第9幕『迎撃開始 - Obsidian Blade: Unsheathed -』
搬入口を出て、俺たちは建物の陰を縫うように走った。
先頭はアリスに任せる。
白い巡礼服の裾が、沈みかけた夕陽の明かりをかすかに拾って、すぐ影に沈む。
手の甲から射出されたワイヤーが、上の手すりに細く走った。
——カチリ。
小さな音。
次の瞬間には、アリスの体がふっと持ち上がる。
人間みたいに跳ぶんじゃない。
線に引かれて、静かに上へ滑っていく感じだ。
ほんと、あの移動は便利すぎる。
《警告:前方確認を推奨》
「分かってるよ」
短く返して、俺も走る。
建物の脇に積まれたコンテナ。
その縁に片足をかけて、壁を蹴る。
ひびの入った排気ダクトの出っ張りに手をかけて、身体を上へ流す。
足は止めない。
下は見ない。
ルートと次の支点だけ拾う。
昔、散々身体に叩き込んだやつ……。
この世界が異質でも、高さと重心の読み方は同じだ。
アリスのワイヤーが、ちょうどいい位置へもう一本走る。
俺はそれを手首で引っかけて、半身ぶん横へ飛ぶ。
足場の狭い庇を蹴って、最後は両手で屋上の縁を掴んだ。
「っ、よ……!」
腕に力を入れて、一気に上がる。
膝をついたまま一度だけ周囲を見る。
アリスはすでに屋上の奥、給水塔みたいな設備の陰に回ってる。
その黒髪だけが、遅れて揺れる。
こっちへ一瞬だけ視線が飛ぶ。
“遅いです”って言いたそうな無言の圧だ。
うるせぇ。
俺は少しだけ口角を上げる。
——屋上は、そんなには広くない。でも、十分だ。
俺たちがいた建物から、二つ向こう。
トマスたちの隠れている場所と、ほぼ一直線に並んだ位置。
間に低い建物がいくつか噛むぶん、向こうからは一発で搬入口の中までは見えない。
逆に、こっちは敵がこっちへ寄ってくる瞬間を拾いやすい。
……ここでいい。
「セブン」
腰の剣へ小さく声を落とす。
「向こうの位置」
《評価:接敵まで時間僅少。予測進路はこの通り上と推定》
よし。
俺は屋上の縁ぎりぎりから半歩下がって、姿勢を落とした。
アリスも反対側で、ワイヤーを張る準備に入っている。
あとは、向こうが視界へ入るのを待つだけだ。
——少しして、気配が来た。
前じゃない。
上だ。
向かいの建物、そのさらに先。
屋上の縁に、影が二つ立つ。
一人は細身。
動きに無駄がない。立ったままでも、次にどこへ飛ぶか決めてる感じがある。
もう一人は、そこより少しがっしりしていて、立ち方が雑だ。
でも雑なくせに、落ちる不安みたいなものはまるでない。
そいつらが、次の建物へ移ろうとして……止まった。
こっちを見たからだ。
俺とアリスは、もう隠れていない。
屋上の縁の少し内側、迎え撃つ形で立っている。
相手がこちらに向き直る。
細身の方が、あからさまに眉を寄せた。
がっしりした方は、嫌そうに口を歪める。
「……はぁ?」
先に声を出したのは、がっしりした方だった。
「どういうことだ?
なんなんだ?こいつら」
吐き捨てるみたいな声。
「おいおい、おかしいだろ」
それから周囲を見回す。
俺たちの背後じゃなく、建物と建物の繋がり方を確認するような視線だった。
「聞いてねぇぞ……。
この空間に来れるのは、俺らだけって話じゃなかったのかよ」
「知らねぇけど……なら、それ勘違いだな」
短く応える。
細身の方は黙っていた。
けど、こっちを見てる目は完全に警戒へ切り替わっている。
驚いた、じゃない。
予定が狂った、って顔だ。
「……当たりだな」
喉の奥で、小さく言う。
一瞬だけ、トマスとルカの顔が浮かぶ。
間違いない、こいつらだ。
村の連中を攫って、ここに閉じ込めて……
……そして、殺したやつら。
俺は、屋上の縁に片足をかけたまま、そいつらを見る。
「そっちこそだ」
声が、陽がほとんど落ち、冷えた空気をまっすぐ走る。
「何者だ、あんたら。何の目的で、村の人達をここへ連れてきた」
がっしりした方が、少しだけ肩を揺らして笑った。
その横で、細い方の視線が一度だけ下に落ちる。
ルートを追うみたいに、建物の縁と縁をなぞる。
「……どうやって来た。
この場所に来る技術を、なぜお前たちが持っている?」
声は低いまま変わらない。
だが、その視線だけが一瞬だけ泳いだ。
"ここに自分たち以外が居るはずがない"
その困惑が、わずかに滲む。
「何者、ねぇ」
その間を、横から雑に踏み潰す声が入った。
がっしりした方の視線が、俺からアリスへ滑る。
その止まり方は、嫌な感じだ。
こっちの人数も、立ち位置も、戦力も、値踏みしてる目……。
「坊や、そんなの聞いてどうすんだよ。
答えたら見逃してくれんの?」
その言い方だけで分かる。
まともに答える気がない。
横の細身が、目を細めたまま低く言う。
「……おい。
こっちの情報を向こうに簡単に渡すな」
がっしりした方が、そっちを見もしないまま鼻で笑った。
「分かってるって」
それから、わざとらしく続ける。
「悪かったよ、ハルト?」
細身……ハルトは、そこで初めて露骨に嫌そうな顔をした。
小さく舌打ちが落ちる。
……なるほど。
あの軽薄そうな方は、わざとだな。
気に障ると分かってて、今のタイミングで名前を出した。
あいつら仲良しってわけじゃなさそうだ。
俺は小さく息を吐いた。
「……まあ、どう見ても悪モンだよな、あんたら」
わざと軽く言う。
ハルトの眉が、ほんの少しだけ動いた。
ガッチリした方は、逆に口元を歪める。
「悪モン扱いとはご挨拶だなぁ」
そこで、胸に手を当てるみたいな胡散臭い仕草をした。
「ゴードンだ。せっかく名乗ってやったんだから、覚えとけよ」
そのまま、目がまたアリスへ向く。
今度は、ねっとりした視線を隠しもしない。
「にしても……そっちのちっこい女。
人形みてぇな可愛い顔してんな」
視線が、顔から肩、腕、脚へと這う。
「よく見りゃ、相当いいじゃねぇか」
その瞬間、アリスの金色の目が、すっと細くなった。
嫌悪感が、いつもの無表情の奥で温度の低いまま固まる。
けど声は崩れず、いつもの調子でまっすぐ告げる。
「型式番号LC-01-A-03、兵装制御型ゴーレム……。
コードネーム、アリス・リドルです」
ゴードンが、舌で口の端を湿らせた。
口元がいやらしく緩む。
……その仕草は、“未知の敵”を見るものじゃない。
どういう意味かは、十分伝わってくる。
「へぇ……アリスちゃん、ね。
見た目どおりの、可愛い名前じゃん」
アリスの頬は動かない。
でも、視線だけが一段冷えた。
「視線の滞留と、発話内容に性的意図を確認。
……不快です」
ゴードンは、その反応すら面白がるみたいに笑った。
「お、いいねぇ。
ちゃんと嫌がるんだ」
その横で、ハルトが面倒そうに息を吐く。
「……遊ぶな」
短い。
でも、“やめろ”というより“手間を増やすな”の響きだ。
ゴードンは下卑てる。ハルトは静か。
やってることは違うのに、向いてる先だけが同じなのが、余計に気分が悪い。
……こいつらがどういう手合いかは、だいたい分かった。
ゴードンは肩をすくめてから、今度は俺を見る。
「で? 坊やは何者だよ」
俺は答えず、そいつらを一度だけ見直す。
ニヤついた目と目が合う。
足は縁にかけたまま、肩も次の動きに備えてない。
……なるほどな。
俺は、少しだけ口の端を上げた。
「悪モンの前に立ちはだかってんだ……」
腰のセブンに手をかける。
柄を握った瞬間、いつもの重さが手に馴染んだ。
冷たいはずなのに、妙にしっくりくる。
相手は二人、位置は上。
足場は悪くない、パルクール向きの高低差もある。
アリスは準備万端だ。
だったら……いける。
「正義の味方に決まってるだろ?」
ゴードンが、一瞬きょとんとした顔になる。
ハルトの目が、わずかに細くなる。
その反応は、今の俺の気分に逆にちょうどいい。
「……ほんと、気に食わねぇな」
再びルカたちの顔が浮かんで、ポツリと漏れた。
腰の重さを確かめ、アリスに横目で視線を送る。
そして——
セブンを抜き放つ。
「グラビティヒーロー、見参ッ!!」
黒曜石のような刀身が、夕闇に浮いた屋上灯を冷たく返して持ち上がる。
「いくぜ相棒ッ!!」
刀身の表面に、淡い光が走る。
再起動を告げる文字列が、黒い刃の上に一列ずつ浮かび上がる。
足元からふっと重力が抜ける。
服の裾が浮き、髪がふわりと舞う。
《Higgs field stabilized. Ether pathway aligned.》
《Reboot complete──出力調整フェーズ》
セブンの声が、静かに響く。
《……戦略の提案を求む。相棒》
夕焼けはもうない。
白い照明だけが屋上を平たく照らし、影が伸びる。
そこに、風の抜ける音だけが残った。
——第2部5話につづく




