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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部5話『この刃は、守るために』
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第2幕『怒りの置き場所』


 瓦礫の上で、ゴードンが膝を鳴らした。


 崩れた屋上の縁。

 そこに残った亀裂を、俺とエナが挟む。


 アリスは少し離れた位置で、ハルトの進路を細い線で切っていた。

 ワイヤーが夜の中に張られ、屋上灯の白い光を一瞬だけ拾って消える。


 こっちは二対一……いや、三対一だ。

 でも、ゴードンは笑ったまま。



 「いいねぇ」



 瓦礫を踏み潰しながら、ゴードンが一歩近づく。

 アイツの目は、俺ではなくエナへ向いていた。



 ——嫌な視線だ。



 ……ああいう目、見覚えがある。

 電車で見かけたら、無言で一両ずれるタイプのやつ。


 敵を見る目じゃない。

 こっちの人数も、立ち位置も、武器も見てない。


 エナの鎧の隙間で視線を止めたまま、ゴードンは口元だけで笑っていた。


 戦場でその目ができるの、逆に才能だろ。

 もちろん、いらない方の。



 「……へぇ。顔はお姫様みてぇなのに、

 身体つきは随分と誘ってんなぁ」



 ゴードンが、舌で唇の端を湿らせた。



 「その鎧の下がどうなってんのか、見てみてぇなぁ……」


 

 エナの肩が、びくっと小さく跳ねた。

 ぞわぞわっと来たものを払うみたいに、両腕で自分の肩を抱く。



 「……っ」



 顔が、露骨に歪む。

 うっかり変な虫が服の中に入ってきた時みたいな……。


 そういう種類の反応だ。



 「……リ、リクさん」



 エナはゴードンを見たまま、こっちへ小さく声を落とす。



 「アイツ、なんていうか。すごく……ダメです」



 語彙がちょっと迷子だった。


 でも、言いたいことは分かる。

 全身で「ムリっ」と表現してた。


 

 「ああ? なんだよ。褒めてんだぜ? そう怖い顔すんなよ、傷付くじゃねぇか」



 ゴードンが、そこで笑う。


 普段のエナなら、自分の身体の話をされても、たぶんこんな反応はしない。 新婚だのお嫁さんだの、こっちが頭を抱える方向へ真顔で飛んでくるやつだ。


 でも、これは違う。


 恥ずかしいとかじゃない。 自分の身体が、勝手に相手の変な棚へ置かれたことへの、反射みたいな拒絶だ。



 「分かる。男の中でも、かなり風通しの悪い棚に入ってるタイプだな」



 軽口だけ返して、俺はセブンを構え直す。



 「右、いけるか」



 エナは一度だけ頷き、肩を抱いていた手が離れる。

 嫌悪は消えていない。ただ、奥へ押し込んだ。



 「大丈夫ですっ!

  斬光輪舞(ザンクロリンダ)……展開しますっ」




 短い返事とともに、エナが前へ出た。

 次の瞬間、エナの両腕の装甲が外れた。


 黒い籠手が、左右へ割れる。

 ライムグリーンの術式光を引きながら、細い小刀の群れへ変形していく。



 「いきます」



 エナが踏み込んだ。


 正面からじゃない。

 一歩、右。


 その動きに合わせて、俺も左へ流れる。


 ゴードンの視線が、一瞬だけ迷った。



 ——エナを、"女"として見るか。"敵"として見るか。



 その迷いで少し遅れた。


 エナのクナイが三本、斜め上から落ちる。

 ゴードンは舌打ちしながら肩を引いた。


 その逃げ道に、俺が入る。



 「セブン、軽く!」



 《質量カット》



 黒い刃が軽くなる。

 斬るためじゃなく、速く振るため……。


 ゴードンの膝を狙って、低く払う。



 「ちっ……!」



 ゴードンが後ろへ跳ぶ。

 だが、そこへエナのクナイが回り込む。


 一本。

 二本。

 三本。


 屋上の空気に、ライムグリーンの線が走った。

 ゴードンは身体をひねって避ける。


 速い。


 雑に見えるのに、反応は悪くない。

 けど、追い詰めてるのはこっちだ。



 「おいおい、やるじゃねぇか!」



 ゴードンが笑う。

 笑いながら、俺の斬撃を腕で弾いた。


 硬い。

 鈍い衝撃が手首まで来る。


 手甲か、何か仕込んでんな……。


 その反動を使って、俺は横へ逃げた。

 代わりに、エナが前へ出る。


 エナの重装が、屋上灯の下で影を落とした。

 ゴードンがその影の中で、また笑う。



 「いい身体してる上に、動きも軽いんだなぁ」



 返事はしない。けど、エナの眉が寄る。

 

 クナイがゴードンの足元を切る。

 瓦礫が跳ねる。

 その隙に、俺がもう一度踏み込む。



 「下見るな、エナ! 肩で合わせろ」



 「はいっ!」



 エナの返事が、今度は少しだけ戻った。


 俺が左から押す。

 エナが右を塞ぐ。

 アリスのワイヤーが、離れたところでハルトの影を止める。



 ——流れは、悪くない。



 少なくとも、ゴードンは押せている。

 だが、アイツはオレじゃなく、エナを見ていた。



 「いやぁ、もったいねぇな」



 ゴードンが一歩下がる。

 その足を、クナイが追う。



 「あの田舎娘どもも、まぁ不味くはなかったけどよ。

  オマエは比べもんにならねぇくれぇ、美味そうだ」



 『田舎娘』


 言葉が、引っかかった。

 足が、止まりかけた。


 違う。

 止まるな。


 頭では分かっているのに、胸の奥で何かが冷えた。


 ただの悪口なら、流せた。

 村の人たちを見下した、いつもの下卑た言い方だと、そう処理できた。



 ——でも、違う。



 ここで、こいつがその言葉を出す意味。



 『若い女だけ別に連れて行かれた』



 トマスがそう言った時点で、嫌な推測はしていた。

 したくなくても、してしまっていた。


 敵は村人を後始末しに来ている。

 男たちは殺され、女たちは分けられた。

 それなら、別にされた三人が何のために連れて行かれたのか。


 でも、まだ推測だった。


 そうであってほしくないから。

 間に合う可能性があるなら、それに賭けたかったから。

 俺は、その先を言葉にしなかった。



 ——なのに。



 ゴードンは、笑ったまま続けた。



 「あいつらもまあ、泣き声だけは悪くなかったけどよ」



 嫌な推測が、当たった。

 ……それも、最悪の形で。


 エナの光が、強くなる。



 「お前はいいなぁ。身体も顔も……反応も良さそうだ」



 耳の奥で、音が遠くなった。


 まだ確実じゃない。


 あいつの口から出たのは、断片だけだ。

 三人全員がどうなったのか、まだ見たわけじゃない。

 生きている可能性だって、ゼロだと決まったわけじゃない。


 でも。

 多分、そうだ。


 少なくとも、こいつは三人を"生かす対象"として見ていない。

 人質としても、保護対象としても、情報源としても見ていない。


 もう終わったものを思い出す声だった。

 遊び終えたものを、雑に床へ転がしている声だった。



 「……お前」



 声が出た。

 自分でも、低いと思った。


 ゴードンがこっちを見る。



 「あ?」



 「三人……どこにいる?」



 ゴードンは、一瞬だけきょとんとした。

 それから、面倒くさそうに笑った。



 「ああ? 持って帰った女どもか?」



 軽い。


 あまりにも、軽い。



 「知らねぇよ。最後まで保たなかったやつもいたし、うるせぇから黙らせたのもいたし」



 喉の奥が、詰まった。


 確実じゃない。

 まだ、確実じゃない。


 そう言い聞かせても、もう遅かった。


 ゴードンは隠していない。

 言葉を選んでもいない。

 本人の中では、重大なことを言ったつもりすらない。



 「ま、片付けはハルトがやったんじゃねぇの?」



 視界の端で、ハルトが一瞬だけこちらを見た。


 否定はしない。


 ただ、ゴードンを見る目だけが、少し冷たくなった。

 余計なことを喋った道具を見る目だった。


 それで、足りてしまった。


 まだ確かめていない。

 誰の死体も見ていない。

 誰の最期も聞いていない。


 でも、身体の方が先に理解していた。


 ヘルガのところの奥さんと娘。

 それと、ミラの友達のサーシャ。


 名前しか知らない。

 どんな声で笑うのかも、誰を待っていたのかも、俺は知らない。


 でも、ミラがサーシャの名前を呼んだ時の声は覚えている。

 ガルドが膝の上で拳を握った音も。

 トマスが、苦しそうに、それでも喋ろうとした顔も。



 ——全部、ここに繋がっていた。



 唇の内側を噛んだ。


 血の味がした。


 怒鳴りそうになった。

 そのまま踏み込みそうになった。


 でも、その前に……エナが動いた。



 「……ふざけるなぁっ!!」



 エナの荒れた声を、初めて聞いた。


 ライムグリーンの光が爆ぜる。


 エナのクナイが一斉に前へ走った。

 本人も、その後を追うように踏み込む。


 速い。


 さっきより、明らかに。


 守るためじゃない。

 止めるためでもない。


 今のエナは……怒っていた。

 それが、悪いわけじゃない。


 むしろ、まともだ。


 あの言葉を聞いて怒れない方がおかしい。


 ……でもッ!



 「エナッ!」



 ハルトが動いていた。


 ゴードンじゃない。

 エナが踏み込む、その先。


 そこへ、細い影が滑る。


 まるで、怒りで伸びた軌道を最初から待っていたみたいに。



 「……出ると思った」



 ハルトの声が、静かに落ちる。

 手元で、薄い刃が光った。



 「まずは……脚」



 「アリス!」



 言い終えるより早く、ワイヤーが走った。



 ——カチリ。



 黒髪が揺れる。

 アリスの身体が横へ抜ける。


 ワイヤーがエナの肩口へ引っかかり、無理やり軌道をずらした。


 ハルトの刃が、空を切る。

 でも、完全には外れない。



 ——金属音。

 ——火花。



 エナの太腿を守る装甲片が、半分えぐれた。

 人型の身体そのものには血も出ない。

 でも、痛みはあるのか、エナの顔が一瞬だけ歪む。



 「っ……!」



 エナの身体が、屋上を滑った。


 クナイの陣形が崩れる。

 ゴードンが、その隙を逃さない。



 「ほらなぁ!」



 瓦礫を蹴って、こっちへ詰めてくる。

 俺は反射でセブンを上げた。



 「セブン、重く! 腕が死なない範囲で!」



 《評価:要求が曖昧。適正値へ調整》



 重くなった刃を、盾みたいにぶつける。

 ゴードンの拳とセブンが噛み合った。



 ——衝撃。



 腕が痺れる。

 それでも、押し負けるわけにはいかない。


 後ろへ一歩下がったら、形が崩れる。

 形が崩れたら、ハルトが抜ける。



 「あっぶね……!」



 奥歯を噛んで踏ん張る。


 アリスのワイヤーが、すぐ足元へ支点を作った。

 俺はそれを踵に引っかけて、身体を横へ逃がす。


 ゴードンの拳が、さっきまで俺のいた場所を抜いた。


 屋上の床が砕ける。


 ……やっぱり、力はバカ強い。

 まともに食ったらまずい。


 でも、今はそこじゃない。



 ——崩れかけた。



 エナが怒ったからじゃない。

 エナの怒りを、あいつらが利用した。


 そこを間違えちゃ駄目だ。



 「エナ!」



 俺は叫ぶ。

 責める声にならないように、短く切った。



 「戻れ! 一回、形を直す!」



 エナが、床に手をついたまま顔を上げる。


 目が揺れていた。

 悔しさと怒りと、たぶん自分が崩したことへの焦り。


 でも、返事はすぐだった。



 「……はいっ!」



 エナが立ち上がる。


 装甲片が、欠けた分を補うように再配置される。

 クナイが空中で並び直す。


 アリスも、ハルトから視線を切らないまま告げた。



 「エナの突出に対し、敵対個体ハルトが即時介入。

 以後、感情起因の単独突入は非推奨です」



 「分かってますっ!!」



 エナの声が、少しだけ悔しそうに跳ねる。


 でも、ちゃんと戻ってきた。

 それでいい。


 俺は、ゆっくり息を吐く。

 胸の奥は、まだぐちゃぐちゃだった。


 三人は、たぶんもう戻らない。

 村に帰れない。

 誰かの家に、空いた場所だけが残る。


 ……だからこそ。


 ここで俺たちが崩れたら、今度はルカたちまで帰れなくなる。


 怒るのは後だ。

 今は、こいつらを通さない。



 「セブン」



 《待機中》



 「ゴードンの動き、力任せに寄ってる。反応は悪くないけど、先読みはハルトほどじゃない」



 《同意。敵対対象ゴードンは視覚反応依存傾向が強い》



 「じゃあ、視線を散らす」



 《成立可能性あり》



 俺はエナへ視線を振る。



 「エナ。正面は任せる。でも一人で刺しに行くな」



 「……はいっ」



 「怒るのはいい」



 そこで、一回だけ言葉を切る。


 エナの目が、俺を見る。

 俺も、たぶん表情は歪んでいた。


 うまく隠せてない。



 「俺も怒ってる」



 短く言う。



 「だから、崩さず行く」



 エナは、一瞬だけ唇を結んだ。

 それから、強く頷く。



 「……はいっ」



 返事は、ちゃんと戻ってきた。


 でも、完全じゃない。


 声はいつものエナに近い。

 けど、目の奥に残った光だけは、さっきよりずっと鋭かった。


 ……悔しさ。怒り。

 それから、自分が一度崩されたことへの焦り。


 全部を飲み込んだ上で、まだ喉の奥に引っかかっている。


 『……大丈夫か?』

 そう聞きそうになって、やめた。


 今それを聞けば、エナはたぶん『大丈夫ですっ』と答える。

 答えるに決まっている。


 でも、その返事が本当に大丈夫かどうかは、次の一歩でしか分からない。


 だから俺は、エナの前に立つんじゃなく、隣に立った。


 止めるためじゃない。

 崩れた時に、すぐ支えられる位置へ。



 「……無理に刺しに行くな。合わせるぞ」



 「はいっ」



 今度の返事は短かった。


 戦える声だ。

 でも、まだ熱い。



 「なんだよ。もっと泣けよ。もっと怒れよ。その方が面白ぇだろ」



 「悪いな」



 俺はセブンを構え直す。



 「面白がらせる気はねぇよ」



 黒い刃を低く構える。

 足場を確認する。

 アリスのワイヤー。

 エナのクナイ。

 ハルトの位置。

 ゴードンの視線。


 全部、もう一回並べ直す。


 怒りはある。

 悔しさもある。


 でも、それを置く場所は、今じゃない。



 「アリス」



 「はい」



 「ハルトは追わなくていい。抜けようとする先だけ切れ。完全に止めようとするな」



 金色の目が、ほんの少しだけ細くなる。



 「……追撃ではなく、進路制限を優先します」



 「頼む」



 ハルトが、わずかに足をずらした。

 それだけで、アリスのワイヤーが一本、先回りする。


 ハルトの目が、初めて少しだけ細くなった。



 「……線がうるさいな」



 怒っているわけじゃない。 ただ、手順の中に余計な手間が増えた、みたいな声だった。


 俺は一歩、前へ出る。

 今度は、怒りに押されてじゃない。

 怒りを、ちゃんと足の裏へ沈めて。



 「鈍い方から、予定通り崩す」



 セブンの黒い刃が、屋上灯を吸った。

 ……一歩、前へ出た。


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