第1幕『緑刃一閃《ライムスレイヴ》』
短い声が、夜に落ちた。
「ワイヤー射出」
——シュッ!
音が先に来た。
真っ先に動いたのは、アリスだ。
細い線が俺の視界を横切り、向かいの給水塔へ突き刺さる。ワイヤーが張った瞬間、アリスの身体が屋上から横へ抜けた。
パージされたスカートと袖だけが、白く床に残る。
軽く、速い。
夜の縁を滑るみたいに流れて、黒髪だけが一拍遅れて空気を払った。
「へぇ! そうなってんのか!」
ゴードンの目が、そっちへ動く。
敵を見る目じゃない。
白く抜けていくアリスの身体を、頭から足先まで舐めるみたいな視線だ。
「おいおい、そんな曝け出して。……そのフトモモ、誘ってんのかぁ?」
ゴードンの口元が、汚く歪む。
アイツの意識は今、アリスに食いついている。
その一瞬で……上が開いた。
ライムグリーンの光が、夜空を裂く。
「——ッ!?」
——ドゴォォン!!
ゴードンの顔が跳ね上がる。
給水塔よりさらに上。
黒い塊が、轟音と一緒に落ちてきた。
エナのブレード形態。
落下、なんてもんじゃない。
空から、巨大な刃が質量ごと叩き込まれる。
屋上の縁が、ぐしゃりと潰れた。
足裏が跳ねる。
胸の奥まで音が響く。
白い砂塵が噴き上がり、コンクリート片が夜に弾ける。
「うおっ!?」
ゴードンが転がる。
でも、本命はそっちじゃない。
俺は砂塵の向こうを見た。
細身の男……ハルト。
さっきまで、そこにいた。
……いや、いたはずだった。
「……いねぇ!?」
避けた?
いや、違う。
エナが落ちるより前に、もう動いてた。
……嘘だろ?
砂塵の奥へ、アリスのワイヤーが飛び込む。
俺も考えるより先に、割れた屋上を低く滑るように踏み込んでいた。
煙る向こう、細身の人影を捉えた。
アリスが上を塞ぎ、俺が下から詰める。
——挟んで、逃げ場を潰す!
……だが、刃先は空を噛む。
「……っ」
距離は合っていた。
角度も悪くない。
アリスのワイヤーだって、ちゃんと進路を切っていた。
なのに、当たらない。
ハルトは、大きく跳んだわけじゃなかった。
派手に避けたわけでもない。
半歩。
たぶん、それだけ位置をずらしていた。
それだけで、届かない。
「速ぇな……」
思わず漏れた。
いや、違うな。
動きそのものっていうより——。
「初動が、早い……!」
ワイヤーが届く時には、もう重心がない。
俺が踏み込む時には、そこはもう空白だ。
読まれてる……
いや、読まれる前提で動いてる。
……嫌なタイプだ。
わかりやすく強い敵は、まだ良い。
時間をかければ削れる。
でも、こういう"当たらない敵"は面倒くさい。
「右後方。追撃します」
アリスの声が飛ぶ。
俺が床を蹴るより早く、ワイヤーが二本、右側の空間を斜めに切った。
狙いはハルト本人じゃない。
ハルトが行きそうな"先"だ。
線が、そこを塞ぐ。
……アリスは、まだハルトを追えている。
目で追ってるんじゃない。
音と、床の軋みと、ワイヤーの張り。
たぶん、そういう全部であいつの位置を引っかけている。
頼もしい。
頼もしいけど……ちょっと怖い。
このゴーレム、たまに人間より執念深い……。
その横で、空中に留まっていた巨大ブレードが割れた。
黒い刃が、ばらりと分解する。
ライムグリーンの術式光が夜の中で線を引き、装甲が空中に散らばる。
その中心、浮かぶ光が人の形を取り、銀髪の長身が屋上へ降り立った。
エナの鎧が、金属音と共に身体へ吸い付くように閉じていく。
「……避けられました」
息は乱れてない。
でも、声の奥が悔しそうだ。
「あたし、ちゃんと後ろ取れてたと思ったんですけど……っ!」
エナ自身、今ので獲ったと思ってたんだろう。
「取れてたよ」
俺は短く返す。
視線はハルトから外さない。
「鈍い方なら死んでた」
その、"鈍い方"。
ゴードンが瓦礫の上で身を起こす。
砕けた床とエナを見比べて、口の端を吊り上げた。
「おいおいおい……なんだ今の。随分と派手じゃねぇか」
ゴードンが瓦礫を蹴って距離を取った。
身体は強い。
反応も悪くない。
転がって逃げた判断だって、たぶん正解だ。
でも、ハルトとは別物だ。
ゴードンは、見てから動く。
ハルトは、見られる前に動いてる。
面倒くさい方は、間違いなくあっち。
今の一合でわかった。
——あいつは、すぐには獲れない。
片方に時間をかけたら、こっちの形が崩れる。
形が崩れたら、後ろへ抜けられる。
後ろには、トマスたちがいる。ルカもいる。
……それはダメだ。
アリスのワイヤーがまた走った。
まだハルトを捕まえようとしている。ハルトがずれ、ワイヤーが追い、またずれる。
アリスなら、アイツを追えてる。
……けど、深すぎる。
このままだと、アリスの意識がハルトに持っていかれる。
「アリス!」
俺は叫んだ。
「牽制だけでいい! 深追いすんな!」
ワイヤーが、ぴたりと止まる。
一瞬だけ、金色の目がこっちを見た。
——無表情。
でも、わかる。
……あれは納得してないな。
たぶん今のアリスの中では、
“追撃可能です。静止の説明を要求します”
くらいの文章が組み上がっている。
わかりやすいな、お前。
「……了解しました」
返事はいつも通り。
けど、一応指示通りには動いてくれるらしい。
今ここで問答してる余裕はない。
助かる。
ハルトは、すぐには獲れない。
なら、先に崩すのはゴードンだ。
「こっち。二対一で片付けてから、向こうを三対一に持ち込むぞ」
俺はセブンを握り直し、エナに声をかける。
あいつらを、ここに縫い止める。
トマスたちのいる建物から遠ざける。
この屋上を、壁にする。
要するに。
『後ろ行くな。欲を言えば、そのまま倒れろ』
それだけだ。
ゴードンが、口元を歪めた。
「おうおう……」
瓦礫を踏みながら立ち上がる。
「ずいぶん舐めてくれるなぁ?」
《先ほどの戦略提案に誤情報を確認》
そこで、唐突にセブンの声が割り込んだ。
《訂正:敵対個体一を撃破後の戦力比は、三対一ではなく、当ユニットを含めた四対一》
一瞬、変な間が空いた。
こんな状況なのに。
いや、こんな状況だからこそか。
口の端が、勝手に上がる。
「はっ! 悪かったよ、相棒」
セブンを肩へ担ぐ。
黒い刃の表面が、屋上灯を反射する。
「じゃあ……鈍い方は三対一でとっとと片して、アリスと合流するぞ!」
「はいっ!」
エナが前へ出る。
鎧の隙間から、ライムグリーンの術式光が走った。
俺は割れた床を踏んで、重心を沈めた。
ゴードンは、笑みを崩さなかった。
数ではこちらが有利。
でも、こいつの目はまだこっちを舐めていた。
囲まれてる自覚がないのか。
それとも、囲まれても問題ないくらい自信があるのか。
……どっちにしても、嫌なタイプだな。
ハルトとは別ベクトルで。




