眠りし牙は鈍く輝き
私はヒンヤリと冷たい大樹に背を預け、荒くなった呼吸を整える。
落ち着け、焦ってはダメだ。
残りの敵は5人、その中に魔法を使う者がいる。
勿論、魔法を使う者と戦うのは初めての経験ではない。
いや、むしろ魔術師と戦った事のある者にしか、私が今置かれている状況の悪さを理解できないだろう。
魔法を使える者が戦場に出て来る事は非常に少ない。
他国では主戦力に魔術師を加える事など、そう多くはないのだ。
部隊に魔術師を加えるのは我が国特有の文化で、魔術師の教育や、魔術を使った戦術が練られているからこそ可能なのだと、ミラ様は言っていた。
自国の魔術師と模擬戦をする事はあるが、基本的に相手の能力を知った上での戦闘だ。
例えどんな些細な能力だとしても、それはどんな能力なのか、何ができるのか、それが不明ならば脅威でしかない。
能力を知っていたとしても、アイ様が相手となると私ではまるで歯が立たないのだが…。
私は手の平に浮かんだ、じっとりと粘つく汗を太腿に擦り付け、大樹から顔を出し、敵の気配を探る。
すると私の顔のすぐ横を鋭い矢が駆け抜けた。
驚いた私は、瞬時に顔を引っ込める。
今までの敵とは違う。
私よりも弓の技術は劣るが、私と同程度の察知能力を持っている。
じわりと迫り来る敵の足音から、敵の隊列が浮かび上がる。
前方奥に1人、左右に2人ずつ。
恐らく、奥にいる敵が魔法を使う者だ。
私が持っている矢の数は残り6本。
残敵数と照らし合わせると、余裕があるのはたった1本。
次の一手で最低でも2人を殺して、余裕のある1本で敵の魔法の正体を暴く、それしかない。
私は目を閉じ、肩の力を抜いて、大きく息を吸い込む。
心臓の鼓動が頭に響く。
意を決した私は目を見開き、敵の右翼に突撃を開始した。
敵から放たれた矢が、肩口を掠めて飛んで行く。
敵の4射をギリギリで躱した私は、右翼の2人に矢を撃ち込む。
攻撃するという事は、自らの位置を相手に知らせるという事だ。
敵の攻撃で完全に位置を把握した私の矢は、右翼の2人を捉え、命を奪った。
そのままの勢いで駆け抜け、奥に控える魔法を使うと思われる敵を視界に捉える。
走りながらの1射。
私の矢は敵の頭部目掛けて飛んで行く。
命中――いや、私の矢は後ろの木に突き刺さり、敵の姿は既にない。
それどころか私は、驚くべき光景を目の当たりにする。
先程消えた敵の周囲で、弓を構える5人の敵影。
一斉に放たれる5本の矢。
咄嗟に回避するが、その1本が私の胸を貫き、私はもつれるように地面に転がった。
痛みはない…。
むしろ転倒した時に擦りむいた手の平と膝がズキズキと痛む。
矢に貫かれたであろう部分を触ってみるが、出血もしていない。
私は、転がるようにして再び木陰に逃げ込んだ。
これでハッキリした。
敵は恐らく、私に幻影を見せる魔法を使う。
それだけだと決めつけるのは危険だが、最低でも1度に6体の幻影を作り出し、攻撃する事が出来る。
しかし、幻影の矢は幻影でしかなく、私を傷付ける事は出来ない。
突然の攻撃に驚いてしまい、定かではないが、あの5人の幻影の中に敵の本体が紛れている筈だ。
残る矢は3本、敵も残り3人。
もう余裕は残されていない。
殺した敵が持っている矢を探している余裕もない。
どうする…私はどう戦う?
考えろ…。
ミラ様やアイ様のように…。
考えろ…。
この状況を打破する方法を…。
その時ふと、生きるために暗闇に包まれた森を駆け回り、狩をしていた幼い頃の自分を思い出す。
あの時私は…暗闇に潜む獣を狩るのに何かを考えていただろうか…。
いや、考えるんじゃない、感じるんだ。
五感の全てで。
人間を捨てて、獣に戻るんだ。
思い出せ、あの頃の私を…ただ一匹の獣だった頃の私を!
私はアル様に頂いた大切な銀の胸当てと小手を脱ぎ捨て、私にとって掛け替えのない人達と積み重ねて来た思い出も、暗い夜空に解き放った。
残ったのは、私の持てる最強にして最後の牙。
心の奥底に眠り、今なお鈍く輝くその牙の名は、本能――
本能を呼び覚ました私は獣の声で、低く重い唸り声を上げた。
それを聞きつけた敵は、ジリジリと距離を縮めて来る。
弓を引き絞る音が2つ…。
私は大地を強く蹴り、敵の中心へと飛び込む。
来る――本能が私の体を動かす。
右前方に1射、飛来する敵の爪を躱し、更に左前方に1射。
残るは前方に1匹。
しかし、現れたのは5匹の人間。
私は中央の人間に最後の矢を放つ――
私の放った矢は、人間を突き抜け後ろの木に突き刺さる。
あれは幻…。
残る4匹の人間が放った矢が私を貫く。
これも幻…目に映る人間は全て幻影…。
私は弓を投げ捨て、全速力で駆け抜け、前方に放ち木に突き刺さっている矢を引き抜く。
そして、その木の陰の何もない空間に、引き抜いた矢を突き立てる。
ゴポゴポと流れる血が私の手を真紅に染め、何もない空間から次第に人間の姿が浮かび上がった。
私の本能が捉えたのは、目に見えぬ幻影だった。
私はゆっくりと呼吸を繰り返す。
何度も、何度も…。
そして再び私の牙は深い眠りに就いた…。
このまま人間に戻る事は出来ないのではないかと恐れていた。
獣に戻ってしまうのが本当に怖かった。
大切な人達と過ごした日々を失うのが心の底から悲しかった。
私は初めてアル様に教えて頂いた大切な言葉を思い出す。
「今夜も星が綺麗ですね。」
「星…私は知らない。何の意味がある?」
「生きていれば辛い事や悲しい事は沢山あります…。けれど、どんなに辛い事があっても下を向いて歩かないように、太陽は輝き、星は瞬いているんです。」
「とても尊い物なのだな…」
「そうですね。辛い時、悲しい時は上を向いて輝く星々を見て下さい。きっと貴女を励ましてくれますよ。決して忘れないで下さいね。」
私は記憶の中のアル様を思い出し、木々の隙間から満点に輝く星空を見上げた。
そして、自然と私の瞳から溢れる涙は、止まる事なく流れ続けた――
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