勝てなきゃ意味がないかあ
放課後。
ホルンの練習後。
今日は立花奈緒は先に帰った。
楠木七菜、居残り練習。
歌う。
終わる。
録音聴く。
もう一回。
繰り返し。
結構長い間やる。
一週間前の動画。
今日の動画。
「…………」
小早川千紘が来る。
「七菜ちゃん」
「千紘先輩」
「まだやってたの?」
「はい」
「ホルンは?」
「終わってます」
「そっか」
小早川千紘が隣に座る。
「私も観ていい?」
「はい」
スマホを渡す。
再生。
一週間前。
今日。
「今日の方が良いね」
「はい」
「ここ」
再生を止める。
「美冬に言われてたところ」
「はい」
「できてる」
「昨日からです」
「すごいじゃん」
「はい」
小早川千紘が楠木七菜を見る。
「嬉しくない?」
「嬉しいです」
「そっか」
「はい」
沈黙。
小早川千紘、待つ。
動画は、繰り返し再生中。
「でも」
「うん」
「遅いなって」
「何が?」
「上手くなるの」
「うん」
断言。少しの驚き。
「遅くなるよ」
楠木七菜、少し笑う。
「美冬先輩にも」
「言われてたよね」
「最初みたいには伸びないって」
「うん」
「わかってます。本当に」
「うん」
「毎日やってれば、少しずつ上手くなる」
「うん」
「わかってるんですけど……」
小早川千紘の視線は、柔らかい。
「しんどい?」
楠木七菜、止まる。
繰り返し再生は、続いている。
「……はい」
「そっか」
「わかってるんですけど」
「うん」
「一週間前より上手いです」
「うん」
「私、歌は結構上手いです」
小早川千紘が笑う。
「うん。結構上手いよ」
「でも」
少し。
言いづらい。
「美冬先輩」
「うん」
「全然近くならない」
「うん」
そこは。
否定して欲しかった。
ちょっとずつでも。
近づいてるよ的な。
「否定しないんですね」
「しないよ」
「近づいてない?」
「近づいてはいるよ」
視線、窓の外。
「でも美冬も上手くなってるから」
「……」
「なかなか縮まらないよね」
楠木七菜、机に突っ伏す。
「それです」
小早川千紘、笑う。
「まいっちゃうよね」
楠木七菜、顔。
上げる。
「追いかけてるのに。向こうも走るんだもん」
「そうなのよ」
「止まってくれないし」
「止まらないのよね、美冬は」
二人して笑う。
繰り返し再生を止める。
少し、静か。
「私もね」
「ずっと勝てないよ」
「美冬先輩に?」
「うん」
「……今も?」
「今も」
「ずっと」
「うん、小学生のときからずっと」
考える。
小学生からずっと。
「嫌じゃないんですか?」
「嫌だったこともあるよ」
「意外です」
「七菜ちゃんが聞いたくせに」
笑う。
「私ね」
「はい」
「昔、誰かに負けると」
言葉を探す。
「自分に何もないみたいに思ってた」
「……」
「その人が持ってるものが欲しくて」
探しながら。
「自分が持ってるものは、全然見えなかった」
楠木七菜、黙って聞く。
「美冬には勝てないし」
「はい」
「他にも」
少し。
止まる。
「勝てなかった人がいる」
「歌で?」
「ううん」
小早川千紘、苦笑い。
「恋かな」
「あ」
それはちょっと意外。
「好きな人、いたの」
「はい」
「でもその好きな人は、別に好きな人がいた」
「……」
「私じゃなかった」
「はい」
「昔はね、どうして私じゃないのって思った」
「はい」
「私の方が、近くにいた」
「はい」
「私の方が、彼のこと理解してるのにって」
「はい」
「でも最近は」
「はい」
「ちょっと思うんだ」
「その人に選ばれた人。楽器も歌も下手だったの」
「そうなんですか?」
「すごく」
「すごく、下手?」
「うん」
笑う。
もう、笑って話せる過去。
「だから、一緒に吹奏楽部に入らなかった」
「多分、その子も彼のことが大好きだったのに、近くで一緒にはいられなかった」
楠木七菜。黙って聞く。
「私は近くで、一緒にいられたけど、選ばれなかった」
小早川千紘は続ける。
「どっちもしんどかったのかもね」
「……」
「わからないけど」
「今は?」
「何が?」
「悔しくはなくなったんですか?」
考える。
首を横に振る。
「悔しいよ」
楠木七菜、少し。
驚く。
「今も?」
「うん。でも」
笑顔は崩れない。
「仕方ないよね」
「仕方ない?」
「うん」
「だって」
「彼が好きになったのは、その子だから」
「……」
「それと同じで」
「はい」
「私の方が彼に近いのも、仕方ないよね」
「何で?」
「私、歌と楽器は結構上手かったから」
楠木七菜、これには思わず吹き出す。
「そこですか?」
「うん」
「結構?」
「結構」
「美冬先輩、言わないんですか。結構じゃないでしょう、って」
「わりとよく言われる」
二人の笑い声。
止まる。
少し、静か。
「七菜ちゃん」
「はい」
「美冬に勝ちたい?」
考える。
長考。
「勝ちたいです」
「うん」
「でも」
「うん」
「勝てるかは、わからなくて」
「うん」
「多分、すごく、難しいです」
「うん」
小早川千紘が、真っ直ぐに楠木七菜を見る。
「じゃあ、美冬に勝てなかったら、七菜ちゃんがやってること、意味ない?」
「ないです」
即答。
今度は小早川千紘、思わず吹き出す。
「そっかあ。勝てなきゃ意味がない、かあ」
「だって、私、上手くなってるので」
「うん」
「もっと上手くなりたいです」
「うん」
「美冬先輩に勝てなくても」
楠木七菜、認めるのは非常に不本意。
「……悔しいですけど」
「うん、そうだよね」
「嫌ですけど」
「うん」
「勝てなくても、上手くなりたいです」
「答え、出てるんだ」
言われて。
自分の言葉、振り返る。
とても。
勝てないと意味がないと思っている人間の。
言葉ではない。
「あ」
また少し、笑う。
「でも」
「うん?」
「いつか」
「いつか?」
「もうこれくらいでいいかなって。思っちゃったら?」
「止めればいいよ」
即答。
「いいんですか?」
「いいよ」
「今まで頑張ったのに?」
「なくならないよ」
「何が?」
「頑張ったこと」
「……」
小早川千紘が指を立てる。
「上手くなったことも」
ひとつ。
「楽しかったことも」
ふたつ。
「できるようになったことも」
みっつ。
「やめても、なくならないでしょう?」
楠木七菜、考えて返事する。
「はい」
小早川千紘。
「だから、今、上手くなりたいなら」
笑顔。
「今はやればいいんじゃない?」
楠木七菜。
「はい」
スマートフォン。
今は画面黒い。
「千紘先輩」
「なに?」
「美冬先輩に勝てなくても」
「うん」
「歌、続けたんですね」
「うん」
「千紘先輩は、歌手にはならないんですか?」
「ならないよ」
「それでも?」
「うん」
「何でですか?」
小早川千紘、少し、考える。
「歌えるから」
「……」
「歌うの、好きだし」
「……」
「それに」
いたずらっぽい笑顔。
「私、歌は結構上手いよ」
「知ってます」
「うん」
楠木七菜、席を立つ。
スマートフォンをセットする。
「歌う?」
「はい」
「しんどいんじゃなかった?」
「しんどいです」
「そっか」
「でも」
撮影、開始。
「今は、上手くなりたいので」
「そうだね」
楠木七菜、歌う。
榊原美冬は、まだまだ遠い。
昨日と、そんなに、変わらない。
でも、歌う。
今は。
それで。
いい。




