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境界のソードファンタズマ  作者: 矢崎 那央
第2部5話『何かが欠けた帰路』
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第1幕『緑刃一閃《ライムスレイヴ》』


 短い声が、夜に落ちた。



 「ワイヤー射出」



 ——シュッ!



 音が先に来た。


 真っ先に動いたのは、アリスだ。

 細い線が俺の視界を横切り、向かいの給水塔へ突き刺さる。ワイヤーが張った瞬間、アリスの身体が屋上から横へ抜けた。


 パージされたスカートと袖だけが、白く床に残る。


 軽く、速い。


 夜の縁を滑るみたいに流れて、黒髪だけが一拍遅れて空気を払った。



 「へぇ! そうなってんのか!」



 ゴードンの目が、そっちへ動く。


 敵を見る目じゃない。

 白く抜けていくアリスの身体を、頭から足先まで舐めるみたいな視線だ。



 「おいおい、そんな曝け出して。……そのフトモモ、誘ってんのかぁ?」



 ゴードンの口元が、汚く歪む。

 アイツの意識は今、アリスに食いついている。



 その一瞬で……上が開いた。

 ライムグリーンの光が、夜空を裂く。



 「——ッ!?」



 ——ドゴォォン!!



 ゴードンの顔が跳ね上がる。


 給水塔よりさらに上。

 黒い塊が、轟音と一緒に落ちてきた。


 エナのブレード形態。


 落下、なんてもんじゃない。

 空から、巨大な刃が質量ごと叩き込まれる。



 屋上の縁が、ぐしゃりと潰れた。


 足裏が跳ねる。

 胸の奥まで音が響く。

 白い砂塵が噴き上がり、コンクリート片が夜に弾ける。



 「うおっ!?」



 ゴードンが転がる。


 でも、本命はそっちじゃない。

 俺は砂塵の向こうを見た。


 細身の男……ハルト。


 さっきまで、そこにいた。

 ……いや、いたはずだった。



 「……いねぇ!?」



 避けた?

 いや、違う。


 エナが落ちるより前に、もう動いてた。



 ……嘘だろ?



 砂塵の奥へ、アリスのワイヤーが飛び込む。

 俺も考えるより先に、割れた屋上を低く滑るように踏み込んでいた。


 煙る向こう、細身の人影を捉えた。

 アリスが上を塞ぎ、俺が下から詰める。



 ——挟んで、逃げ場を潰す!



 ……だが、刃先は空を噛む。



 「……っ」



 距離は合っていた。

 角度も悪くない。

 アリスのワイヤーだって、ちゃんと進路を切っていた。


 なのに、当たらない。


 ハルトは、大きく跳んだわけじゃなかった。

 派手に避けたわけでもない。


 半歩。


 たぶん、それだけ位置をずらしていた。

 それだけで、届かない。



 「速ぇな……」



 思わず漏れた。


 いや、違うな。

 動きそのものっていうより——。


 

 「初動が、早い……!」



 ワイヤーが届く時には、もう重心がない。

 俺が踏み込む時には、そこはもう空白だ。


 読まれてる……

 いや、読まれる前提で動いてる。



 ……嫌なタイプだ。



 わかりやすく強い敵は、まだ良い。

 時間をかければ削れる。


 でも、こういう"当たらない敵"は面倒くさい。



 「右後方。追撃します」



 アリスの声が飛ぶ。


 俺が床を蹴るより早く、ワイヤーが二本、右側の空間を斜めに切った。


 狙いはハルト本人じゃない。

 ハルトが行きそうな"先"だ。



 線が、そこを塞ぐ。


 ……アリスは、まだハルトを追えている。


 目で追ってるんじゃない。

 音と、床の軋みと、ワイヤーの張り。

 たぶん、そういう全部であいつの位置を引っかけている。



 頼もしい。


 頼もしいけど……ちょっと怖い。

 このゴーレム、たまに人間より執念深い……。



 その横で、空中に留まっていた巨大ブレードが割れた。

 黒い刃が、ばらりと分解する。



 ライムグリーンの術式光が夜の中で線を引き、装甲が空中に散らばる。

 その中心、浮かぶ光が人の形を取り、銀髪の長身が屋上へ降り立った。


 エナの鎧が、金属音と共に身体へ吸い付くように閉じていく。



 「……避けられました」



 息は乱れてない。

 でも、声の奥が悔しそうだ。



 「あたし、ちゃんと後ろ取れてたと思ったんですけど……っ!」



 エナ自身、今ので獲ったと思ってたんだろう。



 「取れてたよ」



 俺は短く返す。

 視線はハルトから外さない。



 「鈍い方なら死んでた」



 その、"鈍い方"。

 ゴードンが瓦礫の上で身を起こす。

 砕けた床とエナを見比べて、口の端を吊り上げた。



 「おいおいおい……なんだ今の。随分と派手じゃねぇか」



 ゴードンが瓦礫を蹴って距離を取った。


 身体は強い。

 反応も悪くない。

 転がって逃げた判断だって、たぶん正解だ。


 でも、ハルトとは別物だ。

 ゴードンは、見てから動く。


 ハルトは、見られる前に動いてる。

 面倒くさい方は、間違いなくあっち。

 今の一合でわかった。



 ——あいつは、すぐには獲れない。



 片方に時間をかけたら、こっちの形が崩れる。

 形が崩れたら、後ろへ抜けられる。


 後ろには、トマスたちがいる。ルカもいる。


 ……それはダメだ。


 

 アリスのワイヤーがまた走った。


 まだハルトを捕まえようとしている。ハルトがずれ、ワイヤーが追い、またずれる。


 アリスなら、アイツを追えてる。


 ……けど、深すぎる。

 このままだと、アリスの意識がハルトに持っていかれる。



 「アリス!」



 俺は叫んだ。



 「牽制だけでいい! 深追いすんな!」



 ワイヤーが、ぴたりと止まる。

 一瞬だけ、金色の目がこっちを見た。



 ——無表情。



 でも、わかる。

 ……あれは納得してないな。


 たぶん今のアリスの中では、

 “追撃可能です。静止の説明を要求します”

 くらいの文章が組み上がっている。


 わかりやすいな、お前。



 「……了解しました」



 返事はいつも通り。

 けど、一応指示通りには動いてくれるらしい。

 今ここで問答してる余裕はない。


 助かる。

 

 ハルトは、すぐには獲れない。

 なら、先に崩すのはゴードンだ。



 「こっち。二対一で片付けてから、向こうを三対一に持ち込むぞ」



 俺はセブンを握り直し、エナに声をかける。


 あいつらを、ここに縫い止める。

 トマスたちのいる建物から遠ざける。

 この屋上を、壁にする。


 要するに。


 『後ろ行くな。欲を言えば、そのまま倒れろ』


 それだけだ。



 ゴードンが、口元を歪めた。



 「おうおう……」



 瓦礫を踏みながら立ち上がる。



 「ずいぶん舐めてくれるなぁ?」



 《先ほどの戦略提案に誤情報を確認》



 そこで、唐突にセブンの声が割り込んだ。



 《訂正:敵対個体一を撃破後の戦力比は、三対一ではなく、当ユニットを含めた四対一》



 一瞬、変な間が空いた。


 こんな状況なのに。

 いや、こんな状況だからこそか。


 口の端が、勝手に上がる。



 「はっ! 悪かったよ、相棒」



 セブンを肩へ担ぐ。


 黒い刃の表面が、屋上灯を反射する。



 「じゃあ……鈍い方は三対一でとっとと片して、アリスと合流するぞ!」



 「はいっ!」



 エナが前へ出る。


 鎧の隙間から、ライムグリーンの術式光が走った。

 俺は割れた床を踏んで、重心を沈めた。


 ゴードンは、笑みを崩さなかった。


 数ではこちらが有利。

 でも、こいつの目はまだこっちを舐めていた。


 囲まれてる自覚がないのか。

 それとも、囲まれても問題ないくらい自信があるのか。


 ……どっちにしても、嫌なタイプだな。


 ハルトとは別ベクトルで。


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