第12話 残された従業員達
実家での穏やかな日々が続いて、二週間ほどが経った頃だった。
その日のウェステリアは、父の書斎を借りて、ハロルドからの最新報告を読み返していた。
エヴァンスとルイーゼの接触回数は増えており、ルイーゼの邸宅への出入りも、ほぼ毎週確認されているという。
しかし決定的な証拠、二人の関係を明確に示す書状や証言にはまだ至っていなかった。
――もう少し、時間が必要だ。
そう思いながら書類を束ねていた午後、玄関の方が少し騒がしくなった。
使用人が早足で廊下を歩く音がして、間もなく書斎の扉がノックされた。
「お嬢様、お客様がいらしております」
「客人、ですか」
「はい。ハミルトン商会の方々だと名乗っておられます。お嬢様にぜひお会いしたいと」
ウェステリアは、思わず立ち上がった。
***
応接室に入ると、そこにいたのはトーマスだった。
その後ろに、マーガレット、ピート、そして若いジャックとサイモンの顔も見える。
さらに、ウェステリアがあまりよく知らない顔も数人混じっていた。商会の中堅どころの従業員たちだろう。
「トーマスさん、みなさん——どうしたのですか」
ウェステリアが問うと、トーマスは帽子を手に持ったまま、深刻な顔で口を開いた。
「奥様、折り入ってご相談があってまいりました」
「どうぞ、お座りください」
全員が腰を落ち着けると、トーマスが静かに語り始めた。
***
ウェステリアが屋敷を出た後、商会は急速に機能不全に陥っていた。
まず、ウェステリアが丁寧にまとめた引き継ぎのための手順書は、全く機能しなかったことがわかった。
エヴァンスは書類を一瞥しただけで放り出し、実務をそのまま従業員たちに丸投げした。
一方で従業員たちも、ウェステリアがいなければこなせない業務が山積みだった。
本来であれば、ウェステリアが一人で行っていた仕事は、あの商会では経営の一部署に匹敵する。
だから、通常であれば、それらを引き継ぐにあたり、後任の人選をするとともに、ウェステリアが退職した分の人員の補填をしなければならなかった。
しかし、エヴァンスはそれを怠って、既存の従業員に丸々業務を押し付けた。
従業員たちは、自分の元の仕事に加えて、ウェステリアが行っていた業務をこなさなければならず、手が回らなくなった。
取引先からの問い合わせへの対応、船舶の定期点検の手配、次の仕入れ便の発注手続きなど
これらはどれも、ウェステリアが長年積み上げてきた経験と判断力があってこそ、滞りなく回っていたものだった。
「手順書に書いてある通りにやれば、大抵のことはこなせました。しかし、それを今の人数のままこなすのは無理がありました」
マーガレットが、疲れた顔で言った。
「旦那様は、断固として人員を補填することを拒否されたのです。
元は奥様が一人でなさっていたことだったので、そのくらい必要ないと断言されて。」
「そんな中、港の倉庫業者とも、揉め事が起きました」
ピートが続けた。
「保管料の計算に食い違いがあって、先方が強硬な態度に出てきた。旦那様に報告しても、お前たちで解決しろの一点張りで」
「旦那様はどうされているのですか」
「ほとんど商会に顔を出しません」
トーマスが、苦々しい顔で言った。
「朝から外出されて、夜遅くに戻ることもある。商会のことは、まるで他人事のように」
——ルイーゼのところへでも、行っているのだろうか。
ウェステリアは内心でそう思ったが、口には出さなかった。
***
「不満はそれだけではありません」
トーマスは、さらに続けた。
「旦那様は、私どもが業務をこなせないことに苛立っておられます。先週、残業が続いていた若い事務員を、人前で激しく叱責されました。それ以来、事務員が二人、無断で出勤しなくなってしまいました」
「それは——」
「もう限界です」
トーマスは、静かに、しかしはっきりと言った。
「このままでは私どもは、旦那様のもとで働き続けることができません。
以前、奥様に申し上げた通りです。奥様がいないのであれば、私どももこの仕事を辞める。その意思は変わっておりません」
部屋の中にいた全員が、静かに頷いた。
ウェステリアは、彼らの顔を見渡した。疲れが滲んでいた。しかし同時に、その目には、まだ諦めていない光があった。
「私たちは、業務をボイコットすることに決めました」
「今週から、私どもは意図的に業務を取りやめているんです」
「奥様がいらっしゃらないままでは、私たちは働く気はありません」
従業員たちは憤然とした態度で応じた。
その瞳には、ウェステリアを失ったことに対する不満が滲んでいる。
「それで……エヴァンス様は」
「激怒しておられます。全員を解雇すると言われました」
「そんな……」
解雇。その言葉の重さを、ウェステリアは十分に理解していた。
仕事を失えば、生活が立ち行かなくなる者もいる。マーガレットには年老いた母がいる。ジャックは弟妹の学費を稼いでいる。
「みなさんを、そのような目には遭わせられません」
ウェステリアは、声を絞り出した。
「しかし私には、今すぐ商会に戻る手段がない。エヴァンス様に追い出された以上、私には——」
「良いのです。
これが、私たちが旦那様にできる最大限の抵抗なのですから」
従業員たちの表情は悲痛なものだったが、その誰にも、後悔の色は見られなかった。
「しかし、このままでは皆さんが……」
職を失って路頭に迷うことになるだろう。
腕を組んで考え込むウェステリアであったが、ここで意外な人物が登場した。




