった。

 でも、立ち上がる動作が一拍遅い。


 あれは……軽微じゃねぇな。



 ハルトはもう次の軌道へ入っていた。

 地面にいない。

 屋上を足場にしていない。


 青黒い装甲が空中で傾き、アリスのワイヤーの外側へ回り込む。

 支点のない場所から、支点を持つ相手を削りに来ている。


 まずい。


 かなり、まずい。


 アリスのワイヤーは強い。


 壁があり、床があり、引っかける場所がある場合。


 そこに線を張って、相手の進路を削る。

 動ける場所を減らして、逃げる先を読む。


 地形があるなら、めちゃくちゃ強い。



 ——でも、飛ぶ相手は話が違う。



 ハルトは線の上を通らない。

 線の外へ逃げる。しかも、速い。


 アリスが弱いんじゃない、相性が悪い。

 アリスだけじゃ追いきれない。このままだと、落とされる。



 俺はセブンを握り直した。


 "アリスがハルトを押さえ、ゴードンを俺とエナで崩す"

 その形は、もう使えない。


 アリスを落とされたら終わる。

 ハルトを自由にしたら、後ろまで抜ける。



 「エナ!」



 「はいっ!」



 俺の横で、エナの装甲が低く鳴った。

 まだゴードンを見ている。


 気持ちは……分かる。

 でも、今はそっちじゃない。



 「アリスにつけ! 飛ぶやつは相性悪い。フォローに回れ!」



 エナの目が、すぐにアリスへ動いた。

 迷いは短かった。



 「了解ですっ!」



 黒い鎧がほどける。

 クナイ状の装甲片が空中へ散り、ライムグリーンの線を引いてアリスの周囲へ走った。


 ハルトが降ってくる。

 アリスの頭上。青黒い刃。



 ——間に合え。



 そこへ、エナの装甲片が割り込んだ。



 ——ギィンッ!!



 火花が夜に散る。


 アリスがその下を抜けた。

 ワイヤーが張り直される。

 エナのクナイが、その死角を埋める。


 よし。


 これなら、完全には抜かれない。

 いや……抜かせるなよ!



 ハルトの目が、わずかに細くなった。



 「……盾が増えたか」



 「おねーちゃんには触らせませんっ!」



 エナが叫ぶ。



 「訂正します。わたしは、おねーちゃんではありません」



 アリスの声が、火花の中でも律儀に返る。

 こんな時までそこ直すのかよ。


 でも、助かる。

 聞きなれた軽口に少し安堵した。

 いつものアリスが、まだそこにいる。


 俺はそっちへ一歩出かけた。


 その瞬間。


 隣の屋上が、沈んだ。ゴードンだ。

 赤黒い巨体が、こっちへ向けて跳んでくる。


 三メートル近い魔装殻が、屋上の縁を踏み砕いた。

 胸の奥で炉みたいな光が脈を打つたび、赤黒い装甲が軋む。


 その全部が、エナの方を向いていた。



 「逃がすかよォ!!」



 まずい。


 ゴードンにまでエナを追われたら、アリスとエナが二対二で潰される。

 ハルトの高速戦に、ゴードンの重装圧まで混ざる。


 んなもん、守りきれるわけがねぇ。



 「おい、醜男(ぶおとこ)



 俺はセブンを肩へ担いだ。


 ゴードンの足が、俺の横を通り過ぎようとしている。

 その赤黒い背中に、声を投げた。


 ゴードンの動きが止まる。

 空気が、ぴしりと鳴った。

 ゆっくり、赤黒い巨体がこっちを向く。



 「……あ?」



 低い声。

 怒りが混ざった声。


 ……釣れた。


 俺は笑った。

 怖くないわけじゃない。


 あの巨体に殴られたら、たぶん身体が終わる。

 まともに受けたら、セブンごと持っていかれる。


 想像しただけで、手の中が冷える。

 でも、ここで引いたらエナが追われる。


 だから……笑う。



 「女に相手されねーと、尻追いかけるしかできなくて大変だな」



 ゴードンの肩装甲が、ぎしりと鳴った。

 赤黒い光が濃くなる。



 「てめぇ……」



 「こいよ」



 俺はセブンを構える。


 黒い刃を低く、足は逃げられる幅。

 背中は絶対に見せない。


 逃げ腰じゃない。

 避けるための構えだ。



 「どうやれば女の子にモテるか、教えてやるぜ?」



 ゴードンの顔が、完全に変わった。


 さっきまでの下品な笑いじゃない。

 エナを見ていた時の汚い欲でもない。


 もっと単純なやつ。


 潰す。

 殺す。

 黙らせる。


 そういう顔だ。



 「……いいぜ」



 赤黒い魔装殻の肩が、ぎしりと鳴る。



 「その安い挑発、乗ってやるよ」



 低い声だ。

 よし、完全に釣れた。



 「ガキがァァァァァッ!!」



 ゴードンが吠えた。

 赤黒い魔装殻が、屋上を踏み砕く。

 こっちへ来る。


 エナへ向いていた欲が、今は俺への怒りに変わっている。

 向けられて気持ちいい感情じゃないが、方向が変われば使える。


 使うしかない。



 「セブン」



 《待機中》



 「正面からは受けない。逃げながら削るぞ!」



 《評価:妥当。敵対対象ゴードン、出力上昇。直撃した場合、身体と共に意識も飛ぶと推測》



 「だから、オマエの警告は怖えんだって」



 分かってはいるけど、改めて言われると嫌だな、それ。


 目の端で、エナとアリスがハルトへ向き直るのが見えた。


 アリスのワイヤーが細く張られる。

 エナのクナイが、その周囲を守るように展開する。



 ハルト対、アリスとエナ。

 ゴードン対、俺……とセブン。


 形は、作った。


 綺麗じゃない。

 ……というか、かなり無茶だ。


 でも、今はこれが一番マシだ。


 ゴードンが突っ込んでくる。

 赤黒い巨体が、屋上を割りながら迫る。

 俺は息を吐いた。



 「来いよ、モテない重機」



 黒い刃を握る。

 セブンが、短く応えた。



 《質量制御、待機》



 次の瞬間、ゴードンの拳が屋上を砕いた。


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