開戦前夜
リィンフォルトの街に夕闇が訪れようとする頃、当然のように繰り返されてきた市井の賑わいが消え、水を打ったような静けさが街を支配していた。
宰相閣下の指示により、一般市民は明日の夜までの間、近隣の都市に避難せよとの布告が発せられていたためである。
敵の狙いはアルテミシア王女の首と、宰相閣下の身柄であり、勝敗はどうあれ一般市民に危害を加えるつもりはないだろう。
何より、経済の中心であるこの街に被害を出したくないのは敵も同じだと推察できる。
ルイス王子の勢力を支える資金の大半は、この街の経済で賄っていると言っても過言ではないからだ。
一般市民の避難が終わった時点で、東西南北4つの門を固く閉ざし、外壁の上に見張りを立てている。
これで敵の斥候部隊が来たとしても、中の様子を探る事は出来まい。
街の中心に位置する広場に共に戦う兵士達が集まり、明日に控えた決戦の準備が進められていた。
こちらの戦力は、近衛兵9名、自警団員64名、街の市民から成る義勇兵93名、そしてアルテミシア王女を含めた僕達9名、合わせて175名が明日の戦いに臨む。
「おおよその手筈は整ったようじゃな。」
「ああ、後は明日を待つだけだ。それにしても爺さん、この小僧を総指揮官に据えて本当に大丈夫なのか?」
まさにその通りである。
トラキア戦役の英雄達が集う中、適任者は幾らでもいるというのに、僕が総指揮官を務めるなど愚の骨頂ではないか?
「それは何度も説明したじゃろう。」
そう、宰相閣下曰く――
敵はこちらの内情をある程度把握しているので、敵を欺くために名の知れた者は囮として敵の前に出なければならないのだ。
敵の狙いであるアルテミシア王女、宰相閣下は勿論、師匠、ミラルダ、ミリアム、ジークは敵に姿を晒さなければならないため、敵に気取られる事無く指揮を執る事は難しい。
そこで、残された僕とシリウス、ザックスの中から指揮官を選ばねばならず、死神の大鎌のブラッドを破った僕の適性を知るために、自警団の館で僕の考えを聞いたと言う事だ。
「それは分かっちゃいるが、姫さんの命が掛かってるんだぞ?おいそれと納得する訳にはいかんだろうが。」
「いざという時は儂が直接指揮を執る手筈になっておる。それに、この子ならば状況を見て臨機応変な判断が下せると確信しておる。」
「だとよ。」
「はい、委細は宰相閣下に御教示して頂きました。」
「儂の策とは言っても、所詮は机上の空論に過ぎん。決められた策に囚われず、小さな状況の変化にも柔軟に対処せねばならんぞ?」
「重々肝に命じて善処致します…。」
「善処ではなく、絶対に遂行するのが貴様の役目だ…。師よ、何故俺ではなくコイツなんだ?俺ならば完璧にやり遂げる事が出来る筈だ。」
今まで殆ど口を開かず、沈黙を貫いていたシリウスが珍しく口を開き、ジークに詰め寄る。
「確かにお前ならば、間違いなく姫さんと爺さんの命を守り通す事が出来るだろう。だがな、後に残るのは屍の山だ。それが完璧と言えるのか?」
「何を言っている。結局はどんな手を使ってでも王女と宰相が生き残れば俺達の勝ちではないのか?」
「そうなる可能性も少なからずある…。じゃがなシリウスよ、それでは足りぬのじゃ。」
「足りない?一体どういう事だ!」
「ほっほ、それを考えるのもまた修行じゃろうて。儂とこの子が導き出した答えを楽しみにするんじゃな。」
「チッ…せいぜいその答えとやらが出せるように努力するんだな…。失敗したら貴様を殺す!」
そう言い捨てて、シリウスは静かな街の中へ消えて行った。
「あの子も心根は真っ直ぐで悪い奴では無いんじゃが、愚直なまでに合理的で、少々堅いところがあるんじゃよ。真に儂らの事を想っての物言いじゃから許してやってくれんかの?」
「彼の言う事も最もです。彼なりの激励と、失敗しないための勧告だと受け取り、明日の戦いに臨みたいと思います!」
準備を終えた僕達は、各々自警団の館や宿、空き家などに割り振られた部屋で眠りに就いた。
僕は緊張のあまり、なかなか寝付けなかった事も想像に難くないだろう。
そして、朝日が東の空から顔を出す頃、敵襲を知らせる鐘の音が静かなリィンフォルトの街に、けたたましく鳴り響いた――
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