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第43話 交差した足跡の先にある旅路

 廃炭鉱街のドック。

 煤けた鉄骨の天蓋の隙間から、朝の鈍い光がわずかに差し込んでいた。石炭滓を踏む重い足音が、ドックの入口の方角から近づいてくる。

 アルドは作業台で歩行ギアの歯車にオイルを差していた手を止め、目だけをそちらへ向けた。

 ジャックだった。

 肩掛けの運搬鞄は数日前より明らかに軽く、中身の角張った重量感が消えている。長い道中の疲労が足取りに滲んでいたが、顔には確かな手応えの色が浮かんでいた。

 ジャックはオールド・ベルの巨体の横を通り過ぎ、作業台の前で足を止めた。鞄の肩紐を指でずらし、柱にもたれかかって息をひとつ吐いた。

「……終わったぞ」

 低く、乾いた声だった。

「奴らの技師どもが穴の開くほど検品しやがった。表層から深層まで全配列を走査して、インクの硬化状態まで顕微鏡で見比べてた」

 ジャックは疲労をにじませた口元をわずかに歪めた。

「大戦期規格の論理配列と判断。回収完了。公式捜査は打ち切り」

 鞄の口を開けてみせた。中には油布と空の革袋だけが残っている。

「洋上の精霊消失事件はこれで終わりだ。犯人の特定もなし。お前らに疑いが向く心配も完全に消えた」

 ドックに短い沈黙が落ちた。

 遠くで石炭を砕く音だけが、低く響いている。

 アルドは手の中の歯車にオイルを一滴垂らし、布で拭った。

「当然だ」

 不敵に鼻を鳴らした。

「俺たちが組んだ品に、綻びがあるわけねえだろうが」


『……厄介な捜索依頼そのものが公式に消滅したということですね』


 作業台の通信機から、涼やかな合成音声が流れた。


『マスターたちがこれ以上不要なボロを出して、私の平穏を脅かすリスクが、ようやく通常レベルまで低下しました』


 通信機越しのその声には、いつもの慇懃無礼な棘が戻っていた。

「違いねえ」

 機体側面のハッチから顔を出したガレットが、ぼろ布で手を拭きながら肩の荷を下ろしたように笑った。

 ジャックが疲れた溜息をもうひとつ落とした。


---


 全員が胸を撫で下ろしたところで、カーラがハッチの奥から出てきた。葉巻を灰皿に押し付け、自らの装甲車の鍵を指で回す。

「じゃあ、ルカを送ってくるわ」

 カーラは顎でジャックを示した。

「あんたも乗りなさい。無料の護衛の続きよ」

 ジャックの顔から血の気が引いた。

「待て。護衛はいい、引き受けてやる。だが頼むから……」

 ジャックは右手首を押さえ、情けない声を絞り出した。

「逃げたりしねぇから、せめて出発する前にこの腕輪だけは外させてくれ……っ!」

 カーラは微笑んだまま、鍵を指先でくるりと回した。

「駄目よ。無事に戻ってくるまでの保険だもの」

 有無を言わせない涼しい目だった。

「腕輪は帰ってきたらアルドに外してもらうから、大人しく乗りなさい」

 ジャックは天を仰いだ。

 ドックの片隅でルカが声を殺して笑っているのが見えた。


 ガレットが厨房から出てきた。手には油紙で丁寧に包まれた、ずっしりとした包みがある。

「道中で食え」

 ルカの前に差し出した。燻製の肉と黒パンの匂いが油紙の隙間から漂っている。大きな手が、ルカの頭を軽く撫でた。

 ルカはその包みを見下ろした。

 雷鳴の谷で別れた時のことを、思い出していた。あの時は笑って断った。鉄くずの方が金になると言って。

「……へへ」

 ルカは包みを両手で受け取り、鞄の隙間にそっとしまった。

「ありがたくもらっとくよ、おっさん」

 ガレットは何も言わなかった。鼻を鳴らして、ハッチの方へと歩き出した。

 ルカはそれからアルドの方を向いた。

「アルドも、すげえもん見せてくれてありがとうな!」

 アルドは歯車にオイルを差す手を止めた。油だらけの布で指先を拭い、ルカの顔を一瞬だけ見た。

「……ああ」

 視線を歯車に戻した。

「わざわざ心配かけさせたな。道中、気をつけて帰れよ」

 ルカは一瞬きょとんとした。

 それからすぐに、目を細めて笑った。

「へへ、わかってるよ!」

 カーラの装甲車のエンジンが咳き込むように唸り始めた。黒い排煙が天蓋の下に溜まる。

 ルカは荷台から身を乗り出して手を振った。カーラが運転席のドアを閉め、ジャックが不承不承に助手席へ身を押し込んでいく。

 泥だらけの装甲車がゆっくりとドックを滑り出していった。

 アルドとガレットは、煤けた天蓋の下で無言のまま見送っていた。機体側面の測距レンズの奥で、赤い灯りが静かに明滅している。


---


 数日後。廃炭鉱街のドック。

 装甲車の排気音が、午後のドックに響いた。

 泥がさらに厚くこびりついた車体から降り立ったのは、カーラとジャックだった。カーラはいつもの調子で葉巻に火を点け、ジャックは助手席から這い出るようにして立ち上がった。

「……あの子は」

 ガレットが短く訊いた。

「無事に届けたわ。トビーが出迎えに来てたから、心配いらないわよ」

 カーラが煙を細く吐いた。

 ガレットは黙って頷いた。

 アルドは工具箱を開け、中から小さな金属の棒を取り出した。先端が鉤状に曲がった、留め具外し専用の工具だった。

「手を出せ」

 ジャックが右手首を差し出した。腕輪の隙間に工具の先端を差し込み、ひと捻り。乾いた金属音がして、錠が外れた。

 重い腕輪がジャックの手首から落ち、作業台の上でがたん、と跳ねた。

 ジャックは手首を押さえ、ゆっくりと回した。腕輪の痕が、日に焼けた肌に白い筋となって残っている。手首を擦りながら、皮肉っぽく笑った。

「……やっと外れたぜ」

 手首の白い筋を親指で撫でた。

「もう二度と、お前らの厄介事はごめんこうむりたいね」

 アルドは外れた腕輪を拾い上げ、ぼろ布で汚れを拭ってからジャックへと手渡した。ジャックはそれを受け取り、外套のポケットに仕舞い込む。

「……次はバレないように取ってくるさ。安心しな」

 ジャックは一瞬黙り、それから天井を仰いで深い溜息を吐いた。

「こんなに信用ならん"安心しろ"も初めて聞いたな……」

 カーラが鼻で笑った。ガレットも口元を歪めている。

 ジャックは上着の襟を正し、外套を羽織り直した。

「じゃあな。しばらくは静かに暮らさせてもらう」

 片手だけを軽く挙げて、ドックを出ていった。


---


 酒場の扉を開けた瞬間、ジャックは異変に気づいた。

 いつもの薄暗い酒場には、普段は見かけない連中がひしめいていた。カウンターの端に座っていた顔見知りの店主が、ジャックの姿を認めて立ち上がる。

「おお、帰ってきたか!」

 店主の声がやけに大きかった。酒場の中の視線が、一斉にジャックに集まる。

「あんた宛に手紙が山ほど届いてるぞ。企業連の正式な封蝋が押してあるやつまである」

 カウンターの上に、革の手紙入れが三つ積まれていた。分厚い封筒が口からはみ出している。

 奥のテーブルから、日焼けした男が立ち上がった。

「おい、あんたがジャックか? 雷鳴の谷に続いて、灰の海の精霊捜索まで最速で片付けたって話は本当か!」

 別のテーブルからも声が飛んだ。

「まさに精霊ハンターだな! うちの組合が出してる未踏区域の調査依頼、引き受けてくれないか!」

「こっちの方が報酬は上だぜ。北の廃墟群の精霊を回収してくれりゃ、金塊で払う」

 ジャックの顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。

 カウンターの封筒の山を見下ろす。どれも企業連や有力組織の紋章入りの分厚い依頼書だった。

「お、おい待て」

 声が裏返った。

「違う、俺はそんな専門家じゃねえ!!」

 酒場の連中は聞いていなかった。次々と席を立ち、我先にとジャックに詰め寄ってくる。

「勘弁してくれ、俺はただの『何でも屋』だぞ――!?」

 ジャックの悲鳴が、煤けた酒場の天井に吸い込まれていった。


---


 廃炭鉱街の裏通りの喧騒を背に、重厚な多脚歩行機が力強い駆動音を響かせた。

 折り畳んでいた六本の脚が一本ずつ地面を踏みしめ、巨体がゆっくりと持ち上がる。停泊ドックの鉄骨天蓋の下から這い出すように進み出たオールド・ベルは、荒野へと続く道の方角に機首を向けた。

 機内のリビング。

 ガレットが広げた荒野の地図に指を這わせていた。等高線と破線が入り組んだ一角に、赤いインクで小さな丸が書き込んである。

「西北西、か。この辺りは行ったことがねえな」

 向かいの椅子では、アルドが古書の背表紙を柔らかい乾いた布で丁寧に拭き清めていた。

 指先の繊細な動きで革の表面を均し、満足そうに目を細める。口元がわずかに緩んでいる。


『現在地より西北西、未知の廃墟区画へ向け歩行開始』


 壁面のスピーカーから、涼やかな合成音声が告げた。機体全体が低い振動を帯び、規則正しい歩行のリズムが床板を通して伝わってくる。

 窓の外で、煤けた天蓋が後方へと流れ去っていった。


『全く。厄介事が片付いた途端、また古い紙切れの世界に没頭するとはおめでたい身分ですね、マスター』


 天井のスピーカーから、いつもの慇懃無礼な合成音声が落ちてきた。


『それと、うちの中枢制御系から警告です。「次の目的地でも無秩序に本や資料を積み上げるなら、書庫の崩落ハザードおよび安全基準違反は看過できない」とのことですよ』


 アルドは本から目を上げず、事も無げに口角を上げた。

「だから、それも全部お前の都合のいい意訳じゃないのか」

 オールド・ベルの大きな駆動音が一段高くなり、二人と一機の移動書斎は、どこまでも続く灰色と赤錆の荒野へと歩みを進めていった。


ここまで『移動書斎オールド・ベル』をお読みいただき、本当にありがとうございました!


本エピソードをもちまして、本作の【第1章】は完結となります。

荒野をゆくアルド、ガレット、そしてオールド・ベルの旅を温かく見守り、応援してくださった皆様に心より感謝申し上げます。


少しでも「面白かった」「雰囲気が好き」「二人の旅をまた見たい」と思っていただけましたら、作品ページ下部の【★評価】や【フォロー/ブックマーク】、【応援・感想】をいただけますと、今後の大きな励みになります!


※準備が整い次第、【第2章】として彼らの新たな旅の連載を再開する予定です。

ぜひフォロー(ブックマーク)のまま、気長にお待ちいただけますと幸いです。


改めまして、第1章のご愛読、本当にありがとうございました!

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