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一方的に離縁を言い渡されたので、ほぼ一人で経営を任されていた貿易業からもお暇することにしました  作者: 秋名はる


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第15話 新しい経営者

そして三日後。

 


エヴァンスは、買収に応じた。

条件の交渉は、ルーレンスの弁護士が粘り強く行った。


商会の資産価値に対して、エヴァンスは当初、かなり高い売却額を要求してきた。


しかし現状の負債や、失われた取引先との契約を差し引けば、実質的な価値はそれほど高くないことを弁護士が丁寧に示した。



最終的に、妥当な金額で合意が成立した。



ハミルトン商会は、ウィンチェスター侯爵家の事業として正式に買収された。商会の名前は、のちにウィンチェスター商会と改められることになる。



***



契約が成立した翌日、ウェステリアは久しぶりに商会の建物を訪れた。



見慣れた外観は変わっていなかった。


しかし中に入ると、荒れた様子が目に入った。書類が雑然と積まれ、帳簿は途中で放棄されたままになっており、倉庫の在庫管理台帳には記録の空白があった。


ウェステリアは、それらを一つ一つ見て回った。


怒りはなかった。ただ、やるべきことの多さを、静かに確認した。



「ひどいですね」


後ろからマーガレットが言った。


「ええ」


ウェステリアは振り返って、微笑んだ。


「でも、できないことは一つもありません。一緒に立て直しましょう」


マーガレットが、今度こそはっきりと笑顔を見せた。



トーマスが、まず帳簿の棚の前に立った。ピートが倉庫の方へ向かった。ジャックとサイモンが、積まれた書類を整理し始めた。



それぞれが、自分のすべきことへ、迷いなく動き出した。



***




その夕方、ルーレンスが商会を訪ねてきた。


ウェステリアは、帳簿の修正作業をしていた手を止めて顔を上げた。


「様子はどうかな?」


ルーレンスが、室内を見渡しながら言った。


「思っていたより大変ですが、思っていた通りです」


ウェステリアは答えた。


「一つ一つ、確実にやっていきます」


ルーレンスは、忙しく動き回る従業員たちの様子を眺めた。その目が、満足そうに細くなった。



「一方で、エヴァンスは相当頭に来ているようだ。従業員ごと商会を奪われたと思っているだろうし」


「奪ったわけではありません」


ウェステリアは、静かに言った。


「正当な対価を払って、正式に買い取っていただいた。それだけのことです」



「たしかにそうだね」


ルーレンスは頷いた。


「しかし彼が冷静でいられるとは思えない。これからが、むしろ本番かもしれない」


ウェステリアは、それを聞いて少し真顔になった。



そうだ。商会の問題は一区切りついたが、本来の目的はまだ果たされていない。


エヴァンスの不義の証拠。正式な離縁。慰謝料。



「引き続き、ハロルドにも調査は続けてもらっています」


ウェステリアは言った。


「もうしばらくで、何か掴めるはずです」



「私も、できるだけのことをしよう」


ルーレンスが、静かにそう言った。


その言葉には、いつものように、余計な飾りがなかった。ただまっすぐな意志だけがあった。


ウェステリアは、深く頷いた。



窓の外では、夕暮れが港の空を橙色に染めていた。波の音が、遠くから静かに聞こえてくる。


——まだ、やるべきことがある。


しかし今のウェステリアには、それを乗り越えるための力が、確かに戻ってきていた。

 



** *




商会の立て直しが始まって、五日が経った。



ウェステリアは毎朝、夜明けとともに商会へ出向き、夕暮れまで働いた。


滞っていた帳簿の修正、取引先への謝罪と関係修復の挨拶状、船舶の点検スケジュールの再編


——やるべきことは山積みだったが、一つ一つ片付けていくにつれて、商会の空気が少しずつ変わっていくのをウェステリアは感じていた。



従業員たちの顔に、張りが戻ってきた。


マーガレットが帳簿を正確に整理し直し、トーマスが船員たちをまとめ直し、ピートが倉庫の在庫を一から数え直した。


ジャックとサイモンは、ウェステリアの指示を素早く実行に移した。



これが本来の姿だ、とウェステリアは思った。


それぞれが自分の役割を心得て、黙々と動いている。誰かが怒鳴らなくても、誰かが強制しなくても、仕事は自然と回っていく。


——やはり、この仕事が好きだ。


そう改めて実感しながら、ウェステリアは机の上の書類に向かっていた。



***



しかしその日の午後、事態は急変した。


商会の入口から、慌てた様子の使用人が飛び込んできた。



「ウェステリア様、大変です。玄関先に——」


使用人が言い終わる前に、重い足音が廊下を響かせながら近づいてきた。


扉が、乱暴に開いた。


「いたか」


入ってきたのは、エヴァンスだった。

顔が赤く、目が血走っている。


いつもの怠惰な様子はなく、何かに駆り立てられているような、剣呑な空気をまとっていた。後ろには、見知らぬ男が二人、無言で従っていた。



ウェステリアは立ち上がり、静かにエヴァンスを見据えた。


「エヴァンス様。何のご用ですか」


「何のご用だと?」


エヴァンスは、嘲るように笑った。


「お前が俺の商会を乗っ取ったんだぞ。それで何のご用だ、は通らないだろう」



「乗っ取ってはおりません。正式に買収していただいたはずです」


「俺が追い込まれた状況で、無理やり売らせたんだろうが。あれのどこが正式だ」


ウェステリアが毅然とした態度で応じるものの、エヴァンスの怒りは収まらない。


「書類はすべて揃っています。弁護士も立ち会っています。何かご不満があれば、法的な手続きでご異議を申し立てください」



「ふん」エヴァンスは、低く繰り返した。


「お前はそういうことを言う女だな、昔から」


彼は一歩、前に踏み出した。



「俺たちはまだ夫婦だ。離縁の手続きは、まだ済んでいない。つまり、お前はまだ俺の妻だ。妻が夫の商売を邪魔した。それだけのことだ。今すぐ、俺と一緒に来い」


その言葉に、部屋の空気が張り詰めた。

エヴァンスの手には、二人の署名の入った、離縁を届け出るための書類が握られていた。



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