重なる思い
飛び散る一粒の血飛沫が私の頬を濡らす。
まさかフェスター卿が王女殿下に手を掛けるとは思いもよらなかった。
この戦に大義など無い事は私にも想像できる。
バルト卿が言っているように、王女殿下が暗殺者と手を組んでいるとは、到底考えられないのだから。
先の若き将が言っていたように国王陛下が崩御されたならば、恐らくルイス殿下の差し金で、王位継承権を得るために邪魔な王女殿下を亡き者にしようと、この戦が始まったのだ。
王女殿下には何の罪もない…。
私は演壇上から滴る鮮血を見ている事しか出来なかった。
忠義とは何か、大義とは何なのか、我々王都守備隊は何のために存在するのか…、頭の中で答えの出ない問いが渦巻いている。
「将軍!ハンク将軍!」
「…あ、ああ、どうした?」
「後方、バルト卿の近くで騒ぎが起きています!」
「…そうか。」
私は、ぼんやりと騒ぎが起きているという後方に視線を向けると、巨大な氷の柱が現れ、バルト卿の護衛を襲っている。
反乱…いや、敵の残党がバルト卿を襲っているのか?
いつもの私ならすぐに兵を動かし、バルト卿を守っていただろう…。
だが今の私は、ただ見ている事しか出来なかった。
バルト卿の兜が不自然に吹き飛び、脳天に矢が突き刺さる。
脳漿を垂れ流し軍馬から崩れ落ちるバルト卿を見て、急速に我に返った私は、跪く捕虜達を凝視した。
ウォーロック、近衛騎士団長…2人は確かにそこにいる。
しかし、あの副団長は偽物だ!
近衛騎士副団長は、稀に見る弓の名手と聞いた事がある。
バルト卿を射殺した矢は副団長のものに違いない。
そして何より、北門で見たあの若き将の姿が見当たらない…。
まさかこれは、フェスター卿の策なのか?
私は瞬時に、演壇上に佇むフェスター卿へ顔を向けた。
「気付いたようじゃな、ウィシャート殿。」
「まさか…では、あの降伏宣言は虚言!」
「まさに、その通りじゃ。」
あのフェスター卿が、こうもあっさり降伏する筈がない。
私はそれに気付く事が出来なかった。
しかも驚くべき事に、ジーク殿に殺された筈の王女殿下が、ゆっくりと立ち上がったのだ。
広場を埋め尽くす兵達からも、驚嘆の声が一斉に巻き起こる。
「勇猛なる王都守備隊の皆さん、まずは皆さんを騙してしまった事を謝罪します。」
血に濡れた王女殿下が深々と頭を垂れる。
頬に付着した血飛沫を口に含んでみると、酸味の強い果実の味がした。
これは…血糊だ。
「突然ですが、皆さんは何が好きですか?」
広場の中だけでも、ざっと3千以上の兵達が取り囲んでいる状況で、王女殿下の突拍子もない問いに兵達は困惑しているようだ。
「私は、宝石が好きです。皆さんが口にした事も無いような豪華な食事も大好きです。あとは、そうですね…読書も好きです。皆さんが一生掛かっても手に入れる事のできないような高額の書物を集めています。先日も皆さんから集めた税金で20冊ほど購入しました。」
王女殿下は何を言っておられるのだ?
ジーク殿に斬られたショックで気でも触れられたのか?
王女殿下に兵達の反感の眼差しが突き刺さっている。
「一体何が仰りたいのですか?」
「宝石も、食事も、書物も、好きな物はたくさんあります…。ですが、私が最も好きなものは、民の笑顔です!」
王女殿下の強い意志を込めた瞳が強く輝く。
「私は、民の笑顔のためならば血を流す事を惜しみません!皆さんはどうですか?城を守る事が皆さんの大義なのですか?何の罪もない私達を殺す事が大義なのですか?」
大義…私の大義とは城を守る事ではない。
ましてや、罪もない臣民を殺す事では断じてない!
「皆さんの大義とは、私の思いと同じもの…。違いますか?」
王女殿下の思い…我々の大義とは、民の笑顔のために血を流す事、そのために我々王都守備隊は存在している…。
「私は忠義で縛るつもりはありません。ただ、皆さんの大義と私の思いが重なるならば、共に歩んではもらえないでしょうか!」
共に、歩む…。
王侯貴族には忠義を尽くすもの…それが我々の根底にあり、行動の全てを決めていた。
しかし、王女殿下は共に歩むと仰られた。
民の笑顔のために、共に血を流すと…。
「この国は今、多くの民の笑顔が失われようとしています。しかし、今の私にはそれを守る力はありません…。皆さんの力が必要なのです、ですから…」
「王女殿下の思い、しかと受け止めました!王都守備隊の兵士諸君、既に我々を縛るものは何も無い。民の笑顔のため王女殿下と共に歩むのか、それとも王都へ戻り王侯貴族に媚び諂い忠義を尽くすのか、選ぶが良い!」
「俺は…王女殿下と共に戦いたい!」
「王侯貴族に媚び諂うなど、まっぴらごめんだ!」
「我らの大義は殿下と共に!」
口々に叫ぶ兵達の言葉は、一様に王女殿下を支持するものであった。
王女殿下の思いを乗せた言葉は、広場を埋め尽くす兵達に届き、やがて街を取り囲む2万の兵達全ての心を動かした。
鳴り止まぬ歓声がリィンフォルトの街に轟く。
この日、たった170人で始まったアルテミシア王女の勢力は、忠義よりも強い思いで結ばれた2万もの大軍を手に入れたのだった――
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