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一方的に離縁を言い渡されたので、ほぼ一人で経営を任されていた貿易業からもお暇することにしました  作者: 秋名はる


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第16話 エヴァンスの妨害

「エヴァンス、どうしてあなたがそれを?」


それは、既に二人の署名を終えて、エヴァンスが役所に届け出た筈の書類だった。


「お前が裏切ることを見込んで、今まで隠しておいたんだ

 俺達は未だ婚約関係は解消されていない。」


エヴァンスはニヤリと笑った。


マーガレットが息を呑む気配があった。後ろでトーマスが、静かに前に出ようとするのが見えた。



ウェステリアは、一瞬だけ息を整えた。


 ——まだ夫婦。


正式な手続きは踏まれていない。法の上では、ウェステリアはまだハミルトン伯爵夫人だという、そしてそれを盾に、彼は力ずくで自分を連れ戻そうとしていた。


「エヴァンス様」


ウェステリアは、静かに言った。


「離縁を申し出たのは、あなたではありませんか。家を出るよう命じたのも、あなたです。私は、その言葉に従いました。それをいまさら——」

 

「黙れ」


エヴァンスが、大股で近づいてきた。


後ろの男二人も、動き出した。トーマスが前に出ようとしたが、エヴァンスの連れてきた男の一人が、それを体で遮った。


まずい、とウェステリアは直感した。


しかし次の瞬間、廊下から別の足音が聞こえてきた。落ち着いた、しかし速い足音だった。


「一体、何の騒ぎだ?」


扉口に、ルーレンスが立っていた。



***



ルーレンスの登場に、エヴァンスの動きが止まった。

 

ルーレンスは室内を見渡し、状況を一瞬で把握したようだった。


その目が、僅かに鋭くなった。しかし声は、いつも通り静かだった。


「エヴァンス・ハミルトン伯爵。私の事業所に、どのようなご用件でしょうか」

 

「お前は関係ない」


エヴァンスが、敵意をあらわに言った。


「俺は自分の妻を迎えに来ただけだ」


「妻?」


ルーレンスは首をかしげる。


「あなたに、もう妻はいないはずだ」


冷静に諭すルーレンスに対して、ウェステリアは青ざめていた。


「まだ正式に手続きをしていない」


エヴァンスはそう言ってにやりと笑うと、手に持っていた書類をひけらかした。

それを見て、ルーレンスは状況を悟った。


「この商会は、現在私の事業です

正当な契約に基づいて取得したものです。その中に無断で立ち入り、従業員を脅迫するのは、不法行為にあたります。それにあなたは」



「脅迫じゃない。妻を連れ帰るだけだ」


「だとしても、ここであなたの勝手をして良いことにはならない。

あなたはウェステリアに一方的に離縁を申し渡し、あなたの命令で家を出た。それでもなお、彼女を連れ戻そうと言うのなら」


ルーレンスは、静かに続けた。


「この私が許しません。私にはこの商会の従業員を守る責任がある」


ルーレンスの瞳には有無を言わせない強さがあった。

エヴァンスは口をつぐみ、反論する気を削がれている。


「エヴァンス様」


ウェステリアが、静かに割って入った。


「今日のところはお引き取りを。もし今後も同じようなことをされるのであれば、私どもも相応の対応を取らざるを得ません」


エヴァンスは、ウェステリアとルーレンスを交互に見た。後ろの男たちも、侯爵の存在に明らかに気圧されている。


しばらくの間があって、エヴァンスは吐き捨てるように言った。


「覚えておけ」


それだけ言って、踵を返した。後ろの男たちが慌ててついていく。

廊下を荒々しく歩く足音が、やがて遠くなった。



***



静寂が戻ると、部屋にいた全員が、ほっと息を吐いた。


マーガレットが、かすかに震える手を胸に当てていた。トーマスが、険しい顔のまま廊下の方を見ていた。


「奥様、怪我はありませんか」


マーガレットがウェステリアの方に駆け寄ると、ルーレンスもまたウェステリアの方を覗き込んだ。


「私は大丈夫です。でも、あなたがいなければ危ないところでした」


「用事があって事務所に来ていたんだ。

それで、入口で騒がしい様子が見えたので」


ルーレンスは、かすかに眉を寄せた。


「しかし、あれは一体どういうことなんだ。

 ウェステリア、君はエヴァンスと離縁したと思っていた」


「書類を正式に届け出るのは、エヴァンスと彼の弁護士の役割でした。

まさか、正式に提出していなかったなんて……」


「君を脅そうとしていた。今後も同じことが起きるかもしれない」


「その可能性は大いにあります」


いいながら、ウェステリアは顔を歪めた。

ルーレンスは、真剣な顔でウェステリアを見た。


「当面の間、一人で行動するのは避けてほしい。

何かある時は必ず誰かと一緒に」


今日のことを思えば、ルーレンスの言葉は正しかった。

エヴァンスが何をするかわからない以上、慎重すぎるということはない。


「……わかりました」


素直に頷くと、ルーレンスは少し安堵したように目を細めた。

 


窓の外では、夕暮れの光が商会の看板を赤く染めていた。

 ——これで終わりにはならない。



ウェステリアは、そう思いながら、机の上に広げたままの書類に目を落とした。エヴァンスとの決着は、まだ先だった。




** *




エヴァンスが商会に乗り込んできた翌日から、ウェステリアはルーレンスの屋敷に身を寄せることになった。


実家に戻ることも考えたが、父を巻き込みたくなかった。


それに、ルーレンスの屋敷の方が警備も万全で、エヴァンスが再び動いた時の対応もしやすい。


ルーレンス自身もそう提案してくれた。

 


広大な侯爵邸の一角に用意された客室は、ウェステリアがこれまで暮らしてきたどの部屋よりも立派だったが、ウェステリアはそのことをあまり気にしなかった。


今は、安全であることと、仕事ができることの方が大切だった。


毎朝、商会へはルーレンスの馬車で向かい、夕方には屋敷に戻る。そういう日課が自然と出来上がった。


しかし、商会の立て直しと並行して、もう一つの課題がウェステリアの頭から離れなかった。


——彼がまた妨害してくる前に、ウェステリアはエヴァンスの不義の証拠を、早急に掴まなければならない。


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