第7話 幼なじみの二人
それから、ウェステリアとルーレンスは、時折顔を合わせるようになった。
自分の置かれた状況を、簡単には外部に話すわけにはいかないウェステリアにとって、彼の存在はとても心強く、彼女の心の負担を軽くしてくれた。
ルーレンス普段から愛想が良い性格ではなかったが、寡黙で人の秘密は漏らさない男だった。
また彼は、私がエヴァスの身辺調査や、離縁の手続きなどの相談をすると、自慢の博学さで的確に助言やアドバイスをしてくれた。
ウェステリアが一人で抱えていた法的な手続きの知識や、離縁の際の財産分与に関する情報なども、自分の顧問弁護士を通じて調べてくれた。
ウェステリアは素直にそれをありがたく思った。
しかし同時に、幼馴染とはいえ、彼にこれ以上甘えてしまっって良いものかという、一種の戸惑いも感じていた。
ウェステリアは昔から人の好意を受け取ることが、昔から苦手だった。
***
ある午後、二人はいつものカフェで向かい合っていた。
ルーレンスがハロルドから受け取った最新の報告書を、テーブルの上に広げた。
エヴァンスがルイーゼの邸宅を訪れた日時の記録と、二人が連れ立って食事をしたレストランの名前が、几帳面な文字で並んでいた。
「証拠としては、まだ弱いな」
ルーレンスが言った。
「同席しているだけでは、言い逃れができるのでは?」
「わかっています」
ウェステリアは報告書を見つめながら頷いた。
「決定的な証拠が必要です。二人の関係を示す手紙や、あるいは第三者の証言か」
「ハロルドには、引き続き邸宅の動向を調べさせましょう。もう少し時間がかかるかもしれないが」
「はい」
ウェステリアはコーヒーに口をつけた。
***
しばらく沈黙が続いた。
外の通りでは、荷馬車がゆっくりと過ぎていった。
ウェステリアは、ふと口を開いた。
「あなたは戦地で、どんなことがありましたか」
ルーレンスは少し驚いたような顔をした。ウェステリアの方から、個人的な話題を持ち出すのは珍しかったからかもしれない。
「どうしたんだ、急に」
「あなたがいろいろと話してくださるのに、私はあなたのことを何も聞いていなかったと思って」
正直にそう答えると。
ルーレンスは、少し考えるように目を伏せた。
「……はなぜは長い話になるが」
「構いません」
幸い、この頃になるとわたしは既に半ば屋敷から追い出されたような存在になっていた。
私がいてもいなくても、彼にはどうでもいいらしい。
よって時間はいくらでもある。
私は彼の身の上話を聞くために、椅子に深く腰掛けなおした。
***
ルーレンスが戦地へ赴いたのは、十五の時だった。ウェステリアとの別れから数ヶ月後のことだ。
隣国との戦争は、断続的に七年続いた。
ルーレンスは騎兵隊の将校として各地を転戦し、二度負傷した。
一度目は左腕に矢を受け、二度目は敵の剣が右の脇腹をかすった。
どちらも命に別状はなかったが、戦場というのは常に紙一重の場所だったとルーレンスは静かに語った。
「怖くはありませんでしたか」
ウェステリアが問うと、ルーレンスは少し間を置いてから答えた。
「怖くなかったといえば嘘になる。
ただ、それを顔に出すわけにはいかなかった。部下たちの前ではね」
「……それは、ほんとうに大変でしたね」
「あなたには、笑われるかもしれないが」
ルーレンスは、少し声のトーンを落とした。
「戦地にいる間、故郷のことをよく思い出していたよ。子どもの頃のことを」
「故郷のこと」
「この地方の景色とか、幼い頃に遊んでいた場所とか。それから——」
ルーレンスは少し言葉を切った。
「それから?」
「…君のことも」
ルーレンスはそう言って、まるで遥か昔のことを思い起こすように、淡褐色の瞳を細める。
わたしは、ハッとして目を見開いたが
それ以上は何も言わなかった。
***
それから私たちは、二人で過ごした故郷の話に花を咲かせた。
会話は弾み、幼い頃の共通の思い出が、次々と出てきた。
領地の境にあった小さな川で、二人で魚を捕ろうとして、ウェステリアだけずぶ濡れになったこと。
ルーレンスが持ってきた分厚い歴史書を二人で読み、ウェステリアの方が先に読み終えてルーレンスが悔しがったこと。
収穫祭の日、人混みではぐれて、ルーレンスが必死に探し回ってくれたこと。
「あの時、君は泣きべそをかいて座り込んでいたのを覚えている」
ルーレンスが言った。
「でも、見つけた時には一人で広場の隅に腰掛けて、泣きながら菓子を食べていた」
(そんなことあったかしら…)
ウェステリアは顔を顰めた。
「だって、きっとお腹が空いていたんですもの」
ウェステリアが言うと、ルーレンスは声を出して笑った。
その笑い声を聞いて、ウェステリアは少し胸が温かくなった。久しぶりに聞いた、屈託のない笑い声だった。
最近のウェステリアの周りには、こういう笑いがなかったと、改めて気付かされる。
話が弾むにつれて、二人の間の距離が、少しずつ縮まっていくのをウェステリアは感じた。
「君は変わらないな」
笑いが落ち着いた後、ルーレンスが言った。
「昔から、どんな状況でも、自分のペースを崩さなかった。それはいい意味で、今も同じだと思う」
「それは……少し、頑固ということかしら」
「そうとも言えるかもしれない」
私がふくれ面を作る横で
ルーレンスは、悪びれず答えた。
「しかし、そのくらいの芯の強さがなければ、今あなたが置かれている状況で、冷静ではいられないでしょう」
ウェステリアは、その言葉を正面から受け取れずに、視線をカップに落とした。
褒められることに、慣れていなかった。
エヴァンスは、ウェステリアの仕事を当たり前のものとして扱い、労いの言葉をかけることが滅多になかった。
だから、こうして真正面から認められると、どう応えればいいかわからなくなる。
「……ありがとうございます」
またしても、それしか言えなかった。
ルーレンスは何も言わなかったが、その目は優しかった。
***
カフェを出ると、夕暮れが始まりかけていた。西の空が淡い橙色に染まり、通りに長い影が伸びていた。
「家まで送ろうか?」
ルーレンスが言った。
「いいえ、一人で大丈夫です。屋敷はここから近いので」
ルーレンスは頷いた。
それから、少し真剣な顔になってウェステリアに向き直る言った。
「ウェステリア、くれぐれも無理はしないで。
証拠集めを急ぐ気持ちはわかるが、あなた自身が危険な目に遭うようなことだけは避けてほしい」
「わかっています」
「本当に?」
「……わかっています」
ルーレンスは少し眉を上げたが、それ以上は言わなかった。
「では、また」
ウェステリアは一礼して、歩き出した。
少し歩いてから、ふと振り返ると、ルーレンスはまだそこに立って、ウェステリアの背を見送っていた。
目が合うと、彼はわずかに頷いた。
ウェステリアは、また前を向いて歩き出した。
——心強い人が、戻ってきてくれた。
そう思うと、夕暮れの風が、少しだけ温かく感じた。




