私はどう歌えばいい?
電話。
楠木七菜、画面を見る。
新田先生。
連絡先は交換していた。
電話が来るのは。
公民館で子供たちに。
歌を教えて以来。
二回目。
「はい」
「もしもし、新田です」
「先生、こんにちは」
「いま、大丈夫?」
「大丈夫です」
「良かった」
少し、間。
「ちょっとね、面白そうなのがあるんだけど」
「面白そう?」
青葉野コーラスコンクール。
二人から九人の小編成。
全国大会への選抜のようなものはない。
でも。
審査員がいる。
上位三組は。
順位もついて。
表彰。
「出てみない?」
「私が?」
「うん。榊原さんと、小早川さんも誘って」
「なるほど」
「三人なら、まあ」
ちょっと、間があって。
「結構いいところまで行くんじゃない?」
「……先生」
「うん?」
「いま、絶対もっといけると思いましたよね」
「いやあ」
ははは、と笑う。
「思いましたよね」
「まあ、ちょっとね」
楠木七菜も笑って。
「聞いてみます」
電話が終わり。
翌日。
学校。
放課後。
いつもの空き教室。
楠木七菜が話す。
「コーラス?」
聞いたのは小早川千紘。
「はい」
「コンクールなの?」
榊原美冬。
「そうみたいです。順位もつくって言ってました」
「いつ?」
楠木七菜が日を言う。
「その日なら大丈夫かな」
小早川千紘。
スマホの予定表を確認した榊原美冬も。
「私も大丈夫」
楠木七菜が頷いて。
「じゃあ、出ます?」
先輩二人が視線を交わし合って。
「いいんじゃない?」
「うん、いいと思う」
楠木七菜がにっこり笑って。
「じゃあ先生に」
言いかけて。
「七菜」
言ったのは、榊原美冬。
「はい?」
「出るなら」
少しの間。
「一位を取るわよ」
楠木七菜は。
そんな榊原美冬を見て。
一度、穏やかに笑っている小早川千紘を見て。
もう一度視線を榊原美冬に戻して。
「はい、取りましょう」
と言った。
電話。
今度はこちらからかける。
新田先生。
「出る?」
「はい、出ます」
「三人?」
「はい」
「わかった。申込用紙を学校に届けておくよ」
「学校にですか?」
「うん、吹奏楽部の顧問の先生は?」
「佐々木先生です」
「わかった」
「ありがとうございます」
間。
「まあ、君たちならそんなに気負わなくても——」
「あ」
「うん?」
「美冬先輩、一位取るって言ってます」
「……」
「明日から、練習です」
「そう」
「はい」
先生の声が。
少し弾んだ。
「頑張って。楽しみにしてる」
練習。
榊原美冬。
「七菜」
「はい」
「そこ、息が浅い」
「はい」
「もう一回」
歌う。
「まだ」
「はい」
「肩を上げない」
「はい」
小早川千紘が隣。
「美冬」
「なに?」
「最初から飛ばし過ぎじゃない?」
珍しく。
榊原美冬に意見。
「そう?」
「大丈夫です」
と、楠木七菜。
「七菜」
「はい」
「じゃあもう一回」
「はい」
小早川千紘が微笑む。
歌う。
休憩を入れつつ。
歌う。
何度も。
榊原美冬が直す。
小早川千紘が教える。
楠木七菜が歌う。
こんな日は。
一日。
二十八時間。
ある。
夕方には帰れる。
教育的配慮も万全。
問題ない。
数日。
練習をして。
三人で合わせる。
一曲終わる。
楠木七菜、無言。
小早川千紘が榊原美冬に。
「どう?」
「悪くない」
「悪くないですか?」
聞いたのは楠木七菜。
「悪くないわ」
「美冬が悪くないって言うなら、結構いいんだよ」
「そうなんですか?」
そう言われてみると。
これまでの練習でも。
何度か。
悪くない、と。
言われたことがある。
「余計なことを言わないの」
ちょっと笑って。
もう一度。
歌う。
終わる。
「……」
榊原美冬。
ちょっと難しい顔。
「何か気になる?」
小早川千紘の質問にも。
答えず。
「もう一回」
歌う。
榊原美冬は。
歌いながら。
聴く。
小早川千紘も。
歌いながら。
聴く。
楠木七菜も。
歌いながら。
聴く。
終わる。
やっぱり。
榊原美冬が難しい顔。
楠木七菜。
ちょっと不安。
「美冬先輩。何か変ですか?」
「変じゃない」
即答。
「じゃあ」
楠木七菜が言いかけて。
「上手いわ」
榊原美冬がそう言うけど。
「でも」
考える。
難しい顔のまま。
「もっと、良くなる気がする」
「どこ?」
小早川千紘が穏やかに聞く。
「それが」
少し。
止まる。
「わからない」
榊原美冬が。
わからないと言うのは。
珍しい。
前にも一度。
私は指揮のことはわからない、と。
言ってたけど。
今回は、歌。
歌のことを。
榊原美冬が。
わからない。
とても、珍しい。
榊原美冬はまだ考えている。
そして。
楠木七菜を見て。
「ねえ」
「はい?」
「いまの、どう聴こえた?」
「え?」
「三人で歌って、どう聴こえた?」
楠木七菜、少し困る。
「上手かったです」
「そういう話じゃない」
「ですよね」
小早川千紘が笑う。
「なにか、気にならなかった?」
「……」
考える。
「もう一回、いいですか」
「ええ」
三人で歌う。
楠木七菜。
歌いながら。
榊原美冬と、小早川千紘の歌を。
聴く。
全部、聴く。
歌が終わる。
「……」
小早川千紘は何も言わない。
榊原美冬も何も言わない。
待つ。
待つ。
待つ。
「美冬先輩」
「なに?」
「ちょっと」
少し。
言いにくい。
「上手すぎます」
先輩二人。
呆れ顔。
「また?」
「違います!」
小早川千紘が思わず吹き出す。
「違うの?」
「はい、同じ意味じゃないです」
「じゃあ、どんな意味なの?」
「待ってください」
「待つわ」
楠木七菜。
考える。
待つ。
「ここ」
楽譜を指して。
「三人がちょっとバラバラかも」
「バラバラ」
「美冬先輩が、綺麗に歌って」
「千紘先輩も、綺麗に歌って」
「私も……頑張って歌ってて」
榊原美冬が苦笑。
「最後だけ弱いわね」
「そこはとりあえず良いんです」
小早川千紘は笑っている。
「三人とも、ちゃんと歌ってて」
楠木七菜。
言葉を探しながら。
「結構上手いんですけど」
探しながら。
「三人の歌が並んで走ってる感じします」
榊原美冬の表情が。
少し変わる。
「ここは、三人が上手いって聴こえるんじゃなくて」
間。
言葉を探す。
「ひとつの歌に聴こえた方が」
少し迷いながら。
「私は、好きです」
沈黙。
榊原美冬が、該当箇所の楽譜を見る。
小早川千紘も楽譜に目を落とす。
「なるほど」
「でも、私がどう歌えばそうなるかは」
ちょっと眉が下がる。
「ごめんなさい、わからないです」
間。
間。
「七菜」
「はい」
「私は」
榊原美冬。
「どう歌えばいい?」
楠木七菜。
止まる。
「……え?」
「今のところ」
楽譜を指す。
「あなたじゃなくて、私が」
「どう歌ったら」
「あなたが言う、ひとつの歌になる?」
楠木七菜。
半ば呆然。
「私が、決めるんですか?」
「違う」
即答。
榊原美冬も言葉を探す。
「三人で歌うんだから」
「自分のことだけじゃなくて」
「こうすれば良くなるかもしれない」
「それを、三人で共有しましょう」
「……」
榊原美冬、待つ。
小早川千紘、待つ。
楠木七菜が楽譜を見て。
頭の中で。
今の歌を。
「……すいません」
間。
「もう一回」
榊原美冬と小早川千紘が。
笑って。
「ええ」
三人。
息を。
吸った。




